バンド生活35年を迎えたハードロックバンド人間椅子、1曲思い浮かべるとすれば、やはりイカ天に出演した際に披露した「陰獣」を挙げる人も多いだろう。
ねずみ男の衣装をしたベース鈴木研一氏の見た目の印象とともに、インパクトを残した楽曲だった。
しかし人間椅子のファンでない限り、その後の「陰獣」がバンドの中でどんな立ち位置になっていったのか、についてはあまり知られていない。
結論から言うと、実は「陰獣」は人間椅子の超定番曲とは言い難い位置づけの楽曲になっていたのだった。
今回は人間椅子の「陰獣」のそんな立ち位置について、音源・ライブに登場する頻度から探りつつ、なぜ超定番曲の位置にならなかったのか、筆者なりの分析を試みた。
「陰獣」の概要と”イカ天”出演時のインパクト
まずは人間椅子の「陰獣」の概要と、イカ天出演時の様子などをおさらいしておこう。
「陰獣」の概要
- 作詞:和嶋慎治、作曲:和嶋慎治・鈴木研一
- 時間:3分47秒(『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト』収録バージョン)
「陰獣」は、人間椅子がTBSのテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称イカ天)に初出演した時に披露した楽曲である。
ワウペダルを用いたおどろおどろしいギターリフと、土着的なリズム、ベース・ボーカル鈴木研一氏の不気味な歌い方が印象的である。
中間部でアップテンポになる部分はギター・ボーカル和嶋慎治氏が歌い、短いギターソロが2回挟まれる。そして前半部にもう一度戻る、という人間椅子がよく用いる展開の楽曲だ。
ワウを使ったギターリフは和嶋氏が考案したようで、Aメロ部分のメロディは鈴木氏がメロディを作ったらしい、というのが和嶋氏の自伝『屈折くん』から読み取れる。
大学生の頃に2人で作った楽曲で、作曲のクレジットにも和嶋・鈴木両氏の名前が連ねられている。どの作品で聴けるかなどは、後で詳しく述べることとする。
タイトルは江戸川乱歩の小説「陰獣」からとられている。
イカ天出演時の「陰獣」のインパクト
さて人間椅子は1989年5月20日放送のイカ天に出演している。アマチュアバンドの登竜門的な番組で、5週連続で勝ち抜くとメジャーデビューが約束されるというものだった。
人間椅子が出演した当時の映像は、動画サイトなどで各自検索してもらうとして、当時のインパクトについてまとめておきたい。
人間椅子のパフォーマンスは、鈴木氏のねずみ男風の衣装や独特な世界観過ぎて、他の出演者や(おそらく)視聴者は、イロモノ扱いで笑いが起きるような状況だった。
しかし審査員からは絶賛の評価を受けたのだった。
そもそもイカ天では赤ランプ(もう見たくない)を審査員が点灯させると完奏できないこともあったが、人間椅子の場合は完奏できた上に「もう少し見たい」という青ランプがいくつも点灯した。
本来は赤ランプで画面が小さくなっていくのを防ぐ役割の青ランプを、「絶対に最後まで見たい」という意図で何人もの審査員が押した事例は多くなかったらしい。
辛口だったという審査員のコメントも、絶賛に近いものだった。各審査員の主だったコメント内容を拾い上げてみよう。
まずはオペラ歌手の中島啓江氏は、「この恐ろしい歌詞が聞こえなくて良かった。でも歌詞が聞こえなくても、これほど音楽性豊かで良かった。生徒にも歌い方を教えたい。」と述べ、青ランプをつけた。
このコメントはやや解釈を要するかもしれない。ポップな楽曲ならば歌詞がしっかり聞こえるべきだが、こうした不気味なロックでは鈴木氏の独特な歌唱が見事にマッチしていたという意図だろう。
あるいは歌詞が聞こえなくてもこれほど豊かな音楽性がある、ということは洋楽的な聴き方をしても、十分に耐えられるクオリティがあることも意味しているように感じた。
また漫画家の内田春菊氏は「体育会系のバンドが多く、彼らは世界観などが無神経だが、人間椅子はコンセプトや世界観がしっかりしていながらパワーもある」とコメントして、青ランプをつけた。
内田氏のコメントはまさに人間椅子に向ける賛辞そのものであり、「陰獣」を聴いただけで的確に人間椅子の音楽性を見抜いていたと言える。
ミュージシャンの伊藤銀次氏は「(陰気だとしても)あれだけギターが上手かったら陰気でも良いと思う」と和嶋氏のギターの技術を高く評価している。
一方でファッションプロデューサー四方義朗氏は「オリジナリティ・意外性・怪奇性は満点が、このタイプの曲を3曲続けて聴けるのか」とやや批判的なコメントをしている。
これに対し和嶋氏は「文芸シリーズとして谷崎潤一郎・太宰治の曲とか」と次の展開を示すと、司会の三宅裕司氏は「イカ天キングにならずに聴く方法はないものか」と、フォローしていた。
四方氏のコメントにトゲはあるが、しかし人間椅子のこの先を見据えたコメントだったようにも思う。
つまり個性的過ぎるゆえに、バリエーションを示さないと飽きられるという、表現者あるいはプロデューサー的な視点において的確だったようにも感じる。
人間椅子はJITTERIN’JINNに敗れ、イカ天キングにはなれなかったが、番組出演がきっかけで1990年にメルダックより『人間失格』でデビューすることとなった。
イカ天出身バンドの多くが短命に終わったが、イカ天キングにもなれなかった人間椅子は、活動休止することもなく、2024年現在まで35年間リリース・ライブを継続している。
人間椅子におけるその後の「陰獣」の立ち位置とは?
イカ天出演時、あるいはバンドブームの間には注目された「陰獣」であるが、その後人間椅子のレパートリーの中で「陰獣」はどのような立ち位置になっていったのだろうか。
実は超定番曲の位置づけにはなっていないことが、音源・ライブでの登場頻度から窺える。ここでは「陰獣」の人間椅子における立ち位置についてまとめた。
音源での登場頻度は?
「陰獣」が収録されている作品はどれほどあるのだろうか?以下にリストでまとめている。
- 『人間椅子』(1989年)
- ベスト盤『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』(2009年、新録バージョン)
- ベスト盤『現世は夢 〜25周年記念ベストアルバム〜』(2014年)
- ベスト盤『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』(2019年、2009年の新録バージョン)
※ライブ音源やオムニバス盤、映像作品は除く。
まず、そもそも「陰獣」は人間椅子のオリジナルアルバムに収録されたことがない。これがまずは驚きの事実かもしれない。
人間椅子は1989年にイカ天の自主レーベルからインディーズ盤として『人間椅子』(通称0thアルバム)をリリースしており、その中に「陰獣」は収録された。
本作はファンの間ではオリジナルアルバムとカウントされていない作品で、その理由は正式なデビュー前の作品であること、またすぐに廃盤となって入手困難盤だったことに由来するのだろう。
筆者が人間椅子を聴き始めた2000年頃には既に廃盤で中古を買うしかなかった。音源が手に入らない時点でも、「陰獣」があまり重視されていなかったことが窺える。
一方で同じく0th収録で1st『人間失格』に入らなかった「人面瘡」は、1991年のシングル『夜叉ヶ池』のカップリング曲として新録されているところからも、扱いが違うのである。
長らく「陰獣」の音源が入手困難な状態が続いていたが、第4期ドラマーのナカジマノブ氏が加入して5年後、20周年を記念したベスト盤『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』に収録されることとなる。
それも現メンバーによる新録バージョンとして収録されることとなった。
違いとして、まず0thに収録された「陰獣」は微妙にイカ天出演時と歌詞が変わっていたが、オリジナルの歌詞に戻された。
またライブではダウンチューニングで披露されることが多かったため、1音半下げチューニングに変更して収録されている。
ようやく20周年のベスト盤で「陰獣」に光があたり、2014年のベスト盤『現世は夢 〜25周年記念ベストアルバム〜』では、0thバージョンがリマスターされてようやく収録された。
さらに2019年のベスト盤『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』には、20周年の新録バージョンが再び収録されることとなる。
2009年の『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』で新録されてからは、ベスト盤の常連となった「陰獣」ではあるが、逆にそれまではデビュー前の音源にしかない幻の曲だったのである。
ライブにおける演奏頻度は?
ではライブでは「陰獣」はどの程度演奏されてきたのだろうか。過去のセットリストはこちらのサイトを参考にしつつ、筆者がライブに行き始めた2001年以降は自らの体感も交えて書くこととした。
まず、デビューしてすぐの91年頃までは、楽曲数も少ないので、「陰獣」が披露される機会も多かったように見える。それはごく自然なことであろう。
しかし94年頃以降のセットリストを見てみると、徐々に「陰獣」が演奏されていないライブの方が多くなっていく。そして90年代後半~2000年代前半にかけてはかなりレアな楽曲になっている。
筆者がこの当時見たライブでは、2002年の『ビデオ「見知らぬ世界」発売記念ツアー』名古屋公演で披露されている。しかし他の会場では披露されておらず、かなり久しぶりに披露する雰囲気だった。
既にこの時にはダウンチューニングで披露されており、セットリストを見る限り、1995年頃にはダウンチューニングになっていたようである。
なお当時の人間椅子のライブは、あまり定番曲を固めず、満遍なく楽曲を披露するスタイルではあった。
しかしそれでも「人面瘡」「針の山」など初期の楽曲が比較的頻繁にセットリストに入る中、「陰獣」はもはやレア曲の立ち位置になっていた。
やはり音源が入手困難だったことが影響していたものと想像される。
その傾向が変化したのは、やはり2009年に『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』で新録されて以降のことである。
やはり新録で「陰獣」に注目されたからか、その後数年間は比較的演奏頻度が高かった時期があった。しかしそれも一時期のことであった。
象徴的なのは、2013年のOzzfest Japan 2013に大抜擢された時のセットリストにも「陰獣」は入っていない。当時の人間椅子がどうしても伝えたい曲の中に「陰獣」は入らなかった。
その後はツアー何本かに1回程度の頻度で披露されている印象である。直近であれば、2024年の『バンド生活三十五年~猟奇第三楽章~』で会場によって披露されている。
その前は2019年の『バンド生活三十年~人間椅子三十周年記念ワンマンツアー』、さらに前は2017年の『ライブ盤リリース記念ワンマンツアー「威風堂々」』である。
※Live Fansにおける「陰獣」が披露されたライブのリスト

なお近年はレギュラーチューニングでの披露も復活しており、2017年の『ライブ盤リリース記念ワンマンツアー「威風堂々」』はデビュー頃を意識してレギュラーチューニングだった。
2009年の20周年頃からか、人間椅子のライブのセットリストの組み立て方に変化があった。それはいわゆる定番曲をしっかり固め、その合間にレア曲を挟んでいくスタイルになった。
「陰獣」も音源化されて、十分定番曲入りする可能性はあったはずだが、結局時々披露される”準定番曲”くらいの位置づけに落ち着いたのである。
そもそもライブ映像が公式YouTubeにアップされていないところからも、やはり超定番曲として推すような楽曲ではないことが窺える。
「陰獣」が超定番曲にならなかった理由を考察する
イカ天出演でインパクトを与えた「陰獣」であったが、人間椅子の歴史においては、音源・ライブともにあまり中核に置かれてこなかったことが読み取れる。
ではなぜ超定番曲のポジションに置かれなかったのか。3つの観点から考察を試みた。
実は短く編集したバージョンだった
まずはそもそも音源化されている「陰獣」が短く編集されたものであることをご存じだろうか?
もともとの陰獣は7分ほどある長い曲であり、リフの回数などが音源よりも多く、後半には美しい演奏に展開する部分があるものだった。
筆者は2012年に和嶋氏が組んでいたブルースバンド和嶋工務店のイベント『親切丁寧サプライズ~高円寺突貫施工~』で、”椅子ニンゲン”として人間椅子初期の再現ライブを行った時に聴いた。
イカ天出演にあわせて、テレビで演奏できるように3分ほどに短くしたのが、現在音源で聴けるバージョンであり、要するにオリジナルバージョンではないのだ。
短くした「陰獣」に対して、鈴木氏はこちらの記事で「不本意だった」とは書かれている。

そうなれば、やはりテレビ出演に際して編集したものが世に知られたとなると、楽曲との間に何かしら距離ができたのではないか。
和嶋・鈴木両氏で作ったオリジナルの「陰獣」と、イカ天で世に出た「陰獣」は、やはり別の存在になるわけで、作り手のもとから遠くに巣立った感じがありそうだ。
とは言え、バンドを20年続けてきた2009年、自らの原点を振り返った時には、やはり「陰獣」があった。だからこそ、ようやく楽曲との距離感を取り戻して、新録することになったのかもしれない。
イカ天のイメージだけがつくことを避けた?
楽曲との距離感ができた、と言うことに関しては、イカ天出演でのインパクトが強過ぎる楽曲だった、ということもあるのかもしれない。
テレビを見た人は、「陰獣」の世界観こそ人間椅子だと認識するだろうし、さらにねずみ男の衣装など、楽曲と関係ない要素まで、「陰獣」と結び付いてしまう可能性もある。
イカ天出演のインパクトが大きかっただけに、バンドとしてはもっと幅のある音楽をやるためにも、あまり「陰獣」のイメージに縛られたくなかったのかもしれない。
そして年数が経って、あまり売れていない時期が続いて、正直なところイカ天出身の”一発屋”的なイメージがついていた節もある。
そこでも「陰獣」はイカ天をイメージさせる楽曲であり、”過去の人”的な扱いを受けたくなかったということもあるかもしれない。
やはり「陰獣」はイカ天と結び付いているからこそ、良くも悪くも過去にとどまっている楽曲である。
自らの過去と折り合いがつくまでは、なかなか披露したくなかったのかもしれない。この点でも20周年で、長く続けてきた歴史を振り返り、自らの過去である「陰獣」も快く受け入れられたのだろう。
それ以降、確実に「陰獣」がライブで披露される回数は増えたし、ベスト盤に必ず収録されることになったのだった。
「陰獣」をプロトタイプとして多数の名曲が生まれた
20周年以降、「陰獣」の披露される頻度は増えたのだが、やはり徐々に披露される頻度は減少傾向にある。
それでもやはり定番にならない理由は、人間椅子にはもっと良い曲がたくさんあるから、だと思っている。
それは「陰獣」を貶める意味ではなく、人間椅子の楽曲を聴いていると、「陰獣」がプロトタイプになって生まれたのではないかと思われる曲がいくつもあるのだ。
たとえば近い時期では、1stアルバム『人間失格』に収録されている「賽の河原」は、おどろおどろしいヘヴィなリフに、アップテンポな中間部という展開が似ている。
「陰獣」の佇まいに、さらに泣けるメロディの要素を加えたのが「賽の河原」である。
そして2001年にリリースされた10th『見知らぬ世界』収録の「死神の饗宴」もまた「陰獣」をベースにした楽曲だと感じている。
この曲もヘヴィな前半部とアップテンポな中間部、そして再び前半部に戻って来る、という展開である。そしてヘヴィさやリズムのうねりなど、「陰獣」から格段に進化している。
なお「陰獣」の魅力を語るにはBudgieとBlack Sabbathという2つのバンドは外せないだろう。
人間椅子はBlack Sabbathのおどろおどろしさに影響を受けたという話はよく聞くところだ。しかしシンプルかつヘヴィなリフを繰り返すのは、Budgieの影響もかなり大きい。
Black Sabbathからは、展開の多さや、楽曲の構築において影響を受けており、潔いリフの繰り返しにはBudgieの影響を色濃く感じる。「Guts」という楽曲は「陰獣」の原点にありそうだ。
人間椅子において、BudgieとBlack Sabbathの融合を果たした最初の楽曲が「陰獣」であり、それを起点にして、さらに実験が試みられて、代表曲が生まれていった。
「陰獣」は一種の習作・プロトタイプとしての役割があったため、他の代表曲に押されてしまった、という理由もあるのかもしれない。
まとめ – 人間椅子にとっての「陰獣」の意味
今回は人間椅子がイカ天出演時に披露した「陰獣」のインパクトと、意外にも超定番曲とはならなかった理由について書いてみた。
最後に人間椅子にとっての「陰獣」の意味について、その功罪を含めてまとめてみよう。
まず「陰獣」は、人間椅子を世に知らしめるための楽曲として、その役割を十二分に果たした。そしてコンパクトに人間椅子の魅力をパッケージ化することにも成功しただろう。
7分の曲を不本意ながら3分に縮めてでも、イカ天という場所で披露したことが、人間椅子をメジャーデビューさせ、今日に至るまで活動できた起点だったことは間違いない。
しかし一方で、強烈過ぎるインパクトは、人間椅子のイメージを縛るものでもあった。
何より、「陰獣」という曲が過去にとどまり続ける限り、どうしても人間椅子と言うバンドもイカ天出身の過去のバンドと見られてしまう風潮が長らく続くこととなった。
20周年を超えた辺りから、現在進行形の人間椅子に対する評価がようやくなされるようになり、初めて「陰獣」を新録したことで、過去との折り合いがついた感じがした。
人間椅子の楽曲と言う意味では、「陰獣」は1つの定型となって、そこからアイデアを膨らませてたくさんの楽曲を生み出す起点にもなったと言えるだろう。
「陰獣」はその長さを縮められてしまったり、それでいて世にいち早く知られた楽曲であったり、人間椅子の楽曲としては異色の存在だったとも言える。
そのため超定番曲という位置づけにはならなかったが、時々立ち戻る”故郷”のような楽曲なのかもしれない。
※”初期人間椅子”(上館徳芳期)の魅力を語る – 伸びしろしかない若さ迸る人間椅子
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