前回:人間椅子日記まえがき(2000年以前) – イカ天で人間椅子を知った両親の話
僕が人間椅子のファンになった2000年頃から、思い出すままにその当時のことを振り返ろうという記事の1本目である。
今回は2000年~2001年の人間椅子と、その時の雰囲気が分かるエピソードをお伝えしていこうと思う。
『怪人二十面相』から過去作品を聴き漁る日々
前回も書いた通り、両親がCDショップで『怪人二十面相』を発見したことがファンとなるきっかけだった。
正直なところ、どうしてその時人間椅子にどっぷりハマるに至ったのかは覚えていない。
ただ1曲目の「怪人二十面相」と言う曲が、スリリングなイントロ、そしてわかりやすくかっこいいメインのリフなどが、僕の心を掴んだのだと思う。
昔から一度ハマると徹底して追求するという性格であった。
『怪人二十面相』を聴きまくると、家にあった古いアルバムを順番に聴いていった。聴いてみると、どれもいい意味で変わらなくて、カッコいいと思った。
特に『無限の住人』というアルバムの和を感じさせるテイストが一番しっくりきて、以来人間椅子の最も好きなアルバムは?と聞かれたら迷わず『無限の住人』を挙げる。
※【アルバムレビュー】人間椅子 – 無限の住人(1996) 初のイメージアルバム、そして人間椅子の音楽性を広げた名盤
家にあった『人間失格』『桜の森の満開の下』『黄金の夜明け』『羅生門』『無限の住人』を一通り聴いた。
そして2000年当時はまだ家にはパソコンがなかった。
従兄弟の家ではいち早く導入されていて、僕が人間椅子にハマっていることを伝えると、ホームページを見てくれた。そしてホームページを印刷して送ってくれたのだった。
その当時の怪人二十面相の衣装に身を包んだメンバーのプロフィールや、ディスコグラフィー、ライブ情報などが書かれていた。
そしてディスコグラフィーを見ると、まだ持っていないアルバムがあるではないか…!
『踊る一寸法師』『頽廃芸術展』『二十世紀葬送曲』、そしてベスト盤『ペテン師と空気男』というのがあるらしい。
親にせがんで、そして親も人間椅子は好きなので、次々と買ってもらって聴いた。当時は『踊る一寸法師』は普通に入手できたのだが、廃盤になっていたのが『頽廃芸術展』だった。
どうしても聴きたかった僕は、親にせがんでパソコン購入、インターネットを引いて、ネットオークションで買うというところまでお願いした…!
この時ばかりはやり方もわからないのに、親に無理なお願いをしたものだと思った。何とかネットオークションで少し高値だったが、入手することができた。
そんなエピソードがあるので『頽廃芸術展』は大変思い入れのある作品となった。(2021年12月に再プレスとなったため、現在は入手できる。)
そして僕はこの年、人間椅子が弾きたくてギターを始めた。父親がギターを弾くので、最初は教わりながら練習に励んだ。
人間椅子の曲が弾けるようになるのは、もう少し後のことだった。
人間椅子倶楽部入会と新譜『見知らぬ世界』の発売
そしてファンクラブがあることを知り、さっそく入会することにした。
送られてきた会員証
最初に送られてきた会報
そしてその会報の終わりには、新譜発売の文字が…!
かくして、新譜のタイトルは『見知らぬ世界』という、これまでからするとすっきりしたタイトルに驚いた覚えがある。
僕にとっては『見知らぬ世界』が初めて人間椅子の新しいアルバムを聴く経験だった。
中学1年生となった僕は、発売した日には両親に既に買っておいてもらい、学校から帰ってから聴いた。
『死神の饗宴』の極悪な始まり方に感動した。
一方で和嶋さんの新境地とも言われる曲に、少し戸惑ったが、『さよならの向こう側』とか『エデンの少女』など良い曲なので割とすんなり受け入れられた。
何より『人喰い戦車』がかっこ良過ぎて一番感動した覚えがある。
※【アルバムレビュー】人間椅子 – 見知らぬ世界 (2001) 転換期、現在の人間椅子へとつながる道
初ライブ『見知らぬ世界』発売記念ツアー
そしてCDを聴いたら、今度はライブに行きたいと思った。
かくして自分から行きたいと言って行った初めてのライブは人間椅子だった。(親に連れられて見たものはその前もあったが)
2001年10月3日の名古屋Electric Lady Landでの公演だった。
<セットリスト>
- 見知らぬ世界
- 死神の饗宴
- 黒い太陽
- 悪魔の手毬唄
- 侵略者(インベーダー)
- 涅槃桜
- さよならの向こう側
- りんごの泪
- 夜叉ヶ池
- 怪人二十面相
- 幽霊列車
- そして素晴らしき時間旅行
- 魅惑のお嬢様
- 羅生門
- 人面瘡
- 棺桶ロック
- サバス・スラッシュ・サバス
- BLACK SABBATH(BLACK SABBATH)
- 悪魔大いに笑う(en.1-1)
- ダイナマイト(en.1-2)
- 地獄風景(en.2)
(こちらを参考に)
初めてのライブはやっぱり覚えている。始まる前は両親と後ろの方にいたが、直前にやっぱり前の方に移動した。
そして始まったのはタイトル曲『見知らぬ世界』。
アルバムで聴いていた時は、実はそこまで印象に残っていなかった。が、ライブでの迫力はすごかった。
単純に今よりもずっと音が大きかったということもあったかもしれない。ただマスヒロさんのこの時期、演奏のクオリティは一番高かったなと思う。
セトリも結構頻繁に変えながら、それでも演奏しきっている印象があった。
セトリを見て思い出すのは、『りんごの泪』~『幽霊列車』あたり、結構ベスト的な選曲で嬉しかった。
当時のライブはだいたい『地獄風景』で終わることが多かった。
「みなさまのご健康と~」と鈴木さんが学ランを来というのが定番だった。ちなみにこの時は和嶋さんがウンモ星人の格好をしているときだ。
この当時のMCというと、覚えているのは鈴木さんは松嶋菜々子さんの話、和嶋さんは熊田曜子さんの話をいつもしていたことだ(笑)
今のライブではあんまりそういう話はしないが、当時は結構グラビアアイドルの話とか、芸能ネタみたいなのが多かった気もする。
マスヒロさんはあんまり話さなくて、前の二人がゆったり話すという感じで、それは今も変わっていないかもしれない。
ライブの後のこと
2001年にはもう1冊人間椅子倶楽部の会報が来て、『見知らぬ世界』の全曲解説が載っていて、何度も読み返した。
先日のジュンク堂で開催された展示を見た人は知っていると思うが、当時の会報は手書きだった。
そして今読み返すと、ラジオ『青森ロック大臣』はプロデューサー北山氏の個人ページで公開していると書かれていた。
聴いておけば良かったなと思いつつ、昔この後に発売になるビデオ『見知らぬ世界』の田舎館村でのライブの全曲の音源が個人サイトにアップされていたことがあった。
YouTubeに『君忘れじの田舎館村』の音源がアップされているのは、おそらくそこから持ってきたものと思われる。
昔はそういうところ緩かったなと思い出した。
2000年~2001年までの日記は以上である。
こんな感じでかなり取り留めもないが、昔の人間椅子の雰囲気が少しでも伝われば幸いである。
↓次に続く
【2002年~2003年】人間椅子日記その2(押絵と旅する男~修羅囃子)
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