ソロデビュー50周年を迎えたソングライターの浜田省吾、今なおツアー活動を行い、高い人気を持っている。
浜田氏の魅力は、社会派の楽曲からバラードまでの幅広い楽曲と、歌の世界観の奥深さだ。そんな浜田氏も若い頃は模索の時代があった。
ソロデビューして1970年代の5作ほどの間、楽曲やアーティストとしての方向性を模索していた。そんな時代に、方向性を決める1つのターニングポイントになったと思われる楽曲がある。
それが人気のバラード曲「片想い」である。今なおコンサートでよく歌われるこの曲、初期の名曲の1つである。
それだけではなく、浜田氏の歴史を考えた時に、模索の時代からブレイクの時代を繋ぐ意味で重要な楽曲だったのではないかと思っている。
今回は浜田省吾氏の「片想い」がなぜ重要な楽曲だったのか、その魅力をひも解いて書くことにした。
「片想い」の概要
まずは浜田省吾氏の楽曲「片想い」の基本的な情報をまとめておこう。
- 作詞・作曲:浜田省吾、編曲:水谷公生
- オリジナル収録作品:『Illumination』(1978)
浜田省吾氏の「片想い」は、1978年の3rdアルバム『Illumination』に収録されている楽曲である。
編曲は長く一緒に仕事をすることとなる水谷公生氏が担当、なお『Illumination』で初めてともに制作することとなったそうである。
実はアルバムの先行シングルにはなっていないが、次の『MIND SCREEN』の先行シングル『愛を眠らせて』のB面に収録されることとなった。
その他の収録作品としては、バラードベスト『Sand Castle』であり、編曲は佐藤準氏によるもので、オリジナルと異なる。
オリジナルアレンジでは、2000年のベスト盤『The History of Shogo Hamada “Since1975″』にも収録されている。
(その他、カセット・MDのみの『SLOW DOWN』、ライブ盤『ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”』にも収録)
なお楽曲のテーマはタイトルの通り、歌詞は片想いの心情をダイレクトに伝えたものとなっている。後の物語性の強い歌詞の楽曲群に比べると、心情を吐露するような歌詞となっている。
メロディは低いキーから始まるAメロから、非常に高い音域まで広がるサビへと、ドラマチックなものとなっている。
なお楽曲に関しては逸話が残っている。
編曲を手掛けた水谷公生氏が、自宅で音源の編集を行った時である。妻=現在は小川糸氏として活動が、その音源を聴いた時に、「この声はスターになる」と確信したのだという。
結果的にその予言は的中した形となり、後にFairlifeで小川氏は「春嵐」名義で作詞、水谷氏が編曲、浜田氏が作曲と言う形でともに活動することとなった。
名曲「片想い」の魅力 – 模索の時代からブレイクの時代を繋ぐ
ではここから浜田省吾氏の楽曲「片想い」の魅力、そして重要な楽曲となった要因などについて探っていきたい。
「片想い」は楽曲として優れたものであったことはもちろん、浜田省吾氏の表現の方向性において、その先の活動へと繋いでくれた楽曲のようにも思えた。
ここではメロディと歌詞の2つの点から、後の浜田氏のアーティストとしての魅力と絡めながら述べることにした。
浜田氏のアーティストの歴史においては、大衆性の獲得・ソングライターとしての開眼、という2つの大きな意味がありそうである。
メロディメイカーとしての浜田省吾の確立・大衆性の獲得
まずは何と言っても浜田省吾氏のメロディメイカーとしての才能に溢れた、傑出した楽曲である点である。
悲しげで胸を打つメロディライン、浜田氏のバラードの初期の名曲として名前を連ねることになった。
ロックジャンルの歌手・ライターであっても、やはり歴史に名を残すには名バラードを持つことが、やはり必須のように思える。
その意味でもバラードもしっかり書ける、メロディメイカーとしての凄さを感じさせる1曲となった。
ただ本作以前の2ndアルバム『LOVE TRAIN』においても、「君に会うまでは」「君の微笑」など良質なバラード曲は既に生まれていた。
これらの楽曲と「片想い」の何が異なるのか、一言にしてしまえば”大衆性”を持ったものになったかどうか、ということにある気がする。
当時の音楽シーンで流行っていたもの、音楽マニアでない人たちが耳馴染みやすいもの、一般層に開かれたものになっていた、ということである。
「片想い」の持つメロディラインは、どこか歌謡曲にも通じる部分があるように感じる。そして当時流行っていたニューミュージック的な雰囲気も感じさせる。
この曲自体、シングル化していないのでヒットした訳ではないが、十分大衆に開かれた楽曲、ヒットの可能性を秘めた楽曲だったのではないか、と考える。
それ以前の浜田氏は、洋楽ロックに根差した音楽を固持していたが、そのためにややマニアックな、玄人向けの音楽に感じられる。
本人としてはその路線で売れたいが、レコード会社としてはもっと大衆性のある音楽で、早くヒットしてほしい、というせめぎ合いがあったと想像される。
浜田氏なりの1つのバランスが取れた楽曲、と言っても良いのかもしれない。
この時点ではまだ作風の模索過程ではあったが、浜田氏らしいメロディの美しさにおいてはほぼ確立、そして大衆性と自身の音楽とのバランスを取るプロセスに入っていくことになる。
1980年の『Home Bound』以降、ロックミュージックであり、大衆性もある音楽でヒットしていくが、”大衆性”というキーワードにおいて、礎になった楽曲ではないか、と考える。
ソングライターとしての開眼
こちらは浜田氏の歌詞や歌の世界観に関することである。この当時の浜田氏は自身の楽曲を通じて何を伝えるのか、模索している時代であったように思える。
そして自分自身が、ロックシンガーとしてデビューしたものの、ポップス作曲家のような形になっていることなど、自身のアイデンティティも揺らいでいた時期だったのだろう。
1st『生まれたところを遠く離れて』こそ、後の浜田氏にも通じる社会派で硬派なロックという印象であるが、この路線はなかなか玄人向けでヒットする要素がなかった。
そのため2nd『LOVE TRAIN』以降は愛奴のようなポップな路線にシフトチェンジしたのだった。
その中で生まれた「片想い」は普遍的なバラードであり、ポップス作曲家としての路線にあった楽曲とみることもできる。
一方で歌で物語を紡ぐ、という後の浜田氏の真骨頂となる作風を見せていく走りの時代だったのではなかろうか。
1stアルバムでの浜田氏の楽曲は、浜田氏自身が実際に見ていた世界や思いを通じて歌詞が書かれている趣が強いように感じられる。
あるいは浜田氏と同年代の少年~青年が見ていた世界観がアルバム全体を通じて描かれている。(これを映画のように描き直したのが1984年『DOWN BY THE MAINSTREET』だった)
「片想い」も実体験による部分もありそうだが、誰か別の歌の主人公の物語が描かれている、という形になっている。
それぞれの”片想い”を投影させながら、聴き手自身の物語とリンクさせて感情移入しやすい作りになっているのだった。
これは歌謡曲などでは定番の手法であるが、大衆性の獲得と絡んで、浜田氏の中の「歌の主人公の物語」=ソングライターとしての視点が出始めているように感じられる。
なお物語の表現としては、後の「もうひとつの土曜日」「星の指輪」などに比べると、やや抽象的な思いを吐露するような歌詞となっている。
それこそが若さの象徴とも言えるが、普遍性・大衆性を獲得しつつあるからこそ、この曲が一つの代表作になっているのだろう。
とは言え、歌の主人公の物語という視点は揺らいでおり、歌詞ができないスランプに陥っていた。結果的に4th『MIND SCREEN』は歌詞を外注した異例の作品となった。
歌詞の世界観が確立されたのはその次の5th『君が人生の時…』だったように思える。1stのような少年~青年の思い出を映画のように切り取った歌詞が非常に分かりやすく胸を打つ。
1stに比べると、それがもう一段俯瞰した視点から書かれており、それこそが歌の主人公の物語という視点だったように思う。
まとめ
今回は浜田省吾氏の初期の代表的なバラード「片想い」についてその魅力や、その後への影響などについて考察した。
筆者が思うに、浜田氏の後の楽曲スタイルや表現方法において、重要なポイントとなっている楽曲だったのではないか。
思うようにロックの路線では売れず、ポップスの歌い手と言う路線、また当時のニューミュージックブームの中、かなり模索の時代にあったと思う。
そうした周囲の期待にも応えつつ、浜田氏らしい表現方法を当時アプトプットできた作品としての意義は大きい。
それは歌の主人公の物語というソングライターの視点の始まり、それこそが結果的に大衆性を獲得し、普遍的なポップスを作ることができたのだった。
浜田氏のバラードという代名詞の1つも、この「片想い」から始まっているように思える。
もちろんこれ以前にも名バラードはいくつもある。ただ世に打って出る=大衆性を獲得したバラード曲と言う意味では、「片想い」はやはり重要な楽曲だったのだと思う。
そしてロック路線に回帰した『Home Bound』以降も、「片想い」で得たバラード曲の路線も継続、浜田氏の楽曲の魅力の1つとなって行った。
※ソングライター浜田省吾が世代を超えて愛される理由とは? – ”歌の主人公”をめぐる物語の魅力



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