やっぱりエレファントカシマシに惹かれてしまう理由とは? – ずっと”未完成”の最強バンドの魅力

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ここ数年は、ソロ活動が盛んなエレファントカシマシの宮本浩次である。2018年・2021年には紅白歌合戦にも出場し、50代半ばにして最盛期とも言うべき活躍だ。

そんな宮本氏の活動を、筆者は遠目に見つつ、やっぱりエレファントカシマシに惹かれてしまう。そんな同じエレカシリスナーは少なからずいるのではないだろうか?

今回は、宮本氏がソロ活動に傾倒したことで見えてきた、エレカシだからこその魅力を語ってみたいと思う。

最初に述べておくと、決して宮本氏のソロを悪く言うための記事ではない。

宮本氏のソロとエレカシにはやはり違いがあるから好みが分かれるのであり、その違いとは何なのか?と言うことを述べたいのだ。

特にエレファントカシマシにおける宮本氏の特徴を述べながら、エレファントカシマシと言うバンドの魅力を語っていこうと思う。

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エレファントカシマシにおける宮本浩次とバンドの特徴

最初にエレファントカシマシにおける宮本浩次の存在について書いておこう。同時にエレファントカシマシと言うバンドの特徴も述べることにする。

シンガーソングライターとしての宮本氏と楽曲の特徴

まず宮本氏は、エレファントカシマシのボーカルにして、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を行っている。まさにエレファントカシマシの顔である。

宮本氏のボーカリストとしてのデビューは早い。小学生の頃にNHK東京児童合唱団に所属し、NHKみんなのうた「はじめての僕デス」でソロ歌手デビューしている。

幼少期から歌が上手く、そしてエレカシで活動するようになってからも、その歌声が何よりの魅力である。それはどんなに崩した歌い方となっても、抜群の音程の正確さに表れている

またエレファントカシマシの作詞・作曲の面では、実に幅広いタイプの楽曲を作ってきた。

エレカシはなぜかレコード会社の移籍とともに、大きく作風が変わることで知られている。大きく分けると、以下の4つの時期に分けられる。

  1. エピックソニー期(1988年~1994年)
  2. ポニーキャニオン期(1996年~1999年)
  3. 東芝EMI期(1999年~2007年)
  4. ユニバーサルミュージック期(2007年~現在)

まずエピックソニー期は、宮本氏の破天荒なキャラクターとあまりに独特な音楽性で、一部に熱狂的なファンを生んだ時期である。

1988年にデビューした頃こそストレートなロックンロールだったが、徐々に内省的な歌詞の世界観と、その中でもがき苦しむような絶叫が、特徴の1つであった。

エピックソニー期の世界観はあまりに独特である。

1991年にリリースされたアルバム『生活』は、厭世的な歌詞の世界観がまるで文学作品のようであり、あまりに独特なミックスのサウンドながら、高い評価を得ている。

【アルバムレビュー】エレファントカシマシ -『生活』(1990)

1994年に契約が解消となった後、ポニーキャニオンと契約。エピックソニー時代から一転して、ポップな楽曲へと路線変更した。

1997年にリリースした「今宵の月のように」は、ドラマ「月の輝く夜だから」の主題歌でヒット。バンドはテレビ出演なども果たし、バンドの人気は盤石になったかと見えた。

「今宵の月のように」は80万枚を超える大ヒット曲となった。

しかし1999年に東芝EMIに移籍すると、その音楽性は行ったり来たりをする状況となる。1999年の「ガストロンジャー」ではポニーキャニオン時代には見せなかった攻撃性を露わにする。

かと思えば、2002年には一転して静かな作風のアルバム『ライフ』をリリースしている。その後は、また内省的な作風のアルバムが続き、渋い音楽性のバンドになっていくのかと思われた。

ところが2007年にユニバーサルミュージックに移籍すると、再びポップで力強い楽曲が前面に出る。最初にリリースした「俺たちの明日」は、エレカシ復活の狼煙とも言える名曲だ。

久しぶりのシングルとなった「俺たちの明日」は突き抜ける爽快感がある。

そして近年のエレカシは、これまでのエレカシの作風の全てが詰まったようなアルバムが増えたような印象である。

現時点での最新作『Wake Up』は攻撃的な曲もあれば、ポップなメロディも聴けるアルバムに仕上がっている。

ようやくエレカシとしてのアウトプットの仕方が安定したところで、宮本氏はソロ活動へと移行した。もちろんソロでもシンガーソングライターである点は、ソロもバンドも変わらない。

しかしエレカシの歴史を見ると、宮本氏は圧倒的な歌唱力、そして独特な作詞・作曲のセンスを持ちつつ、そのアウトプットには苦労してきたように見える。

総合司会と言うスタンス

なぜここまでエレカシの音楽は、様々な変遷をたどることになったのか。その理由の1つには、宮本氏のポジションにあると思っている。

宮本氏はライブでメンバー紹介する際に、自身のことを「総合司会」と述べる。ボーカル・ギターなどとは呼ばず、あくまで総合司会なのである。

これが宮本氏の、エレファントカシマシにおける立ち位置を物語っているように思える。

宮本氏はバンドにおいて総司令官なのである。デビューから6th『奴隷天国』まではメンバーとともにアレンジを作っていたが、7th『東京の空』以降は宮本氏がすべてを作る形で落ち着いた。

そうしたことでバンドの制作はよりスムーズになり、後にセールスも伸びた。宮本氏はコンセプトから楽曲制作、バンドアレンジなどの全てを抱え込むことになった。

バンドメンバーとしても、宮本氏の思い描くイメージに近づけようとするのだが、どうしても思うようにいかない。そんな歯がゆさを宮本氏は感じつつ、それでもバンドにこだわってきた。

ポニーキャニオン期やユニバーサルミュージック期にはプロデューサーが入ることもあった。しかし極力宮本氏のイメージに寄り添い、バンドを軸にしたサウンドを作ってきた。

どうやらプロデューサーも、エレカシと言うバンドの独特の結束力、そして宮本氏を中心とした楽曲の世界観を大切にしてきたようだ。

宮本氏の頭の中にはきっと、もっと理想的な表現があるに違いない。しかしエレカシというバンドの中で表現することには限界がある。

その一方でバンドだから出せる音の魅力があるのも、宮本氏はよく知っている。

また総合司会と言う立ち位置上、ただ歌だけに専念すれば良いのとも違う。これはソロ活動とは大きく異なる点ではないかと思われる。

ソロでは自身のバンドではないミュージシャンと組んで演奏する。エレカシとは違って、”おまかせ”しながら存分に歌えることは、宮本氏にとっても特別な体験なのだろう。

翻ってエレカシは、宮本氏のプロジェクトのような形である。色々なことで頭を悩ませながら、それでも全力で歌い続けるのがエレカシというバンドなのである。

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エレファントカシマシだからこその魅力

ここまでエレファントカシマシにおける宮本浩次とバンドの特徴を書いてきた。ではここから導き出されるエレカシならではの魅力とは何なのか?

最初に述べた「シンガーソングライターとしての宮本浩次」の魅力は、おそらくソロ活動でも同じように発揮されているだろう。となると、やはり他の要素がエレカシらしさを際立たせているだろう。

ここでは宮本氏の作る楽曲、またボーカル以外の魅力を取り上げてみよう。

かくあるべきと、こうなりたいの狭間の葛藤

まずはエレファントカシマシと言うバンドが、ずっと描いてきたテーマに関することである。

エレカシは宮本氏のプロジェクト的なバンドだとも述べた。宮本氏の頭の中で描いているものを表現しようと努力するのがエレカシと言うバンドである。

ではエレカシのがずっと描いてきたものとは何か?抽象的な言葉を使えば、「かくあるべきと、こうなりたいの狭間の葛藤」ではないだろうか。

宮本氏はデビューしたら、ロック歌手として、ステージに立ってテレビに出て華々しく活動したいと思っていたそうだ。それはRCサクセションの忌野清志郎氏への憧れも強かったと言う。

「こうないりたい」と思いながら、エピックソニー期のエレカシはどんどん硬派で気難しいバンドになっていった。

エピックソニー期のライブはヒリヒリした雰囲気が漂う。

エピックソニー期のエレカシは、「かくあるべき」の塊のような音楽性である。”黒いバラ取り払”わなければならなかったし、”男は行”かなければならないのであった。

特にエピックソニー期のエレカシは、自分の中の悩みや葛藤に沈んでいった。そして「かくあるべき」と「こうないりたい」はぶつかり合うもので、エピックソニー期は「かくあるべき」が勝った。

しかしエレカシが大きく羽ばたく時、「こうなりたい」が勝ち、とても自由になる。アルバム『東京の空』ではその解放感に溢れ、そのままポニーキャニオン期へと突入する。

ヒットを飛ばし、夢に見た華やかな舞台で活躍するエレカシだったが、髪をかきむしりながら話があちこちに飛んでしまう宮本氏の話しぶりが取り沙汰され、イメージが先行してしまう。

東芝EMIに移籍してからは、そんなキャラクターを封印し、再び「かくあるべき」モードに入って行く。大人になった宮本氏は、2004年のアルバム『』では両親との間での葛藤なども歌った。

どこか東芝EMI期にエピックソニー期を感じるのは、「かくあるべき」モードである点が共通しているからだろう。ロック歌手として、男として、どうあるべきなのか模索した時期である。

ユニバーサルミュージックに移籍すると、再び自らを解放して華々しい楽曲が増えていく。「桜の花、舞い上がる道を」では”輝く時は今”と歌い切るほど、力強かった。

エレカシの魅力とは、この「かくあるべき」と「こうありたい」の行ったり来たりをしているところであると思う。この葛藤は、人間誰しも多かれ少なかれ感じる悩みではないだろうか。

「こうなりたい」と思っていたはずなのに、状況が社会が許してくれないこともあるだろう。「かくあるべき」は社会やムードが作ることもあれば、自分自身が作り出すこともある。

むしろ最大の敵は自分自身と言うべきか、宮本氏も自分自身の中でもがき続けたのがエピックソニー期であった。

そしてまた、それを解き放つのも自分自身である。こだわりを捨て、本当に自分のやりたかったこと、なりたかったものに生まれ変わるのだ。

エレカシにおける宮本氏は、そんな泥臭くも生まれ変わってきた歴史がある。その人間臭さこそ、エレカシの魅力ではないかと思う。

宮本氏は歌手としてソングライターとして、非凡なる才能を持っている。しかしそれを利用して器用に渡り歩くのではなく、思い切り悩んで道を切り開いていった。

この、”あちら側”ではなく、”こちら側”にいる感覚とでも言おうか。特権的な場所からではない、我々と同じところで悩み、歌を作ってきたところに惹かれる人も多いのではないか。

そして常に葛藤を抱えたエレカシは、そのアウトプットにおいても、洗練された形ではなく、剥き出しのまま表現してきた。なるべくその実感のまま、表現されてきたように思う。

これこそエレカシがロックバンドらしいところであり、ポップなメロディだったとしても、”歌謡曲”と言う枠組みに収まるものではない。

この辺りの佇まいが、ソロ活動とはどうも違っているようで、エレカシはむき出しで不器用なロックバンドだからこその魅力があるように思う。

エレカシだからできる攻撃性と縦横無尽なパフォーマンス

エレファントカシマシの魅力は、楽曲だけでなくライブパフォーマンスにもある。エレカシにおける宮本氏のパフォーマンスはまさに縦横無尽、自由過ぎるほど自由である

あちこち歩き回って、マイクスタンドを倒す・放り投げる。メンバーに抱き着いたり、肩を組んだりする。そして時にスピーカーなどを落としたりすることもあったほどである。

こうしたパフォーマンスもロック的と言えばそうだが、これはエレカシのメンバーが周りにいてこそできるもののように思える。

エレファントカシマシは、ギターの石森敏行、そしてドラムの冨永義之と宮本氏が中学時代の同級生である。その後、高校生になってから、ベースの高緑成治が加わっている。

中高生時代に出会ったメンバーで組まれている点は、非常に重要だと思っている。良くも悪くも、大人になって出会った人間関係に比べて、遠慮がないのだ。

ソロになってからの宮本氏のパフォーマンスも激しいものがある。しかし極力周りの人には影響を与えないよう、自分1人で動き回ってパフォーマンスをしているように見える。

一方のエレカシは、やっぱり遠慮がなく、そして友達同士のノリとでも言おうか。阿吽の呼吸とでもいうべき、他では代えがたいノリがあるのだ。

2022年1月に行われたライブの「珍奇男」の映像である。この滅茶苦茶に見えて、抜群のノリは何だろうか、といつも思わされる。

全く決めて演奏しているようには見えないが、この4人だからこそ紡ぎ出される独特なグルーブがある。

エレファントカシマシの4人の関係性もまた独特なものがあるようだ。

デビューした頃は友達同士と言う雰囲気だったようだが、宮本氏の才能が頭角を現すと、その関係性は変わっていったらしい。関係性が変わってからは、宮本氏はメンバーに対してはとても厳しいようだ。

2004年に公開されたドキュメンタリー映画『扉の向こう』では、アルバム『扉』の制作を追ったものだ。そこではメンバーに厳しく叱責する様子が、生々しく描かれていた。

ライブにおいても、時に宮本氏はメンバーに対して厳しいが、それでもやはりメンバーに甘えているようにも見える。

宮本氏は楽曲作りやレコーディングにおいては、荒々しく見えても結構緻密なタイプだと思う。でなければ、ここまでエレカシを続けてこられなかっただろう。

そんな緻密さが解き放たれるのが、エレファントカシマシのライブである。先ほどまで述べた「かくあるべき」から、解き放たれ自由な状態になっているように思う。

この4人でやるから許される、ハチャメチャな演奏であり、荒々しいパフォーマンスがある。多少演奏が崩れたって、この4人だからなぜだか許されるのである。

エレカシファンはこの4人での演奏、佇まいに惹かれているのだと思う。

ずっと”未完成”の最強バンド

エレファントカシマシの魅力は、”点”だけではなく”線”でも繋がっているものである。つまりエレカシの歴史そのものにも非常に惹かれるものがある。

エレファントカシマシはこの4人でなければならないが、この4人に縛られるためにずっと未完成な感じがある。

それは宮本氏が理想とするところが高すぎるからであろう。宮本氏がエレカシで表現したいものは、とても深淵で広大なものであるようだ。

しかしエレカシのメンバーは宮本氏が観念的に捉えているものを、なかなか具現化することに苦戦してきた。

それは演奏のテクニック的な面でもそうだが、宮本氏の頭の中は覗けないからして、無理なことである。

そうした表現したいことを良い形でアウトプットするには、プロデューサーの力を借りるのが手っ取り早い。合格点の作品がきっと生み出されることだろうと思う。

しかしエレカシでやりたいことは、そうした合格点の作品を作るのとも違う。果たしてそれはもはや音楽と言うべきなのか、エレファントカシマシと言う1つのドキュメンタリーなのかもしれない。

エレファントカシマシの4人が集まった時の独特の空気感がやはりある。

上手く思い描くことが表現できないもどかしさ、またそれが突き抜けた瞬間の喜びなど、エレカシは追えば追うほどに応援したくなるバンドなのだ。

この感じ、どことなくアイドルの応援に似たものがある。アイドルは未完成ゆえに、ファンが育てていくような感覚があって、どんどん応援したくなっていくものだ。

エレカシがそれと違うのは、”育てていく”ような感覚はない点である。我々はむしろ、エレカシと言う聖域には立ち入れないような感覚がある。

我々ができるのは、ただ見守ることだけだ。しかしそうであっても、見守り続けたくなる魅力がある。

だからこそ、エレカシの歩みが少し止まってしまったのが残念だった。エレカシは高みを見続け、未完成のままで最強のバンドなのである。

【エレファントカシマシ】エピックソニー期という時代 前編(1st『THE ELEPHANT KASHIMASHI』~4th『生活』)

まとめ

今回は改めてエレファントカシマシと言うバンドの魅力を語ってみたのだった。宮本氏のソロ活動を見ていると、どうしてもエレカシの良さがかえって見えてきたから書かざるを得なかった。

エレカシが好きな人は、やっぱりエレカシでないとダメなのである。今回はあれこれ何とか言語化を試みたものだが、エレカシと言う存在が好きなのだと改めて思った。

とは言え、エレカシは解散したわけでもないし、活動休止を謳っているわけでもない。実質的な活動は極端に減ったのだが、エレカシの火は今も灯っている

それも宮本氏らしいと思った。エレファントカシマシは安全基地として残り続けている。

今後どのような形でエレカシの活動が続いていくのかは分からない。しかし残り続けている以上、エレカシとしての楽曲リリース、そしてライブ活動を心待ちにしている。

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コメント

  1. 匿名エレパオ より:

    こう感じていたのは私だけではなかった!と共感。大ファンである宮本さんがソロで活躍、メディア露出も増え、嬉しいはずが、どんどん心が離れる…。何故?私はエレカシの宮本浩次が好きなことに気づきました。
    おっしゃる様に、何処かに満たされない、不満、焦燥感みたいなものを抱え、そこからの破壊的なエネルギーを放つ、エレカシの宮本に惹かれるのです。今年、ファンクラブ退会しました。またあの宮本浩次に会える日が来るでしょうか?切に願います。

    • まるとん まるとん より:

      匿名エレパオ様
      コメントありがとうございます。
      私自身もずっと感じていたことを言葉にできたら、同じように感じる方がとても多いことがわかりました。
      やはり私も同じく、エレカシという土俵に入る宮本氏が好きなのだと感じます。
      どうやらエレカシのメンバーと鳴らす音で、エレカシの楽曲でないと、どうもしっくりこないのです。
      エレカシの新作をまた聴ける日が来ることを願っています。

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