バンド生活三十五周年を迎える人間椅子は、その音楽性のブレなさが特徴の1つであると言われる。しかし改めて”人間椅子らしさ”とは何だろう、と考えると様々な見解が出てきそうである。
人間椅子は変化していないようで、実はかなり変化・進化を遂げてきたバンドであると言うのが筆者の見解である。もちろんそれは1つの軸があってこそ、そこを起点に変化してきたのだ。
今回そうした思いに至ったのは、先日リリースとなった映像作品『バンド生活三十五年 怪奇と幻想』に収録された過去のブートレッグライブ映像を見たからだ。
改めて人間椅子が、人間椅子になっていく過程を追うことができる映像作品になっている。
人間椅子の本当の原点であるデビュー前の雰囲気を起点に、今回は”人間椅子らしさ”の正体とその変化について考察を試みた。
”人間椅子らしさ”の正体と変化についての考察
”人間椅子らしさ”とは簡単に答えられるようで、考え始めると難しいものがある。それは冒頭にも書いたように、変わっていないようで変化してきたバンドだからだと思っている。
今回はその変化について、デビュー前の人間椅子の作風を起点として、以下の4段階にして考えてみようと思う。
- デビュー前
- メジャーデビュー~最初のメルダック期(『羅生門』まで)
- 音楽的実験を行っていた中期(およそ『真夏の夜の夢』頃まで)
- 原点回帰で新たな”人間椅子らしさ”の確立期(『未来浪漫派』以降)
それぞれの時期で変わらなかった、あるいは変化してきた”人間椅子らしさ”について考察していこうと思う。
デビュー前の人間椅子の”ごった煮”感と”人間椅子らしさ”の萌芽
人間椅子のデビュー前には、テレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)に出演し、「陰獣」を披露したことで知られている。
「陰獣」があまりに今の人間椅子に繋がる楽曲であるため、人間椅子はずっと変わっていないかのような印象を持つ。
しかし今回、映像作品『バンド生活三十五年 怪奇と幻想』にはデビュー前、さらにはイカ天出演前の映像まで収録されており、これまで未収録だった楽曲も収められている。
これらの楽曲を聴くと、やや今の人間椅子とは異なる音楽性と雰囲気を持っていたのではないか?と思うところがある。
ブートレッグ映像1曲目の「人面瘡」は、今も重要なレパートリーではあるが、幻のキーボードが入っていた人間椅子の映像であり、まだ学園祭のライブのような初々しさがある。
全体的な演奏の拙さもあるが、何だか今のようなヘヴィさとは違う感じサイケデリックさ、ノーウェイブ感がある。
さらには未収録曲として「夢女」が収録されたが、今の人間椅子にはない、怪しげな歌謡曲のような、ハードロックのヘヴィさとは異なるアプローチの不気味さがある。
一方で同じく初収録の「猿面冠者」はいかにも人間椅子らしい、ハードロックな楽曲となっていた。
こうして観てみると、デビュー前の人間椅子、すなわち1stアルバム『人間失格』の音楽性が確立される以前の人間椅子は、やや現在と異なる音楽性があるようにも思える。
それはまずヘヴィなハードロックにこだわっていない点であり、不気味な音楽をやると言う点では一貫しているが、ジャンル的にはかなり幅を持った”ごった煮”感がある。
そして演奏や表現力の未熟さを勢いで押していくようなところがあり、結果的にそれが前衛的でノーウェイブとでも言える独特な狂気を感じさせる。
デビュー前後にはThe Cureのファンなどもいたと言うから、耽美的で暗い音楽を好むような、やや今の人間椅子ファンとは異なるファン層も巻き込んでいたと思われる。
※The Cureはポストパンク・ゴシックロックなど、人間椅子とはだいぶん畑違いの海外のバンドである。
こうしたデビュー前の”ごった煮”感はありつつ、およそ人間椅子らしさの原点・萌芽には以下の2点があるように思える。
- 怪奇的でおどろおどろしい世界観・サウンドを作り上げること
- 様々な音楽性をブレンドしてその世界観を作り上げること
ベースには前者があり、後者を通じて音楽活動を模索していく、という感じである。まだどんな方向性に転がっていくのか、混とんとしていた時期でもあった。
※【人間椅子】イカ天で披露された「陰獣」のその後の立ち位置とは? – 音源・ライブでの登場頻度から探る
メジャーデビューからハードロックバンドとしての人間椅子の確立
人間椅子がメルダックからメジャーデビューするきっかけとなったのが、イカ天出演での「陰獣」の演奏だったことは間違いない。
ベースの鈴木研一氏のねずみ男のインパクトもさることながら、彼らのおどろおどろしい世界観と、ハードロックを主体としたヘヴィなサウンドが、プロの目に留まったということである。
1990年に1stアルバム『人間失格』をリリースするに至り、おそらくおそらくレコード会社の人たちと様々な協議などがあり、どんな音楽性で売っていくのか、検討が重ねられたのではないか。
先ほど述べたように、デビュー前の人間椅子の音楽性はまだ混とんとしており、その様子は1989年にインディーズでリリースされた通称0th『人間椅子』の収録曲を見ても分かる。
『人間椅子』から『人間失格』に収録された曲もある一方、「猟奇が街にやって来る」「神経症I LOVE YOU」などの軽いタッチの曲は収録されることがなかった。
やはり「陰獣」に象徴される、ブリティッシュハードロック由来のサウンドと、日本的な世界観が融合した、独特の湿り気を持ったハードロックを軸とする、という方向性で決まったのだろう。
その結果、『人間失格』は徹底してBlack SabbathやBudgieなどに影響を受けたおどろおどろしいハードロックを中心に据えた作品に仕上げられた。
今となってはその方向性が当たり前のように思われるが、デビュー前の人間椅子を知ると、だいぶんと様々な要素がそぎ落とされたようにも思われる。
この時代は拡散と収斂で言えば、収斂していく過程であり、”人間椅子らしさ”はおどろおどろしいハードロック、と一言でまとめられるものになった。
少なくともメジャーで活動した『羅生門』までは、その時に決めた方針を固持することになる。そしてバンドとしては演奏力がレコーディング・ライブで鍛えれていくこととなった。
しかしその枠組みの中で産み続ける苦しみに遭い、バンドブームの終焉とともにセールスは右肩下がりとなっていった。
音楽的実験とどんな音楽性でも揺るがぬ”人間椅子らしさ”へ
『羅生門』のリリースをもって、メルダックとの契約が切れ、1995年の5thアルバム『踊る一寸法師』はフライハイトというインディーズレーベルからのリリースとなった。
メジャーでのおどろおどろしいハードロックという世界観の制約から解かれ、自由な作風のアルバムとなっており、再出発に相応しい作品となっている。
これ以降の人間椅子は、デビュー期の”人間椅子らしさ”にこだわらず、音楽的な実験をより前面に行うようになっていく。
デビュー前の人間椅子がハードロックにこだわらずに様々なジャンルで不気味さを表現しようとしていたことを考えれば、ごく自然な流れであったとも言える。
ただデビュー前と違う点は、やはりメジャーの時代に確立したハードロックサウンドにはこだわっている点である。
ハードロックの最低限の作法に則りつつ、いかに音楽的に表現を広げられるか、というのがこの時期の”人間椅子らしさ”になっていたと言えるだろう。
1996年の6th『無限の住人』リリース後からドラマーに後藤マスヒロ氏が加入し、1999年の8th『二十世紀葬送曲』で人間椅子はメジャーに復帰した。
メジャー復帰後も、おどろおどろしいハードロックを守りつつも自由な音楽性を広げる作風は継続され、2000年の9th『怪人二十面相』前後はその頂点だったように思われる。
この時期に、どれだけ自由な音楽性やテーマで曲を作っても、一定の”いかがわしさ”が失われなかったのは、彼らの若さがあったからという点も述べておきたい。
たとえば鈴木氏はギャンブルや性的な楽曲があり、和嶋氏は猟奇的な曲や倒錯した精神の楽曲など、ある意味若さゆえのいかがわしいもの・倒錯したものへの興味が強かったと言える。
こうした独特の”いかがわしさ”は、前後の時代と比べても特に強く、それゆえの暗黒な雰囲気が漂っていたのが、この時期特有の”人間椅子らしさ”だった点は付け加えておきたい。
中年期に原点に返りつつ再構築された”人間椅子らしさ”
2003年にドラマーの後藤マスヒロ氏が脱退、2004年にナカジマノブ氏が加入した。ナカジマ氏の明るいキャラクターやプレイスタイルによって人間椅子の音楽性も変化していくこととなる。
その影響は大きかったものの、今回のテーマである”人間椅子らしさ”においては、2007年の『真夏の夜の夢』くらいまでは大枠では変わっていないように思われる。
※ナカジマ氏加入の影響は、”人間椅子らしさ”よりバンドとしての一体感の構築にあったと言える。
むしろ『三悪道中膝栗毛』『瘋痴狂』でやや揺れ動いた作風が、『真夏の夜の夢』で収束したかのように見えた。しかし本当の変化は、その後から始まっていったと言えるだろう。
変化の要因はいくつもある。まずは先ほど述べた、若さとともにあった”いかがわしさ”が薄れていったことである。
人間椅子のメンバーも40代に入り、徐々に露骨に倒錯したもの・いかがわしい歌詞などは減り、毒気が減っていった結果、表現が全体的にストレートですっきりしたもになった。
それには時代的に社会の中で危ないものを表現しにくくなった、ということも重なってはいるだろう。
それと関連して、ギターの和嶋慎治氏の心境の変化もあった。自身の暗黒を楽曲の中で呪詛のように歌ってきた和嶋氏だが、自分自身の内省によって、生き方や捉え方を変化させることに成功した。
和嶋氏が言うところの、表現や生きていく上での軸のようなものを獲得した、と言っているのがこの時期である。
2009年の15th『未来浪漫派』頃のことであるが、奇しくも20周年の年でもあり自らのルーツを振り返ることになる出来事があった。
それはベスト盤『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』リリースにあたり、「陰獣」「鉄格子黙示録」「猟奇が街にやって来る」など、デビュー前のレパートリーを再録することである。
再録により”人間椅子らしさ”とは何か、について俯瞰するような経験ができたのかもしれない。
それ以降の人間椅子は、徐々に楽曲的な実験が減っていき、むしろ”人間椅子らしい”ものを志向するようになる。
さらに”人間椅子らしさ”を志向するきっかけとなったのが、2013年のOzzfest Japan 2013への出演だった。
フェス出演は人間椅子の音楽を広める大チャンスとなった。セットリストからライブの流れまで、かなり念入りに考えられたことインタビュー等で語られていた。
そして世間的にも”人間椅子らしい”と感じられるものは、やはりダークで怪奇的なハードロックである、ということに自覚的になったのではなかろうか。
この時期には、もう若さからくる自分の内面の闇や嗜好などから来る暗さではなく、より意図的にヘヴィなもの・ダークなものを作るようになっていた。
結果的に、これまでの人間椅子のどの時期よりも、分かりやすくヘヴィメタル然としたものに変わっていった。
デビュー後の音楽性に戻ったようでいて、音楽的な実験はやり尽くし、また若さゆえのモヤモヤもそぎ落とされて、あくまでサウンド的な重さ・暗さを俯瞰してやっている、と言う状態に至っている。
デビュー時はどちらかと言えば、レコード会社など周りの人によって収斂させられていった音楽性だが、長い拡散の時期を経て、ついに自ら収斂していった、とも言えるだろう。
その結果、おどろおどろしいハードロックという音楽性・世界観を純粋培養するような形になり、2019年に発表した「無情のスキャット」が世界的にバズることになったのかもしれない。
まとめ
今回は”人間椅子らしさ”の正体と変化について、時代を追いながら考察を試みた。全体をまとめれば以下のようになろう。
デビュー前に萌芽としてあった”人間椅子らしさ”のうち、「様々な音楽性をブレンドしてその世界観を作り上げる」と言う要素は若い時期にやり尽くし、よりストレートに変化していった。
そして「怪奇的でおどろおどろしい世界観・サウンドを作り上げること」に特化した結果、今の人間椅子があると言えるだろう。
それぞれの時代において、”人間椅子らしさ”の根幹は変わらずとも、微妙な違いがあることがお分かりいただけたのではないか。
各時代に良さがあり、それはその時代にしかないものだ。”ごった煮”だったデビュー前や、若さゆえの暗黒と音楽的実験に満ちた中期など、今にはない人間椅子の魅力が各時代にはある。
しかし楽曲だけを並べてライブで聴いてみると、どの時代にも一貫するものを感じることが多い。やはりそこに人間椅子の魅力があるのであり、長く続けられた理由のようにも思える。
※イカ天出身バンド人間椅子の30年の歴史・再ブレイクを紐解く – 30年の歴史で変化したこと・変化しなかったこと
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