自部屋に流れるあの歌 Vol.1 AGHARTA – ILE AIYE〜WAになっておどろう〜 (1997)

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角松敏生
画像出典:Amazon

当ブログでは様々な音楽の名アルバムを紹介してきた。そしてアルバムでの聴き方にこだわってブログを書いてきた。

しかしアルバムという単位で聴くよりも、1曲で聴きたい名曲もある。そんな1曲に注目する企画を、「自部屋に流れるあの歌」と題してシリーズ化していきたいと思っている。

第1回目に取り上げる楽曲は、AGHARTAの1997年の名曲「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」である。

一般には「WAになっておどろう」というタイトルでの認知度が高く、NHK「みんなのうた」での放送、またV6がリリースした楽曲として知られているのではないか。

V6バージョンは最高2位を獲得し、50万枚以上を売り上げたと言われる。みんなで歌えるサビのメロディが印象に残っている人も多いだろう。

しかし”本家”は、このAGHARTAの「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」 である。そしてこの楽曲を作ったのは、音楽家・プロデューサーの角松敏生氏であった。

この記事では、前半は「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」を紹介し、カバー作品などの情報をまとめる。楽曲の魅力についても、筆者なりに感じたことを書き記したい。

後半では、この曲をヒットさせた角松氏のプロデューサーとしての手腕、一方で自身名義の楽曲以上にヒットした理由にも迫ってみたい。

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「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」について

まずは「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」の概要を紹介していきたい。カバー作品、楽曲のエピソードや楽曲の魅力にも触れていく。

オリジナル楽曲の情報・入手方法

  • 作詞・作曲:長万部太郎
  • オリジナルバージョン:AGHARTA「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」(シングル)
  • 発売日:1997年5月21日
  • レーベル:avex ideak

オリジナルは、AGHARTAがリリースしたシングルである。1曲目は、NHKみんなのうたヴァージョンで、2曲目が通常のシングルバージョンだ。

作詞・作曲の「長万部太郎」とは、音楽家の角松敏生の変名である。角松氏は当時、1993年より自身名義の活動を”凍結”中だったが、プロデュースや別名義の活動は継続していた

オリジナルを演奏したAGHARTAも角松氏が変名で参加したバンドであり、名前を伏せてデビューする目論見だったが、デビュー前に正体が明らかになってしまったようだ。

なおAGHARTAが1999年に発表したアルバム『REVENGE OF AGHARTA』にも収録されている。ただしアルバムバージョンであり、パーカッションを増員したアレンジとなっている。

なお角松氏のライブでは、この曲が演奏されることが多く、特に周年ライブで披露される。たとえば2001年に行われた活動20周年記念ライブではAGHARTAによる演奏を見ることができる。

さらに2020年に発売された角松敏生氏の楽曲提供・プロデュース作品をコンパイルした『角松敏生ワークス -GOOD DIGGER-』には貴重なNHKみんなのうたバージョンが収録されている

「NHKみんなのうた」で異例のロングラン、長野オリンピックにまつわるエピソード

「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」は「WAになっておどろう 〜イレ アイエ〜」というタイトルでNHKみんなのうたで初めて世に出た

NHKみんなのうたでは、1997年の4月~5月で放送された。5分間の枠を1曲で歌いきるロングバージョンで放映され、放送後にはリクエストや問い合わせが殺到したという。

そのため8月~9月・10月~11月に異例の早さで再放送が行われることとなった。

何を隠そう当時小学生だった筆者も、テレビでこの曲を聴いた。そしてあまりの良い曲に釘付けになり、母親にこの曲を教えなければと感じたのを思い出す。

そして歌を聴いた母は、それが角松敏生氏のボーカルだとすぐに分かった。母は角松氏のファンであったのだが、活動凍結中の情報も少なく、AGHARTAとして曲を出していたことを初めて知ったそうだ。

こんな形で音楽が親子を結びつけたのだ。それぞれの家庭でも、この楽曲が歌われ、親しまれたことなのだろうと思う。

話を戻し、「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」は高い人気を誇り、そして長野オリンピックの閉会式で披露されたことも大きなトピックである。

注目すべきは、五輪自体のテーマソングではないことだ。長野オリンピックの公式テーマソングは杏里氏の「SHARE 瞳の中のヒーロー」であった。

しかしあまりヒットしなかったことから、杏里氏は閉会式ではテーマソングではなく唱歌「故郷」を歌うと言う扱いを受けてしまう。

※長野オリンピック閉会式について書かれた記事

V6「WAになっておどろう」は長野五輪で歌われてない?東京五輪“公式ソング”を考える
もし、東京オリンピックが2021年に開催されるとすれば、各テレビ局はそれに対応した準備を具体的に進めているはずだが、今の...

一方で「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」は長野オリンピックのマスコットキャラクター・スノーレッツのテーマソングに採用されていた。

立ち位置的には杏里氏の楽曲よりも下になるはずだったが、閉会式では、AGHARTAが「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」の生演奏を行っている。

そして各国の選手が文字通り、身体を動かしながら踊り、さらに観客もそこになだれ込むというハプニングも好意的に受け止められた。

音楽で1つになる”などというが、そう容易いことではない。本当に普遍的な名曲だからこそ、オリンピックの舞台であのような素晴らしい光景が繰り広げられたのだと思う。

2021年には東京五輪が行われたものの、その閉会式のムードについて、長野オリンピックと比較され、「WAになっておどろう」がネットニュースになったようだ。

東京五輪閉会式“バラバラ感”の正体…「WAになっておどろう」&欽ちゃんの名司会でアットホームだった長野五輪との差(近藤正高)
ひょっとすると今回の東京五輪に足りなかったのは、欽ちゃんのような役回りではなかったか。オリンピック史上、競技場の内と外が...

なお杏里氏と角松氏の関係であるが、80年代に角松氏が杏里氏のアルバムをプロデュースするなど親しい交流があった。またオリンピック以降に行われた角松氏のライブでも杏里氏はゲスト出演している。

よって長野オリンピックの件で、関係が崩れたと言うことはなさそうだ。

数多くのカバー作品と、V6バージョンの存在

大きなヒットとなった「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」は、カバーも多数存在する。

中でもAGHARTAのオリジナルバージョンがCDシングル化された1997年5月の約2か月後、7月にリリースされたV6のカバー「WAになっておどろう」が有名である。

NHKみんなのうたでは子どもやお年寄りから反響が多かったようだが、V6バージョンがヒットしたことで若い世代にも浸透したのだろう。

いまだにV6の「WAになっておどろう」がオリジナルだと思っている人は多いようで、長野オリンピック閉会式で歌ったのもV6だと覚え違いをしている人もいるらしい。

これ以外にも、以下のようなカバーバージョンがあるようだ。(並びは時代順)

・ひまわりキッズ – WAになっておどろう〜ILE AIYE〜キッズ・バージョン(1997)

・児玉国弘 – WAになっておどろう 〜イレ アイエ〜(1999など):日本コロムビア版カバー音源

・新座市立第三中学校合唱部、新西六郷少年少女合唱団 – WAになっておどろう(2002):『子供の歌 楽しく歌おう ~怪獣のバラード~』収録

・TOKIO – WAになっておどろう(2004):V6のカバーで、角松敏生がコーラスとギターで参加

・dream – ILE AIYE~WAになっておどろう~(2004):カバーアルバム『dream meets Best Hits avex』収録

・キグルミ – WAになっておどろう 〜ILE AIYE〜(2008):『キグルミのこどものうた』収録

・ROCO – WAになっておどろう(2012):『こどもじゃず その5』収録

・MAY’S – WAになっておどろう 〜ILE AIYE〜 feat. Fatman Scoop, ハーフ芸人オールスターズ(2014):『VIVA!!! SUMMER COVERS 〜Dancin’ In The Round〜』収録。後に角松氏とのデュエット「DADDY ~you’re my shadow~ duet with 角松敏生」も実現。

主だったCDリリースされているカバーは上記の作品となる。これら以外にも、YouTube等、動画サイトには多くのカバー、歌ってみたなどが公開されている。

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楽曲の魅力 – Bメロにみられるある曲との共通点とは?

多くの反響を呼んだ「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」。この楽曲にはどんな魅力があるのだろうか?

まずは作曲した角松氏自身が曲について語っている貴重なインタビューがある。

「作家で聴く音楽」 角松敏生
作家で聴く音楽-JASRAC会員作家、角松敏生のインタビューをご紹介します。

楽曲のコンセプトは、“アフロブラジルのプリミティブなレアグルーブで大人の男がユニゾンで野太い声で歌っている。それでいてメッセージは広いもの”だと言う。

楽曲自体には特に仕掛けはないと語るが、あえて言語化できるとしたらリズムとメロディの2点で特徴がある。

まずは土着的なリズムと、ゆったりした16ビートである。「みんなのうた」1997年8月-9月の番組テキストに、角松氏によるインタビューや振り付けが紹介されている。

その中では、老若男女がどんな踊りでも踊れるように工夫されていると言う。16ビートなので、速い動きもできれば、ゆったりと踊ることもできるようになっているのだ。

誰もが気軽に体を動かせる曲だっただけに、長野オリンピックでのあの光景を見ることができたのかもしれない。

そしてメロディや楽曲の構成にも気になる点がある。この曲は、Aメロ・Bメロ・サビの構成になっている。

その中で、Aメロ・サビはシンガロングできるような、野太い声でユニゾンで歌われている。しかしBメロだけは雰囲気が異なり、角松氏のソロボーカルで美しいメロディを聴くことができる。

この構成はどこかで似た構成だな、と思っていたが、1993年にヒットしたTHE BOOMの「島唄」を思い起こさせた。

「島唄」ではAメロ・サビでは沖縄音階で作られているが、Bメロのみが西洋音階で作られている。この構成にした理由にも諸説あるが、単純にBメロが際立って聞こえる効果もある。

そしてサビへの良い導入となる効果もある。「ILE AIYE〜WAになっておどろう〜」は音階の変化ではないが、ボーカルスタイルの違いを利用して、歌の中で変化を付けている。

「島唄」を意識したものかどうかは不明だが、ヒットした理由には何か共通点もあるのかもしれない。

そしてBメロに最も印象的なメッセージを配置している点も見逃せない。

筆者の個人的な体験では、1997年当時、ある理由で学校に行けない時期があった。それはつらい経験でもあったが、テレビから流れてきたこの曲に大いに救われた。

”悲しいことがあればもうすぐ楽しいことがあるから信じてみよう”という歌詞は、大きな支えになった。

そして考えるよりも、身体を動かしたくなるようなサビのメロディも明るい気持ちにさせてくれた。

言語化できないような魅力もたくさん詰まっているが、リズムとメロディに注目して考察してみた。

次ページ「なぜ角松氏は自身の名義よりも他の楽曲がヒットしたのか?」

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