【ライブレポート】2024年11月25日(月)Nala Sinephro めぐろパーシモンホール 大ホール

スポンサーリンク
その他アーティスト

Nala Sinephroという女性ミュージシャンのコンサートに行ってきた。

筆者が行くのはだいたいロックコンサートであり、ジャズやアンビエントに括られることの多い彼女のコンサートはかなり特異な体験だった。

そして音源とはまた違う魅力を感じた彼女のコンサートについて何か書き残しておきたいと思った。

しかしジャンルにも、ミュージシャン情報的にも全く詳しくないため、当日あの場所にいて感じたことを中心に書くことにする。

また1曲ずつ追いかける、いつものライブレポートスタイルは成り立たないので、現場での感想を述べることを中心に据えた。

スポンサーリンク

ライブレポート:Nala Sinephro めぐろパーシモンホール 大ホール

Nala Sinephroというミュージシャンについて少し紹介しておこう。

カリブ系ベルギー人の作曲家・ミュージシャンである彼女はハープやモジュラーシンセを操り、アンビエントやジャズなどを自在に演奏する。

2021年にリリースされた1stアルバム『Space 1.8』が高い評価を得ており、筆者も非常に気に入って聴いていた。

ロンドンを拠点に活動しており、UKジャズシーンの第一線のミュージシャンが多数参加していることでも話題になった。

そして2024年に3年ぶりとなるフルアルバム『Endlessness』をリリース。1度キャンセルとなっていた来日公演がついに実現したのだった。

彼女の音楽は「アンビエント・ジャズ」と称されることが多いようだが、ご本人はあまり好意的には受け入れていないようだ。

Nala Sinephro | ele-king
Nala Sinephroナラ・シネフロの奏でるジャズはアンビエントとしての魅力も放っている──最新作『Endlessn...

確かにジャズっぽいサウンドやフレーズがあり、シンセのサウンドはアンビエントの雰囲気がある。

しかし単純にその2つのジャンルによって包含される領域が好きな音楽ファンだけではない、幅広いファン層に支持されているような感じがする。

現にこれらのジャンルにあまり詳しくない筆者も惹かれる奥深さがあると思っている。

さて話を来日公演に移して、今回の会場はめぐろパーシモンホール、大ホールである。1,200席分のチケットは売り切れ、筆者はかなり売り切れ間際に買ったので2階の最後列だった。

日本の音楽のメインストリームからすればかなりマニアックなジャンルで、果たしてどこに住んでいる人たちなのだろうと、おそらくお互いに思っていたに違いない。

なおNala Sinephro氏が演奏するであろうこと以外は、何の情報もなかったように思われ、バンドメンバーであるとか、どんな楽曲を披露するか、など全く事前知識なしにライブに臨んだ。

開演前に何度も(そして前日にメールも)アナウンスがあったが、開演後は出入りを控えてもらいたいというミュージシャン側の意向が伝えられた。

開演前から照明は暗めになっており、事前の告知と併せて、とても演奏する空間の雰囲気を大切にするミュージシャンであることが窺えた。

(事前アナウンスも虚しく)開演時刻になっても席を探している人が何人もいるため、人の移動が落ち着いてから、19時を少し過ぎた時刻に場内が暗転した。

非常に簡素なステージに4人のメンバーが登場した。

詳しい人の情報によると、Nala Sinephro氏以外は、ドラムはEdward Wakili-Hick、シンセベースがDwayne Kilvington、サックスがJames Mollison(Ezra Collective)だったそうである。

※こちらの方の投稿を参考にした。

場内の照明は全て消され、ステージ上にほのかな灯りのライトが6台置かれており、かなり幻想的な空間になっている。

彼女のハープのみから演奏がスタート。美しくも、時に音が割れるような激しさで弾かれるハープの音だけが会場に響き渡る。

ハープの演奏が続いて行く途中で、自然にバンド演奏が加わっていく。即興性がありながら、彼女の合図によって緩やかに構成が組み立てられている様子である。

途中から彼女はハープからモジュラーシンセへと移動、リフっぽいフレーズのトーンを変化させたり、速度を変えたりしながら、そこにドラムや他の楽器が乗っかっていく。

途中にはかなりグルーブのある演奏になって、徐々にそれが解かれながら、また静寂の中に帰っていく。

※撮影は可のようだったので、グルーブ感のある場面での演奏の様子を動画で撮影した。

アルバムの音源のような区切り方ではないが、『Endlessness』の「Continuum5」~「Continuum7」に登場するシンセのフレーズを軸に、即興性も混ぜた演奏が展開されていく。

いったいどれくらいの間、演奏したのか時間の感覚を忘れるようだ。Nala Sinephro氏がシンセの音を絞って、ついに1つの曲と言うか演奏が終わった。

時計を見ると、1時間くらい演奏されていたようである。

わずかなブレイクを挟み、再び彼女のハープの演奏が披露される。やはり細かく演奏を区切っていくのではなく、長時間で1つの世界観を作っていくライブのようである。

前半との違いを挙げれば、ハープとバンド演奏の時間もやや長めであり、モジュラーシンセに移行してからは、前半よりドローン的要素の強い演奏もみられた。

音源からは静かな印象もあったが、モジュラーシンセの音はかなり爆音になる時もあり、ライブでこそ味わえる彼女らの音を体感できた。

後半ではサックスやドラムの見どころも多く、フリージャズ的な側面が強い演奏となっていた。ドラムはかなり手数の多い場面もあり、アグレッシブな演奏であった。

それにしてもモジュラーシンセの繰り返しを聴いていると、心地好さに眠気が襲ってくる。どうやら隣に座っている人もウトウトしているようであった。

ハープの演奏時には眠気が来ないのだが、どうも機械的な繰り返しで眠気が襲ってくる。生楽器と電子楽器を組み合わせながら、実に様々なメンタル・フィジカルへの影響も感じさせるものだった。

後半も彼女のモジュラーシンセの音が消え入るまで演奏が続けられ、演奏が終わったところで、場内の照明がつけられた。

終演後に唯一のMCが行われ、万雷の拍手が送られた。MCになるとごく普通の女性になり、異空間から現実世界に一気に戻ってきたのを実感するようだった。

ラストは4人のメンバーが並んで客席にお礼の意を込めて礼をし、にこやかな表情で舞台から去って行った。

演奏時間はおよそ2時間弱、ブレイクが1回あったことを考えれば2曲披露されたと言える。しかし曲に分けて考えると言うよりは、音を紡いで2時間演奏された、と言う方が自然な感じがした。

終演後のロビーにいた人たちは、誰しも凄いものを観たと言う感動に包まれていたように筆者には感じられた。

スポンサーリンク

ライブ全体の感想

今回のNala Sinephro氏のライブは、筆者にとっても特別な音楽体験となった。

通常のライブレポートのように1曲ずつコメントを述べていくようなスタイルもできないし、もっと言えばライブ自体を言葉で語ることも難しいような内容だったとも言える。

ライブを通じて感じたこと、あるいは気づきのようなものを、興奮とともに書き残しておこうという趣旨で書いた。あの現場に居合わせた人に、何となく伝わっていただければ幸いである。

音源とは異なるライブとしての音楽的表現

本公演は2ndアルバム『Endlessness』リリースを記念しての来日、というようなメディア的な謳い文句はあったが、それを全く意に介さないコンサートだった。

もちろんそれは音源を重視しないと言う意味ではなく、音源とライブとはリンクしつつも、別の音楽体験をもたらすものであることを、改めて実感したのだった。

2時間弱の演奏時間の中で、演奏が途切れたのが1回だけ、およそ1時間ずつの計2曲と言う形のライブだった。

どんな編成でどんな曲目が演奏されるのかも全く分からない状況でのライブだったこともあって、筆者は度肝を抜かれたライブだった。

しかし考えてみれば、ライブだからと言って音源を再現する必要もなく、むしろライブだからこそ体験できる音楽・演奏こそ大事なものなのかもしれない。

改めてライブの良さとは、2時間であれば、その時間ずっと音楽だけに集中できる貴重な体験にある。昨今は常にネットと繋がった生活で、なかなか2時間の間、何かに没頭するのが難しくなっている。

また”タイパ”という言葉に象徴されるように、効率的に時間を過ごす風潮は、ますます芸術を体験する時間とは真逆の方向に行っているようにも思える。

そう言った意味で、芸術・音楽を体験すると言う意味で、もっとも正当な、と言うか、実りある幸せな音楽体験だったと感じたのだった。

”いまここ”に流れる音が紡ぎ出す緻密で自由な音楽

音楽的なことを少し述べれば、ライブでの演奏は緻密であり、それでいて自由な演奏だったように思える。

Nala Sinephro氏のハープ、モジュラーシンセの音とフレーズが軸になり、そこにシンセベースとドラムがビートを生み出し、サックスが絡み合い、音の空間が生まれる。

それは1つの音、フレーズが軸になって常に”いまここ”にある音が次の瞬間を生み出し、ビートが生まれ、また消えて、という輪廻のようなものに思えた。

2nd『Endlessness』のテーマ性をライブに落とし込むと、まさに今回のような演奏になるのだろう。

それにしても、どこまでが即興であり、どこまでが構築されたものなのか、このジャンルに詳しくない筆者にとっては分からなかった。

アルバム音源に登場するフレーズもあったので、必ず構築された部分が存在するはずではあるものの、時折彼女が他のメンバーに合図をする場面があり、その時の匙加減と言う要素もあった。

その緊張感と、一方でトリップするような心地よさとが、緻密でありながら自由で豊かな演奏に裏付けられていたのは確かであると感じたのだった。

音と向き合う聴き手の精神も重要な瞑想的空間

Nala Sinephro氏の音楽は瞑想的な要素がある、と言われたりする。最後に、彼女の音楽と向き合うリスナーの精神的な要素も重要である、という点にも触れておきたい。

事前に注意事項が述べられたことに象徴されるように、あの空間は外部とは異空間であり、あそこにいた人たちだけで作り上げる繊細な空間だったのである。

照明を極限まで落とし、ステージ上に設置されたほのかなライトのみで演奏される空間づくりからして、物凄いこだわりを感じた。

しかし、あれだけ注意されても外に出る人が意外に多かったのは、単に不届き者が多かった、と言うだけでは片づけられない何かがありそうに思えた。

それは彼女たちが出す圧倒的な音、そしてその周波数に対峙できるだけの聴き手のメンタル・フィジカルのようなものが必要な現場だったような気がする。

何か正しい精神性があると言うのではなく、彼女たちの紡ぎ出す音に周波数の合う人しか向き合えなかったのではなかろうか。

だからこそ、何かが合わなかった人は落ち着きを失い、”意図せず”立ち上がってしまったのではないか、とさえ思えたのである。

もちろんそれはどんな音楽であっても同じことではある。しかしあそこまで繊細に紡がれる音だからこそ、よりシビアであったのは事実だったように思える。

本公演はロックのコンサートのように、叫んだり動いたりという目に見える行為による参加は求められていない。

ただ私たち自身の精神を音に集中すると言う意味での参加が求められる要素の強いコンサートだったと言える。

だからこそ”外に出ない”というのは注意事項と言うよりも、音に向き合える精神状態であった証として、外に出ないと言う結果があったという意味だったように思える。

このようにNala Sinephro氏の音楽・演奏は、ライブならではの緻密で自由な、とても幸福な体験になっていた、と締めくくりたいと思う。

サブスクではなく音源を手元に置いておきたい切実な理由 – サブスク・音源を聴くイメージの違いから考える

コメント

タイトルとURLをコピーしました