【THEイナズマ戦隊】「応援歌」という名曲は誰に向けた歌なのか? – その後のバンドへの影響と変化

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1つの名曲に焦点を当てて紹介する「自部屋に流れるあの歌」のコーナーをひっそりと続けている。今回はvol.4として、THEイナズマ戦隊の「応援歌」を取り上げたい。

「応援歌」はTHEイナズマ戦隊の初期からの代表曲であり、知る人ぞ知る名曲として存在する。

大ヒットした楽曲ではないが、2009年にテレビ番組「誰も知らない泣ける歌」で取り上げられたのを記憶している人もいるかもしれない。

今回はTHEイナズマ戦隊の「応援歌」の魅力に迫るとともに、この曲がもたらしたバンドにとっての意味についても考えてみようと思う。

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「応援歌」とはどんな曲なのか?

さっそくTHEイナズマ戦隊の「応援歌」とはどんな曲なのか、その概要から魅力に至るまで解説していこう。

楽曲の概要

  • 作詞:上中丈弥、作曲:THEイナズマ戦隊
  • 発売日:2003年6月25日
  • 収録作品:2ndシングル『応援歌』(2003)など

THEイナズマ戦隊の「応援歌」は、2003年に彼らの2ndシングルとしてリリースされた楽曲である。

ただし、インディーズ時代からライブでは演奏されていた楽曲のようで、初出は自主製作盤『応援歌』であると言われている。

ライブの終盤で演奏されることが多く、CD化が望まれていた作品だったそうである。2003年に2ndシングルとしてリリース後、アルバムなどで何度も収録されている(後述)。

長くファンの間で知られる名曲だったが、日本テレビ系『誰も知らない泣ける歌』の2009年3月31日分で「応援歌」が取り上げられた。

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番組にTHEイナズマ戦隊のメンバーも出演し、「応援歌」を披露した。

当時は番組出演で「応援歌」が再注目され、ニューバージョンとして配信された「応援歌 ~友へ~」は、3月31日付のレコチョクロックうたデイリーランキングでは1位を獲得している。

またレコチョク着うたフルロックジャンルデイリーランキングでも3位、オリジナル「応援歌」も同ランキングで2位を獲得した。

メジャーデビュー前からのレパートリーだったこの曲は、今でも彼らの代表曲として歌い継がれている。

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「応援歌」の魅力 – ”心臓直結”サウンドと泣ける歌詞の内容とは?

「応援歌」とはどんな楽曲で、どんな魅力があるのだろうか?

まず聴いていただければ分かる通り、とにかく”熱い”楽曲である。言葉にせずとも、その熱量や漲るパワーがダイレクトに伝わってくるような楽曲である。

「ソーレ」という掛け声、激しいギターサウンド、そしてサビのシンガロングなど、粗削りながらも胸を打つサウンドと歌唱である。

こうしたTHEイナズマ戦隊の音楽性は、当時は”心臓直結系”と呼ばれて(自称して)いた。文字通り、心臓にそのまま届くような、力強さ・熱量を持った音楽性であった。

こうしたTHEイナズマ戦隊の音楽性は、2000年代前半に勃興した”青春パンク”と呼ばれるムーブメントと一時期リンクしていたように思われる。

そしてシンプルな構成で、思わず泣けるようなメロディ、そしてボーカル上中丈弥氏の歌唱である。ここで歌われている内容もまたグッとくるものである。

この曲は、男同士の友情を歌った内容だ。具体的には、一度挫折を経験した後に、再びボクサーとして立ち上がろうとした上中氏の親友に向けて作られた楽曲である。

一緒に高校時代には野球部として上中氏と過ごした親友は、ケガによって一度は道を外れてしまう。しかしボクサーになると宣言した彼を見て、上中氏は「応援歌」を作ったと言う。

このエピソードが青春そのものであり、リアルな体験がそのまま歌になっていると言えるだろう。そして「がんばれ」という言葉とともに、「俺がそばで見ててやるから」という歌詞がとても良い。

”応援”には様々な形があるだろう。そこにどんな思いを込め、どんな行動をとるのか、その人柄が表れる。

この「応援歌」には誰かを本気で応援したい、と言う情熱が込められている。そして「そばで見ててやるから」という、ある種の覚悟とも言える本気さが伝わってくるのだ。

ここまで言ってもらえる親友も幸せであるし、ここまで応援したいと思える人がいる上中氏もまた幸せであるように思える。

誰かのためでもあり、自分のためでもある「応援」ということの本質を突いた歌詞と、それを体現した音楽に、胸を打たれるのではないか、と思う。

収録作品・リリースの変遷

ここでは「応援歌」が聴ける作品を一覧にして示した。順番はリリース順であり、ライブ音源は除いている。

2ndシングル『応援歌』

  • 発売日:2003年6月25日
  • レーベル:ワーナーミュージック・ジャパン

全国流通盤としては初のリリース。”心臓直結系”かつ男臭い楽曲が並ぶ名シングル。

1stアルバム『勝手にロックンロール』

  • 発売日:2003年10月16日
  • レーベル:ワーナーミュージック・ジャパン

記念すべき1stアルバム。心臓直結系サウンドから男臭いロックンロールバンドへの変化が垣間見える作品。

2ndアルバム『馬鹿者よ大志を抱け』

  • 発売日:2004年10月20日
  • レーベル:ワーナーミュージック・ジャパン

「応援歌」はボーナストラックとして再び収録。1stからさらにメロディ重視の作品となった名盤。

コンセプトアルバム『俺たちの応援歌』

  • 発売日:2009年2月4日
  • レーベル:日本クラウン

「応援歌」がコンセプトのベスト的なアルバム。2ndシングルから「なぁ次郎」や新曲「各駅停車」なども収録。

13thシングル『恋のドッキドキ大作戦』

  • 発売日:2009年4月22日
  • レーベル:日本クラウン

LINDBERGの渡瀬マキ氏が歌唱で参加した「恋のドッキドキ大作戦」。カップリングにニューバージョンとなった「応援歌 〜友へ〜」を収録。

「応援歌 〜友へ〜」は本シングルのみで聴くことができる。

ベストアルバム『シングルコレクション』

  • 発売日:2012年2月8日
  • レーベル:日本クラウン

デビューから「擦り傷」までのシングルを年代順に並べたベストアルバム。「応援歌」はオリジナルバージョンを収録。

12thアルバム『LIVE GOES ON!』

  • 発売日:2017年5月3日
  • レーベル:日本クラウン

新曲5曲とライブの定番曲10曲を詰め込んだアルバム。「応援歌」は「応援歌 -20th anniversary ver.-」として再録され、キーが1音下げられている。

近年のライブではこのバージョンに近い形で演奏される。

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「応援歌」がバンドに与えた影響とその後

「応援歌」はTHEイナズマ戦隊にとって、重要な楽曲である。それゆえに、強力な1曲があるとそれに引っ張られるのもミュージシャンの性と言うものである。

ここからは「応援歌」がリリースされた後、イナ戦が「応援歌」からどのような影響を受け、どのように変化していったのか、筆者からの視点で考察してみたい。

バンドの音楽性の変化と「応援歌」という”縛り”

最初の「楽曲の概要」で書いたように、「応援歌」はインディーズ時代から演奏されていた、かなり古いレパートリーだったようである。

インディーズ時代のイナ戦と言えば、かなり粗削りのサウンドで、”心臓直結系”と自称するような音楽性である。その代表作の1つが「応援歌」ということになろう。

広く見れば”青春パンク”の範疇にあったことも書いたが、この当時のイナ戦の音楽性は”ごった煮”状態だったとも言える。

確かに青春パンク的な疾走感のある曲も多いが、例えば2002年のミニアルバム『THEイナズマ戦隊』収録の「銀座通り」などは、後のロックンロール的サウンドの原型がある。

言ってしまえば、音楽的にはまだ成熟していない段階に作られた「応援歌」は、未成熟ゆえの粗削りの良さがあったが、バンドとしてはシングルとしてリリースした2003年当時、変化を始めていた。

2003年にリリースされた1stアルバム『勝手にロックンロール』では、もう”青春パンク”の音楽性からは脱し、敬愛するウルフルズを感じさせるロックンロールの作品に仕上がっている。

実際に、歌詞の中でも「ロックンロール」へのこだわりが窺えるもので、音楽的にもっと個性を出していきたい、という叫びのようにも感じられる。

続く2004年の2ndアルバム『馬鹿者よ大志を抱け』では、ロックンロールに加え、よりメロディアスな方向に変化を遂げ、ストレートで良いメロディが売りになり始めている。

一方でボーナストラックとして再び「応援歌」が収録されている辺り、ようやく「応援歌」が認知され、新たなファンもこの曲を求めていることを示しているとも言える。

そしてレコード会社を日本クラウンに移してからは、さらにメロディ志向、そして自分たちなりのロックンロールの模索が続いていくこととなる。

バンド的にはレコード会社が力を入れてくれたこともあり、2000年代後半にはチャートにランクインし、ライブもソールドアウトになるなど、活躍の場を広げていくこととなる。

一方で音楽的にはより高みを目指そうと言う色が徐々に強まっていったように思える。

特に2008年の5thアルバム『どうにもこうにも俺MHz』以降、やや複雑なギターリフや、凝った展開など、これまでのイナ戦にはなかった要素が見られるようになった。

筆者の推測にはなるが、この時期には、若い頃の粗削りのイナ戦から脱皮したい、という思いが強かったのではないか、と思われる。

その一方、ファンがイメージするのは「応援歌」のような武骨な青春パンクであり、そのイメージの乖離が起きてしまったように思える。

実際のところ、上中氏のインタビューでは2010年頃(33歳頃)には、どこに向かっているのか分からなくなっていた、と語っている。

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しかし2009年には「誰も知らない泣ける歌」で「応援歌」が取り上げられ、やはり「応援歌」の力は強烈であることも、改めて思い知らされたことだろう。

「応援歌」はイナ戦の1つのイメージを作った楽曲ではあるが、10代~20代の若き日の青春を切り取り、またその当時の粗削りな音楽性で作った楽曲でもある。

当然、大人になり、音楽的にも探究を進めていけば、「応援歌」との距離は遠くなってしまう。しかしスピリットはその当時のままでいたいが、やっている音楽は変わっていく。

「応援歌」はイナ戦にとっての大事な1曲であると同時に、どうしても比較される対象として、”縛り”にもなっていたのではないか、と思われる。

等身大の音楽 – 「33歳」がもたらしたもの

(本当にあったのかは分からないが)「応援歌」の呪縛、若き日のイナ戦の音楽性からの呪縛から逃れようと、イナ戦はこれまでと違う音楽を模索していたように、筆者には見えた。

そうした模索の時期として、2010年代前半頃のイナ戦は最も苦労していた時期だったのかもしれない。しかしそんな時期が永遠に続くことも、もちろんないのだ。

イナ戦が吹っ切れたように思えたのは、「33歳」と言う楽曲を聴いた時だった。2016年の11thアルバム『GALAPAGOS』に収録された楽曲である。

「33歳」は若くして亡くなった上中氏の父親に向けて作った楽曲である。この曲は上中氏が33歳の時(2011年頃)に、仕事机に置いてあった父親の写真も33歳だったのだと言う。

33歳の当時にこの曲を作り上げたそうだが、上中氏としては「応援歌」のような「がんばろうぜ」と歌っていたバンドが、こうした亡き父への思いを歌うことには抵抗があったようで封印していたと言う。

そして上中氏が38歳(父親が亡くなったのと同い年)になった時に、ようやくアルバムに収められたのだった。

しかし筆者としては、この「33歳」で、年を重ねたイナ戦が吹っ切れて、「応援歌」の路線を引き継ぐ楽曲を世に出せたのではないか、と感じた。

考えてみれば、「応援歌」も非常にプライベートな上中氏の関係の中で生まれた楽曲であり、「33歳」もまた上中氏のプライベートな体験と結び付くものである。

父親と言う対象が、よりプライベートな要素を増している感はあるものの、”等身大の”楽曲を歌う、という意味で、「応援歌」の路線を引き継いだ楽曲と言えるのではないか。

ここにきて、ようやくイナ戦が表現したかったものを、年を重ねて音楽的にも成熟したバンドが、丁寧に表現できたと筆者は感じた。

これ以降のイナ戦は、扱うテーマが結婚や出産など、ライフステージを移行させながら、等身大のロックンロールを歌うバンドへと変化していった。

歌う内容は変化したが、その音楽性は決して変わっていないように思える。

まとめ – THEイナズマ戦隊の3つの魅力

今回はTHEイナズマ戦隊の初期からの代表曲「応援歌」の紹介、そしてバンドに与えた影響についても考察を試みた。

「応援歌」は紛れもなく名曲であるが、一方であまりに力強い楽曲が1つバンドの中にあると、良くも悪くもそれに引っ張られてしまう側面がある。

しかも最も初期から存在する楽曲となると、さらに思い入れが強まり、呪縛のようになってしまうことさえあるのだ。

ただイナ戦は、筆者が思うに「33歳」を世に出せたところから、「応援歌」の呪縛からは解かれているように思える。30代後半になって、新たな”等身大の”楽曲を世に出せたからである。

さて、筆者が考えるTHEイナズマ戦隊の3つの魅力がある。それは熱いロックンロール・ストレートで良いメロディ・等身大の歌詞の3つだ。

イナ戦はこの3つが上手く組み合わされば、最強の楽曲が生み出せる。しかし言うは易く行うは難し、と言うもので、そのバランス感覚は実際には難しいところだろう。

「応援歌」は、この3つの要素を、20代の感覚で粗削りながら表現できた楽曲だったということだろう。そしてこの3要素を、年齢を重ねつつ体現していければ、イナ戦の音楽は輝くように思う。

バンドメンバーも40代半ばに差し掛かり、シングル『月に吠えろ』でデビューして今年で20年である。

いよいよベテランの領域に入ったように思うが、2020年リリースのアルバム『世明けのうた』は、変わらぬロックンロールと等身大のテーマを感じさせる良作だった。

今後、どんな音楽を世に送り出してくれるのか、非常に楽しみである。

THEイナズマ戦隊の名盤紹介

・4thアルバム『熱血商店街』(2007)

パワフルさと良質なメロディのバランスが抜群の名盤。

・7thアルバム『未来の地図』(2010)

大人になったイナ戦の良いメロディが詰まった力作。

・10thアルバム『17』(2014)

活動開始から17(イナ)年を記念した爽快感のあるアルバム。

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