このブログでは演歌と言うジャンルについて時々紹介している。演歌の魅力とは、楽曲の良さはもちろんだが、それを歌う歌手の魅力にも大きく影響される。
今回は、筆者が最も敬愛する演歌歌手である冠二郎氏の魅力を掘り下げたいと思う。
冠二郎氏と言うと、平成の”ネオ演歌”と言われた「炎」などパワフルな楽曲と愛嬌のあるキャラクターで知られている。
その一方で、長い下積み時代を経験し、苦労をした演歌歌手でもある。
この記事では前半で冠二郎氏の波乱万丈の半生を振り返り、演歌歌手としての魅力を語る。後半では、冠二郎氏を知る上でおすすめの楽曲を紹介している。
冠二郎の波乱万丈の半生
まず前半では、演歌歌手・冠二郎の人生と歌手としての魅力について掘り下げてみようと思う。
冠氏のプロフィールとごく簡単な経歴を紹介する。
- 本名:堀口義弘
- 生年月日:1944年4月23日
- 出身地:埼玉県秩父市
- 趣味:日本舞踊・書道・読書・映画鑑賞・旅
- レーベル:日本コロムビア
- 所属事務所:太陽プロダクション
高校卒業後に上京し、作詞家の三浦康照氏に師事する。1967年「命ひとつ」で日本ビクターよりデビューした。
1976年にコロムビアレコードに移籍。紅白歌合戦には3度出演しており、今日に至るまで数々の受賞歴がある。
明るいキャラクターにカツラ疑惑、最近では31歳差婚や年齢サバ読みなど、演歌歌手以外の話題も多い人物である。
ここから冠二郎氏の半生について、いくつかのトピックから紹介していこうと思う。冠氏の人柄についても触れながら述べることとする。
※冠二郎氏の情報に詳しいファンサイト「冠二郎ワールド」を参考にしている。
※withnewsによる冠二郎氏のインタビュー・紹介記事も参考にしている。
長い下積み時代と「旅の終りに」のヒット
withnewsによる冠二郎氏のインタビュー・紹介記事によれば、冠二郎氏は、意外なことにもともとアイドルになりたかったのだと言う。
当時全盛だった「御三家」の橋幸夫氏の潮来(いたこ)刈りを真似し、女性から人気だったそうだ。
そして高2の頃には、同郷の国会議員に「俺を歌手にしてくれ」と上京して陳情したというエピソードまである。
そのまま歌手にはなれなかったが、師匠となる三浦康照氏に出会うことになった。しかし「君の顔は演歌だ」と言われ、コロムビアに入って演歌歌手になる予定だった。
そこでデビュー曲も録音したが、演歌歌手はたくさんいるとの事情で、ビクターに移籍してデビューとなった。
お蔵入りとなった幻のデビュー曲は、後に「友情の海」としてリリースされた。
その後は、歌手としてヒットに恵まれず、不遇の時代を過ごす。
withnewsによる冠二郎氏のインタビュー・紹介記事によれば、3000軒のスナックや飲み屋を回り、レコードを手売りしたそうだ。キャバレー歌手としても歌ったが、ギャラはほとんどなかった。
転機が訪れたのは、1977年のこと。五木寛之氏の『海峡物語』がドラマ化され、劇中に登場する新人歌手役の影歌(役者の代わりに歌を担当)を、冠二郎氏が担当することになった。
五木氏自らが、役者と声が似ていることや、売れていないこと(世間的に声のイメージがついていないこと)、などの条件からレコード会社の演歌歌手の声を全て聴いて選んだそうだ。
レコード化に際しては、小林旭氏でリリースする案もあったそうだが、冠氏の歌のイメージが既にあったので、冠二郎の作品として世に出た。
その楽曲「旅の終りに」は、ヒットを記録した。デビューから10年が経ち、ようやく掴んだヒット曲であった。
しかし、その後はまた10年以上もヒット曲に恵まれない不遇の時代がやって来る。
酒浸りの日々から断酒~「酒場」で念願の紅白出場
鳴かず飛ばずの時期が長く、また「旅の終りに」の後もなかなかヒットが出なかった冠氏。そんな現実から逃げるように、酒浸りの日々が続いていたのだと言う。
2020年にSmart FLASHから出された記事には、冠氏の当時の酒浸りの日々の様子が書かれている。
朝から飲み続け、ろれつが回らず肺活量が落ちるようになってしまったと言う。そして1984年には全身に黄疸が出て、「急性アルコール性肝炎」と診断されてしまった。
いったん服薬で回復したものの、また酒を飲み始めると、今度は「慢性肝炎」と診断される。
そんな彼が酒を止めるきっかけになったのが、1989年の紅白出場者の発表の時だった。
「しのび酒」で紅白に出られるかも、と言う期待は裏切られ、半端な気持ちでは紅白には出られないと思ったそうだ。それを機に、酒もタバコもギャンブルも止めた。
そして1991年の第42回紅白歌合戦に「酒場」で初出場を決める。デビューから24年での悲願達成であった。
断酒を決めて、「酒場」という曲で紅白出場というのも皮肉なものである。
「ネオ演歌」の注目と若い世代からの支持
その後、冠氏は別の形で楽曲が注目を浴びることとなる。師匠の三浦康照氏との会話で「昭和も終わり、新しい演歌をやりたい」と言う話になり、生まれたのが1992年の「炎」である。
作曲家の和田香苗氏がラテンロックと和太鼓を取り入れたアッパーな曲調、三浦氏の妻が考案した「アイ、アイ、アイライク演歌」という英語を用いた歌詞など、斬新な演歌を披露した。
こうした新たな演歌は、”ネオ演歌”や”ロック演歌”、さらには「セイヤ!」の掛け声とともにアクションを行うため”アクション演歌”などとも呼ばれた。
「炎」で2年連続で2度目となる紅白出場も果たす。こうしたノリの良い演歌により、当時の若い世代にも支持を広げることとなった。
また冠氏のユニークなキャラクターもあって、バラエティ番組などにも出演するようになった。”冠”だけに、カツラ疑惑が噂されるなど、何かと話題になる人物であった。
1999年には「燃えろ!!ロボコン」のエンディングテーマ「歌は世界を救う!!」をリリースするなど、幅広い世代に向けた楽曲を歌っていた。
2001年に作曲家の和田香苗氏が亡くなると、残念ながら”ネオ演歌”路線の楽曲シリーズは終了した。
サバ読み発覚から31歳の年の差婚
2015年、週刊誌で冠二郎氏の年齢サバ読みが報じられた。当時65歳と公表されていたが、実際は70歳だったのである。
1967年のデビュー当時の冠氏は23歳だったが、若く見られた方が良いと言う意見から、「1949年(昭24)4月23日生まれ」と記載したのが始まりだったそうだ。
それ以降、48年間も年齢詐称を続けることにはストレスを感じており、ホッとしたとのこと。
そして年齢がバレるということから、結婚もできなかったとのこと。それが詐称の発覚した後に、現在の妻と出会い、31歳差の結婚に繋がったのである。
約2か月のスピード婚であり、お互いに初婚であったとのことだ。
これまでは男歌を歌うことが多かったが、2000年の「ふたりの止まり木」を2017年に「ふたりの止まり木〜歌手生活50周年記念Ver.〜」としてリリース。
男と女の歌を素直に歌えるようになったと言う変化があったのだと言う。
さらには年の差婚・年齢詐称がバレたことにより、仕事はむしろ増えたというのだから面白い。
しかし2019年には虚血性心不全を発症し、緊急手術で一命を取り留める。妻の献身的な支えもあって、歌手活動を再開している。
冠氏は78歳(2022年6月現在)、健康で今後も歌手活動を続けてくれることを願っている。
演歌歌手・冠二郎の魅力とは?
ここまで冠二郎氏の半生を振り返り、その波乱万丈をたどってきた。そんな人生の紆余曲折の話題に事欠かない冠氏だが、ここからは演歌歌手としての魅力に迫っていきたい。
なかなかヒット曲に恵まれず、不遇の時代も過ごした冠氏だが、筆者としては過小評価だと思っている。決してコミカルな楽曲だけでなく、正統派演歌も抜群に上手い冠氏の魅力を掘り下げたい。
圧倒的な歌唱力・表現力
まず見落とされがちなことであるが、冠氏の圧倒的な歌唱力の高さである。
確かに武骨で男臭い歌唱であり、技巧的な歌い方をするタイプではない。が、それゆえにストレートな歌唱が実に上手いのである。
その上手さは、安定感にあると思っている。あまりクセのないストレートな歌唱ゆえに、抜群の安定感が上手さに直結する。
そして、楽曲によって歌い方もしっかり変化する表現力ももちろん持っている。
冠氏にしては珍しいムード歌謡調の楽曲を歌った2014年の「望郷エトランゼ」では、いつものドスの効いた歌唱は一切出さずに、甘い歌声を披露している。
2022年の現時点の最新曲「夫婦してます」は、だいぶんとお年を召された冠氏ではあるが、歌唱の安定感は健在である。
”武骨な演歌歌手”と言うイメージもあるように思うが、実に歌唱に関しては安定感のある上手さが1番の魅力であると思っている。
さらにはカバーにおいても、圧倒的な歌唱力を見せてくれる。吉幾三氏の代表曲「酒よ」のカバーでは、味わい深さも残しつつ、見事な歌唱を聞かせてくれるのである。
※冠二郎のカバー曲を聴きたいのであれば、『名曲カバー傑作撰』(2009)がおすすめだ。
パワフルかつユニークなロック演歌
冠二郎氏と言えば、やはり90年代に立て続けにリリースされた”ネオ演歌”あるいは”ロック演歌”と呼ばれる、アップテンポでパワフルな斬新な演歌が魅力である。
平成始めの当時にあって、演歌は「昭和の古臭いもの」というイメージが既にあった。何か新しい演歌を、というコンセプトで作られたのが1992年の「炎」であった。
そして立て続けにリリースされた1993年の「ムサシ」、1998年の「バイキング」がロック演歌の3部作と言われることがある。
これらの作品に共通するのは、従来の演歌のメロディに、アップテンポなロック調アレンジを施した楽曲であることだ。
いずれも作曲したのは、和田香苗氏である。男らしい武骨な演歌メロディに、編曲を担当した前田俊明氏の斬新なアレンジが融合した。
そこに冠氏の超パワフルなボーカルが、溌剌とした歌唱が見事にマッチした。「炎」「ムサシ」「バイキング」の3曲については、後で詳しく紹介しよう。
この3作以外には、NHKのクイズ番組「頭のゲーム脳ビタくん」のテーマソングとなったシングル「太陽に叫ぼう・俺が天下の脳ビタくん」がある。
※和田香苗氏のロック演歌の楽曲をコンプリートできるのは、『全曲集’99/太陽に叫ぼう』(1999)である。
残念ながら2001年に和田香苗氏が亡くなってしまい、このロック演歌シリーズは終了してしまった。
その後も、パワフルな歌唱の楽曲はいくつかリリースされ、例えば以下のようなシリーズがある。
- 伝記物シリーズ:歴史上の舞台を描いたシリーズで「望楼の果て」「燎原の狼〜若き日のジンギスカン〜」などがある。
- 酔虎伝シリーズ:居酒屋チェーンとタイアップしたお酒に関する楽曲シリーズで「ほろよい酔虎伝」「ブラボー酔虎伝」「浪花酔虎伝」がある。
上記の楽曲群も冠氏らしさを感じるが、やはり「炎」「ムサシ」「バイキング」の弾け感は別格である。演歌の枠を超えたビート感が、演歌ファン以外にも受け入れられたのだろうと思う。
男臭い哀愁の正統派演歌
ロック演歌が注目される冠二郎氏だが、いわゆる正統派の演歌にももちろん魅力的な楽曲があり、味わい深い歌唱を聴くことができる。
筆者が特におすすめしたいのは、1970年代~80年代にかけての昭和時代の楽曲群である。この時代の楽曲は、より男臭い哀愁の感じられる楽曲が多くなっている。
その代表曲と言えば、自身最初のヒット曲である「旅の終りに」であろう。さすらう旅人の哀愁を、冠氏の味わい深い歌唱が見事に歌い上げている。
70年代の楽曲は、いわゆる”ド演歌”というよりは、歌謡曲要素のある演歌が多くリリースされていた。
80年代に入ると、より演歌色の強い楽曲が増える印象だが、硬派で男臭いテーマの楽曲が多いことが特徴である。
この時代には特に良いメロディの楽曲も多いためか、近年になって昭和時代の楽曲がリメイクされることが多い。
後半でもいくつか紹介するが、1983年のシングル『みれん酒』のカップリング曲「湯の町慕情」が、動画サイトで再生回数が多かったことから、2020年にリメイクに至った。
冠氏のストレートで男臭い歌唱が好きな人は、昭和時代の楽曲を遡って聴いてみることをおすすめしたい。
※70~80年代の楽曲が多数聴けるアルバムは、『ツイン・パック』(2016)がおすすめだ。
次ページ:冠二郎のおすすめ楽曲を紹介!
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