サブスクではなく音源を手元に置いておきたい切実な理由 – サブスク・音源を聴くイメージの違いから考える

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音楽の聴き方

音楽の聴き方は時代とともに変化する。現在は、サブスクリプションサービスによる音楽の楽しみ方が主流となり、今やCDを聴くプレイヤーを持っていない人も多数になっている。

※ここではストリーミングを導入しているサブスク音楽配信サービスを、簡略化してサブスクとして書くこととする。

2020年の統計ながら、ストリーミング・サービスの米国での利用者数は、2010年の7%から、10年で80%にまで上昇したと言う。

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一方でレコードやカセットなど、CD以前のアナログな手法で音源を集める人たちも、若い世代にはいると言われている。

筆者も音源はCDかデータの形で手元に残しておきたいタイプで、サブスクも利用はしているが、どうしても手元の音源を聴くこととは、決定的に何かが違うように感じている。

今回の記事では、決定的に違う”何か”の正体について、サブスク・手元の音源を聴く時のイメージの違いを示しつつ、サブスクに決定的に欠けているもの、逆に有用な場面について書いた。

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サブスク・手元の音源を聴くイメージの違いとは?

今回、サブスクに決定的に欠けている”何か”を探る上で、サブスク・手元の音源を聴くことについて、それぞれ筆者なりのイメージを図示してみた。

まず手元の音源を聴くイメージは、「自分だけの秘密基地にいる感じ」とした。手元にある音源は、基本的に”自分の好きな音楽”だけからなる領域で、自分だけが知るコレクションである。

他の人に「○○を聴いている」など話したとしても、コレクションの全貌を知るのは自分だけであり、まるで自らの音楽ライブラリは秘密基地のようである。

一方で、サブスクを聴くイメージは、「資料室で調べ物をしている感じ」とした。

サブスクをアナログな感覚で言い換えれば、企業が運営している有料の音楽資料室にこちらが出向いて、好きな音楽を探して、お金を払う限り自由に何時間でも聴かせてもらえる、ということである。

当然ながら自分の好きな音楽以外のあらゆる音楽があり、その全貌は企業の側が把握している。ただしそれらのコレクションを購入して手元に置くと言うことは決してできない。

この2つのイメージの違いから見えてくるのは、サブスクと手元の音源を聴く行為は、そもそも音楽の楽しみ方の質が全然違うこと、そして音楽と自分自身の距離感の違いと言えるのではなかろうか。

サブスクに決定的に欠けているもの

それでは、先ほど図示したイメージをもとに、サブスクに決定的に欠けている”何か”を語っていきたい。以下の3つの点を挙げて、それぞれ詳しく書いて行こうと思う。

  1. 秘密基地の中にいるワクワク感
  2. 所有することで強まる楽曲への愛着
  3. ずっと手元に所有して聴ける安心感

なお、いずれの視点もまとめてしまえば、音楽を所有していないことによって、音楽が私のパーソナルな領域に入って来ない、ということである。

秘密基地の中にいるワクワク感

まずは手元の音源を聴く時の、秘密基地にいるようなワクワク感がない、ということである。これは先に示した図の説明そのものということになる。

手元の音源とサブスクの決定的な違いは、そもそも楽曲を所有しているかどうかであり、その結果として自分の好きな音楽に囲まれた環境で聴くかどうか、ということである。

手元にある音源を聴くことは、音源を所有するということだ。これが実は音楽を楽しむ上でとても大事なことに思われる。

なぜなら、自らの好きな音楽に囲まれる安心感とワクワク感があるからである。音楽を聴くと言う行為は、単に楽曲を耳に入れることだけを指すものではない。

遡れば音源を入手しようとワクワク探すところから始まり、手にした喜び、そして自分の好きな音楽に囲まれた”秘密基地”に迎え入れ、「今日は何を聴こう」と秘密基地を漁る喜びがある。

ワクワク感であると同時に、自宅でリラックスできるのと同じく、自分の好きな音楽ライブラリやCDの棚に囲まれて音楽を聴く時間は、とても安心感のあるものだ。

残念ながらサブスクにその感覚はないように思われる。サブスクには自分の好きな音楽と言う領域はなく、あらゆる音楽が所蔵された音楽資料室にいるような感覚だ。

それは既に全てが揃った状態であり、入手・所有の喜びはない。そして自分のパーソナルな領域ではない、音楽資料室で調べ物をする状態にはリラックス度合いは確実に落ちる。

自分の好きな音楽の領域と言う概念がないこと、そして常に(ウチとソトの概念における)ソトで聴いている感覚は、音楽体験のリラックス度・ワクワク度を大いに下げるものなのだ。

こうした感覚はラジオや有線などにも近いが、好きなタイミングで好きな曲が聴けるサブスクはその分”ウチ”の感覚が強いのかもしれない。

しかしそれでも自分の手元に音源を所有するのとは雲泥の差がある。

所有することで強まる楽曲への愛着

サブスクと手元の音源の決定的な違いは所有の感覚である。所有の感覚がなぜ大事かと言えば、愛着の問題と密接にかかわるからだ。

人は音楽の良さに惹かれて、よりその楽曲を聴こうとするのは確かにその通りだ。しかしより一層その音楽への愛着を強めるには、音源を所有することが深くかかわる

なぜなら、手元にある音源にはより丁寧に聴こうと言うモチベーションが生まれ、その結果愛着が湧いてくる側面がある。

もちろん聴き込むから愛着が湧くのが本筋ではあるが、人はウチとソトの感覚によって、ソトにあるものに対して愛着はなかなか湧かない。

経験的にも、アルバムを新品で買ったものに一番愛着があり、中古で買ったもの、借りて音源だけあるもの、サブスクと愛着の度合いはどんどん下がっていく。

サブスクはただ曲が存在するソトの領域のものであり、それに対して特別な愛着を持つことがなかなか難しい。既に聴き馴染んだ曲ならともかく、これから初めて聴こうと言う曲に対しては困難だ。

実際に若い世代ではCDプレーヤーを持っていないのにCDを買う人たちもいるようである。

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彼らはグッズと言う感覚でCDを買っているようだが、やはり所有することで好きなミュージシャンや楽曲への愛着をより増したいと言う欲求が背後にあるように思われる。

一見すると聞けないCDを買うことは無駄に思えるが、曲を聴くと言う行為はサブスクで、所有の感覚を満たす意味でCDを買うという理にかなった行為なのだ。

ずっと手元に所有して聴ける安心感

サブスクでは音源を所有することができないため、ずっと手元に所有して聴ける安心感がない、という点も見逃せない。

サブスクで配信されている音源が今後ずっと配信されるかどうかは分からない。何らかの事情で急に配信停止になってしまえば、もう聴くことはできなくなる。

記憶に新しい事例としては、安室奈美恵のサブスクが突如停止となり、背景には事務所との問題があったなどと言う週刊誌記事になったことが挙げられる。

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こちらで管理できる音源とは異なり、サブスクの音源はこのように急に聴けなくなるリスクがある。

その楽曲と自分自身の心の距離が離れていれば、それほど問題にならないかもしれない。しかし私自身を形成する上で極めて重要な音楽だった場合はどうだろうか。

そうした楽曲は、人生のこれからどのタイミングでまた聴きたくなるか分からないし、いつでも聴けると言う安心感があればこそ、聴かない時期も穏やかに過ごせるというものだ。

ネット環境があれば”いつでも”聞けるサブスクだが、実は音源(データにしても記録媒体にしても)を持っているよりも、”いつまでも”聴けない媒体である恐れがある。

もちろん手元に音源を持っていても、カセットやMDが廃れてしまったように、記録媒体に左右されると言う恐れがある。

しかしこれは本人の努力次第で何とかなる部分である。カセットやMDからデータに移行する方法は調べれば出てくるだろうし、業者などに頼めばやってもらえるだろう。

一方でサブスクで企業側が配信を止めてしまった音源については、こちらでどうすることもできない。

サブスクを有効活用できる場面とは?

ここまでサブスクの問題点ばかり指摘してきたが、有効に活用できる場面も当然ある。

サブスクの良さはとにかく利便性であり、ネット環境さえあれば、いつどんなところでもすぐに音楽を聴くことができる点である。

たとえば旅先で音楽を手軽に聴きたい時には便利である。手持ちの音源をダウンロードするなどの手間が省けるし、出先という自らも”ソト”の時には有線のように流して聴くのも悪くない。

あるいは、音源を試聴するにはとても便利である。サブスクは音源資料室で調べ物をする感覚と書いた通り、データベースとしてCDを購入する時の参考に使える。

しかし自分のパーソナルな領域に迎え入れるには、音源として手元に所有すると言うプロセスを経たいと思う。

また1曲だけ聴きたい曲がある、というライトユーザーには良いのかもしれない。これまでの議論は暗にアルバム単位で音楽を聴く人を想定してきた。

楽曲単位で聴きたい人にとっては、あれこれつまみ食いできるサブスクはこれほど便利なものはないだろう。

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まとめ

今回はサブスク・手元の音源を聴くイメージの違いを示しつつ、サブスクに決定的に欠けているものの正体について書いた。

結局のところ、サブスクは所有しないところから、音楽を聴く環境に違いが生まれ、音楽と私との心理的な距離が開くことに問題があると言えそうだ。

その結果、楽曲への愛着が湧きにくくなり、ますます音楽への関心が下がり、”あってもなくても良い”ものへと価値が下がっていってしまう。

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そもそもミュージシャンにお金が入りにくい仕組みは、ますます音楽の価値を下げるもののように思われる。

このような問題のあるサブスクは今後あり方が変化していく可能性もある。そうなるとリスナー的には、やはり手元に音源を持っておくことの重要性がさらに増すのではないか。

音楽を所有して聴く楽しさを取り戻し、そしてミュージシャンにも還元されていく仕組みが構築されることを願うばかりである。

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