CDからサブスクリプションサービスなどに移行したことで、音楽の聴き方が変化している。レコード・CD1枚分にあたる、「アルバム」という聴き方も、もはや古い形態なのかもしれない。
とは言え、単一の楽曲とは異なる、美しく構築されたアルバム=名盤の魅力もまた今なお健在であると思っている。筆者としてはアルバムと言う単位は残って欲しい文化であると考える。
名盤を称して「捨て曲がないアルバム」と言うことがあるが、いったいどんな作品のことを言うのだろうか。
まずはそもそも「捨て曲」とは何なのか、から始めて、「捨て曲がない」という言い方をする時のアルバムの魅力について、具体的な作品を挙げながら紹介したい。
そもそも”捨て曲”とはどんな曲か?
アルバムを評する時に嬉しくない表現として「捨て曲」という言葉がある。まずはこの言葉が意味するところから考えてみたい。
捨て曲とは、アルバムのピースとしてもあまり機能していないし、クオリティ的にもいま一つという楽曲のことだと筆者は考える。その結果、アルバム通しで聴いた時に、飛ばされがちな楽曲のことだ。
アルバムを構成する楽曲は、個々のクオリティが必要であると同時に、1枚のアルバムとして統一感のある内容にする必要が出てくる。
個々の楽曲の個性とアルバムとしての統一感のバランスで、アルバムとしての良さが評価される。
しかしアルバムを構成することを意識し過ぎると、一部にクオリティの落ちる楽曲が入り込み、かえって統一感を下げる方向に行ってしまうのだ。
こうした本末転倒の楽曲が「捨て曲」と呼ばれるのだが、よくある事例として以下の3つを列挙してみた。(具体的な作品は悲しくなるので出さないことにした)
- 曲数を稼ぐために作られたもの
- 遊び心として作ったがスベっているもの
- シングルのアルバムバージョンが失敗したもの
まず1.は、若手のミュージシャンが頑張って最初のフルアルバムを制作する際に起きるパターンである。
1曲を仕上げる力量は上がっても、アルバム用に数多くの楽曲を作り上げるのは、また異なる力が求められる。
どうしても若手のミュージシャンとなると、自らの音楽性の幅もまだ狭い中で、アルバムで少し違うジャンルの曲を取り入れてみるが、やはり慣れないジャンルの曲は詰めが甘くなる。
安易に音楽的な冒険をすると、後に「捨て曲」という黒歴史となってしまうのである。
また2.は、アルバム曲のバリエーションを広げるため、メインの曲の間に遊び心で短い曲を入れることがある。それもクオリティが伴わないと、スベって痛々しいことになる。
逆に成功するのはお遊び曲の方でこそ難解なことをやってみせる場合のようにも思える。
3.については、先行リリースされたシングルをアルバムに入れる場合、アルバムの音像と揃えるためにアルバムバージョンにする場合である。
大抵の場合はオリジナルを超えることはなく、リアレンジした場合は失敗することが多い。リミックス程度の方が無難な印象がある。
せっかくの推し曲が捨て曲になるのは寂しいので、シングル曲はできればそのまま入れてほしいところである。
上記の3つのパターンに加え、やはりアルバムの曲数が多い方が、相対的に捨て曲が発生しやすくなる。
近年は13~15曲など、曲数を多くする傾向があるが、やはりクオリティと言う意味では10曲程度のアルバムが良い気がする。
”捨て曲のないアルバム”とはどんな作品なのか?
ここまで、やや苦々しい内容だったが、逆に「捨て曲のないアルバム」は、褒め言葉として使われる。
いわゆる字義通り、「捨て曲」が入っていないアルバムのことを指すものだが、「捨て曲のないアルバム」とあえて言うときには、単に「捨て曲がない」以上の意味合いが込められている気もする。
まずアルバム1曲ずつのクオリティが高いことが大前提である。全曲シングルカットできるくらい、それぞれの魅力があるようなものになっている。
アルバムとして並べた時に、やはりクオリティが少しでも落ちるものがあると、それが相対的に「捨て曲」に見えてしまう。他の文脈で聴いたとすれば良い楽曲に思えても、である。
それでいて、アルバムのトータル的な聴き応え・バランスと言う意味で、全部がピースとして収まっていることも重要だ。相互に干渉し合わない、収まりの良さという選曲の観点もある。
やはりある程度経験を積んで、ベストな状態で練り上げて作られていなければ、なかなかそういった名盤=捨て曲のないアルバムは生まれない。
よく「1stアルバムに定番が多く生まれる」ことは、アルバムとしての完成度と言うより、やはり個々の楽曲の熱量の高さを評価してのことであろう。
いわゆる”初期衝動”と呼ばれるもので、若さと勢いでアルバム全体を一気に聞かせるパワーがある作品と言うことになる。
しかし(100%狙えるものではないが)捨て曲のないアルバムとは、隙のなさのようなものがあり、それはある程度キャリアを積んで、作品を構築する力をつけた時期に生まれるものだろう。
”捨て曲のないアルバム”の例
いくつか筆者がすぐ思いつく「捨て曲のないアルバム」の具体例を紹介しておこう。
全曲のクオリティの高さに加えて、アルバムトータル感の高さも兼ね備えたアルバムである。しかしそのミュージシャンの代表作ではないこともある。
なぜなら代表作は出世作であったり、代表曲の多いアルバムだったりするからだ。「捨て曲のないアルバム」はあくまで、アルバムとしての完成度を評価してのことである。
Cocteau Twins – Heaven or Las Vegas(1990)
イギリスのポストパンク・ゴシックロックなどで括られるCocteau Twinsの1990年のアルバムである。
初期はゴシック色が強いため、やや好き嫌いが分かれるところであるが、本作はよりポップな路線である。そのため初心者にもお勧めしやすいアルバムなのだが、全く隙の無い名作だと思っている。
確かに初期のような尖った個性は影を潜めているが、かと言ってデビュー時からの個性が失われている訳ではない。”成熟した”と言えるものであり、見事にポップな形でアウトプットに成功している。
10曲で38分ほどというコンパクトな作品であり、とてもテンポ良くアルバムが進行していく。決して似たような楽曲ばかりではなく、でも統一感が見事であると同時に、個々の楽曲のクオリティも高い。
Sade – Love Deluxe(1992)
シャーデー・アデュをボーカルとする、ジャズやソウルを中心としたバンドSadeのアルバムだ。音数の少ない、洗練されたサウンドが音楽的な特徴である。
非常に寡作なバンドであり、一般的には初期の2枚が名作と言われることが多い。ただ改めて聴くと、初期はまだ”シャーデー節”が固まっていない感もあり、一般的なジャズやソウルの感覚も強い。
いわゆる音数の少なさや只ならぬ緊張感、それでいて脱力した演奏と言うシャーデーらしさの真骨頂は1992年の『Love Deluxe』ではないか、と筆者は思っている。
全曲シングルカットできそうなクオリティでありながら、見事にバラエティ豊かで、さらに統一感もある。どの曲が欠けても成り立たない、絶妙なバランス感覚のあるアルバムだと思っている。
角松敏生 – あるがままに(1992)
AORに影響を受けたシンガーソングライター角松敏生氏は、1993年に自身の活動を”凍結”させており、その最後のアルバムとなったのが、本作である。
80年代後半から凍結までの角松氏の音楽は、かなり女性関係の影響を色濃く受けたものであり、それが見え隠れする形で、内省的な世界観になっていた。
本作『あるがままに』は、ついに1人の女性を思って書かれた最後のラブレターがコンセプトとも言える作品になっている。
全体に悲痛な叫びが聞こえてくるのだが、それが作品に独特の統一感を持たせている稀有な作品だ。そして皮肉にも音楽性としては頂点を迎え、No.1に挙げるファンも多い名盤となったのだった。
※【角松敏生】1991年~1993年と言う時期について – 活動”凍結”前夜がなぜ魅力的なのか?
爆風スランプ – Jungle(1987)
「Runner」で有名になったロックバンド、爆風スランプのブレイク前のアルバムである。デビュー頃は派手なライブパフォーマンスから、ややコミックバンド的な扱いも受けていた。
音楽的に実は高度であることを示せたアルバムが、本作『Jungle』と言っても良い。アルバム前半を中心に、ブラスを取り入れたファンク要素の強い作品になっている。
ファンクと言う分かりやすいジャンルが軸になったことで、楽曲もまとまりやすかったのか、非常にクオリティの高い楽曲が揃っている。
おふざけ曲も入っているが、超絶高度なことをやっており、かえって聴きどころの1つになっている。笑える曲からカッコいい曲、そして泣ける曲まで、全部の要素が詰まった名盤である。
※【初心者向け】”はじめてのアルバム” – 第14回:爆風スランプ 破天荒でポップ、笑えて泣ける楽曲
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