【人間椅子】和嶋慎治の結婚時代に作られた『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』に漂う大人の色気とその魅力

スポンサーリンク
人間椅子

当ブログでは、ハードロックバンド人間椅子の音楽の魅力を様々な角度から考察してきた。中でもアルバムや長い歴史のある時期を切り取った魅力について、何度も書いている。

人間椅子の場合、基本的な路線はデビュー時から変わっておらず、ドラマーの交代やメンバーの心境の変化など、細かく見ていけば作風も変化が見られる。

しかしそういった明確な変化のないタイミングで、この時期にしかない不思議な魅力があるのが、『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』と言う2枚(1999~2000年)の時期である。

”おどろおどろしい”とか”怪奇”などの用語で形容される人間椅子だが、この時期を評すれば”大人の色気”とか”おしゃれ”など、およそ人間椅子に当てはまらないようなワードがしっくりくる。

かと言って、異色の作品として語られることもなく、人間椅子の作品の歴史の中に違和感なく収まっている、という不思議な2作であると筆者は思っている。

今回は、実は異色の作品『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の魅力と、その正体について考察してみようという記事である。

スポンサーリンク

『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の概要とその特徴

まずは『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の2作の概要を押さえつつ、特徴を述べることとした。

2作の収録楽曲等の情報は以下の通りである。

8thアルバム『二十世紀葬送曲』

  • 発売日:1999年3月25日、2016年11月2日(UHQCD再発)
  • 発売元:メルダック、徳間ジャパンコミュニケーションズ(UHQCD再発)
no. タイトル作詞作曲時間
1幽霊列車和嶋慎治和嶋慎治5:41
2鈴木研一鈴木研一6:35
3恋は三角木馬の上で和嶋慎治和嶋慎治4:39
4都会の童話和嶋慎治後藤升宏7:07
5暁の断頭台和嶋慎治鈴木研一5:56
6少女地獄和嶋慎治和嶋慎治6:06
7春の海和嶋慎治鈴木研一7:50
8不眠症ブルース後藤升宏後藤升宏5:45
9サバス・スラッシュ・サバス鈴木研一鈴木研一3:33
10黒い太陽和嶋慎治和嶋慎治6:11
合計時間59:16

9thアルバム『怪人二十面相』

  • 発売日:2000年6月21日、2016年11月2日(UHQCD再発)
  • 発売元:メルダック、徳間ジャパンコミュニケーションズ(UHQCD再発)
no. タイトル作詞作曲時間
1怪人二十面相和嶋慎治鈴木研一6:45
2みなしごのシャッフル和嶋慎治和嶋慎治4:22
3蛭田博士の発明和嶋慎治鈴木研一5:46
4刑務所はいっぱい和嶋慎治和嶋慎治5:25
5あしながぐも鈴木研一鈴木研一5:08
6亜麻色のスカーフ和嶋慎治後藤升宏4:31
7芋虫鈴木研一鈴木研一8:41
8名探偵登場和嶋慎治和嶋慎治2:39
9屋根裏のねぷた祭り鈴木研一鈴木研一7:22
10楽しい夏休み和嶋慎治和嶋慎治6:01
11地獄風景鈴木研一鈴木研一3:29
12大団円和嶋慎治和嶋慎治8:15
合計時間68:24

まず8thアルバム『二十世紀葬送曲』は、それまでインディーズや単発メジャー契約でリリースしていたのが、古巣のメルダックに復帰した第1作である。

世紀末が騒がれた時代性がタイトルに表れつつ、ブックレットには拷問器具の写真が並び、アルバムジャケットではギター和嶋慎治氏が拷問にかけられるような様子が収められている。

手作り感のあった前作『頽廃芸術展』に比べ、サウンド面が大幅に改善され、臨場感のありつつ重厚なサウンド・雰囲気に仕上がっているのが特徴とも言えるだろう。

続く9thアルバム『怪人二十面相』は、”文芸ロック”とも言われた原点である江戸川乱歩に回帰し、江戸川乱歩の世界観で緩やかに統一された一種のコンセプトアルバムとなっている。

ジャケットは『黄金の夜明け』『踊る一寸法師』を手掛けた漫画家の大越孝太郎氏で、『怪人二十面相』のキャラクターに扮したメンバーの様子が描かれている。

怪奇な世界観ながらも洒脱な雰囲気とポップさを持つ作品であり、クリアなサウンドも手伝って、非常に聴きやすい作品となっているのが特徴だ。

両作品それぞれの特徴はありつつも、前後の作品と比較しても、独特の魅力がある点において共通している。それは「大人の色気」を感じさせる、洗練された大人のロックという雰囲気である。

人間椅子と大人の色気とは何だか合わない感じもするが、この時期には洗練された雰囲気と悲しみとエロスとがないまぜになったような、得も言われぬ大人の雰囲気が漂うのである。

それは前後の作品と比較しても明瞭である。前作『頽廃芸術展』(1998年)は、自らでレコーディングも行った作品で、音像も含めて肌触りが異なっているように思える。

何よりも歌詞の世界観や佇まいが、まだデビュー時から地続きの、おどろおどろしいサウンドを作ろうという、若者たちの熱気のようなものが感じ取れる。

それは泥臭さや男臭さのようなものとしても感じ取れるが、『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』はもっとあか抜けて、大人の余裕のようなものを感じ取れるのである。

さらには洒脱な雰囲気をコンセプトとした『怪人二十面相』に顕著だが、アルバム全体から艶っぽいというか、色気のようなものが醸し出されている。

次の『見知らぬ世界』(2001年)は、和嶋氏の歌詞のテイストがガラッと変わっている。自らの伝えたいメッセージを分かりやすく歌詞にしており、むしろ若返ったような感覚もある。

そして『見知らぬ世界』を起点として、現在の人間椅子の作風に至る、和嶋氏の人生観の変化が始まっているとも言えるだろう。

このように『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』は、人間椅子史上最も大人の雰囲気を醸し出す2作品であり、前後の作品にも類を見ない”大人の色気”のようなものすら感じさせる作品なのだ。

スポンサーリンク

『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』に漂う大人の色気とその魅力の正体とは?

『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の2枚のアルバムには、「大人の色気」を感じさせる、洗練された大人のロックという雰囲気が漂うことを指摘した。

いったいこの時期の人間椅子はどのような状況だったのか。作品内容や楽曲、当時のメンバーの状況にも触れつつ、独特な魅力の正体を探ってみたい。

バンドの状況

人間椅子は8thアルバム『二十世紀葬送曲』で、古巣だったメルダックに復帰することとなった。音源リリースにおいては不安定な時期が続いていたが、ようやくメジャーに戻ることができたのだった。

和嶋氏は当時について、「レコード会社が自由にやらせてくれた」と述べている。

デビューした当時は、世界観や収録する楽曲についても注文があれこれあったのだろうが、本作からセルフプロデュースで制作している。

”自由に”という姿勢は、遡ればインディーズでリリースされた1995年の5th『踊る一寸法師』から始まっている。

デビューからメジャーでの契約が終了するまでは、怪奇的で文学性の高い世界観とサバス由来のハードロックに、ある意味で縛られていた節がある。

とりわけ歌詞や世界観で解放したのが『踊る一寸法師』、そして音楽性の意味でさらなる解放が見られたのが1998年の7th『頽廃芸術展』だった。

現在の人間椅子では考えられないが、ハードロックという枠組みからも解放したいと和嶋氏は当時語っていた(1998年のヤングギターでのインタビューにて)。

『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の2枚も、基本的にはその路線にあり、リフを主体としたハードロックと言う最低限の縛りを設けつつ、音楽的には幅広いことをやっていた。

そして『頽廃芸術展』の時よりも、サウンド面でも楽曲の構築力においてもレベルアップし、より洗練された楽曲が並ぶようになったことが、この時期の大人っぽいロックに聞こえる要因に思える。

昔と今の人間椅子の決定的な音楽性の違いを考える – 人間椅子はハードロックなのか、ヘヴィメタルなのか?

楽曲の特徴

ここではメインの作曲を行っている、ギター和嶋慎治・ベース鈴木研一の作曲について触れておきたい。この時代は和嶋・鈴木両氏のアルバムの中での役割が今とは異なっている

まず和嶋氏は、ハードロックにこだわらない多彩なジャンルの楽曲を作っていたのがこの時期である。

『二十世紀葬送曲』には「恋は三角木馬の上で」のようなロックンロールがあり、『怪人二十面相』には「みなしごのシャッフル」のようなポップスも収録されている。

2枚の作品でも微妙に違いがあり、『二十世紀葬送曲』ではダークさと切なさが混ざり合うような感じで、『怪人二十面相』はコンセプトを活かして洒脱な雰囲気が漂う曲が多い。

一方の鈴木氏は作曲者としてピークだった時代である。ドラム後藤マスヒロ氏のアレンジ力にも助けられながら、難解な楽曲やメロディアスな曲、ヘヴィな曲と変幻自在に何でも作っていた頃だ。

「蟲」「怪人二十面相」「芋虫」など、長めの楽曲も見事な構成力と、これまた見事なリフづくりによって、飽きさせない楽曲を作っている。

鈴木氏がハードロック路線や、ヘヴィメタル・プログレなど、初期からの人間椅子を守ってきたので、和嶋氏が遊び心を発揮できたとも言えるだろう。

なお両者に共通するのは泣きのメロディが美しいことである。「幽霊列車」「芋虫」辺りが二大名曲ではないかと思うが、胸に迫るようなメロディで泣かせる曲はこの時期ならではである。

なお歌詞は和嶋氏がメインであるが、2作でやや違いも見られる。『二十世紀葬送曲』は和嶋氏が父を亡くした悲しみがまだ癒えていなかったと回想するように、やや暗く仏教的な世界観も見られる。

一方で『怪人二十面相』は小説の世界観を借りたコンセプトアルバムであり、メッセージめいた要素は少なく、短編小説を読むかのような情景の浮かぶ歌詞が多くなっている。

そのため『二十世紀葬送曲』は重厚なイメージが、『怪人二十面相』はよりカラッとしたイメージが伝わってくる。

メンバーの状況と音楽への姿勢

当時のメンバーの人間性や関係、また音楽に対する姿勢などについて、明らかになっていることも触れておきたい。

まずメンバーの年齢は34~35歳であり、若年から中年に差し掛かるタイミングの年代だった。当時のジャケット写真等を見るに、まず本人たちに独特の色気を感じるのがこの時代である

そもそもメンバーそのものから大人の色気を感じる訳で、作品にそれが出ない訳がないのだ。

※こちらのページに載っているプロフィール写真が『二十世紀葬送曲』当時のもの

人間椅子:ペテン師と空気男01

バンドとしては、1996年リリースの『無限の住人』リリースツアーより正式加入した後藤マスヒロ氏とのコンビネーションがどんどん良くなっている時期だったように思う。

演奏はよりタイトになり、後藤氏のドラムもテクニカルかつヘヴィなものに変化していた。演奏面においては、後藤氏在籍時のピークとも言える時期だったように感じる。

なお鈴木・後藤氏については当時のプライベートは不明であるが、和嶋氏はこの2作を作った時期に結婚していたことが、自伝『屈折くん』で明かされていた。

この2枚の作品のみに共通することは、和嶋氏の結婚時代の作品と言えるかもしれない。しかしそれがどれほど作品に影響を与えていたのかは、確たることは分からない。

ただ明らかになっているのは、和嶋氏自身がこの当時の楽曲に輝きがないと感じていたことである。それは身を削って表現できている感じがしない、という意味においてのようだ。

つましい結婚生活に幸せを感じている”普通の人”になってしまったかのような感覚があり、本当にそれで良いのか、と自問自答していたようである。

だからこそ、その状況から脱するべく離婚をしてまで『見知らぬ世界』と言う作品を作り、今日の人間椅子の状況に至った訳である。

和嶋氏がその道を選んだのだからそれが全てなのだが、果たしてこの当時の曲に輝きがないかと言えば、別の輝きがあるようにも筆者には思える。

それは音楽的な実験を存分にできたと言う意味での輝きである。自作エフェクターに最も凝っていた時代であるとも語られている通り、サウンド面でもあらゆる実験を行っていた。

その生活を支えていたのが当時の和嶋氏の奥さんであり、その安心できる環境があったからこそ生まれた楽曲たちなのだと思う。

結果的には破綻したのではあるが、その時代だけ切り取れば、結婚生活の充実が作品にもにじみ出て、必ずしもきらめきがないとは言えないようにも思う。

ただしそれがセールスに結びつくほどのパワーがあったかと言えば、低迷していた事実がはっきり物語っている。

この当時の人間椅子のままであれば再ブレイクはなかったかもしれないが、今とは違った洗練された豊かさのあった時代であったような気もするのだ。

まとめ – 原点から最も離れた1つの到達点

『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』の2枚のアルバムには、「大人の色気」を感じさせる、洗練された大人のロックという雰囲気が漂うのはなぜか、について今回は書いた。

バンドの状況や楽曲の特徴、そしてメンバーの状況などを示しつつも、もちろんメカニズムを説明するようには、その正体は明らかになって来ない。

しかし1つ言えるのは、人間椅子がデビューして10年くらいかけて、原点から最も離れた1つの到達点だったと言うことである。

1990年に『人間失格』でデビューした彼らであるが、当時は怪奇で文学的な日本の文学的歌詞を、ブリティッシュハードロックに乗せて歌うという様式を早々に作り上げた。

そしてデビューから4th『羅生門』までの間にその様式をやり尽くした結果、さらに音楽的に幅を広げるべく、デビュー時の原点から離れていく冒険の旅に出たのである。

さらに和嶋氏の人生をそこに当てはめると、折しも和嶋氏も波乱の時代を生きているタイミングだった。父の死から青森に住むようになり、結婚を機に関東に戻り、と言う激動の時代である。

これまでにない音楽、これまでにない経験をどんどん吸収して、学生時代に鈴木氏と始めたバンドという原点から最も遠くまで冒険に出た、1つの到達点がこの2作なのではなかろうか。

それこそがおどろおどろしいハードロックなのに、大人の気品を兼ね備えているという、誰も成し遂げていない、真に唯一無二の音楽性に到達できたように思えた。

さらには人生の苦みが効いているとでも言おうか、ある意味で人間臭い作品たちとも言える。でもそれを音楽的な技で包み込み、成熟した音楽として昇華しているのである。

そして人間椅子が原点に戻っていく過程が、その後の10年間と言うことなのではないかと思っている。10年間かけて、これまで取り込んできたものを逆にそぎ落としていく作業を行ったのだ。

ようやく原点に立ち返れたのが20周年のタイミングではないだろうか。

「陰獣」や「鉄格子黙示録」などの初期のレパートリーを再録し、自らの音楽性や魅力は何だったのか、再確認したところから再ブレイクへの道のりが始まったのだ。

人間椅子が原点に戻ってくるまで、最も遠くに旅に出ていた時代の楽曲たちであるが、決して”異色作”ではないところが凄い。

それだけ音楽的な熟達があってこそ、およそ人間椅子のこれまでの世界観にはあり得なかった”大人の色気”を作品に入れ込むことができたのであろう。

改めて『二十世紀葬送曲』『怪人二十面相』という2枚の作品の凄みを感じながら、聴き直してみるのはどうだろうか。

今こそ語り継ぎたい 後藤マスヒロ期の人間椅子の魅力 – プレイスタイルからアルバム全紹介まで

コメント

タイトルとURLをコピーしました