ソングライター浜田省吾が世代を超えて愛される理由とは? – ”歌の主人公”をめぐる物語の魅力

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2021年にソロデビュー45周年を迎えたシンガーソングライター浜田省吾、現在も根強いファン層によって支えられている。

浜田氏と言えば、「悲しみは雪のように」のヒットや、また1986年の「J.BOY」など、過去に流行ったミュージシャンと言うイメージかもしれない。

しかし現在もリリース・ライブ活動を継続しており、決して過去の人ではない。

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コンサート会場に行けば、親子2世代で見に来るファンも多い。昔からのファンだけでなく、新たな世代にも受け継がれているのである。

では、世代を超えて愛される、浜田省吾の楽曲の魅力とは何なのだろうか。

今回の記事では、歌詞の世界観に注目する。浜田氏の歌詞には”歌の主人公”が登場するが、ここに世代を超えて愛される要因がありそうなのだ。

実際の楽曲を紹介しながら、浜田氏の楽曲の魅力に迫っていきたい。

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浜田省吾の歌詞の世界観 – 普遍的なテーマの多彩な歌詞

浜田省吾氏の楽曲の魅力を語る上で、歌詞の比重は大きい。メロディや音楽的な魅力は最後に述べるとして、ここでは歌詞の世界観に注目したい。

浜田氏の歌詞の世界観はどのようなものか。

浜田氏の楽曲は、浜田氏が生きてきた時代・社会を背景に、ある情景や物語が展開されていくものが多い。

歌詞のスタイルとして、絵画的に書く人・小説的に書く人がいるが、どちらかと言えば浜田氏は後者に近い。歌詞の中に、何らかのストーリーが映画のように浮かぶような歌詞である。

そして歌詞の内容の多くは、ラブソングであるが、社会的な内容から人間の本質に迫るような壮大な内容まで描かれる。

たとえば、1986年の10thアルバム『J.BOY』収録の「もうひとつの土曜日」は代表的なラブソングの1つだ。

別に好きな人がいるが忘れられない女性への思いをつづった、やや複雑なラブソングだ。様々な解釈やストーリーが浮かぶ歌詞になっている点も、それぞれの思い出を投影できるのかもしれない。

一方で1981年の7thアルバム『愛の世代の前に』収録の「愛の世代の前に」は、歴史的な背景を感じさせる歌詞である。

広島県出身の浜田氏だが、父親は原爆で被爆している。そんな原爆の体験を身近に感じる浜田氏は、かつて「ラブ&ピース」などの標語が一世を風靡したことへの違和感があった。

危機と隣り合わせの際どいバランスの中で生きている我々の世界を歌った内容である。

浜田氏の楽曲は、ある1人の物語やラブソングから、社会全体を俯瞰するような壮大なテーマまで自在に歌詞にしている。

そのいずれも、普遍的なテーマであり、時代を超えても色あせていない魅力になっていると言えるだろう。そして様々な物語が、実に多彩な言葉で綴られる点が魅力である。

ただ、普遍的なテーマとは言え、45年もの長い歴史のある楽曲を並べれば、古臭さも感じられてしまいそうなものだ。

しかし、浜田氏の楽曲にはそんな古臭さを感じさせない、歌詞の工夫があるように思う。

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”歌の主人公”の時間的・空間的な広がり

浜田氏の歌詞の工夫、それは様々な”歌の主人公”が登場する点にあるように思う。様々な物語が、その主人公から語られる点が一貫している。

歌の主人公がいることで、リスナーは感情移入が容易になる。ただし感情移入の手法は、歌謡曲でも常套手段であり、浜田氏に特有のものではない。

では浜田氏の楽曲に特有の魅力とは何か。それは長い歴史があるゆえの、”歌の主人公”の時間的・空間的な広がりである。

ここでは、浜田氏の楽曲に登場する”歌の主人公”が、どのようにして時間的・空間的な広がり方を見せるのか、以下の3つの観点から論じてみたい。

  1. 歌の主人公の成長物語
  2. 歌の主人公と浜田省吾
  3. 歌の主人公と社会背景

そしてそれが、世代を超えて愛される理由である点にも触れていきたい。

歌の主人公の成長物語

まずは歌の主人公をめぐる、時間的な広がりに関してである。

浜田氏の楽曲において興味深い点は、時代とともに歌の主人公も年齢を重ね、成長している点である。

もちろん浜田氏自身が年齢を重ね、年齢相応の歌詞を書くようになったと言う側面もある。しかし浜田氏は、歌の主人公の成長をかなり意識的に描いているように見える。

そんな浜田氏の原点とも言える楽曲は、1976年のソロデビュー曲「路地裏の少年」だろう。

思春期~青年期における孤独や葛藤などが描かれる歌詞は、既に歌の主人公を描くスタイルが確立されている。

そして16歳、18歳、22歳と過去を振り返る形で、物語が描かれている。この1曲にも歌の主人公の成長物語が描かれる。

浜田氏の楽曲は、こうした10代~20代の若者の心情や葛藤を描いた歌詞が80年代後半まで続く。

1984年の9thアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』は、デビュー当時に描きたかった10代の少年の物語を、30代になった浜田氏が描くと言うコンセプトアルバムだった。

続く1986年の10thアルバム『J.BOY』はかつての少年から、青年~大人へと物語を繋ぐような大作となっており、これまで浜田氏が描いてきた歌の主人公の物語の総決算である。

『J.BOY』以降の浜田氏の楽曲は、歌の主人公自体の年齢が上がっていく。1990年の12thアルバム『誰がために鐘は鳴る』収録の「少年の心」では、大人になった少年が過去の気持ちを思い出す物語だ。

1993年の13thアルバム『その永遠の一秒に 〜The Moment Of The Moment〜』収録の「星の指輪」では、子どものいる夫婦のラブソングを描いた。

また2005年の16thアルバム『My First Love』収録の「I am a father」では父親の立場から子どもを見る物語になっている。

さらに2015年の17thアルバム『Journey of a Songwriter〜旅するソングライター』収録の「夢のつづき」では巣立っていく子どもを見守る親の心境を歌にしている。

このように、浜田氏の楽曲は時代を追うごとに、歌の主人公は成長し、ライフステージを進んでいくような歌詞の変化をたどっている。

浜田氏とともに年を重ねてきた人にとっては、自分の人生に浜田氏の楽曲が寄り添ってくれるような感覚になるのではないか。

一方で筆者のように、後から浜田氏の音楽を聴いた世代にとっては、自分の人生のステージに合った楽曲を選びながら、聴くことができる。

また「大人になるって、こういうことなんだな」と浜田氏の楽曲から学んだりもできるだろう。そして何年か経て自分自身が成長した時に、やっと意味がわかる歌詞も出てくることもある。

浜田氏の歌詞は、映画や小説のように、聴く年齢によって琴線に触れる部分が異なり、新たな発見があるのだ。だから、今の若い世代にとっても、昔の曲も新鮮に聴けるのではないかと思う。

さらに、なかなか家族の会話で、子どもに自分自身の話をする機会のない親世代の人も多いだろう。そんな時に、浜田氏の楽曲が橋渡しになり、親子の会話ができることもあるのではないか。

筆者の母親が手術をする前、父親は車でずっと「星の指輪」を聴いて励まされていたそうだ。そんなエピソードから、父親がどんな気持ちだったのか、浜田氏の曲を通じて知れた気がする。

浜田氏の楽曲は、それぞれ年齢に合った楽曲があり、曲を通して親子の年の差を埋めてくれたりもするのだ。

以上のように、歌の主人公の成長物語によって、幅広い層が聴くことができるし、若い世代が後から追いかけて聴くのにも適しているのである。

そして浜田氏の歌詞は、親から昔話を聞かされるより、ずっと素直に耳に入ってくるだろう。そんな親子の橋渡しもしてくれることが、世代を超えて愛されている理由ではないだろうか。

歌の主人公と浜田省吾

歌の主人公の成長以外に、もう1つ時間的な広がりを感じられる点がある。それは浜田氏の作る歌詞は、浜田氏自身ともリンクする点である。

浜田氏の曲の中には、いくつか浜田氏自身と重ねて聴くことができるものがある。

たとえば、1980年の6thアルバム『Home Bound』収録の「終りなき疾走」の歌詞がそうである。

もちろんこの曲が浜田氏自身のことを直接歌ったものではない。15歳でギターを見かけた少年が、スターダムにのし上がっていく過程で、誠実な愛に気づく物語が歌われている。

とは言え、23歳でソロデビューした浜田氏が、なかなかヒットに恵まれず、ようやく成功へのカギを掴み始めた頃の楽曲である。実際にはまだ「ヒットチャートはNo.1」でもなかった時代だ。

そして初のオリコンチャート1位を獲得したアルバムは、その6年後の『J.BOY』だった。そんな浜田氏の歴史を知って聴くと、味わい深いものがある。

その間もずっと歌われ続け、現代においても「終りなき疾走」は歌われている。その時々の浜田氏が歌うことによって、楽曲に新たなページが刻まれるような感覚で聴ける。

また浜田氏の両親と関わりのある楽曲もある。母親が病気で危篤になった時のことを歌ったのが、大ヒット曲「悲しみは雪のように」であった。

そして父親の死の影響を大きく受けたのが、1988年の11thアルバム『FATHER’S SON』収録の「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」である。

いずれの曲にも共通するのは、背景を知って聴けば浜田氏自身のことに聞こえるが、知らなければ別の意味として聞ける歌詞だと言うことだ。

「悲しみは雪のように」は歌詞に出てくる「君」を恋人として見れば、ラブソングのようにも聞こえる。

そして「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」は、「父の子である」という自分自身のアイデンティティや、世代間の継承と言う社会的な歌にも聞こえる。

このように、浜田氏の歌詞は、浜田氏自身と歌の主人公とが緩やかにリンクし聴き手に様々な解釈の余地を残す点もポイントであろう。

さらに浜田氏自身のことを歌った楽曲として、2005年の16thアルバム『My First Love』収録の「初恋」がある。

ビートルズなど影響を受けたバンド名や、1974年にプロとして活動を始めたこと、1986年の『J.BOY』など、浜田氏の歴史を歌ったような歌詞になっている。

この曲は、長く活動を続けた浜田氏自身を歌の主人公に置いたところが面白い。

こうして歴代の楽曲を見ると、浜田氏の楽曲には浜田氏自身の歴史が刻まれていることが分かる。それでいて、歌の主人公の物語としても聴くことができ、歌詞の中でも完結する物語でもある。

この絶妙なバランスが、浜田氏の歌詞の魅力でもある。そして浜田氏のロックシンガー、そしてソングライターとしての生きざまが刻まれているからこそ、色褪せることがないのだろう。

そしてコンサートで歌われるごとに、一つひとつの楽曲が更新されて、新たな意味が生まれていく。こうした点も、浜田氏の楽曲が長く愛される理由ではなかろうか。

歌の主人公と社会背景

浜田氏の歌の物語には、社会背景が描かれることもしばしばある。そして歌の主人公が暮らすのは、私たちが生きている世界と直接リンクした内容になっている。

たとえば、1984年の9thアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』収録の「MONEY」では、あまり日本の音楽シーンでは扱われないお金に関する楽曲である。

歌の主人公としては、決して裕福ではない若い男女が登場する。そんな男女の暮らしは、お金によって縛られ、狂わされていると言う状況を描写した歌詞になっている。

また1986年の10thアルバム『J.BOY』収録の「J.BOY」は、欧米文化で育った自分たちは一体何者なのか、と問うた楽曲であった。

頼りなく豊かなこの国に」というフレーズに、ハッとさせられたリスナーは非常に多かったのではないかと思う。

戦争に関する楽曲もいくつか存在する。1988年の11thアルバム『FATHER’S SON』収録の「RISING SUN (風の勲章)」では、戦後の日本について歌った楽曲である。

昭和の終わりに発表されたこの曲、「この国 何を学んできたのだろう」との問いかけが重く響く。

さらに2015年の17thアルバム『Journey of a Songwriter〜旅するソングライター』収録の「アジアの風 青空 祈り part-2 青空」は、分断される人々について歌っている。

ロミオとジュリエットに見立てた男女が主人公であるが、明確に「指導者」と呼ばれる層への批判があり、暗に原爆や震災に関することも歌詞に描かれている。

このように浜田氏は歴代の楽曲で、私たちが置かれた社会情勢を意識して歌詞を作ってきた。

浜田氏の楽曲は、このような歌詞から社会派とみられることもある。ただあくまで主軸は歌の物語であり、その背景に実在の社会を置くから、社会的な色合いを帯びるだけなのだ。

だから浜田氏の楽曲は決して説教臭く聞こえるものではない。歌の中に登場する社会問題について、私たちがどう考えるか、に委ねられているものである。

浜田氏の姿勢としては、「俺はこう考える。皆はどうだい?」というものだ。決して価値観を押し付けるものではない。

しかし日本の音楽シーンには、なかなか社会的な背景をここまで色濃く歌詞に描くミュージシャンも少ない。浜田氏は、歌の主人公を置きながら、これまた絶妙なバランスで社会背景を描いている

そしてこうした社会問題は、過去に起きた出来事も現代にまで影響を及ぼしている。だからこそ、浜田氏のこうした社会的な色合いの楽曲も今なお力強く聞こえる。

音楽的魅力について – メロディの普遍性

ここまで浜田省吾氏の歌詞の魅力について、述べてきた。歌詞だけでなく、メロディや音楽的な魅力もあるので、最後に述べておこう。

とは言え、メロディなど音楽的な内容は、なかなか言葉で伝えにくい。実際の楽曲から感じ取ってもらえばと思う。

さて、浜田氏の音楽的なルーツには洋楽のオールディーズやThe Beatlesなど、60年代のサウンドがある。2005年の楽曲「初恋」でも、具体的な楽曲名を挙げて紹介している。

また70年代以降、Bruce SpringsteenJackson Browneなどのアメリカのロックシンガーから、自分の音楽を貫く姿勢に影響を受けた。

こうした洋楽の影響はサウンド面に色濃く表れているように思うが、必ずしもこうした音楽性が日本人にとってなじみ深いものかと言うと、そうでもなさそうだ。

ではなぜここまで多くの人の心を惹きつけたのか。そのカギとして、70年代の活動初期に、職業作曲家的な売り出し方をされた時期があるのではないか、と思っている。

浜田氏としては本意ではない売り出し方だったようだが、この時期には当時流行っていたシティポップ感覚を取り入れたポップスの楽曲が多数作られた。

そして洋楽の感覚とは異なる、日本人的な歌謡曲の要素もこの時期の曲から感じられる。初期の代表曲である、1978年の3rdアルバム『Illumination』収録の「片想い」がそうであろう。

この時期にソングライターとしての腕を磨きつつ、日本の歌謡曲のツボを心得た曲作りが、自然と身についていったのではないかと思う。

1980年の6thアルバム『Home Bound』以降、ロック志向に転換していくが、ロック調の曲に挟まれるバラードに、歌謡曲的な魅力が垣間見える。

日本人にとって馴染みやすく、かつ普遍的な良いメロディを作り続けてきたことにも、浜田氏の楽曲の魅力が大いにあるのだろう。

まとめ

今回は浜田省吾氏の楽曲が、世代を超えて愛される理由について掘り下げて考えてみた。

中でも歌詞の世界観に注目すると、”歌の主人公”を軸に、リスナーが様々な聴き方をできる余白が用意されている点が明らかになった。

そして歌の主人公の成長、そして浜田氏自身との関わりや社会背景とのかかわりなど、歌の世界観が時間的・空間的な広がりを見せる点が魅力の1つとなっているようである。

楽曲は”ある1時点”で作られたとしても、その楽曲は時間や空間を飛び越え、あらゆる時代、そしてあらゆる年代の人の耳に届くことになる。

こうした楽曲の作り方が、世代を超えて愛される理由ではないかと考えた。

もちろん、今回指摘した以外にも多くの魅力がある。浜田氏の歌声など、言語化するのが難しいような魅力もたくさんあるだろう。

今回の記事を通じて、改めて浜田氏の楽曲の良さに触れるきっかけになれば幸いである。

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