なぜハードロックを聴かない人が人間椅子にハマるのか? – キーワードは”独自の進化”と”中毒性”

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ずっと気になっていたことがある。今や日本を代表するハードロックバンドとも言える人間椅子のファン層についてである。

”ハードロック”をやっている人間椅子は聴くが、人間椅子以外のハードロックは聴かない、というファンが一定数いるのはなぜなのか?ということである。

つまり、人間椅子だけポコッとハマる人が結構な数いるようなのだ。

決してそれが悪いと言いたいのではない。ただ人間椅子からハードロックを好きになった筆者としては、他のハードロックに行かないのが不思議なのだ。

先日、人間椅子ファンがまずは聴くべきハードロックのアルバム紹介の記事を作った。反応を見ると、ハードロックに興味がなくはないが、今まで手が伸びなかった、という人が多い印象だった。

一方でハードロックファンの多くが、人間椅子のファンかと言うと、そうでもなさそうだ。もしそうであれば、”メタラー”人口からして、もっと人間椅子は売れてもおかしくない。

なぜ人間椅子はハードロックバンドなのに、ハードロックファンとの重なりは少ないのか?ハードロックでないとすれば、人間椅子のファンは、どんなところから人間椅子を好きなったのか?

今回はこれらの疑問について、筆者なりに考察したことをまとめたい。大きく2つの方向から論じる。

1つ目はハードロックファン、人間椅子ファンの重なりはなぜ少ないか?と言う問いである。

ここでは、人間椅子が”メタラー”から受けてこなかった歴史を振り返り、結局人間椅子ファンとはどんな人たちなのかを述べる。

2つ目は、人間椅子ファンは、人間椅子のどこに魅力を感じているのか?ということだ。この点はハードロックバンドという枠組みを取っ払い、人間椅子が持っている魅力を掘り下げて考えてみたい。

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ハードロックファン、人間椅子ファンの重なりはなぜ少ないか? – 人間椅子ファンとはどんな人たちなのか?

人間椅子は聴くがハードロックは聴かない人が一定数いるということは、ハードロックファンではない人がファンに一定数いるということだ。

まずは、ハードロックファン、人間椅子ファンの重なりはなぜ少ないか?という疑問が湧いてくる。

一般的にハードロックバンドであれば、ハードロックが入り口のファンが多くても良さそうだが、どうやらそうでもないようである。

この疑問については、人間椅子がいわゆる”メタラー”にそれほど受けてこなかった歴史から紐解いてみたい。

その上で、結局人間椅子ファンとは、どんな人が多いのかを述べて前半を締めることにした。

ハードロックの歴史は「様式化」の歴史

最初に、少しだけハードロックの歴史を語る必要があるだろう。

ハードロックは、ブルースやブギーなどから派生し、激しいバンドサウンドやギターの反復(リフ)、シャウトのあるボーカルなどの特徴がある。

1960年代後半に、公民権運動などと結びつきながら、アメリカ・イギリスを中心に、大音量で激しいサウンドを鳴らす音楽ジャンルとして生まれた。

市民運動とロックのコラボレーションで最大規模のものが1969年の「ウッドストック・フェスティバル」だった

1970年代には様々なハードロックバンドが現れ、ハードなサウンドにクラシックやサイケなど他の音楽ジャンルを取り込みながら、しのぎを削る時代が訪れた。

Led ZeppelinDeep PurpleBlack Sabbathなどハードロックを代表するバンドが活躍した時期である。

そして1970年代中頃より、ハードロックの音楽スタイルは様式化され、その反動でパンクブームが起きると、ハードロックは下火になる。

その後、1979年頃からのニューウェイブオブブリティッシュヘビーメタル(NWOBHM)におけるIron Maidenや、アメリカでのLAメタルブームなど、再びハードロックが注目される。

Iron Maidenが後のメタルの1つの様式となっている。

この辺りからハードロックは、その様式美を強化する形で、ヘビーメタルへと変貌していったようだ。ヘビーメタルとは、ハードロックの持っていたヘビーさや速さを強化したジャンルと言える。

物凄く大ざっぱに言えば、ハードロックの歴史はハードなバンドサウンドのジャンルとして生まれ、その演奏スタイルが「様式化」された歴史だと思っている。

歪んだギターに速弾き、甲高いボーカルに、ヘビーで手数の多いドラム…。後の時代に行くほど、こうした”お作法”に則っていることが重要になる。

それゆえ、70年代前半までの様式化されていないハードロックまでのリスナーと、それ以降の様式化されたハードロックまで好きなリスナーは異なっている。

※ちなみに筆者の父はハードロック世代で、80年代のメタルは聴かないが、人間椅子は好きで聴いている。

いわゆる”メタラー”と呼ばれる人は、多かれ少なかれ、ハードロックの「様式美」が好きな節がある。70年代のごった煮感より、決まった様式のあるメタルに安心感を覚えるのだろう。

おおよそ70年代中頃までの様式化前のハードロック、そして70年代終わり以降のヘビーメタル隆盛の時代とで、大きく境目があるのではないかと思う。

日本のハードロック・メタルシーンにおける人間椅子のこれまでの立ち位置

ここまでハードロックの歴史を語ったのは、人間椅子のハードロック的な立ち位置を述べるためだった。

結論から言えば、人間椅子は、70年代前半の様式化前のハードロックを敬愛してきたバンドである。

たとえば、70年代前半のオジーオズボーンが在籍していた時期のBlack Sabbathに多大な影響を受けている。

70年代のハードロックは、大きな音でリフ主体の曲をやる以外には、何をやっても自由だった。そのため荒々しいバンドから、クラシカルなバンドまで大きな振れ幅があるのが特徴だ。

人間椅子も、そんな70年代ハードロックの持つ自由な雰囲気を大切にし、80年代以降の様式化されたハードロックの要素を入れないで活動を続けてきた。

海外のハードロックがラウドなロックにクラシックなど他ジャンルの要素を持ち込んだように、人間椅子は日本的な旋律や三味線奏法などを取り入れ、新たなハードロックの形を示した。

こうした功績は後から見れば大きいものの、「様式美」好きな”メタラー”の層には、何ともわかりにくいバンドで、これまで今一つピンとこなかったのではないか。

実際のところ、人間椅子がこれまで日本のメタルシーンでは全く受け入れられなかった。

人間椅子の活動開始前後の日本のハードロック・ヘビーメタルシーンと言えば、NWOBHMの動きに感化されたLOUDNESSANTHEMなどのバンドが活躍していた時期である。

当時の日本においては、様式化したメタルを受け継いだバンドが、正当なメタルバンドとして受け入れられた歴史がある。

80年代中頃から活動を始めた聖飢魔Ⅱも、コミカルな要素を持ちつつ、様式美的なハードロックを行っていたからこそシーンに溶け込んだと言える。

一方の人間椅子は、ハードロックが様式美化される以前の、ある種ジャンルがごった煮だった時代の70年代前半のハードロックを独自に解釈していた。

その結果、おどろおどろしいサウンドと、独特のねずみ男の格好(イカ天当時の鈴木氏)がデビュー前から出来上がっていたのである。

人間椅子自身は、王道のハードロックをやっている自負はあったのだろう。しかし様式美のメタルが王道だった日本では、その独自過ぎる出で立ちと世界観のためにキワモノ扱いされてしまった

この事実が全てを物語っている。つまりいわゆる”メタラー”受けのハードロックと、人間椅子のハードロックは全く別ルートを通っていると言うことなのである。

そのため相応しい活動のフィールドもなく、全く独自の路線で活動を続けていくことになった。

こうして人間椅子は、ハードロックを聴く層からはあまり支持を得られずに活動をしてきたのである。

人間椅子ファンの多くは、”人間椅子が好きな人”

では人間椅子はどんな層に聴かれてきたのか?

今までの論から考えるに、1つは筆者の父親のように、様式化以前の70年代ハードロックが好きな層である。そしてもう1つは、ハードロック以外の入り口から入った層である。

人間椅子のファンについて考える上では、後者のハードロック以外から入った層が実は重要なのだ。

人間椅子の歌詞の世界観、バンドのビジュアル、独特なサウンドなど、いくつもの要素があり、そのいずれか(または総体的に)から人間椅子を好きになっているのである。

言ってしまえば、結局のところ、”人間椅子が好きな人”である。ハードロックと言うジャンルから見るのではなく、人間椅子という存在が好きな人たちである。

長い間、こうした層の絶対数は少ないながら、オタク的に熱烈な支持者が今日に至るまで存在している。

そして、近年はその数が増加しており、イカ天出演時以来の”再ブレイク”などとも言われる。その要因はいくつか存在すると考えられ、当ブログでも記事にしてきた。

イカ天バンドと言われた人間椅子はなぜ再ブレイクしたのか

今回記事を書きながら気付いたのは、30年間続けてきた結果、人間椅子は独自の進化を遂げ、ある意味”人間椅子という様式美”が固まったことが要因の1つにありそうだ。

デビュー時から、漠然とした”人間椅子らしさ”はあったが、特に近年バンドのビジュアルや世界観、楽曲の方向性が固まり、より人間椅子の個性がわかりやすくなった部分もある。

”人間椅子らしさ”を意識するようになったきっかけとして、OZZ FEST JAPANへの出演から、海外のファンを意識するようになったこともありそうだ

そうして自身の魅力をアピールするようになった結果、”人間椅子と言う様式美”にどっぷりハマる人が増加してきたように見える。

様式美から距離を置いてきた人間椅子が、”様式美”を作り出しているのは興味深い。これまで人間椅子の中では、鈴木氏が変化しない様式美の部分、和嶋氏は変化・冒険する部分があった。

それが最近ではバンドとして1つの方向性に集約されてきた。2013年の『萬燈籠』辺りからその流れが始まり、人気が出始めたように思う。

それまでの振れ幅の大きな人間椅子を知る人からすると、ちょっと変わったなと感じる部分もあろうが、わかりやすくなって広く人間椅子が知られることとは、トレードオフなものなのかもしれない。

さらに面白いのは、人間椅子的”様式美”ができたことで、ようやくメタル雑誌などメディアが人間椅子を取り上げ始めている

人間椅子は自身で独自のジャンルを作ったことで、人間椅子で完結する1つのワールドができあがった。その世界に入るには特段ハードロックを知らなくても問題はないのだ。

Twitterのフォロワーさんから、かつては他のバンドも聴いていたが、人間椅子に行きついてから、人間椅子だけ聴くようになった人が結構いる、と聞いた。

こうした例も、人間椅子が”人間椅子と言うジャンル”を作っていることを示している。

そして人間椅子をより深く知っていった先に、ハードロックの魅力に行きつく人もいるかもしれない。でもハードロックに行かなくても、十分に楽しめるのが人間椅子なのだと思う。

ここまでの話をまとめると、以下のようになる。

  • 人間椅子は、”様式美”が好きなハードロックファンとは重なりが薄い歴史があった。
  • ハードロックが入り口ではない、”人間椅子が好きな人”が今も昔もファンに多い。
  • 独自の進化を遂げた結果、”人間椅子というジャンル”ができたことで、ファンは近年増加している。

いったいその魅力が何であるのか、については後半で書いていきたいと思う。

次ページ「ハードロックを聴かない人もハマる、ハードロックバンド人間椅子の”中毒性”とは?」

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