2022年3月11日は、人間椅子のベースボーカル鈴木研一氏のお誕生日であり、今年で56歳となった。
人間椅子の創設メンバーであり、人間椅子らしいハードロックを鳴らし続けてきた。そして鈴木氏と言えば、その個性的な見た目もインパクトが大きい。
現在は白塗りで和袈裟の坊主スタイルが定着しているが、以前は長髪だった時期が長かった。
今回の記事では、意外と知らない人も多いかもしれないので、なぜ鈴木氏は長髪から坊主にしたのか、それはいつ頃のことだったか、紹介したい。
そして鈴木氏の衣装など、見た目の変化もまとめておこうと思う。
※鈴木研一氏のプロフィールや音楽性について、詳しくはこちらの記事へ
鈴木研一氏はなぜ長髪から坊主にしたのか?
鈴木研一氏は人間椅子において、楽曲だけでなく、独特のボーカルスタイルやパフォーマンスから、ライブでのインパクトも非常に大きい。
そして何と言っても、デビュー当時から続けている白塗りと、坊主のスタイルの和袈裟の衣装も、なかなかバンドマンらしからぬ出で立ちである。
一方で昔からのファンの人からすれば、鈴木氏と言えば長髪のイメージも強いだろう。ではなぜ鈴木氏は長髪から坊主になったのか?
これについて言及したものは下記のページにある。
ここでは「長髪が面倒になった」「当時の職場(郵便局)で上司との関係が悪化し、注意されていた」というものである。自ら長髪をやめようと思ったのと、外圧もあったことが窺える。
そして、もう1つ考えられそうなのは、鈴木氏の長髪に白髪がかなり目立ち始めた点もあるような気がする。
ここからは筆者の記憶によるものだが、2000年に入った頃から年を追うごとに白髪が増えていく状況で、2003年の『修羅囃子』の頃にはしっかりと白髪が見えるくらいに増えていた。
当時の鈴木氏は36,37歳頃であったため、白髪になるのが早いタイプだったのだろう。このままでは、さらに白髪が増加することが予想された。
そして鈴木氏と言えば、日本の黒髪女性に対する魅力を当時のMCでは語っていたようだ。(2003年ツアー『修羅囃子』のライブレポートより)
おそらくだが、自身の黒髪長髪に対しても、黒一色で染められていることにこだわりがあったのだろう。
和嶋氏も当時毛髪の後退が進み、鈴木氏は白髪の増加を嘆く、”毛髪トーク”がMCではよく見られていた。その中でも、白髪が増えていることに、我慢できないようなことを話していた。
2004年の12th『三悪道中膝栗毛』のジャケット、そして「洗礼」のMV撮影の時期までは長髪のままだった。MVを見ても、かなり白髪が目立つことはわかるだろう。
そして当時のライブレポートによれば、2004年10月のツアー「新生人間椅子平成拾六年巡業~三悪道中膝栗毛~」では、鈴木氏は坊主になっていたそうである。
また人間椅子倶楽部の会報(2004年11月号)の鈴木氏の個人ページでは、”使用前”と”使用後”として、携帯電話で撮影されたと思われる粗い画像で、杉並郵便局内で撮影された鈴木氏の長髪時の写真と、坊主にした写真が並んで掲載された。
このページから、坊主にしたことに対するコメントは一切なされておらず、その点も鈴木氏らしい。
思うに、鈴木氏は黒髪である限りは長髪でありたかったのだろうが、白髪が混じったことで自らの見た目に我慢できなかったのではないか、と推測される。
なお2004年の段階で、坊主で白塗り、黒い袈裟の姿は固まっており、以後ライブでのメインの衣装には変化がない。
鈴木氏の見た目や衣装の変遷
ここまで鈴木氏が長髪から坊主姿になった理由を紹介してきた。2004年から坊主・袈裟の姿になってから変化はないが、それ以前にはいくつか変遷もあったので紹介しよう。
※鈴木氏のインタビューは「ねずみ男に長髪、スキンヘッド……人間椅子・鈴木研一が28年の“ビジュアル遍歴”を振り返る!」
鈴木氏が白塗りを始めたのは、通っていた上智大学の演劇サークルの人の影響だと言う。またKISSの影響もおそらくあるだろうと語っている。
また鈴木氏自らによる白塗りの実演・解説記事によれば、メイクには1時間ほどの時間を要するようだ。
デビューした当時は、”イカ天”でもインパクトのあった「ねずみ男」のスタイルである。もともと汚れたシーツを被ったら、ねずみ男に見えた、というところから始まっているそうだ。
しかし1stアルバム『人間失格』の頃までで、ねずみ男のスタイルは終わり、2ndアルバム『桜の森の満開の下』の頃は、白塗りで死神のような出で立ちになっていた。
その後は、白塗りに着物を着てライブをすることが多かった。時期は不明だが、剣道の防具を着てライブをしたこともあったのだと言う。
またアルバムのジャケットでは異なる衣装を着ている時期もあり、2000年の9th『怪人二十面相』では怪人に扮したり、2001年の10th『見知らぬ世界』では山伏姿になったりした。
しかしライブでは色合いをジャケットの衣装に寄せつつも、着物姿のことが多かった印象である。そしてこの当時は鈴木氏の体重の増加が激しかった。
100キロ近くまで増加し、当時はライブのアンコールで「地獄風景」を演奏する際には学ランを着るのが定番だった。その学ランのボタンが太って締められず、何個か開けたまま演奏されていた。
そして2004年の『三悪道中膝栗毛』のジャケットで弥次喜多の衣装を着たのを最後に、アルバムジャケットやアーティスト写真でも、黒袈裟の坊主のスタイルとなっている。
坊主のスタイルになってからの鈴木氏は、今までに増して”顔芸”が豊かになったような気がする。長髪の頃は髪で顔が隠れることもあったが、坊主になって表情で動きを作っているように見える。
このように鈴木氏の見た目の変化によって、ライブパフォーマンスにもいくらか違いが出ている点は興味深い。バンドマンにとっては、見た目もやはり重要なポイントなのだ。
なお鈴木氏の衣装の変遷が分かるものとしては、MV集『おどろ曼荼羅~ミュージックビデオ集~』がある。
またヒストリー本『椅子の中から 人間椅子30周年記念完全読本』でも、各時代の写真が多数掲載されている。
まとめ
今回は人間椅子のベースボーカル鈴木研一氏の衣装や見た目について、特に長髪から坊主への変化に注目した。
人間椅子における鈴木氏は、和嶋氏に比べると音楽的にも変化しない部分を担当してきた。衣装についても、和嶋氏に比べると変化は少ないものの、昔は今よりも変化が多かった。
そして長髪から坊主にする際には、思い切った変化を一気に行ったのが鈴木氏らしかった。いまだ長髪時代の鈴木氏のビジュアルに根強い人気はあるが、今後も坊主スタイルは継続しそうだ。
なかなか白塗り姿の鈴木氏を見る機会が今は少ないが、4月には「『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアー」が予定されている。
ぜひ5thアルバム『踊る一寸法師』を聴いて、ツアーを楽しみに待ちたい。そしてこれからも鈴木氏が健康で人間椅子を続けられることを願っている。
※【人間椅子】2022年春”『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアー”に向けて予習しよう! – ツアー情報と選曲予想
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