2007~2008年のエレファントカシマシ – 楽曲リリース時の思い出あれこれ(後編)

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デビューから35周年を迎えたエレファントカシマシ

筆者がエレファントカシマシを本格的に聴き始めたのが2006年、そして翌年にユニバーサルミュージックに移籍し、怒涛の快進撃を目の当たりにしてきた。

ここで改めて2007年~2008年頃のエレカシの快進撃を振り返ってみたいと思い、2007年頃の出来事を中心に「前編」を既に公開している。

今回はその「後編」であり、2008年の作品について書いた。名盤『STARTING OVER』の誕生から、「桜の花、舞い上がる道を」「新しい季節へキミと」までを振り返った。

前編の記事はこちら

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2008年その1:名盤『STARTING OVER』の誕生

2008年の始まりを「笑顔の未来へ」で迎え、早くも1月30日にはアルバム『STARTING OVER』がリリースされることになっていた。

既に述べた通り、2007年11月1日にはアルバムリリース告知がなされ、12月21日にタイトルや収録曲の告知が行われている。

エレカシ新作アルバムでユーミンのカバーに挑戦
エレファントカシマシが2008年1月30日にニューアルバムをリリース。このアルバムのタイトルが「STARTING OVE...

もはや「俺たちの明日」「笑顔の未来へ」の2曲がリリースされた時点で、前向きでポップなエレカシが復活したことは明らかであった。

ただアルバムとして、どこまで突き抜けた作品ができるのか、とても楽しみにしていた。そしてアルバムの中のある1曲を聴いたことで、エレカシがさらに前に進んでいくことを確信した。

当時は新曲が初めて公開される場がラジオと言うことがよくあった。この時も確かそうだったが、自信作としてオンエアされたのが「リッスントゥザミュージック」だった。

イントロがなく、いきなり宮本氏の優しげなボーカルが飛び込んでくる。弾き語りスタイルで哀愁のあるメロディ、心がギュッと掴まれるような感覚を持った。

歌詞は若い頃の恋愛を歌ったもの、行くところもない若い二人が井の頭公園にいると言う物語。時を飛び越えるような不思議な感覚は、これまでのエレカシにありそうでなかったものだった。

感覚としては「風に吹かれて」を聴いた時のような、一気に心を鷲掴みにされるような気持ちであり、もうこの曲を聴いただけで『STARTING OVER』が名盤になることは確信できた。

かくしてリアルタイムで聴いていた筆者は「リッスントゥザミュージック」がこのアルバムの入り口だった訳だが、期待通り、それ以上に素晴らしいアルバムだったことは言うまでもない。

その魅力については、初めてエレカシを聴く人におすすめしたいアルバムとして、こちらの記事に詳しく書いたのでお読みいただきたい。

シングル曲を中心にポップな作風が目立つが、その合間に東芝EMI時代を受け継ぐ渋いロックンロールも健在であり、その点が後のユニバーサル期の作品とはやや質感が違うところだ。

ただこのバランスこそ、東芝EMIからユニバーサルミュージックへの過渡期を思わせるものであり、まさに脱皮していく、良くなるしかないワクワク感に包まれた作品なのだ。

しかしそんなワクワク感を持っていたのは、それ以前から熱心に聴いていたエレカシファンだけであり、当時はまだ知る人ぞ知るバンドと言う感じだったように記憶している。

メディア露出もそれほど多くなかったが、印象に残っているのは2008年1月31日、アルバム発売翌日に行われたYahoo! JAPANライブトークという配信番組である。

荘口彰久氏がパーソナリティを務め、宮本氏にインタビューしていくというもの。

当時はリアルタイムのネット配信はまだ珍しかったようで、そんな高揚感もあってか、非常に宮本氏のテンションが高かった。

でも何より、名曲が次々生まれ、名盤『STARTING OVER』がリリースされた直後と言う充実感で満ち溢れていた。こんな幸せなことってあるんだろうか、というトークだったのを思い出す。

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2008年その2:とっておきの名曲「桜の花、舞い上がる道を」

アルバム『STARTING OVER』の発売にあたって、今までになく雑誌やテレビ・ラジオなど、多くのメディア露出があったのを覚えている。

雑誌では新作で取り上げられることはあっても、ごく限られたページ数だった。それが特集が組まれたり、表紙を飾ったり、明らかに売れていくのがわかった。

当時のムードとしては、渋い路線に行っていた東芝EMIから、溌溂とした音楽性へと変貌したことの驚きとともに、「これからだ」という期待感に満ちていたように思える。

さて、『STARTING OVER』のインタビューでは、「あの曲は何でアルバムに入れなかったの?」と、しきりに宮本氏が尋ねられることがあった。

どうやらまだ世に出ていない、とっておきの楽曲があるのだと言う。それは桜をテーマにした楽曲であり、壮大なスケールの名曲になっているのだと言うのだ。

関係者は早くその曲を世に出して欲しい気持ちでいっぱいだったが、桜の咲く時期を狙ってリリースするつもりだったようである。

こうして2008年3月5日にリリースされたのが『桜の花、舞い上がる道を』であった。

オリコンの週間チャートでは『俺たちの明日』の18位を上回り、12位を獲得。エレカシへの注目度はさらに上がっていた。

この曲に関して、宮本氏が”桜”をテーマに楽曲を作ったことへの驚きと、本人もそれについて言及していた点が印象に残っている。

宮本氏が作った桜の曲と言えば、1989年の3rd『浮世の夢』収録の「上野の山」である。言ってしまえば、桜は”ミーハーな”主題であり、宮本氏は「桜なんて」と冷ややかに捉えていた節がある。

しかしこの曲では、桜の花と人の人生を重ね、冬に枯れても春にまた咲くという生命力やパワーを、前向きに捉えて、真正面から歌うことができた、と語っている。

この発言、そしてこの曲が世に出たことが、エレカシのモードが完全に切り替わったことを示しているように思えた。

そしてこの曲の持つ、祝福してくれるような、これまでのエレカシにないパワーは、筆者の個人的な体験とリンクしている。

当時は1浪して、大学の2次試験を控えていたのが2月の終わりである。そして迎えた2次試験、初日はまずまずの手応えで終えることができた。

しかし2日目の朝、なぜか燃え尽きてしまったような気持ちで、全く試験に向かう力が湧いてこないのだった。困り果てていたが、大学に到着した時にエレカシを聴こうと思った。

そこで無意識に選んだのは、1stアルバムの「ファイティングマン」だった。あのイントロを聴いた瞬間、どこかに行ってしまった闘志が一瞬にして戻ってきたのである。

2日目の試験は無我夢中にして終了した。後で英語の試験の記号問題だけ速報で解答を確認すると、何とほとんど正解していた。

これは合格できるのではないか、と確信を持ち始めていたのだった。そして合格発表の直前、5日に『桜の花、舞い上がる道を』がリリースされ、数日後に合格が明らかとなった。

合格発表の日、頭の中には「桜の花、舞い上がる道を」が流れていた。「俺たちの明日」に始まり、この時期のエレカシと筆者の人生はまるでシンクロしているかのようであった。

「ファイティングマン」に救われたエピソードなどを書いた記事

2008年その3:さらに上昇していくエレカシと「新しい季節へキミと」

めでたく大学に合格した筆者は、2008年4月から東京での生活となった。そして東京に行ってからは、エレカシのライブにも行こうと決めていた。

東京に来て初めて行ったコンサートは、渋谷C.C.Lemonホール(現在のLINE CUBE SHIBUYA)で行われた『STARTING OVER』発売記念のコンサート(5月2日)であった。

筆者の受験生時代を彩った「俺たちの明日」「笑顔の未来へ」「リッスントゥザミュージック」「桜の花、舞い上がる道を」、そしてラストに「ファイティングマン」と感涙のライブだった。

当時の感想を書いた記事はこちら

そう言えば、2007~2008年辺りは、”エレカシ20周年”の年として位置づけられていた。しかしその後に比べれば、20周年だからと大きなコンサートはやっていなかったように思える。

それだけ当時のエレカシは、まだそこまで活動規模が大きくなかったことが窺える。ただ雑誌などでは20周年を記念するような記事がいくつも見られるようになった。

この当時を思い出すと、近い年代で活動しているバンドが皆20周年を迎え、40代に入って輝く”おじさんバンド”が注目されていた雰囲気があった。

たとえば20周年を迎えたハードロックバンドの人間椅子、そして北海道出身のロックバンド怒髪天なども、中年の良さを感じさせるバンドになっていた。

エレカシもその流れに乗っていたような印象はある。そして90年代「今宵の月のように」の”一発屋”的なイメージから、少しずつではあるが脱却していくようだった。

もう1つだけ、この年に印象に残っているライブが、初参加の日比谷野外音楽堂でのライブ(6月28日)である。渋谷でのライブから2か月ほどという短いスパンでのライブであった。

当時のブログは何と3本にわたるレポートが残されており、その興奮具合がわかるものだ。

野音レポート1

野音レポート2

野音レポート3

さて全28曲にも及ぶ長いライブのラストには、何と新曲が披露された。後になってみると、野音で新曲が披露されるパターンは結構あるが、この当時は衝撃だった記憶がある。

「俺たちの明日」以降、ハイペースでリリースが続いた中、次はどんなシングルが来るのか、期待を持っていた頃であった。

当時曲名は聞き取れなかったが、とにかくサビのメロディに打ちのめされた。そしてエレカシは「笑顔の未来へ」に増して、さらに若返ったような感覚になった

7月に送られたファンクラブ会報には、「新しい季節へキミと」というタイトルが書いてあり、8月1日より着うた配信が行われると言う。

エレカシが日比谷野音で初披露した新曲を先行配信
エレファントカシマシが新曲「新しい季節へキミと」の着うたを本日8月1日より配信している。

当時この曲も早く聴きたくて着うたをダウンロードしたような記憶がある。当時のナタリーの記事にはリリース時期は書かれていないが、ファンクラブ会報には10月リリースとあった。

実際にリリースされたのは、10月1日。初回限定盤にはこの年の日比谷野外音楽堂公演の模様が一部収録されることとなった。

「笑顔の未来へ」の時はライブ映像で初めて見たが、今回は生演奏が初めてであった。そして同じく、アレンジ的には音源では豪華なストリングスが加わっていた。

華やかで高揚感のある楽曲であり、エレカシがさらに上昇していくことを予感させるものだった。

まとめ – 2007~2008年と言う時期

2回にわたって、エレファントカシマシの2007~2008年という2年間を振り返る記事をお送りしてきた。

改めてなぜこの2年間を取り上げたのか、ということに触れておきたい。実際のところ、エレカシがさらに躍進していったのは2009年以降のことであった。

2009年には強力なアルバム『昇れる太陽』をリリースし、さらに精力的なライブ活動、そしてエレカシというバンドの凄さがさらに世に知られわたることとなる。

その歩みは着実なものであり、徐々にチケットも取りにくくなっていった気がする。

そう考えてみると、2007~2008年はユニバーサル全盛期の前夜とでもいう時代だ。その後に比べるとチケットも取りやすかったし、”こじんまり”活動していた印象さえある。

一方で当時は新参者のファンであったが、それでも「エレカシの凄さを知っているんだぞ」という自負のようなものがあった。その良さを周りに伝えたくて仕方なかったように思える。

まだエレカシは”知る人ぞ知る”バンドながら、この時期にはもっと多くの人に知られるだろう、という確信はあったのだった。

それもそのはず、この時期に作られた楽曲は、現在においてもエレカシのライブの中核となる楽曲ばかりで、それらが2007~2008年に集中して生まれているのである。

それだけ宮本氏の作曲の感覚が研ぎ澄まされ、バンドの状態も非常に良かった時期だったのではないかと思う。

この時期をリアルタイムで体験できたことを誇らしく思うとともに、今も色褪せることなく、当時の楽曲が演奏されていることが嬉しい。

筆者個人としてもそうだが、エレカシの歴史にとっても2007~2008年という時期はきわめて重要な時期だったのではないか、と思うのである。

<「桜の花、舞い上がる道を」「新しい季節へキミと」が聴けるアルバム>

アルバム『昇れる太陽』(2009)

快進撃の中でかなり密度の濃い楽曲が揃ったアルバム

ベストアルバム『THE BEST 2007-2012 俺たちの明日』(2012)

ユニバーサルミュージック時代の2012年までのシングル曲を発売順に収録したベストアルバム

ベストアルバム『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』(2017)

30周年を記念した2枚組のオールタイムベストアルバム

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