来年でバンド生活35周年を迎えるハードロックバンド人間椅子、ドラムのナカジマノブが加入してから、来年で20年になる。
ナカジマ氏は人間椅子歴代ドラマーの中でも最も在籍年数が長く、低迷期から近年の再ブレイク~海外進出までを支え続けてきた重要人物である。
彼が加入してからの約20年間、実に様々な出来事があり、バンドに変化もあった。
そこで今回の記事では、ナカジマノブが加入後の人間椅子において、重要なバンドの変化時期に焦点を当てて、その時期にどんな出来事があり、何が変わったのか振り返る。
ナカジマ氏が加入してからの人間椅子はずっと追いかけてきた筆者である。歴史には残りにくいものの、実は重要だったのではないか、という時期も拾い上げたいと思う。
まえがき:後藤マスヒロ脱退~ナカジマノブ加入
”まえがき”と題して、ナカジマノブ加入直前の時期に触れておきたい。
2003年の12月、渋谷でのライブの最中、唐突に後藤マスヒロ氏の脱退が告げられたようである。その後、公式サイトでもお知らせがあり、ファンクラブでは後藤マスヒロ特集号が組まれた。
当時の人間椅子は、今に比べて”職人集団”的なバンドだったような印象がある。それは後藤マスヒロという超絶テクニシャンが在籍し、楽曲・演奏ともに非常に高いレベルにあった。
後藤氏が当時の人間椅子では最も在籍年数が長かったし、これが盤石の人間椅子の布陣だ、と思っていたファンは多かった。
その体制が突如終わることとなったから、ファンの落胆ぶりはかなり大きかったはずである。しかし人間椅子は、いち早く次のメンバー探しに動き出していたようだ。
2004年6月には早くも新メンバーが加入、それがナカジマノブ氏であった。人間椅子のデビュー15周年でもあったから、急ピッチで新作が作られたのが、12thアルバム『三悪道中膝栗毛』である。
この頃、収録曲のタイトルにちなんで、”新生”人間椅子と銘打ってライブが行われていた。ずいぶんと前向きな感じに聞こえるかもしれないが、当時はまだそんなムードではなかったように思う。
どちらかと言えば、バンド存続の危機の中、何とか切り抜けたところでいっぱいいっぱい、という感じだった。そしてこれまでの人間椅子にはいないタイプのキャラクターのドラマーである。
どんなバンドになっていくのだろう、という期待と不安がない交ぜだったところから、ナカジマノブ期の始まりである。
ナカジマノブ加入後の人間椅子における5つの重要な変化時期
ここから本題である、ナカジマノブ加入後の人間椅子を振り返りたい。
同じ密度で約20年を振り返るより、バンドの変化のタイミングに絞って、何が起きて、どういう変化が起こったのか、と言う書き方が面白いのではないか、と思った。
ここでは5つの変化時期を取り上げる。”時期”としたので、2年間ほどを1つのまとまりとし、「変化前の年~変化後の年」と言う形で振り返った。
2006年~2007年:新生人間椅子~ナカジマノブが定着した時期
最初の時期は、2006年~2007年である。作品としては13th『瘋痴狂』~14th『真夏の夜の夢』の頃だ。
ナカジマ氏が加入してからの人間椅子は、人間椅子と言うバンドをどのように再構築するのか、模索の連続だったと言える。
12th『三悪道中膝栗毛』は、一部後藤氏の在籍時からあった楽曲も含まれており、後藤氏の頃の人間椅子を維持した形の作品だった。ナカジマ氏は人間椅子の2人を追いかける形とでも言おうか。
しかし否が応でも、ドラムのスタイルは後藤氏とナカジマ氏では異なる。やはりナカジマ氏のドラムの個性、そして歌が上手いという長所を活かした方が良いのではないか?
そんな話し合いがあったのか定かではないが、2006年にリリースされた13thアルバム『瘋痴狂』は、『三悪道中膝栗毛』とは対照的に、一気にナカジマ氏に寄せたアルバムとなった。
音は全体的に明るく、ストレートなドラムが心地好い楽曲が多い。そしてナカジマ氏がリードボーカルをとる楽曲が3曲も入っている。
この2作を振り返ると、”新生”人間椅子を何とか体現しようと、ひとまず従来の人間椅子から始め、新たな要素を押し出す形で、とにかく努力していたように思える。
そうした”頑張っている”感が強かったのが2006年までだったが、2007年にリリースされた14thアルバム『真夏の夜の夢』は、やや変化を感じ取ることができる。
まず主題となっているのは、人間椅子が従来扱ってきた怪奇や幻想の世界である。そしてその世界観を描くために、ヘヴィでダークな人間椅子が戻ってきているのだ。
しかし明らかに『三悪道中膝栗毛』の頃とも違うものになっている。その違いは、ナカジマ氏が人間椅子メンバーとして定着した安心感である。
ここにきて”新生”を頑張ってアピールせずとも、ナカジマ氏が人間椅子でプレイすれば、それが自然と3人の新たな楽曲・演奏・グルーヴとなったのが、この段階であるように思う。
筆者がその感覚を強く持ったのは、「どっとはらい」という曲を聴いた時だった。一聴すれば、ヘヴィないつも通りの人間椅子にも思えるが、このパワフルなリズム感はこれまでの人間椅子にはなかった。
アグレッシブさとでも言おうか、力強いビートとともに、人間椅子の持つヘヴィさが融合したのである。これが本当の意味で、”新生”人間椅子誕生の瞬間だったのではないか、と思えた。
大きな出来事のあった時期ではないが、ナカジマ氏加入後の人間椅子の方向が”静かに”固まった時期だった。
2008年~2009年:和嶋慎治の覚醒期
ギター・ボーカルの和嶋慎治の”覚醒”がこの時期に起きたことが重要である。既に『真夏の夜の夢』の時点で始まっていたことだが、和嶋氏の描く世界観、それに伴う曲調の変化がみられる。
『瘋痴狂』頃までの和嶋氏と言えば、心の闇を吐露するような歌詞があり、人間が作り出す闇の怪奇性をテーマに楽曲を作ってきた歴史がある。
和嶋氏自身の周りにも不幸な出来事が集まり、そうした暗い身の上も、人間椅子の楽曲に反映されてきたのだった。そして、アルコール依存に近い状態まで酒浸りになっていたのが当時だった。
しかし和嶋氏の中で、「せめて美しく生きたい」という言葉とともに、表現の軸、さらには人生の軸となるような感覚を掴んだ、と当時のコラムにも書かれている。
目に見える変化と言う意味では、2008~2009年の間に起きていたように思う。2008年の人間椅子はリリースもなく、まだ明かりは見えていなかった。
それが2009年になると、20周年記念のベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』の発売、さらに15thアルバム『未来浪漫派』のリリースと活発な活動となった。
とりわけ人間椅子のバンド生活20年と言う節目は、大きな意味があった。凄いバンドなのに、なかなか褒めてもらえる機会のない人間椅子だったが、当時関係者から賛辞が寄せられた。
「人間椅子って凄いんだ」というムードが20周年の節目で少しずつ出始めたように思う。それに伴ってライブの動員数も増え始めたのだった。
そしてベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』も、奇をてらった内容ではなく、歴代の代表曲をリリース順に並べ、デビュー曲「陰獣」を再録すると言う記念すべき出来事もあった。
20周年というタイミングが強力な後押しとなり、世の中に人間椅子の音楽をしっかり伝えよう、という意識がこの年辺りから出始めたのだ。
そして15thアルバム『未来浪漫派』は、これまでベース・ボーカル鈴木研一氏がどちらかと言えば目立っていた状態から、完全に和嶋氏がリードしていく作風になった。
和嶋氏の覚醒ぶりが窺える、溌溂とした雰囲気がアルバムには感じられる。最後に配置された「深淵」は、ヘヴィな楽曲だが、和嶋氏の覚醒の喜びに溢れている。
”再ブレイク”となるのはもう数年後の話だが、その起点を考えれば、この時期だったと言えるだろう。
2012年~2013年:掴んだ大舞台 – Ozzfest Japan 2013への大抜擢
人間椅子の歴史を語る上でも、重要な出来事がこの時期に起きている。それが2013年に開催されたOzzfest Japan 2013への大抜擢である。
ずっと憧れてきたBlack Sabbathと同じステージに立てるだけでなく、人間椅子の音楽を多くの人に知ってもらう大チャンスだったのである。
思い返してみると、何か予兆があったのかと言えば、大きく思い当たるものは実はない。前年の2012年までのことを少し振り返ってみよう。
和嶋氏の覚醒以降、以前よりは明らかにバンドは活発になった。2010年には自身初となるライブアルバム『疾風怒濤〜人間椅子ライブ!ライブ!!』をリリースした。
このライブ盤リリースにはもう1つ意味があり、ライブの”定番曲”がはっきりしなかった人間椅子だが、ライブ盤収録のため、2009年のベスト盤リリース以降、演奏する曲目を絞ってライブに臨んでいた。
曲を”絞る”意識があったかは不明だが、しっかり練習して、やり込んだ楽曲を確実にライブで届ける、というモードになっていたのは事実だったように思う。
そして2011年には16thアルバム『此岸礼讃』をリリース。
和嶋氏がリードする路線は変わらず、「この世を肯定する」と言う意味のタイトルは、「人間失格」「暗い日曜日」を歌っていたのと同じ人たちとは思えない。
ただこのアルバムも前向きな作品ではあったが、和嶋氏の実験的な作風もあり、まだ現在ほどの分かりやすさはなく、マニアックさも残した作品だったと言える。
当時のライブは、東京公演が渋谷のO-WESTで2日間行われることが多く、そのうち休日はソールドアウトするなど、着実に動員は増えていたのだった。
振り返ってみると、”着実に”勢いを増してはいたものの、”弾ける”ような出来事はなかった。そして2012年はまるで”嵐の前の静けさ”のようだったと記憶している。
ライブツアーも「此岸御詠歌」1本であり、内容も『此岸礼讃』ツアーの続編的な位置づけであった。上向いては来たものの、果たしてこれからどこに向かっていくのだろう、という宙に浮いた感もあった。
しかし2013年の3月に事態は一気に変わる。Ozzfest Japan 2013への出演が突如決定されたのである。
5月のイベントだったから、既に主要な出演者は発表されており、鈴木氏はBlack Sabbathの来日を見ようとチケットを買っていたのだと言う。
ライブ当日の思い出はこちらを見ていただくとして、Black SabbathやToolが出演するイベントで、ヘヴィメタルファン、ちょっと特徴のあるヘヴィロックファンに人間椅子を知ってもらう機会となった。
大観衆が人間椅子の演奏を見ている、そして人間椅子コールが起きていたのである。「相剋の家」「死神の饗宴」と言う流れで泣いたのは、後にも先にもこの時だけだったであろう。
低迷期からファンだった筆者としては、「大舞台で人間椅子のライブを」と言う悲願が実った瞬間だった。
そしてこのライブで人間椅子が得たものは計り知れない。単に新たなファンだけでなく、これからの人間椅子の方向性を決めるものだったのではなかろうか。
Ozzfest Japan 2013出演前は、新作のレコーディングを控えていた時期だったと聞くが、それは17thアルバム『萬燈籠』としてリリースされた。
しかしもしOzzfest Japan 2013に出演していなかったら、この作品はこれほどパワフルだったのだろうか。そして2012年のあの宙に浮いた感じから、次なる人間椅子の展開はどうなっていたのだろうか。
”もし”という言葉はないのだが、Ozzfest Japan 2013に出ていなかったら、全く違った未来になっていたのだろうと思う。
2015年~2016年:オズフェス旋風の終了~人間椅子再ブレイク安定期
2013年のOzzfest Japan 2013への出演は、人間椅子の知名度を大きく押し上げるとともに、人間椅子の楽曲・ライブのモードが明らかに変わった。
それはかつてないほどに、前向きであり、さらに言えば攻撃的なモードとも言える状態だった。
この時期にリリースした17thアルバム『萬燈籠』、18thアルバム『無頼豊饒』の2作品を聴くだけでも、その攻撃的なモードが窺える。
評論家からは「メタル」と言われるほどに、ヘヴィなサウンドかつアグレッシブなリフと展開は、これまでの人間椅子のじっとり・どんよりモードとは明らかに異なる。
和嶋氏の覚醒ぶりは、溌溂とした爽やかな曲調から、ヘヴィメタルの初期衝動へと移行した感覚がある。「なまはげ」という曲ができた時、人間椅子の怪奇性とメタルが融合したと感じたものだ。
当時のライブを振り返っても、かつてないほど若い男性が増えた印象である。そのせいか、立ち見のライブでは、モッシュに近い押し合いが行われて、やや困惑さえした記憶がある。
「人間椅子って、腕を組みながらじっくり聴く音楽じゃなかったっけ?」と、時代の移り変わりをまざまざと感じたものだった。
人間椅子の知名度がうなぎ上りであるのは嬉しい半面、どこかせわしない印象もあったのがこの時期だ。この”オズフェス旋風”ともいえる状況の終わりはどの辺りだったのだろうか。
筆者としては1つの区切りとして、2015年の2度目のOzzfest Japanへの出演だったのではないか、と思える。筆者は2015年の方には参加していないが、既に1度目とは大きく状況が異なっている。
人間椅子は知名度を上げ、活動25年を超えて”再ブレイク”したバンドとなっていた。
人間椅子への”目新しさ”は次第に薄れ、2013年のOzzfest Japanで知った人も、少しずつ人間椅子に詳しくなり始めていた頃だろう。
そんな空気感を覚ったのか、2016年には19thアルバム『怪談 そして死とエロス』という、人間椅子の”原点回帰”とも言える、怪奇的な世界観を前面に押し出した作品がリリースされた。
「雪女」「マダム・エドワルダ」など、怪談や小説のタイトルから着想を得るという手法も、やや久しぶりな印象さえある。
そして音楽的にもヘヴィメタルに寄った作風から、再び楽曲のバリエーションも増え始めたのがこの頃である。
さらにはライブのセットリストにも変化があった。遡ること2009年頃、20周年のベストアルバムがリリースされた辺りから、人間椅子は”定番曲”を模索し、それを確立させてきた歴史がある。
2度のOzzfest Japanの出演を経て、十分に新規ファンの開拓は行えたためか、2016年頃から徐々にレア曲が解禁され始めた印象である。
2016年で印象的なライブと言えば、後にライブアルバム『威風堂々〜人間椅子ライブ!!』に映像が収録された、「地獄の道化師」ツアーであり、そのセットリストである。
「芳一受難」「雪女」など当時の最新ナンバーを中核に起きつつ、「天体嗜好症」「東京ボンデージ」「愛の言葉を数えよう」など絶妙にレアな楽曲も散りばめられている。
昔からのファンの間では、「もっといろんな曲を聴きたい」と言う要望はあったと思うが、再ブレイクの安定期に入り、ようやく機が熟したといった状況だった。
この時期も大きな変化と言うほどではないが、”オズフェス旋風”とも言える短期的な熱狂から、上手くファンを掴んでいく過程として重要な時期だったように思われた。
2018年~2019年:安定期~まさかの”バズり”から世界進出のきっかけ
2016年の19th『怪談 そして死とエロス』以降、人間椅子の再ブレイクは安定期に入った印象があり、その活躍は非常に充実したものだったように思われる。
2017年には2016年に行われた複数ツアーの中から選りすぐられたライブ音源を収録したライブアルバム『威風堂々〜人間椅子ライブ!!』がリリースされた。
前回の2010年より録音環境は格段に向上し、また複数ツアーから選曲したことで、曲目の充実、クオリティも充実のアルバムとなった。
また2017年は20thアルバム『異次元からの咆哮』もリリースされ、作品的に充実した1年となった。
ライブの本数も多く、ワンマンだけでなく、対バン・イベントなどにも積極的に出演し、まさに“売れっ子”状態の1年だった。
こうした充実した状態から、次のステップに進んだのが、2018〜2019年の時期だったように思う。2018〜2019年の動きを見ると、また“嵐の前の静けさ”から大躍進というパターンにも見える。
実際のところ、2018年というとリリースはこれまでのMVを集めた『おどろ曼荼羅~ミュージックビデオ集~』のみであり、2017年までに比べると緩やかな1年だった。
非常に充実した状態ではありつつ、国内での活動の展開としては2017年までで飽和状態にもあったのかもしれない。
そんな折に2019年はバンド生活30周年の節目である。2018年のツアー「恩讐の彼方」のファイナルでは、和嶋氏は「かつて聴いたことのない恐ろしいアルバムを作ります」と宣言したのが印象的だった。
この時、再び和嶋氏のスイッチが入ったのだろうか。2018年の後半からじっくりと作曲期間が設けられ、2019年には新作リリースが予定されていた。
6月のアルバム発売に先立って、リードトラック「無情のスキャット」のMVが5月にYouTubeで公開された。アルバム発売前に、ここまで作業が進んでいることも、力を入れていたことが窺える。
ご存知の通り、この曲がかなり速いスピードで再生回数が増えていった。昔からのファンの間では、それほど目新しい曲のようには、当初は思えなかった人も多かったのではなかろうか。
なぜこの曲がそれほど再生されているのか、最初は分からなかったのである。しかしまずその再生回数の多さが、国内だけでなく海外でも増えている、と言う事実が明らかにされていった。
いわゆる”リアクション動画”と呼ばれる、楽曲を聴きながら、発信者が表情や身振り手振りも交えてコメントを入れていく動画が、「無情のスキャット」でいくつも投稿された。
このリアクション動画をきっかけに、国外に一気に広がり、”バズる”という急速な拡散が行われたのだった。
かつてYouTubeの台頭で知名度を上げた人間椅子だが、またしても最新のやり方で国外までその名を広めることになったのである。
そしてアルバムという形態でリリースしてきた人間椅子だが、1曲でバズるという現代的なあり方に上手くはまった形である。
どこまでシングルヒット的な意識があったのか分からないが、人間椅子にとってさらに躍進するきっかけとなり、2020年に初の海外進出に繋がったことも記憶に新しい。
なぜ「無情のスキャット」がここまで拡散されることになったのか、その要因を探ることは難しい。筆者は楽曲から分析を試みた記事を作ったが、それだけではない何かがあるようにも思える。
その1つには、ナカジマ氏が加入してからの人間椅子の歴史の総決算だったのではないか、ということがある。9分を超える大作には、人間椅子が積み上げてきたものが凝縮されている。
「無情のスキャット」を聴けば、人間椅子はこういうバンドだ、という名刺代わりになるものだ。
「無情のスキャット」が評価されたということは、人間椅子のこれまでの歩みが評価されたのと同じではないかと思える。
まとめ
今回の記事では、人間椅子にナカジマノブが加入してからの約20年を、5つの変化時期に注目して振り返った。
こうして振り返ると、ずっと右肩上がりで人間椅子の音楽を知る人が増え、活動が広がってきたように思える。
ナカジマ氏が加入した時の人間椅子は15周年であり、既に中堅~ベテランバンドになりつつあった。”緩やかな低空飛行”していたバンドだったが、ここから緩やかに昇り始めたのだ。
ナカジマ氏が加入してからの人間椅子において、悲しかった出来事というのは実はほとんど思い浮かばない。それはやはりナカジマ氏という明るいキャラクターが加わったことが大きいように思える。
そして長く続けるにあたり、実は同じことを続けるだけでなく、随所に”チャレンジ”があったことも今回振り返ってよく分かった。続けるためにこそ、変化が必要なのだろう。
人間椅子は70年代ハードロックを日本的に解釈した、国内でも限りなく少ないタイプのバンドである。そのバンドが緩やかに上昇を続けて35周年を迎えようとしていることは奇跡と言って良いだろう。
まだまだその奇跡は継続中である。ぜひ人間椅子の今この瞬間を目に焼き付けていきたい。
<人間椅子を知るためのおすすめアイテム>
・『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト』(2019)
30周年を記念したオールタイムベスト、「無情のスキャット」も収録。
・『椅子の中から 人間椅子30周年記念完全読本』(2019)
人間椅子を知るためのヒストリー本、レアな写真やメンバーによるアルバム全作解説など必見の内容。
・『映画 人間椅子 バンド生活三十年』(2021)
30周年ツアーファイナルの中野サンプラザ公演の映像を中心に、人間椅子の今を感じられる映像作品。
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