演歌は古臭い?演歌への偏見にちょっと待った – 演歌の楽しみ方は”聴く”より”歌う”

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演歌
画像出典:Amazon

当ブログでは演歌と言うジャンルの魅力について発信している。

最近では演歌を聴く場面と言えば、年末の紅白歌合戦くらいだ、という人も多いかもしれない。ご年配の方が聴く音楽と言う印象も強く、なかなか若い世代に支持が広がっていないジャンルでもある。

しかし演歌に関して、偏見とも思えるイメージが定着してしまっているのは残念である。この記事では、演歌についてイメージされる偏見を取り上げ、”ちょっと待った”をかけたい

演歌に対するイメージを塗り替えてもらいつつ、演歌の楽しみ方についても、最後に触れようと思う。

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演歌への偏見に”ちょっと待った”

演歌と聞けば、思い起こされる偏見とも言えるイメージがいくつかある。筆者も演歌を本格的に好きになる前には、どれもそのように感じていたことである。

しかし演歌を知るほどに、実はそうしたイメージには誤った部分もあるように思える。今回は3つの演歌に対するイメージについて、”ちょっと待った”をかけたいと思う。

演歌は古い?

演歌は古い、もっと言えば古臭いと言うイメージを持つ人は多いかもしれない。確かに昔の日本を思わせるような世界観が歌われており、ご年配の人が好きであることはその通りである。

しかしクラシックやジャズなど、実は今の若い世代の日本人にも聞かれるこれらのジャンルの方が歴史は古く、演歌の方が新しいジャンルである

演歌と言う言葉の起源は、19世紀の「演説歌」とも言われるが、これはプロテストソングであって今の演歌とはだいぶん色合いが異なる。

演歌の始まりは、戦後歌謡の中から”田舎調”と呼ばれる望郷をテーマにしたものや、民謡調を取り入れた楽曲とも言われ、1950年代のことである。

そして作家の五木寛之が1966年に発表した小説『艶歌』の中で、演歌がジャズやブルースなどと同じように捉えられ、日本人のブルースとして考えられた。

「演説歌」のような政治色はなく、庶民の怨念や感傷を歌うものとされている。1970年代以降、ヨナ抜き音階・こぶしなどの様式が強調されて、ジャンルとして演歌が確立された。

演歌の歴史はおよそ60年~70年くらいのものであり、ハードロックなどと同じくらいと言っても良いかもしれない。

若い世代からすれば「それも古い」と言われてしまうかもしれないが、音楽ジャンル全体で見れば新しい方のジャンルとも言える。

ではなぜ古臭いと思われてしまうのか。それは昭和の時代の世界観を歌った演歌と言うジャンルが、その後に進化せずにそのまま残っているからではないか。

つまりその時代ごとに合わせるのではなく、1960~70年代に聴いていた人たち以上にリスナーを獲得できていない点が、古臭いと思わせてしまうのかもしれない。

しかしそもそも演歌が、生まれた当時ですら「昔を懐かしむ」という世界観であったのであり、常に昔を懐かしむジャンルである点で、古臭いのは当たり前とも言えないだろうか。

※演歌の歴史については、こちらの記事により詳しく書いている。

演歌は暗い?

演歌は暗い音楽である、という印象を持っている人もいるかもしれない。演歌は「庶民の怨念や感傷を歌う」と先ほど書いた通り、確かにネガティブ寄りの題材を歌うジャンルではある。

しかし演歌の扱うテーマはそれだけに限らず、喜びや感動などポジティブなテーマももちろん扱っている。

たとえば千昌夫の歌う「北国の春」は、北国の冬の厳しさから、ようやく春を感じさせるタイミングの喜びを見事に歌い上げた楽曲である。

また渥美二郎の歌う「夢追い酒」では、「悲しさまぎらす」と始まる決して明るくない歌詞に、メジャー調の明るいメロディが乗せられている。

演歌の場合は、ただ明るいことをそのまま歌うのではない。つらい時期があるからこそ、それを乗り越えた喜びの大きさを歌っているものが多い。

それは享楽的な意味での能天気さではなく、生きていく上でのしみじみとした喜びを歌っているのだ。それを古臭いと言われればそれまでだが、普遍的なテーマを歌っているものと筆者は思っている。

人間の陰の部分を歌うから”暗い”ジャンルと思われがちだが、むしろ暗いどん底を知るから明るい方向に行けるというものだ。

実際のところ、悲しみのどん底にいる時になかなか演歌を聴こうと言う気分に筆者はなりにくい。むしろ気分の良い時に、演歌を鼻歌で歌うのがとても心地好いものだ。

「暗い曲を聴く人は、むしろ明るい人」と言ったりもするが、演歌を歌う人(聴く人も)は意外と明るい人が多いのではないか、と思っている。

演歌は同じような曲ばかり?

演歌はどれもこれも似たような曲ばかりだ、というイメージもあるかもしれない。これについては正しくもあり、そうではない、とも言える。

まず正しいと言える側面について、そもそも同じような展開やメロディが繰り返されるところに安心感のあるジャンルであり、同じような曲が並ぶのは当然と言えばそうなのだ。

言ってしまえば、定番のメロディラインとコード進行こそが演歌の様式であり、それを崩してしまうと演歌らしさがなくなってしまう。

演歌と類似するジャンルにブルースがある。ブルースはアフリカ系アメリカ人の間で生まれた音楽ジャンルであり、特徴的な音階やリズムを持つ。

たとえばElmore Jamesの「Dust My Broom」が1つの定型と言っても良いだろう。3つのコードを使ったシンプルな展開にギターを中心とした演奏が特徴である。

ブルースはだいたいこの3つのコードによる進行はどの曲でも同じであり、メロディが少し違うのと歌詞が違うだけで、それでも別の曲になり得るのだ。

そしてそのことで文句を言う人もいないだろう。どちらかと言えば、ブルースは誰が歌い、演奏するかによって味わいが大きく異なる。

似たような楽曲であっても、演奏者が変われば全く別の曲のように聞こえるのであり、この点は演歌も全く同じである。

演歌では有名曲のカバーが多く行われるが、やはり歌い手によって大きく持ち味は異なる。ブルース・演歌に共通するのは、この歌手・プレイヤーが好き、というのがある。

演歌・ブルースは単に聴くものではなく、歌って演奏するもの、と言う側面があり、誰が演奏しているのか、が重要なのだ。

ただし演歌については、ブルースに比べて自由度も大きいように思われる。いわゆるヨナ抜き音階とそのコード進行で作られることの多い演歌だが、それだけにとどまらない。

とりわけ1970~80年代においては、演歌の中にいかに新しい要素を持ち込むか、というのは重要な要素だったように思われる。

森進一が歌った「襟裳岬」は、吉田拓郎が作曲を手掛け、演歌の世界にフォークのメロディを持ち込んだところが斬新である。

また島倉千代子が歌った「人生いろいろ」は、メロディこそ演歌らしいが、アレンジにテクノの要素を持ち込んでおり、編曲面でも趣向を凝らしている。

実は演歌もちょっと聞いてみるだけで、幅の広さを感じることができる。それも残念ながら平成初期ぐらいまでであり、次第にジャンルが下火になると、冒険心がなくなってしまった。

今も若手の演歌歌手が時々斬新な楽曲を発表することもあるが、ファンの高齢化とともに、カラオケで歌いやすい”ド演歌”路線の曲が多くなり、確かに似たような楽曲が多くはなっている。

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まとめと演歌の楽しみ方 – 「聴く」より「歌う」ジャンル

ここまで演歌に対するイメージ・偏見と思われるものを取り上げて、”ちょっと待った”を述べさせてもらった。

今回取り上げた内容をごく簡単にまとめた。

  • 演歌は古い?→実はハードロックと同じくらいの歴史で50年ほど、”昔を懐かしむ”世界観ゆえに古臭く感じさせる。
  • 演歌は暗い?→暗さの中に明るさを見出すもの、気分が明るい時にこそ聴ける音楽。
  • 演歌は同じような曲ばかり?→ブルースに類似し、定型を楽しむもの、誰が歌うかが重要であり、アレンジなどで自由度もある。

こうして見てみると、演歌に対する独特の”とっつきにくさ”(筆者も昔は感じていた)は、定型の展開やメロディを守るスタイルやその世界観にあったように思える。

それらを指して、”古い”とか”同じ曲ばかり”と言われてしまうのだが、それこそが演歌の魅力である、とも言えるのだ。

では演歌をいかにして楽しむか、である。ブルースとの類似性でも書いた通り、一方的に”聴く”よりも、自らが”歌う”ことを楽しむジャンルである、と筆者は思っている。

演歌と類似するジャンルに歌謡曲があるが、歌謡曲はどちらかと言えば、聴くことを楽しむジャンルだと認識している。

歌のメロディの美しさに引き込まれ、歌詞の世界観に感情移入することは、いずれも感覚を研ぎ澄ませて”聴く”という動作である。

一方の演歌は、まずコブシを回し、好きな歌手の歌い方を真似ながら、”歌う”ことでその快感を堪能できるものではなかろうか。

もちろん歌の世界観・メロディも素晴らしいものがあるが、歌そのもの、そして歌うという営みの魅力をダイレクトに伝えてくれるのが演歌である。

ここで文章を読むより、ぜひ演歌を歌ってみてほしい。気持ち良くコブシを回して歌う快感を知ってしまえば、もう演歌の世界に入ったと言って良いだろう。

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