昔と今の人間椅子の決定的な音楽性の違いを考える – 人間椅子はハードロックなのか、ヘヴィメタルなのか?

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30年以上の歴史を持つ人間椅子は、ファンの間でも好きな時代が様々である。「昔の曲が好き」「今が断然良い」など様々な意見を目にすることが多い。

その一方で、「人間椅子はずっとハードロックをやって来た」ことは変わらない、という見解もよく見かけるし、筆者もその通りだと思う。

しかしたとえば、後藤マスヒロ在籍時の人間椅子には、あの時期にしかない魅力があるし、絶対に今の人間椅子とは違う何かがある。

個人的にはこの違いが何なのかずっと考えてきた節があるが、今一つ的確に言語化できないままでいたところがある。このたび、1つの問いを立てたことで、ようやく認識の糸口が見えた気がする。

それは「人間椅子のジャンルはハードロックなのか、ヘヴィメタルなのか?」という問いである。ハードロックとヘヴィメタルは似たジャンルだが、やっぱり違うものだ。

この問いから考えると、とりわけ土屋巌・後藤マスヒロが在籍した頃の人間椅子と、近年の人間椅子で決定的な違いが見えてきた。

ハードロックとヘヴィメタルの違いにも少し触れつつ、改めて人間椅子の変化の歴史をひも解いてみようと言う記事である。

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人間椅子とハードロックとヘヴィメタル、そして人間椅子

今回の出発点は「人間椅子のジャンルはハードロックなのか、ヘヴィメタルなのか?」というものである。この点について語る上で、ハードロックとヘヴィメタルの違いを少しだけ語っておきたい。

歴史的にはハードロックが先に生まれている。ブルースやブギーなどから派生し、激しいバンドサウンドやギターの反復(リフ)、シャウトのあるボーカルなどの特徴があるジャンルだ。

1960年代後半頃からジャンルとして確立され、1970年代にはハードなサウンドにクラシックやサイケなど他の音楽ジャンルを取り込みながら、しのぎを削る時代が訪れた。

当初は前衛的であったり、荒々しかったり、個性的なバンドがいたが、ハードロックが”様式化”されるとともに、徐々にジャンルは下火になっていった。

1979年頃からのニューウェイブオブブリティッシュヘビーメタル(NWOBHM)におけるIron Maidenや、アメリカでのLAメタルブームなど、再びハードロックが注目される。

様式化したハードロックを逆手に取り、より攻撃的なサウンドやアグレッシブなビートなどを加えて行ったことで、ヘヴィメタルと言うジャンルが生まれたように思う。

どのような形で攻撃性を示すか、に違いが生まれ、速くしたり、逆に遅くしたりして、様々なヘヴィメタルのサブジャンルが生まれていった。

その一方でハードロックと呼ばれるジャンルも残り続けたことで、いったいハードロックとヘヴィメタルの違いは何なのだ?という疑問が多くの人に生まれることとなった。

筆者が思うに、ハードロックはかつてのロックが持っていたジャンルの自由さや広がりを残すもの、ヘヴィメタルは逆にそれらをそぎ落とし、攻撃性を高めることに特化したジャンルだと思っている。

人間椅子がいずれのジャンルなのか、についてはこの後詳しく書くとして、人間椅子メンバーの中では、和嶋慎治氏はヘヴィメタルは聴かない、とよく語っている。

一方で鈴木研一氏はヘヴィメタルも好んで聴くし、ナカジマノブ氏もリアルタイムで経験したヘヴィメタルは聴くようである。

そう考えれば、人間椅子はハードロック・ヘヴィメタルいずれの影響も受けていると考えられる。

しかし人間椅子を聴くファンの中には、ハードロック・ヘヴィメタルいずれも聴くと言う人もいれば、ハードロックだけ聴く人もいるし、いずれも聴かない人もいるようである。

なぜいずれも聴かない人がファンになるのか?については、過去に記事を書いたことがあるが、ユニークな現象だと思う。

なぜハードロックを聴かない人が人間椅子にハマるのか? – キーワードは”独自の進化”と”中毒性”

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土屋巌・後藤マスヒロ在籍時と近年の人間椅子の音楽ジャンルを比較する

人間椅子がハードロックなのか、ヘヴィメタルなのか、という問いを考えていたら、ある2つの時代の人間椅子の違いを説明できるのではないか、と考えた。

その2つの時代とは、土屋巌後藤マスヒロが在籍した頃、つまり1995年~2003年頃の人間椅子と、近年の人間椅子である。

筆者の中ではこの2つの時代が音楽ジャンルとして対照的な時代に思える。個人的に人間椅子と出会った時代が後藤マスヒロ在籍時代だったため、どうしてもこの時代に思い入れが強い。

それぞれの時代の良さがある、というのはもちろんなのだが、やっぱり違うものは違う、ということを明確に示しておきたい、という思いもある。

今回ハードロックとヘヴィメタルの違いを意識すると、明らかに2つの時代が音楽ジャンル的に違うことが分かった。

土屋巌・後藤マスヒロ在籍時の人間椅子の音楽ジャンル

土屋巌・後藤マスヒロ在籍時の人間椅子、と言うと、作品で言えば1995年の5th『踊る一寸法師』から2003年の11th『修羅囃子』までの期間である。

人間椅子の歴史的には、長く続く低迷期の時代と言って良いだろう。1990年に1st『人間失格』で華々しくデビューしたが、売り上げは右肩下がりで、1993年の4th『羅生門』をもって契約が切られる。

1995年の5th『踊る一寸法師』はインディーズからのリリースであり、その後は単発のメジャー契約で2作をリリース。1999年の8th『二十世紀葬送曲』でメジャーに返り咲いた。

ドラマーは土屋巌が5th『踊る一寸法師』と6th『無限の住人』を担当、後藤マスヒロが7th『頽廃芸術展』~11th『修羅囃子』までを担当している。

この時代の作品群を聴いてみると、果たして音楽ジャンルは何であると表現すれば良いのだろう、と思う。

4th『羅生門』までの”初期”人間椅子はまた後で触れるが、この時代はレコード会社などの意向もあって、怪奇的な世界観のハードロックにこだわっていた(縛られていた)ように見受けられる。

そして当時のインタビュー記事などで、5th『踊る一寸法師』制作にあたり、メジャーの制約がなくなったことで、自由に楽曲を作ることができた、とメンバーは語っている。

また8th『二十世紀葬送曲』についても、古巣であるメルダックに戻った際にも、それまでの自由な曲の感じを認めてくれたので、自由にやれたと回想している。

土屋・後藤マスヒロ期の人間椅子は、とにかく音楽ジャンル的に自由なのだ。4thアルバムでメジャー契約を切られたことを”解放”と前向きに捉え、自由にやろうという感じになったのかもしれない。

では音楽ジャンル的に”自由”な状態とはどういうことか。筆者が思うに、この時期の人間椅子はハードロックの皮をかぶった、ジャンルレスなバンドだった、ということである。

ハードロックらしさの象徴でもある、ギターリフを中心にした曲構成・ギターソロが必ず入る・曲が展開する、といった最低限の要素は常に楽曲の中で取り入れられてきた。

ただこの時期の人間椅子はハードロックを作るのではなく、試したい音楽ジャンルがあり、それをいかにハードロック調に仕立てるか、という曲作りだったように見える。

たとえば1998年の7th『頽廃芸術展』は、この時期の中でも最も”ごった煮”のアルバムである。

もちろん王道ハードロックもあるが、「血塗られたひな祭り」は童謡であり、「ED75」はブルース→演歌、「ダンウィッチの怪」はプログレが根幹にあり、まさにジャンル不定のアルバムである。

さらに漫画「無限の住人」のコンセプトアルバムである、1996年の6th『無限の住人』は、コンセプトがあるにもかかわらず、ジャンル的には非常にごった煮のアルバムだ。

「蛮カラ一代記」「刀と鞘」は演歌・軍歌、「辻斬り小唄無宿編」はサーフロック、「宇宙遊泳」はスペースロックが志向されている。

このように見ていくと、土屋・後藤期の人間椅子はヘヴィメタルのように1つの様式に収束するのではなく、あらゆるジャンルをハードロック調に仕立てる、という方向性だったことが分かる。

そのため、歪んだギターやバンドサウンドを取っ払うと、ハードロックではなくなる曲も結構あった。

こうした変化は、「Black Sabbathなどに影響を受けた怪奇なハードロック」をやっていた初期から、ハードな要素が減り、当初の人間椅子としての王道からは外れていた時期とも言える。

そのため一般層には分かりにくくなり、しかも王道のハードロック・ヘヴィメタルといった音楽性にも括れないため、さらにシーンから孤立し、独自路線を行くことになった。

ただ音楽的にはむしろ高度になり、一部の音楽マニアだけは熱烈に支持していた訳で(筆者もその一人)、この時期の音楽的多様性とクオリティの高さは、他の時期に類を見ない。

こうしたジャンルレスな音楽をやっていた人間椅子だが、ハードロックを自由な精神性の音楽と捉えるならば、この時期ほどハードロック的な時代もなかろう。

しかし一般的に想像される”HR/HM”とは異なり、ジャンルレスな多様な音楽をハードロックで束ねるという音楽性は、あまりにマニアックで、低迷の原因の1つになったとも言えるだろう。

今こそ語り継ぎたい 後藤マスヒロ期の人間椅子の魅力 – プレイスタイルからアルバム全紹介まで

近年の人間椅子の音楽ジャンル

一方で近年の人間椅子の音楽ジャンルはどうであろうか。たとえば、2019年の21st『新青年』~2023年の23rd『色即是空』などを考えてみよう。

21st『新青年』には、YouTubeに投稿したMVが国内外でバズった「無情のスキャット」が収録されている。人間椅子らしいと言えばそうだが、より重厚さと攻撃性が高まっている。

そして注目すべきは、アルバム全体を通じて、リフを中心としたハード・ヘヴィな楽曲で貫かれている、ということである。

たとえば『新青年』では「宇宙のディスクロージャー」「月のアペニン山」などがやや毛色の違う曲だが、それでもハードな方向を目指している統一感のようなものを感じさせる。

そして、近年の人間椅子の楽曲を見ると、土屋・後藤期の人間椅子にあった、以下のようなタイプの楽曲が消失していることが分かる。

  • ハードさのない歌謡曲・ポップス要素の強い曲:「羽根物人生」「エデンの少女」「王様の耳はロバの耳」など
  • 日常生活を歌った楽曲やコミックソング:「暗い日曜日」「銀河鉄道777」「サバス・スラッシュ・サバス」など
  • 静かな部分があるプログレ要素の強い曲:「ダンウィッチの怪」「屋根裏のねぷた祭り」など

土屋・後藤期の人間椅子が、あらゆるジャンルの音楽をハードロックに仕立てる方向性だったのが、よりシンプルかつストレートに、ハード・ヘヴィな楽曲を作る、と言う方向性に変化している。

つまりジャンルが拡散していくハードロック的精神性から、1つのジャンルに収束し、攻撃性を高めるヘヴィメタル的な精神性に移行した、と言っても良いのではないか。

世間一般的にイメージする”メタル”とも違うものではあるが、人間椅子の歴史の中においては、最もヘヴィメタルに寄っている、と言えるように思える。

そして実は初期人間椅子の方向性に回帰したと言えなくもない。初期の人間椅子は、Black Sabbathなどブリティッシュハードロックのダークさを日本的に解釈した音楽性である。

そうした音楽性を忠実に、しかもアルバム全曲にわたって表現しているのが近年の人間椅子である。

初期と異なる点があるとすれば、初期はまだ方向性が固まりきっておらず、レコード会社の意向として、怪奇的な世界観に”縛られていた”のだが、現在は自らの意思で表現している点だ。

初期人間椅子はデビュー前、和嶋氏が歌謡曲・ロックンロール的な楽曲も作っていたが、やはり”イカ天”の「陰獣」のイメージのような、ヘヴィで不気味な方向性に矯正された感もある。

しかし近年の人間椅子は、第三者の意向ではなく、メンバー自らがストレートにハード・ヘヴィな楽曲で押していく、と言う方向性を目指している。

こうした流れは、遡れば2007年頃から始まっている。当ブログでも取り上げてきた、和嶋氏が表現の軸を掴んだ、と言う体験(和嶋氏の覚醒と呼んでいる)からである。

それまでは表現したいものが明確にあった訳ではなく、ただ怖いもの・不気味なものを音楽にする、という手法だったのが、表現したいテーマやメッセージを中心に据えるようになった。

このような転換は、和嶋氏の関心事が音楽ジャンルを広げていくことより、自らの中にあるイメージやメッセージをいかに音にするか、に移ったということだ。

それにより、表現のあり方はよりシンプル・ストレートになり、従来の人間椅子が持っていたマニアックさはそぎ落とされることとなった。

この変化は、2007年の14th『真夏の夜の夢』から2009年の15th『未来浪漫派』あたりで起きたことである。

そしてシンプルになった人間椅子が、さらにヘヴィメタル化に進んだきっかけが、2013年のOzzfest Japan 2013への出演であった。

奇跡の大抜擢とも言える当時の状況であったが、人間椅子の魅力を世に知らしめる大チャンスだった。人間椅子らしい楽曲をコンパクトに詰め込んだ選曲・パフォーマンスは大成功だった。

そしてOzzfest出演後の新作は、当然ながら勝負作となる。制作にあたり、マイナーキーのヘヴィな曲で固めるというルールを敷いた、と言われるのが2013年の17th『萬燈籠』だった。

先ほども述べたように、かつてはあったポップな曲は排され、人間椅子が初期から続けているハード・ヘヴィな楽曲を純粋に煮詰めたような作品になった。

その変化は2011年の16th『此岸礼讃』と2013年の17th『萬燈籠』の違いを見れば歴然としている。

基本的にはこの路線が現在も続いており、結果的には人間椅子の”再ブレイク”と言える状況を作る1つの要因となったと言えるだろう。

ヘヴィメタルに寄ったことで、一般層にも届きやすくなったこと、(相変わらず唯一無二ではあるが)ヘヴィメタルやラウドロックのメディアが取り上げてくれるようになった。

人間椅子は70年代ハードロックに影響を受けつつも、人間椅子らしい王道に収束した結果、楽曲のあり方がヘヴィメタル的になり、その結果分かりやすくなったことで人気も得たのである。

まとめ – ハードロックとヘヴィメタルの間にある人間椅子

ここまで人間椅子の新旧の音楽性の違いについて、主に土屋巌・後藤マスヒロ在籍時と近年の人間椅子の違いについてみてきた。

まとめると以下のような違いがあると言えるだろう。

  • 土屋巌・後藤マスヒロ在籍時の人間椅子:あらゆる音楽性をハードロックに仕立てる、自由な音楽性(ハードロック的なあり方)
  • 近年の人間椅子:シンプルかつストレートにハード・ヘヴィな楽曲を貫く音楽性(ヘヴィメタル的なあり方)

これまで「人間椅子はずっとハードロックをやってきた」と筆者は思っていたが、実はそうでもなかったのではないか、と思うようになった。

もちろん人間椅子が影響を受けた音楽は、70年代ハードロックに違いない。しかし人間椅子が作り出す音楽がハードロック的であるか、ヘヴィメタル的であるか、については変化があったと思う。

土屋・後藤期の人間椅子は、ハードロックの皮を被ったジャンルレスな音楽性、と書いた。ハードロック・ヘヴィメタルな曲もあれば、全くそうでもない曲も全て人間椅子色に染めてきたのだ。

そうした多様な音楽性をまとめ上げる高度な技術が、当時は一部のファンにだけ受け入れられたが、非常にマニアックなものであった。

近年は和嶋氏の考え方の変化、そしてOzzfest Japan 2013出演後のバンドに対する意識の変化により、結果的にヘヴィメタルに寄った、ストレートにヘヴィなバンドへと変貌した

それによりジャンル的な分かりやすさや、人間椅子らしさが明確になり、ファンは拡大した。一方でかつての人間椅子ファンは音楽性が狭まり、どこか寂しさも感じたように思える。

しかもそれが後藤マスヒロ氏の脱退とも重なって、より強い喪失感となった。ナカジマノブ氏加入後の人間椅子は、しばらくそれまでの路線を継続しつつも、やはり徐々に変化に向かったように思う。

皆で拳を挙げられる今の人間椅子の良さもあるが、ライトなファンは置いていくようなマニアックで高度な音楽性を持っていた頃の人間椅子こそ、最高にロックなバンドだった。

決して売れるために分かりやすくなったのではないが、裾野を広げるには、シンプルで分かりやすい音楽の方がやっぱり向いているのだ。

このようにハードロック・ヘヴィメタルの間にあった人間椅子だが、音楽性の変化が大きいのは和嶋慎治氏である。鈴木研一氏は自身のペースは保ちつつ、和嶋氏に寄り添ってきた。

土屋・後藤期には音楽的実験をしていた和嶋氏に合わせて、鈴木氏も自分なりのカラーで好きな音楽を入れ込んでいた。

一方、ハード・ヘヴィ路線に切り替えてからは、鈴木氏もあまりポップな曲は出さなくなった。やはりバンドの世界観・音楽性の方向性を担う、和嶋氏の動向には要注目というところだ。

2023年の『色即是空』では、近年の頑ななまでのヘヴィ路線は、少しずつ緩みつつあるようにも感じられた。とりわけ和嶋氏の曲の中に、再びポップな方向性が見え始めている。

ここ10年ほどで人間椅子の王道は十分に示せたことでもあるし、今後の人間椅子の音楽性がまた変化していく可能性もある。

人間椅子があと何枚アルバムを残せるか分からないが、作り続ける限り、変化していくこともファンとして楽しみたいと思う。

【アルバムレビュー】人間椅子 – 色即是空(2023) 古くて新しい人間椅子の”新世界”

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