2024年にバンド生活三十五周年を迎えた人間椅子、その音楽性はおどろおどろしいハードロックを基調としたものである。
人間椅子の楽曲を形容する言葉はいくつもある。その中でも”暗い”という言葉も耳にすることがあるが、人間椅子の”暗い”曲とはどのような曲なのだろうか。
似た言葉に”重い”もあるが、ハードロック・ヘヴィメタルを形容する重い=ヘヴィは、サウンド的な重さのことであり、”暗い”とはやや異なっているように思える。
今回の記事では、人間椅子の楽曲の中で”暗い”と言える楽曲について、その特徴と楽曲紹介を行ってみた。
人間椅子の”暗い”曲に共通する特徴とは?
人間椅子の音楽は、かつて”暗い”とよく言われたものである。確かに明るいとは言えない、湿り気のあるダークなハードロックは、暗い音楽の中には入るのだろう。
しかし人間椅子の楽曲は、暗いだけかと言うと、そうでもないと思っている。どちらかと言うと、人間椅子の音楽はヘヴィ=重い音楽である、と言った方が最近はしっくり来るのではないか。
かつて、当ブログでは人間椅子の音楽は、実は聴くと元気になる、ということを書いたことがある。
※暗いのに元気が出る?ハードロックバンド人間椅子を聴くと元気が出る理由とは
元気になる、と言うのは、単にアップテンポな楽曲だけを指すのではなく、ヘヴィな楽曲であっても、そのパワフルなサウンドに元気づけられる、ということもあるのだ。
先の記事でも取り上げているが、「なまはげ」(2014年『無頼豊饒』収録)などは、おどろおどろしい・ヘヴィな楽曲ながら、暗い楽曲である、とは筆者は思わない。
しかし、一方で聴いても全く元気になれない曲も多くはないがあると思っている。
人間椅子の暗い曲の特徴として、まずは救い・希望のない曲調や歌詞の世界観が挙げられる。”暗い”と判断されるのは、サウンド面ではなく、むしろ歌詞の内容など精神的な暗さだと思っている。
こうした精神面の暗さは、制作する人、とりわけ歌詞を作るギターの和嶋慎治氏の精神的な暗さに依っていたところがある。
そうすると、必然的に歌詞が暗かったかつての人間椅子、ということになる。
当ブログでも何度も取り上げているが、『真夏の夜の夢』『未来浪漫派』辺りから和嶋氏の歌詞は大きく変化し、基本的に救いのない楽曲は一切作らなくなっている。
近年の人間椅子の楽曲は、前向きなことを歌うため、あえて逆に暗部を描くことで光明を見よう、と言うスタンスである。が、かつての人間椅子は暗闇に沈み込んでいくような暗さがあったのだった。
また暗い楽曲の特徴として、あまり楽曲に装飾がない、つまり展開が少なく淡々としており、アグレッシブさとかパワフルさもない、ということが挙げられる。
暗い曲調であっても、激しい展開になれば、そこに元気な要素が含まれることになる。何も盛り上がることなく、淡々と曲が進行すれば、曲の暗さが際立つと言うものだ。
筆者が思うに、人間椅子の中で本当に暗い曲の特徴とは、以下の2点にまとめることができる。
- 歌詞に救い・希望がなく、精神的な暗さがある楽曲(『真夏の夜の夢』以前の楽曲)
- パワフルさや派手な展開がなく、淡々と進行する楽曲
人間椅子の本当に”暗い”と思う10曲
ここからは具体的に、人間椅子の本当に暗いと思う曲を10曲選んでみた。
選考のポイントは先ほど提示した2点を中心としているが、ややそこから外れた楽曲可ながら、独特の暗さがある曲も選曲している。
厳選していった結果、10曲に絞られた。その曲数だけ見ても、それほど真に暗い曲は多くないのだ、ということも明らかになった。
マンドラゴラの花
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:『黄金の夜明け』(1992年)
漫画『エコエコアザラク』から着想を得て作られたという楽曲。実はデビュー前から存在した曲だったが、アルバム収録は1992年の『黄金の夜明け』だったと言うブランクのある楽曲だ。
鈴木氏らしい不気味な楽曲であるが、盛り上がりどころのないところがとにかく暗い、という印象がある。そして「マンドラゴラの花」と繰り返されるサビメロも何とも不気味である。
アップテンポになる展開もなく、むしろ中間部では静かになるプログレ的な展開だ。そして歌に戻ることもなく、ギターソロ・アウトロで終わってしまうのに、7分30秒もある曲である。
なかなか出そうと思っても出せない不気味さを醸し出しており、この不気味さに救いを感じないところから、暗い楽曲として選出した。
ブラウン管の花嫁
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『羅生門』(1993年)
和嶋氏によるダウンチューニングの不気味なリフが印象的な楽曲。ブラウン管の中、つまりテレビの中にいる女性に恋をした男の歌、と言ったところだろうか。
多くは語られていない歌詞ではあるものの、曲の不気味なリフとメロディでずっと不穏な雰囲気が漂い続けている。
「まぶたの奥で」の辺りでやや明るい展開があるが、かえって不気味さを際立たせてもいるようだ。この曲もリフのマイナーチェンジはあるものの、基本的に1つの不気味なリフを膨らませて作られている。
ずっと低空飛行のまま終わっていく感じが、言いようのない不気味さと暗さを持った曲だ。そのためか、ほとんどライブで披露されたことがないように思える。
暗い日曜日
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『踊る一寸法師』(1995年)
インディーズからリリースされたアルバム『踊る一寸法師』に収録された、ダークな色合いが強い楽曲である。ただこのヘヴィさは、これまでの人間椅子とはやや趣が異なる。
ずっと幻想・怪奇の世界を歌っていた人間椅子だが、この曲で歌われるのは和嶋氏自身の焦りや心の闇のようなリアルなものである。
歌詞に登場するエピソードは和嶋氏自身の体験にもとづくものだそうで(学生時代のアルバム、という辺りは本当にそうらしい)、現実世界のことを歌っている。
人生が「これで良いのか」と感じたことのある人には、きっと暗雲が垂れ込める曲であるし、和嶋氏自身もインディーズでの活動の中で人生について考えたことが窺われる、生々しく暗い楽曲である。
踊る一寸法師
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:『踊る一寸法師』(1995年)
アルバムタイトル曲になっている、江戸川乱歩の小説「踊る一寸法師」からタイトルと世界観を借りた楽曲である。
これぞ鈴木研一という笑い声や不気味なリフが展開されていくが、たった2音のリフで名曲が生まれるのか、と驚かされるシンプルさである。しかしシンプルゆえに、その不気味さが際立つと言うものだ。
原作の雰囲気に忠実に作られている印象で、その狂気と怪奇性はまさに暗黒である。あまりの暗黒に、一周回って快感さえ覚えてしまうので、暗い曲と思わない人もいるかもしれない。
「暗い日曜日」など、これまで人間椅子が歌わなかった内容も込めたアルバムだったが、タイトル曲は人間椅子の王道を貫くと言う決意を込めた、渾身の楽曲だった感がある。
莫迦酔狂ひ
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『無限の住人』(1996年)
漫画『無限の住人』のイメージアルバムに収録された楽曲で、酒の神と言われるバッカスを題材にした非常にヘヴィな楽曲である。
7拍子の6拍目から始まるトリッキーなリフから次々展開していく目まぐるしさがあるのに、一貫した重苦しさが漂う曲である。そして中間部のメインリフは、人間椅子屈指の暗黒さだと思っている。
ずっと酔いどれの中にあるような、夢と現の間にあるような感覚がある。次作『頽廃芸術展』に「阿片窟の男」もあるが、依存性のある物質から抜け出せない闇のようなものが共通している。
やはりこうした曲の底なしの暗さは、和嶋氏の心の中にある闇が表れていたものなのだろう、と推測するところだ。
少女地獄
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『二十世紀葬送曲』(1999年)
夢野久作の小説「少女地獄」にタイトルを借りた楽曲。もし自分が少女だったら、という内容を男の目線で歌うという、なかなか倒錯した歌詞である。
そして恋人関係だった女性と、女の子同士で出会ったとしたらどうなるのか、という不気味さとともに、どこか悲しさも漂う内容となっている。
楽曲はダウンチューニングを用いたヘヴィなものだが、随所に歌謡曲的なメロディも登場し、ヘヴィ一辺倒ではないところが面白い。
この曲の暗さは、こうした設定自体を思いつく当時の和嶋氏の心境にあると思う。どこか現実を生きていない感じのする歌詞には、裏返せば現実の重苦しさを匂わせるものである。
黒い太陽
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『二十世紀葬送曲』(1999年)
アルバム『二十世紀葬送曲』のラストを飾る、人間椅子史上最もヘヴィと言えるような重厚感のあるリフトサウンドが特徴的な楽曲である。
この曲の重さ・暗さは単にサウンドだけではない。その歌詞とは、心の中にあるどす黒い闇=黒い太陽と表現し、社会的には許されない心の闇を描いている。
おそらく反社会的な行動とは、実行してしまうと案外にもあっけなく、静かに行われてしまうものなのだろう。そうした恐ろしさと不思議な静けさが、この曲の歌詞では歌われているように思える。
そうした歌詞の妙な静けさと、轟音サウンドが相まって、不気味さを際立たせている。それと同時に、和嶋氏の心の闇がここに極まったような、最も暗い曲と言ってもいいような内容がある。
芋虫
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録アルバム:『怪人二十面相』(2000年)
江戸川乱歩の小説からタイトルを借りた「芋虫」は、ファンの間で非常に人気の高い楽曲である。長らくベスト盤に収録されなかったが、2019年の『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト』に収録された。
楽曲はハードなリフが主体ではなく、古き良きブリティッシュハードロック的な美しくも悲しいアルペジオと、巧みなコード展開が聴ける楽曲である。
楽曲の後半にはアップテンポな展開も挿入されてはいるが、やはり題材があまりに悲しく、暗いものであるためか、底知れぬ暗さが楽曲全体に漂っている。
『怪人二十面相』というアルバム自体が、割とカラッとした雰囲気の曲が多いためか、この曲の中に人間椅子らしい湿り気と暗さが、集中したのかもしれない、とも思っている。
相剋の家
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『修羅囃子』(2003年)
アルバム『修羅囃子』のラストを締めくくる、非常にダークで重厚なサウンドの力作である。難解かつ倒錯したような歌詞と、怨念渦巻くようなサウンドが特徴である。
この曲の歌詞は、和嶋氏の心の中にいる、実家で母親と何もしないで暮らしている自分の幻影があり、そうした自分の中の”相剋”を歌ったものであると考えられる。
そのため中間部にある明るい展開も、必ずしも光明を見ている訳ではなく、自分の中の二人の自分が分離したような状態を表しているものと思われて、かえって不気味なのだ。
前作『見知らぬ世界』では光明を見始めた雰囲気もあったが、この曲では表面的にはその路線を受け継ぎつつも、再び和嶋氏が心の闇の中に入って行くのが見えるのだった。
野垂れ死に
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録アルバム:『三悪道中膝栗毛』(2004年)
後藤マスヒロ氏との人間椅子が安定していたかに見えたが、2003年に後藤氏が脱退、2004年にナカジマノブ氏が加入してすぐに制作されたのが『三悪道中膝栗毛』である。
和嶋氏の作風は明るさも見えるが、それは表面的な部分であり、『修羅囃子』の流れを引き継いで心の闇を感じさせる楽曲もいくつか収録されている。
その1つが「野垂れ死に」であり、酒を飲んで道端で寝てしまう生活をしていた頃、いつかそのまま死んでしまうのではないか、と思ったところから、こうした歌詞が生まれた。
いわゆる”やさぐれ”ていた時期だったようであり、人生に対する後ろ向きな感じの暗さが曲に表れている。また「意趣返し」の歌詞にも、ドロドロとした闇が描かれており、実は闇の深いアルバムだ。
まとめ
今回は人間椅子の楽曲の中で、筆者が暗い楽曲だと思えるものを選んで紹介した。
あくまで筆者の基準と言うことではあるが、人間椅子の曲の中では本当に暗い曲と言うのは、それほど多くないのではないか、と思っている。
ヘヴィ・重い、怪奇的で恐ろしい、という曲はたくさんあるのだが、そこには昔から何らかの前向きさがあったように思える。
それは日本の怪談話がそうであるように、何かを学び取れるような、そう言った意味での前向きさがあるのと同様である。
真の暗さとは、何もそこから得るものがない、と言っても良いような、ただただ気持ちが落ちていくようなものである。
やはり人間椅子が今の位置に到達したのは、怪奇的で重い音楽をやりつつも、どこかに光明を見ていたからであり、それが顕著になってからブレイクに繋がっていったように思えるのだ。
※【人間椅子】唯一無二の世界観を語る上で外せない重要な楽曲を15曲にまとめて紹介
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