“おどろおどろしくて怖い”、イカ天出身のハードロックバンド人間椅子には、そんなイメージを持つ人が多いのではないか。
ダークでヘビーなバンドサウンドに、ギター・ボーカルの和嶋慎治が書く文学的かつ怪奇的な歌詞の世界観。長らく人間椅子は、マニアが聴く、知る人ぞ知るバンドだった。
しかしデビュー以来30年余り、近年「無情のスキャット」がYouTube再生回数1000万回を超えるなど、大きくブレイクしている。
一聴すると、その佇まいやサウンドは何も変わっていないように思える。ではなぜそのようなブレイクが起きているのか、当ブログでも様々な角度から考察を試みてきた。
中でも注目すべき点として、和嶋氏の歌詞の内容が変化してきたことは、長く追いかけてきたファンにとって思い当たるだろう。
実は和嶋氏の歌詞の変化こそ、人間椅子再ブレイクの重要ポイントではないか、と筆者は考えている。
この記事では、和嶋氏の歌詞がどのように変化し、それが人間椅子にどのような変化をもたらしたのか、考察していく。
具体的には、歌詞の変化を初期から現在に至るまで6つのキーワードから追ってみたい。そして、和嶋氏の歌詞をの変化を、人間椅子の浮き沈み、近年のブレイクと絡めて考察したいと思う。
人間椅子について – 歌詞の特徴は?
詳しく見ていく前に、人間椅子にについてごく簡単に紹介しよう。
人間椅子は、ギター・ボーカル:和嶋慎治、ベース・ボーカル:鈴木研一、ドラム・ボーカル:ナカジマノブの3人からなる日本のハードロックバンドである。
1989年にテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演したことで、デビューのきっかけを得た。何度かのドラマーの交代や低迷期を経験しつつ、30年以上の間、休止もなく活動を続けている。
70年代ブリティッシュハードロックに、日本語詞を乗せるスタイルはデビューから一貫している。作曲の多くは、和嶋・鈴木両氏によって行われ、時にドラマーが作曲に参加してきた。
一方で歌詞の多くは、和嶋氏が作ってきた。かつては、鈴木氏が作詞をすることも多かったが、近年は鈴木氏が作詞するのはアルバムに1曲だけと言うのが慣例となっている。
人間椅子は、文学作品のタイトルを借りて、オリジナルの歌詞をつける、と言う手法を長くとってきた。
「三宅裕司のいかすバンド天国」内では”文芸ロック”なる言葉が生まれたが、当時の人間椅子を形容する表現である。
中でも和嶋氏の歌詞に関しては、文学的なカラーが強い。時におどろおどろしく、そして猟奇的であり、難解である、ということも特徴である。
和嶋氏の作る歌詞が、人間椅子の音楽をよりヘビーにそしてダークにしてきたとも言えるだろう。
しかしここまで書いたことは、和嶋氏の歌詞の一側面を表したに過ぎない。歴史とともに歌詞の内容にも変化が見られている。
どんな変化があったのか、次で詳しく見ていくことにしよう。
※人間椅子の歴史、その変化について詳しく書いた記事はこちら
和嶋氏の歌詞の変化 – キーワードごとに楽曲を紹介
本題の和嶋氏の歌詞の変化を追っていきたい。ここでは、6つのキーワードで和嶋氏の歌詞を分類していこうと思う。
キーワードは以下の6つである。
- 文学性
- 猟奇・不可解な世界観
- 心の闇
- メッセージ性の強まりと混沌
- 表現の軸の獲得
- 救いの言葉
およそ時系列に並べているが、時期が限定できないものもあるため、「キーワード」としている。個々のキーワードについて、どんな歌詞があるのか、実際の楽曲を取り上げて紹介しよう。
※歌詞を掲載できないため、外部の歌詞検索サイトのURLを貼り付けている。
文学性
人間椅子は、日本の文学のタイトルを借り、オリジナルの歌詞をつけるというものが多い。
「人間失格」「桜の森の満開の下」「踊る一寸法師」「怪人二十面相」「痴人の愛」など、”文芸シリーズ”と呼んで、今日に至るまで人間椅子の歌詞の定番である。
ただし歌詞の中身となると、時期によって少し性質が異なる。詳しくは後述するが、近年は文学作品のタイトルを借りつつも、和嶋氏自身のメッセージを込めることが多い。
一方で、初期~中期の作品では、文学性・物語性を重視する歌詞が多かった。和嶋氏の文学性はデビュー時から評価されており、人間椅子の音楽を語る上では重要な要素である。
文学的な表現は現在まで変わらないが、物語性の強い歌詞は、1st『人間失格』(1990年)~14th『真夏の夜の夢』(2007年)くらいまでに多かった。
ここでは、文学作品からタイトルを借りてはいないが、文学的な歌詞を取り上げてみた。
水没都市
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:3rd『黄金の夜明け』(1992年)
ヘビーなギターリフで始まるが、ポップなメロディが印象的な曲。水没したと言われる伝説上のアトランティス大陸について歌った内容となっている。
決して難解な歌詞ではないが、海辺の情景が浮かぶような描写と、沈んでしまった都市への憧れが歌われていて見事である。
プログレッシブな展開で、ドラマチックな印象もある楽曲だ。しかし歌詞では特定のイメージを与えぬよう、過度に物語性を持たせてはいない。
聴いた人が自由に「水没都市」を空想できる楽曲になっており、それゆえ人気の高い楽曲となっているのかもしれない。
宇宙遊泳
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:6th『無限の住人』(1996年)
漫画「無限の住人」のコンセプトアルバムでありながら、その世界観から外れた楽曲である。しかし少しでもコンセプトに寄せようと、宇宙を和風な言葉で表現しきった歌詞が素晴らしい。
雅な言葉が使われ、日本語の良さを堪能することができる。メロディが7・5調で構成されるところも日本的だ。
特に筆者は「時の静寂に語りかければ」「馬頭星雲そこまで駆けっこ」の歌詞が気に入っている。豊かな日本語を用いることで、宇宙と言う広大なイメージが広がっていくようである。
相剋の家
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:11th『修羅囃子』(2003年)
”ヘビーな人間椅子”を代表する楽曲の1つである。地を這うようなダークなサウンドに、非常に難解な熟語が並ぶ歌詞は、文学性を通り越してやや狂気を感じさせる。
活動中期には和嶋氏の歌詞は難解さを増していくが、その頂点のような楽曲であろう。「慚愧」「懶惰」などの難解な熟語は、この曲で始めて知った人も多いのではないか。
ここで言う「相剋」とは、自分の心にある2人の自分のことを指しているそうだ。和嶋氏の中にある闇が顔を出している歌詞としても読める。
近年の分かりやすい歌詞に対して、この頃の難解な歌詞のファンもきっといるだろう。内容もそうだが、声に出して読みたくなるような日本語ではなかろうか。
猟奇・不可解な世界観
文学作品からタイトルを借りる場合は、おどろおどろしい作品、猟奇的な作品も多かった。海外のハードロックが”Hell”を扱うことが多いのに倣い、日本文学における恐怖や猟奇を歌詞にしている。
そんな猟奇・不可解な世界観の歌詞もまた和嶋氏の特徴であった。特に初期~中期の楽曲に多く見られ、近年はかつてほど猟奇的な表現の歌詞は少なくなっている。
和嶋氏の歌詞というと、観念的なものが多いイメージかもしれない。しかし猟奇的な内容となると、かつては描写的な内容も多かった。
文学性に加え、猟奇・不可解な世界観のために、人間椅子にはコアなファンがつくことになった。その芸術性には注目すべきものがありつつ、やはり一部の人にのみ受け入れられたものではあった。
ここでは猟奇性の高いもの、不可解な世界観の歌詞を厳選した。
天国に結ぶ恋
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:1st『人間失格』(1990年)
和嶋氏の描く猟奇的な歌詞の代表作の1つであろう。そして初期の人気曲の1つでもあり、スラッシュメタル風のビートに、プログレッシブな展開も加わる和嶋氏らしい楽曲だ。
歌詞は、実際にあった事件をもとに書かれているという。身分違いの男女による心中事件、坂田山心中事件は、女性の遺体が持ち去られる猟奇的な事件へと展開した。
歌詞は死んだ女性への歪んだ愛が描かれている。歌詞の一部はテープの逆回転によって、自主規制されており、初期にはこうした危険なワードも使われることがあった。
こうした狂気を感じさせる楽曲が初期人間椅子の1つの魅力でもあったように思う。
ブラウン管の花嫁
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:4th『羅生門』(1993年)
ヘビーなリフに不気味なメロディがいかにも人間椅子といった楽曲。そして和嶋氏の不可解な歌詞が加わることで、さらに恐ろしさを感じさせている。
テレビに映る女性への妄想を膨らませる男の歌だろうか。おそらく統合失調症にあらわれる妄想をイメージしたものではないかと思われる。
人間の心の中で起きる様々な歪んだ思考や妄想について、和嶋氏は初期~中期によく歌詞にしていた。人間の心こそ実は最も不気味なものだと和嶋氏は考えていたのではないか。
精神疾患や障害など、かつて忌まわしいものとして隠してきた時代を思わせる歌詞も、初期には多く見られた。
九相図のスキャット
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:7th『頽廃芸術展』(1998年)
和嶋氏の猟奇的な世界観がわかりやすく示された楽曲である。不気味な内容の歌詞を、軽快な曲調で歌うことでより恐怖を感じさせる楽曲になっている。
「九相図(くそうず)」とは死体が腐っていく様子を9段階で描いた仏教絵画である。「天国に結ぶ恋」にも通じる、死んだ女性を愛でる男性の狂気を描いた内容となっている。
描写的な歌詞はどちらかというと鈴木氏が得意だが、かつての和嶋氏の歌詞にはメッセージ性よりも不気味さを強調するものも多かった。
心の闇
イカ天出演後は華々しくデビューを飾った人間椅子だったが、バンドブームが下火になるとともに、バンドも低迷。4th『羅生門』発売後に、メルダックとの契約が切れる。
1995年の5thアルバム『踊る一寸法師』は、インディーズから発売されたが、給料がなくなったことでメンバーはアルバイト生活となる。
バンドは売れず、生計を立てなければならない状況がそうさせたのか、これまでより心の闇を描き出す歌詞が増えていった。
これまではフィクションの世界の歌詞が多かったが、より和嶋氏自身の悩みや苦悩が反映されたような歌詞も登場する。
1999年の8th『二十世紀葬送曲』で再びメルダックとの契約が結ばれた。しかしバンドは飛躍のチャンスもなく、低迷しながら活動を続けていくこととなった。
この時期は、時として犯罪や反社会的行動を想起させてしまう歌詞も見られた。こうしたどす黒い歌詞は、90年代半ば~00年代半ば頃までに時々登場する。
暗い日曜日
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:5th『踊る一寸法師』(1995年)
インディーズからリリースされた『踊る一寸法師』は、これまでの文学的な人間椅子の固定観念から外れて、自由な世界観で楽曲が制作された傑作として知られる。
2曲目に配置された「暗い日曜日」は、本作の和嶋曲の中でも屈指のヘビーさである。それも怪奇的なヘビーさではなく、現実に我々が感じ得る重苦しい状況と言う意味でのヘビーさである。
1番~3番で描かれるのは、どれも日曜日の出来事だろう。予定に追われるがためのあわただしさ、何となく嫌なことを予感させる手紙、自分への歯がゆさなど、どれも考えるだけで憂鬱だ。
これまでのフィクションの世界でのダークさではなく、日常に感じる陰鬱とした内容も和嶋氏の歌詞の特徴に加わった。
黒い太陽
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:8th『二十世紀葬送曲』(1999年)
ヘビーな音像が特徴の本作の中でも、とりわけヘビーな楽曲であり、”ドゥーム”と言ってもおかしくないような重さである。比較的シンプルな展開ながら、メインリフがずっしり響く。
歌詞は決して難解ではないが、不気味さが漂う。「人でも攫ってみようか」「子供を騙してみようか」など、犯罪を匂わせるような歌詞が恐ろしい。
そして人が犯罪を犯す前には、こんな真っ白な気持ちになるのかもしれない。和嶋氏は、音楽をやっていなければ人の道を外れていたのではないか、と当時語っていた。
そんな心の中にある”黒い太陽”を、冷ややかに描き出したのがこの曲なのだと思う。現在の和嶋氏はもう書かないであろう歌詞である。
意趣返し
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:12th『三悪道中膝栗毛』(2004年)
ナカジマノブ氏が加入した最初のアルバム『三悪道中膝栗毛』は、まだこれまでのダークな雰囲気を引き継いでいた。中でも和嶋氏の黒い感情が前面に出たのが、「意趣返し」である。
意趣返しとは、恨み返し・復讐の意味である。Aメロでは、それぞれ恨むべき輩について描写されており、そいつ等に復讐してやるぞ、という内容である。
この歌詞を当時和嶋氏は鈴木氏にFAXで送ろうとしたところ、真っ黒になって読めなかったと言う。黒い感情はFAXにも伝わったのか、そんなエピソードもあってライブで演奏しなくなったそうだ。
メッセージ性の強まりと混沌
和嶋氏は、これまで文学性、怪奇性、そして心の闇を描いてきた。それが2001年の10thアルバム『見知らぬ世界』で変化する。
より平易で前向きな言葉を用いて、和嶋氏自身のメッセージを込めた歌詞が多くなった。変化の原因は、和嶋氏の私生活での出来事(結婚と離婚)によるものであった。
しかしこれまでになく明るくポップな楽曲が増えたために、賛否両論が起きた。和嶋氏自身もそうしたスタイルには自信がなく、やや迷走していた時期で、歌詞のスタイルも一貫しなかった。
10th『見知らぬ世界』~13th『瘋痴狂』辺りには、そうした模索の様子が窺える歌詞が多く見られた。
※『見知らぬ世界』で見られた変化について、詳しくはこちら
死神の饗宴
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:10th『見知らぬ世界』(2001年)
鈴木氏のヘビーな楽曲の中でも、屈指の名曲である。Black SabbathとBudgieを融合させたような曲、とご本人も自信作であると公言している。
そんなアルバムの推し曲に和嶋氏があてた歌詞は、単にダークな内容ではなかった。”死神”の目線から、人間の生と死を描いたものである。
明るい曲調ではないが、歌詞の内容は前向きでメッセージ性が強い。こんな歌詞は今までになく、和嶋氏が思ったことを歌詞に込めた点は画期的なことであった。
それを説教臭いと感じた人もいたようである。和嶋氏は、死ぬまで生きることを述べられて良かった、と振り返ってインタビュー等では述べている。
最後の晩餐
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:11th『修羅囃子』(2003年)
和嶋氏の明るい曲調が増えた『見知らぬ世界』以降、しばらくは似たタイプの楽曲が多く見られた。しかしメッセージがはっきりしていた『見知らぬ世界』に比べると、軸のしっかりしない楽曲も多い。
「最後の晩餐」も曲調は『見知らぬ世界』を引き継いだ明るいもの。歌詞は隣人愛を歌っているようではあるが、どこか博愛主義をシニカルな視点から描いているようにも見える。
思いのままを綴った歌詞に対して、和嶋氏自身もまだ迷いがあったようである。メッセージを伝えたい、一方でそれは恥ずかしい、という両者がせめぎ合っているような歌詞である。
世界に花束を
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:14th『真夏の夜の夢』(2007年)
詩の朗読が曲に入れ込まれている、ロックポエムとでも言うべき斬新な楽曲である。曲調は不気味さも漂いつつ、希望も感じさせるような展開もある。
歌詞カードには、メロディのある部分しか書かれておらず、朗読部分は伏せられている。この曲も「最後の晩餐」同様、まだメッセージを素直に伝えることには躊躇も感じられる。
テーマは世界平和であり、戦争を思わせる物語が読まれている。正面から描くのは難しい題材だけに、ロックポエムと言う実験的な手法で作られたのかもしれない。
まだ伝えたいメッセージの軸が定まっていないゆえ、表現もストレートではない。しかし朗読部分では、和嶋氏の溢れる想いを感じ取ることもできる。
表現の軸の獲得
和嶋氏の歌詞に再び変化が見え始めたのは、14th『真夏の夜の夢』~15th『未来浪漫派』の時期であった。和嶋氏が表現や人生に悩みながらも、ついに1つの軸のようなものを手にしたタイミングである。
言葉にすると、”美しく生きたい”という何か生き方の軸になるものだったそうだ。なおこの変化については、和嶋氏のWebコラム連載で詳しく書かれている。
その軸を手にしてからは、希望を見るような歌詞が増えていった。一方で闇を吐露するもの、ただ気持ち悪いことを描くような歌詞は減っていった。
作詞の方針は、この軸が固まってからは今日に至るまで変わっていない。
深淵
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:15th『未来浪漫派』(2009年)
全体に明るいサウンド、そして和嶋氏の溌剌とした楽曲が目立つ15th『未来浪漫派』。その中で、ダークでありながら、歌詞の変化を語る上では最も重要な曲が「深淵」であろう。
雷の鳴る日にアイデアが浮かんだと言う曲は、静かなアルペジオから一気に疾走感のあるリフへと展開する。そして勇壮な中間部への展開も見事である。
歌詞は暗い深淵をのぞき込むと言う内容。そもそも闇の中にいる最中には闇をのぞき込む歌詞は書けないだろう。
和嶋氏がその闇から抜け出たことを高らかに宣言している。そしてこれまでの苦しみがあったから喜びがある、という感謝の言葉を歌詞にすることができた。
誰かを呪う言葉ではなく、感謝の言葉で綴られた歌詞は、今振り返るとあまりに大きな変化である。
今昔聖
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:16th『此岸礼讃』(2011年)
表現の軸を得た和嶋氏は、どんどん楽曲を制作するようになった。16th『此岸礼讃』では13曲中8曲が和嶋氏の作曲によるものである。
推し曲になった「今昔聖」は難産であったようだが、ヘビーなリフに空也上人をモチーフにした仏教的な世界観の歌詞が人間椅子らしい。
この曲でも根底には和嶋氏が得た感覚があり、苦しみを経てこそ、そして自分でしか自分の悩みは解決できないことを歌っている。
仏教の考え方とも融合しながら、歌詞がよりパワーアップしている様子が窺える。
迷信
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:18th『無頼豊饒』(2014年)
和嶋氏の好調ぶりとともに、バンドも活気づいてきた。2013年にはOZZ FEST JAPAN 2013に大抜擢され、人間椅子をさらに世に知らしめることとなった。
原点回帰してヘビーなリフを追求した17th『萬燈籠』に続く18th『無頼豊饒』は、より歌詞の世界を深めつつ、音楽的にも幅を広げた作品となった。
「迷信」はスラッシュメタル風味の、ライブ後半で盛り上がる楽曲。こうしたタイプの楽曲でも、和嶋氏のメッセージはしっかりと込められている。
”美しく生きる”とは、自分自身の軸をしっかり持つことだろう。その対極には誰かに人生を委ね、流されることであり、そんな生き方を「迷信」に込めたのではないかと思う。
和嶋氏の得た軸は、あらゆる角度から描くことで、たくさんの曲が生まれていることがわかる。
救いの言葉
和嶋氏がどのように生きたいか、という軸が固まってからの歌詞は、メッセージが明確でシンプルになった。
そしてそれを光・闇いずれの方向からも描くことができるようになった。観念的な楽曲だけでなく、怪奇的なもの・オカルトなど和嶋氏の趣味も再び描かれるようになっていった。
そうした具体的なモチーフも描かれた、2016年の19th『怪談 そして死とエロス』は1つの頂点になった。
そしてメッセージ性の強い楽曲は、仏教の考え方と融合してさらに深化していた。人間は何を目的として生まれてきたのか、人間と言う存在に迫る歌詞が増えてきた。
面白いことに、そうした変化とともに、楽曲が国内だけでなく海外でも評価され始めた。人間椅子はますます人気が高まり注目されるようになった。
異端者の悲しみ
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:20th『異次元からの咆哮』(2017年)
谷崎潤一郎の小説からタイトルを借りた楽曲である。アルバムラストを飾るヘビーにして、歌詞も非常に充実した内容となっている。
仏教の考え方では、あらゆる生命は仏になる心を持っていると言われる。しかし肉体に縛られ、煩悩に満ちているが故に、そのことにも気づかずに欲のままに生きて苦しんでいる、と説いている。
この曲でも、そんな縛られて自由のない個人が、本当の心の行き場所はどこなのか、と問うている。和嶋氏の”美しく生きる”とは、魂の自由であり、光に向かうこと、なのだと感じた。
かつて「光へワッショイ」でも同じことを歌っていたが、まだ照れのようなものがあった。この時期になると、非常に真っすぐに自信を持って和嶋氏自身の思いを歌詞にしている。
無情のスキャット
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:21th『新青年』(2019年)
YouTube再生回数1000万回を突破し、おそらく人間椅子の中で最も世界中で聴かれた楽曲だろう。土着的なリズムにヘビーなリフ、それでいてポップなメロディと良い点を挙げるとキリがない。
※当ブログでも徹底的に掘り下げて魅力を分析した記事を書いた
その記事の中では、この曲の歌詞は仏教における衆生を救うというものだと述べた。「異端者の悲しみ」はこの曲の歌詞のプロトタイプとも言え、煩悩に縛られた人の悲しみを歌っていた。
そしてそこから一歩進み、自分自身を救うことと、他の誰かを救うことは繋がっているとも歌っている。仏教では慈悲こそが、全てを上手く働かせるパワーだと言われ、その考え方にも通じる。
さらに別の見方をすれば、過去に闇を抱えていた和嶋氏自身への鎮魂歌のようにも聞こえる。そして恨みを持っている人全てへの鎮魂歌でもあるように感じた。
「無情のスキャット」はそんな救いの歌ではないかと思う。
杜子春
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:22th『苦楽』(2021年)
芥川龍之介の短編小説『杜子春』からタイトルを借りた文芸シリーズ。意外なイントロから、ヘビーなリフ、そしてハードな展開と人間椅子らしさが詰まった楽曲である。
仙人になろうとした杜子春が、口をきいてはいけないと言う修行の中、畜生道に落ちた両親が痛めつけられる様子を見て、思わず「お母さん」と一声叫んでしまった部分に、着想を得たようだ。
テーマは人間らしく生きるとは何か、ということだろう。その答えの1つは、歌詞の「道は己で選べと」にあると思っている。
誰かに支配されたり、流されて生きるのではなく、自分の道を自分で決める厳しさが大切だと和嶋氏が伝えてくれているように思う。
※アルバム『苦楽』のレビュー記事はこちら
次ページ「和嶋氏の歌詞の変化と再ブレイクは関連している?」
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