UFOのアブダクションで宇宙人が和嶋慎治に託したメッセージは何か? – 鉄格子黙示録からさらば世界へ

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バンド生活34年となるハードロックバンド人間椅子は、高校時代の同級生であるギター和嶋慎治、ベース鈴木研一が出会って結成された。

この2人が楽曲制作の中心を担い、中でも和嶋慎治は歌詞全般を担当して、人間椅子の曲の世界観を作り上げる役割を取り続けてきた。

このブログでも和嶋氏の考え方の変化によって、人間椅子の音楽性や歌詞の世界が変貌してきたことは述べてきた。

そうした変化は和嶋氏自身の心の変化として捉えてきたわけだが、和嶋氏が人間椅子で歌われる音楽性になったきっかけは、UFOによるアブダクション体験だったと本人が語っている。

体験前後で音楽性がガラッと変わってしまったというのだから、ただ事ではない。筆者は宇宙人が和嶋氏に対して何かを託したことで変化が起こり、人間椅子を結成することになったと考えている。

そこで今回は宇宙人が和嶋氏に何を託したのか、宇宙人が和嶋氏を通じて伝えさせたかったメッセージは何か、ということを考える、大胆な考察記事を書くことにした。

そして2023年の今、『色即是空』を聴くにつけ、ようやく和嶋氏がそのメッセージを伝える状況まで至っているように、筆者には感じられる。

宇宙人からのメッセージとは何か、それを探す旅が人間椅子の歴史だったと言ってもいいかもしれない。

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和嶋慎治をアブダクションした宇宙人の目線で人間椅子の歴史をひも解く

今回の記事は、和嶋氏をアブダクションした宇宙人の目線からの人間椅子の歴史を描く内容である。

宇宙人は意図を持って和嶋氏に何かを伝え、それを和嶋氏は人間椅子の活動を通じて、地球人に伝える使命があったのではないか、というのが筆者の仮説である。

そのメッセージは何であったのか、を解き明かすことをゴールに、人間椅子の作品の変遷を振り返りつつ考えてみたい。

そして宇宙人のメッセージを伝えるにあたり、ただ和嶋氏がそれを語れば済むと言う話ではないだろう。なぜなら和嶋氏がそれを伝えて、聴いてくれる人がたくさんいなければ意味がない。

つまり和嶋氏が宇宙人のメッセージを伝える役割を果たせる人間になるべく、数多の試練が訪れたのではないか。それが人間椅子の歴史から窺える点にも触れて書いている。

なお和嶋氏の半生については、自伝『屈折くん』に詳しく綴られているので是非お読みいただきたい。

アブダクション体験前後~人間椅子結成

和嶋氏はもともと人間椅子で歌われるような世界観の音楽をやっていた訳ではない。高校時代に作曲を始めた和嶋氏は、ロックは聴いていたものの、フォークや歌謡曲的な曲を作っていたようだ。

しかしある日、UFOが部屋の中に入り込んできて、気づくと部屋の別の場所でうずくまっていた、と言う体験をする。

これはアブダクション体験ではないか、と和嶋氏は『屈折くん』で書いている。アブダクションとはUFOによる誘拐であり、その間に人体実験が行われる、とも言われている。

この体験の後、和嶋氏の精神には変容が起こり、世界の終末のイメージが湧くようになってしまったと言う。

このイメージに沿って作曲されたのが、後に1stアルバム『人間失格』に収録された「鉄格子黙示録」であった。これまでのラブソングとは全く異なる、不気味で狂気を感じさせる楽曲だった。

それまでの音楽仲間からは「気持ち悪い」、という声もあったようだが、鈴木研一と言う友人からは「今までで1番好きな曲だ」と言われ、この人物と後に人間椅子を結成することとなる。

筆者の仮説は、和嶋氏は宇宙人から音楽を通じて、何かを伝えなければいけないミッションを託されたのではないか?と考える。

しかもそれは何か世界全体の動向、あるいは宇宙的な規模の現象に関することのようである。そうした恐ろしい現象について、和嶋氏が得意とした音楽を通じて伝えることになったのだろう。

そしてそれを伝えるために相応しい音楽をやるために鈴木研一と言う人物と出会うことになった。こう考えると、和嶋・鈴木両氏の出会いも仕向けられたことだったのかもしれない。

それこそ、宇宙的な出会い=運命だった、ということである。

※全くこの記事を書く段階では視聴していなかったが、UFOによるアブダクション体験から、何か使命を受けたのでは、と言う話を語っている動画が公開されている。

メジャーデビュー~メルダック期 – 1st『人間失格』(1990)

鈴木氏と出会って人間椅子を結成し、とにかくメジャーデビューまでは運命的なことの連続だった。

浪人時代に鈴木氏が啓蒙していたBlack Sabbathに感銘を受けた和嶋氏は、彼とともに人間椅子を結成した。ダークな世界観の音楽は、和嶋氏が最初に作った「鉄格子黙示録」に通じる。

そして鈴木氏は就職先の内定をもらっていながら、和嶋氏とCDショップでばったりと出会い、バンドを続けることを話す、と言うあまりに運命的なエピソードもファンの間では有名である。

アマチュアとして活動していた人間椅子は、「三宅裕司のいかすバンド天国」という番組に出場し、オリジナル曲「陰獣」を披露して、一躍話題のバンドとなった。

イカ天キングにはならなかったが、独自の世界観が人気を呼び、1990年に1stアルバム『人間失格』をリリースする、というとんとん拍子のデビューを果たしたのだった。

バンドブームも手伝ってのデビューだったが、当時の和嶋氏の中にも「あまりにも上手く進み過ぎている」と言う思いがあったようである。

あるラジオ番組で大友克洋氏から「全然苦労していないだろう」と和嶋氏は言われて、その通りだと思った、というエピソードがある。

人間椅子は下積みを経てデビューしたと言う訳ではなく、テレビ出演を機に、突然デビューできることになったのである。

筆者が思うに、これも宇宙人が和嶋氏に託した何かの意味があったのではないか。まずは一度世に出て、人間椅子と言うバンドをやっていく土壌を作ってくれたように思える。

ただし和嶋氏にはまだ宇宙人が何かを託したことについては気付いていない状態である。なぜ人間椅子をやっているのか、表現者としての自分の使命は何か、などは分かっていなかったはずだ。

訳も分からず、とりあえず大きな舞台に放り出された、という感じである。しかし結果的には、この時のブレイクがなければ人間椅子は続いていなかっただろうし、意味のあることだったのだ。

一過性だったバンドブームが下火になるにつれ、人間椅子のアルバムの売り上げも右肩下がりになった。ついにはレコード会社との契約が終了となり、和嶋氏にとって試練の始まりとなる。

こうした試練も宇宙人に導かれたミッションだったのかもしれない。

インディーズ・単発契約の時代 – 5th『踊る一寸法師』(1995)

メルダックとの契約が切れた人間椅子だったが、和嶋氏・鈴木氏ともにバンドをやめる、と言う選択肢はなかったようである。

中学・高校時代からの仲間で始めた人間椅子であり、メジャーでやれるかどうか、は関係なかったようである。しかし食つなぐために、アルバイト生活が始まったそうだ。

苦しい生活ながらも、インディーズでアルバムを出せることになり、1995年に5th『踊る一寸法師』がリリースされた。メジャーでの制約がなく、伸び伸びと好きに音楽が作れた作品だと言う。

一時、和嶋氏の父親が死去して、青森に住んでいた時代もあった。それでも青森でアルバム制作(1998年の7th『頽廃芸術展』)を行うなどして、作品を作り続けた。

非常に苦しい時代であったが、その後は単発の契約ながらメジャーでアルバムをリリースして、人間椅子としての活動が途切れることはなかったのだ。

その原動力は何だったのか。1つはロックが好きで、バンドが好きだったことであり、もう1つは鈴木氏がいたことだったのではないか、と筆者は思った。

メジャー復帰・表現者としての出発 – 10th『見知らぬ世界』(2000)

人間椅子は1998年にかつて所属したメルダックに復帰することとなった。デビューした頃に比べると自由な作風になっていた人間椅子だが、その路線のままメジャーでも作品をリリースすることとなる。

バンドとしては活動の場所を再び手に入れた訳だが、売り上げ的には厳しい状態が続いていた。そしてこの頃、和嶋氏は結婚生活を送っていたことを『屈折くん』で語っている。

もちろん結婚してバンドを続けている人は山ほどいるが、和嶋氏の場合、結婚して腰落ち着けてしまうと、表現者として輝いている感じがしない、と思ったそうである。

「身勝手だ」と自分で思いながらも、当時の奥さんと別れて、かつて住んでいた高円寺に再び戻って、音楽と向き合う道を選んだ。

この時の選択は後の和嶋氏、人間椅子にとって大きな意味を持つものと考える。この時、和嶋氏が単にバンドをやる・音楽をやる、ということから、自分らしい表現するスタートを切ったのではないか。

UFOによるアブダクション体験から、だいぶんと離れていたが、生活の苦しさ・バンドを続ける苦しさを知るために必要な時期だったのかもしれない。

しかしここでもう一度、宇宙人からのメッセージが和嶋氏の中に顔を出すことになったように筆者には思える。

人間界としてはあり得ない理由の離婚だったが、宇宙人視点からはしかるべき選択だったのかもしれない。自らの表現をする、と言うのが次なる和嶋氏へのミッションだということである。

そうした宇宙人的なものを感じたのか、2000年の10th『見知らぬ世界』では、和嶋氏はウンモ星人の格好をしている。

『見知らぬ世界』での和嶋氏の作風はこれまでと大きく変わり、ストレートに自ら感じていた心情を歌詞の中に初めて込めているように思える。

この路線は、近年の人間椅子での和嶋氏の歌詞の世界観とリンクするものであり、この時に和嶋氏の変化が始まっていた、と考えるのが良いのだろう。

そしてタイトル曲「見知らぬ世界」は、高円寺に戻り、再び表現と向き合おうとする和嶋氏の決意の歌であり、歓びの歌でもある。

どこかこの曲は近年の「無情のスキャット」などを予感させる曲調であり、最近の人間椅子に繋がる萌芽をここに見ることができる。

再び苦難の道~表現の軸を得る – 15th『未来浪漫派』(2009)

再びメジャーで活動を続けていた人間椅子だったが、売り上げは伸び悩んでいた。そして2003年をもって、当時のドラマーであった後藤マスヒロ氏が脱退した。

そして同じ高円寺に住んでいたナカジマノブ氏が加入、人間椅子は再スタートを切った。

しかしやって来た音楽ジャンルも違えば、人間椅子の陰気な雰囲気とも違う明るい人柄に、最初はちぐはぐな時期が続いた。

『見知らぬ世界』で自らの表現をストレートに行えた和嶋氏だったが、再び迷いの中に入っていくこととなる。表現、そして生きることそのものに対しても悩んでいた時期だったようだ。

生活は苦しく、肉体労働をしては酒を飲み、酒量が増えて、アルコール依存症のような状態にまでなっていた。

人間椅子の方は、ナカジマ氏との新しいスタイルを、ようやく2007年の14th『真夏の夜の夢』頃に作り上げることができていたように、筆者には思えた。

それと時を同じくして、和嶋氏の中にはある1つの生き方や表現の指針のようなものが芽生えたと言う。それは「美しく生きたい」というものだった。

この言葉を実践するうちに、和嶋氏の心境がどんどん変化していったようである。そしてその変化が歌詞としてはっきり表れたのが、2009年の15th『未来浪漫派』であった。

これまでの人間椅子にあった、後ろ向きな要素はもうなくなっている。それは生きる喜びや、光の当たらなかった者たちへの優しいまなざしと感動に満ちた内容に変わっていた。

筆者が思うに、和嶋氏はこの時に魂の声を聴いて生きる、という生き方に変わったのではないか。魂の領域こそ、宇宙と繋がった深淵な世界である。

筆者の仮説であるが、この辺りで、かつてアブダクションされた宇宙人と繋がり始めたのではないだろうか。宇宙からのメッセージを伝える準備が出来つつあった時期だったのだろうと思う。

そうした宇宙からのメッセージを、自らの魂を通じて歌い上げたのが「深淵」と言う楽曲だったように感じるのだ。

和嶋氏が人間として、表現者として、成長するための、宇宙人からのミッションはだいぶんと達成された時期だったのではないか、と思えた。

人間椅子としての飛躍の時期 – 17th『萬燈籠』(2013)

人間椅子として活動して20周年だった2009年頃から、徐々にライブの動員が増え始め、バンド周辺に活気が生まれ始めた。

後から思えば、和嶋氏の心境の変化に伴う、バンドの空気感の変化が大きかったのではないか。着実にではあったが、年を追うごとにバンドは上向いている感じがした。

このままじわじわと昇っていくのか、と思っていたら、大きな出来事が起こった。2013年にオジーオズボーンが主催するOzzfest Japan 2013への出演が急きょ決まったのである。

この時は再結成したBlack Sabbathが出演することになっており、ずっと憧れていたバンドとまさかの共演を果たすこととなった。

しかもそれだけではない。多くの人が来場するフェスであり、これまで人間椅子を知らなかった人に、人間椅子を知ってもらう大チャンスが巡ってきたのである。

筆者もライブに足を運んだが、実際どれくらいの反響があるのだろう、と思っていた。

蓋を開けてみると、会場がうねるように人が集まり、終演後にアンコールを求める声が上がったのは人間椅子だけだった。

まるでイカ天の時のような展開であり、和嶋氏自ら”再デビュー”とよく語っていた。今思うと、またしてもあの時の宇宙人の計らいが働いたのか、と思ったりもする。

しかしこれは和嶋氏や人間椅子メンバーが掴んだものであり、外に向かって行こうとするモードに入ったことで、チャンスを掴めたのではないだろうか。

そしてその勢いを落とさず、人間椅子の魅力を伝える勝負作が、2013年の17th『萬燈籠』だった。マイナーキーでハードな曲で縛った、かなり攻撃的なモードのアルバムが出来上がった。

この時期は、とにかく人間椅子を多くの人に知ってもらう、と言うことを念頭に、分かりやすく人間椅子らしい楽曲と、熱いライブパフォーマンスに磨きをかけていた。

あれだけ後ろ向きだった人間椅子と言うバンドが、前だけを見るバンドになった。色々と変化も大きかったが、思い出せば感慨深い時期である。

バンドの頂点とついに海外へ – 21st『新青年』(2019)

Ozzfest Japan 2013出演後の人間椅子の活動は、怒涛と言う言葉がふさわしいものだった。作品制作・ワンマンツアーが主体だったのが、外に開かれるようになったのだ。

Webや雑誌、ラジオ・テレビと露出の機会は一気に増え、これまで少なかった対バンやフェスへの出演も増えて、常に新しい告知がSNS等で発信される日々が続いた。

そしてOzzfest Japan 2013出演時は、「昔から凄いことをやっていたが知られていないバンド」だったが、どんどんリアルタイムの人間椅子への評価が高まっていった。

2019年にリリースされた21st『新青年』は、バンド生活30周年を記念して作られた作品で、かなりメンバーも気合を入れて制作が行われたアルバムだった。

アルバムに先立ってリードトラック「無情のスキャット」のMVがYouTubeに公開された。驚いたことに、瞬く間に再生回数は100万回を超え、2年後の2021年には1000万回再生を突破したのだった。

いわゆる昭和・平成時代の”ヒット”とは違うものの、国内外を含めて1000万回再生は間違いなく、楽曲がヒットした、ということを示すものだと言えるだろう。

この曲が発表された当時、再生回数が伸びていることに対しては、嬉しさとともに「いつもと同じ感じなのにどうしてだろう?」と言う不思議な感覚も覚えた。

人間椅子らしいヘヴィさに、展開の多い長尺の曲、というアルバムラストに入りそうな”いかにも”な曲だったからである。

筆者も「無情のスキャット」に隠れた秘密はないか、とあれこれ考察した記事を書いた。

しかし宇宙人目線で考えれば、ついに和嶋氏がアブダクションされた時のメッセージを世に伝える段階に来たのではないか、という考え方もできないか。

和嶋氏は「美しく生きたい」という自身の人間としての生き方から変化を始めた。そしてその実践の結果、「無情のスキャット」では”報われない人”を俯瞰して見ることがついにできた。

和嶋氏自身も”報われない人”だったからこそ、突き放すような歌詞ではない。自分自身が変われば、世界はきっと変わるはず、という愛に満ちた内容だからこそ、ここまで人を惹きつけたのではないか。

宇宙からのメッセージの1つは、苦しみを乗り越えてこその喜びの世界、そして愛のある世界がある、という内容だったのではないか、と筆者は思う。

このメッセージを真正面から、和嶋氏らしく描けるまで、苦難の道があり、それを乗り越える実践をすると言う使命が和嶋氏にはあったのかもしれない。

「無情のスキャット」のヒットも手伝い、アルバム『新青年』はオリコンチャート自身最高の14位を記録した。

さらに翌2020年には初の海外進出が実現し、ヨーロッパで3公演を行うワンマンツアーを行った。Ozzfest Japan 2013をきっかけとした”再ブレイク”の頂点に達した、と感じた。

活動31年目の人間椅子、初の海外進出への道のりとなぜ今海外進出できたのか?

地球人に伝える宇宙からのメッセージ – 23rd『色即是空』(2023)

海外進出も果たし、波に乗っていた人間椅子だったが、急に足止めを食らう出来事が起こった。誰しもご存じの、コロナ騒動である。

「密集を避けよ」ということになり、ライブハウスはまるで目の敵のようにされてしまい、ライブは当面できない状況となってしまった。それはもちろん人間椅子に限ったことではなかった。

いち早く配信に切り替えるなど、現状に適応しようとしたバンドも確かにあった。人間椅子も配信ライブをやってみたりしたが、どうも本人たちに違和感があり1回きりでやめてしまったようだ。

また2021年には感染対策としてマスク着用、声出しを控える、人数を減らすなどをしたライブが再開された。しかしこの状況に対しても、同様にしっくり来ない中でのライブとなった。

和嶋氏はこの一連のコロナ騒動をどう見ていたのだろうか。迂闊にこの点を語れないのは、コロナ騒動が多分に政治的な色合いを持つ出来事だったから、と言うのが筆者自身の考えである。

和嶋氏は一般に”陰謀論”と呼ばれてしまう、世界の裏側や真実、スピリチュアルの世界などに関心を寄せており、きっとこのコロナ騒動を始めとする世界の動向には違和感を感じていたのではないか。

そうした社会への違和感、世相を反映した楽曲が、2021年の22nd『苦楽』から出始めるようになった。

和嶋氏の中にも社会の変化に対する危機感が増したのと同時に、コロナ騒動という出来事は、社会的な出来事への関心を高めたこともあって、現代を反映した楽曲も作りやすくなったのだろう。

それまでの人間椅子の歌詞の中にも、もちろん社会・世界との接点は持ちつつ、楽曲は作られていた。ただどちらかと言えば精神世界の中で、どう生きるか、と言ったテーマだった。

しかし『苦楽』以降、より私たちが目の前にしている世界に対して、何を思い、どう生きていくのか、という色合いがさらに強くなった。

そして2023年の23rd『色即是空』はアルバム全体を通じて、そうしたメッセージを伝える作品として、1つの到達点を迎えたように思う。

もちろん楽曲の歌詞の中に、具体的な社会情勢を示すタームは出て来ない。しかしコンセプト解説には、「超管理社会の到来、グローバリズム、西側世界」とはっきり書いている。

象徴的な楽曲が「さらば世界」である。まさにここで描かれる”世界”とは、和嶋氏が高校時代にアブダクション体験を経て見えた、世界の終末のあり様ではなかろうか。

ここに来て「鉄格子黙示録」と「さらば世界」が繋がってきているようにも思える。

この曲ではそんな”世界”から脱することを歌っているのである。これこそ、和嶋氏をアブダクションした宇宙人が最も伝えたかったメッセージなのではないか、と筆者は思う。

そのメッセージとは、ただ世界の終末が来ると言う予言のようなものではない。むしろそれをいかに乗り越えるのか、という方法について、1番伝えたかったのではないか。

その方法とは、この世界に実は実体がないことに気付き、真実の世界に向かうのだ、ということである。それこそアルバムタイトルの『色即是空』であり、その根底には愛があると語っている。

「愛をもって、希望をもって、今日を生き抜くのだ。」とアルバムの帯に書かれている。そして愛をもって生きるとはどういうことか、について「生きる」と言う曲で高らかに歌われている。

私たちの精神的な世界と、目の前にある世界は繋がっており、むしろ精神的な世界を映し出したものが、この世界であると言われる。

実は”世界”とは虚構の世界であり、私たちの中にこそ世界があり、それに向き合うことこそ、真実に近づけるのではなかろうか。

世界を救う方法は、各自が愛をもって、希望をもって生きること、ここに至るために和嶋氏の長い表現の旅があったように筆者には思える。

【アルバムレビュー】人間椅子 – 色即是空(2023) 古くて新しい人間椅子の”新世界”

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まとめ

今回は和嶋慎治氏が体験したUFOによるアブダクション体験を始まりに、宇宙人がいかなるメッセージを伝えたかったのか、について、人間椅子の歴史からひも解いてみた。

筆者の仮説では、和嶋氏が人間椅子のメンバーとして活動してからの半生は、自身に課された宇宙人からのメッセージをいかに伝えるのか、そのための準備期間だったのではないか、と思う。

和嶋氏自身がそのメッセージをしっかり自覚できる段階になるまで、人間界で修行させられた、という言い方もできるのかもしれない。

そして筆者が思うに、宇宙人が伝えたかったのは「鉄格子黙示録」で描かれるような世界の終末が1つである。

加えて、「さらば世界」で描かれるように、真実の世界に気付いた人たちは虚構の世界から脱出する方法を知る必要がある、ということではないだろうか。

今、高校時代の体験と最新作の楽曲が結び付こうとしているように、筆者には思えたのだった。

今まさにあちこちでこれまでの世界が崩壊しつつある。それは某有名芸能事務所しかり、宗教団体しかり、身近なところからも世界は崩壊を始めている。

しかし私たちが見ている世界は虚構であり、実体のないものである、というのが最新作『色即是空』のテーマである。

『色即是空』は私たちが見ている世界の今後と、私たちがいかに生きていくのか、という1つのメッセージを伝えている。そしてそれこそが、宇宙人からのメッセージでもあるように思える。

もちろんこれで和嶋氏の使命が終わったわけでもなく、まだまだ伝えることがある限り、創作活動は続いて行くであろう。

筆者も和嶋氏の考え方に大いに感銘を受け、たくさん学ばせてもらった。人間椅子、そして和嶋氏とともにますます自分自身の使命を見つめながら、生きていきたいと思う。

【人間椅子】ギター和嶋慎治の歌詞の変化を6つのキーワードから紐解く – 歌詞の変化がもたらした再ブレイクの要因とは?

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