ハードロックバンド人間椅子は、70年代ハードロックに日本語の歌詞を乗せると言う音楽スタイルを貫いてきた。曲名を小説のタイトルから取ることも多いが、歌詞は独自の世界観によるものだ。
そんな人間椅子の歌詞の世界観について、当ブログでもいくつか記事を書いてきた。たとえばギター和嶋慎治の歌詞の変遷について考察した記事などがある。
※【人間椅子】ギター和嶋慎治の歌詞の変化を6つのキーワードから紐解く – 歌詞の変化がもたらした再ブレイクの要因とは?
今回は楽曲の歌詞や背景に注目してみようと思う。人間椅子の歌詞には、その元となるモチーフやエピソードを知ると、大変味わい深くなる楽曲がいくつかある。
そこでこの記事では、知るとさらに楽曲を楽しめる、人間椅子の歌詞の元となるモチーフやエピソードの中でも、筆者が「良い話」と思うものを集めてみた。
「良い話」とは必ずしも感動する話とは限らない。むしろ恐ろしさが増すような楽曲も選んでみた。
なお小説の内容から来ているものは極力外し、人間椅子メンバーが実際に体験したことや楽曲の背景的な内容を中心に選んでいる。
前半は楽曲にまつわる”良い話”を集め、後半では楽曲のモチーフに関する”良い話”を集めた。
※今回取り上げた楽曲から作ったプレイリスト
楽曲にまつわる”良い話”
前半は楽曲にまつわる”良い話”である。
歌詞の内容と言うよりも、楽曲が作られた経緯や楽曲が作られる背景にあったメンバーの状況などのエピソードで、筆者の好きなものを集めた。
人間椅子の楽曲の魅力、そしてメンバーの魅力がさらに感じられるような内容になっている。
鉄格子黙示録
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:1st『人間失格』(1990)、ベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』(2009)
ギター・ボーカルの和嶋慎治氏が高校時代に作った楽曲である。つまり人間椅子が結成される以前から存在していた楽曲と言うことになる。
和嶋氏のこの不気味で猟奇的な世界観は、作曲を始めた最初からあったものではなかった。作曲を始めた当初はフォーク調の楽曲で、テーマも恋に関するものが多かった。
和嶋氏の作風の変化は、高校時代のある日UFOにアブダクションされたと言う経験によると言う。壁を通り抜けて自室に入ってきた後の記憶がなく、部屋の隅でがたがた震えていたのだと言う。
以下の記事に詳しくその当時の様子が和嶋氏によって語られている。
※ムーPLUS:UFOにアブダクションされてメッセージを託された!? 人間椅子・和嶋慎治の怪奇体験
※TOCANA:ロックバンド人間椅子の和嶋が爆弾発言「UFOに連れ去られて、音楽性が変化した」和嶋慎治インタビュー
この不思議な体験を経て、和嶋氏の作風は大きく変わった。そして作られたのが、「鉄格子黙示録」であり、世の終わりや狂気を描いた楽曲となった。
周りの友人の中には「気持ち悪い」と評した人も多かったようだが、後に人間椅子を組む鈴木研一氏は「今までの曲の中で1番好きだ」と言ったそうだ。
人間椅子と言うバンドが結成されるには、和嶋・鈴木両氏の不思議な縁の巡り合わせが作用している。たとえば鈴木氏が和嶋氏にBlack Sabbathを勧めて好きになった、と言うのも1つだ。
そう言った意味で、このアブダクション体験もまた和嶋氏の精神性を変化させ、人間椅子の音楽性を形作る上で重要な意味を持っている。
そしてその変化を気に入った鈴木氏と人間椅子を結成し、その後ずっとこうした狂気の音楽を続けていることはとても感慨深い。
この体験がなければ人間椅子もなかったかもしれない、和嶋氏の人間椅子としての楽曲の第1歩と言う意味で聴くと、「鉄格子黙示録」はまた違った聞こえ方をするだろう。
なお2007年の14th『真夏の夜の夢』収録の「空飛ぶ円盤」では、UFOのアブダクション体験が歌詞に描かれているようだ。
陰獣
- 作詞:和嶋慎治、作曲:和嶋慎治、鈴木研一
- 収録作品:0th『人間椅子』(1989)、ベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』(2009)、ベストアルバム『現世は夢 〜25周年記念ベストアルバム〜』(2014)、ベストアルバム『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』(2019)など
人間椅子がプロデビューするきっかけになったのは、この曲でテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演したことによる。
それでけでも人間椅子にとっては、非常に重要な意味を持つ楽曲であることは明らかだ。しかし筆者が好きなのは、この曲を作っていた当時のエピソードである。
和嶋氏の著書『屈折くん』に書かれているが、この曲は鈴木氏の住んでいたアパートで作られたのだと言う。鈴木氏は卒業旅行でソ連に行く前に、MTRにリフをいくつか残していったそうだ。
そして和嶋氏は鈴木氏が旅行中、鈴木宅で楽曲を作った。その中でワウを用いたリフを思いつき、「陰獣」として作り上げたそうである。
デビュー前にはこのようにお互いの家を行き来しながら、2人で楽曲を作り上げることが多かったそうだ。2人の青春時代のエピソードとして、筆者は好きな話なのだ。
この時代に作られた「陰獣」や「りんごの泪」は、2人が日本語でハードロックをやるという人間椅子の音楽性を作り上げると言う、夢の結晶なのだ。
だからこそ30年の時を経た今も光り輝いているのだと思う。
青森ロック大臣
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:4th『羅生門』(1993)、ベストアルバム『ペテン師と空気男〜人間椅子傑作選〜』(1994)
軽快かつコミカルな曲調であり、和嶋・鈴木両氏の故郷である青森県を題材にした楽曲である。サビの「青森 青森」が耳に残るフレーズである。
この「青森 青森」について、鈴木氏は当時急行で時間をかけて帰省して青森に到着した時のアナウンスが印象に残っていて、そのまま歌にしたのだと言う。
鈴木氏のメロディや歌詞の原点には、自身が昔よく聴いた歌や掛け声などが元になっていることが多く、これも鈴木氏らしいエピソードだと思った。
そして1st『人間失格』収録の「りんごの泪」では「青森発上野行急行津軽」というセリフが挿入されていた。
「りんごの泪」では青森から東京へ、そして「青森ロック大臣」でまた青森へと到着する、という楽曲を飛び越えた電車の行き来が面白い。
また「りんごの泪」「青森ロック大臣」ともに作詞は和嶋氏であるが、鈴木氏が電車に乗って東京と青森を移動するのが好きだったことが窺える歌詞である。
若き日の人間椅子メンバーが浮かんでくるような楽曲である。
暗い日曜日
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:5th『踊る一寸法師』(1995)
メジャーレコード会社との契約が切れ、インディーズからのリリースとなった5th『踊る一寸法師』。インディーズとなったことで、より自由な作風で楽曲のバリエーションが増えることとなる。
そして歌詞の世界観にも変化が見られ、その変化の顕著な楽曲が「暗い日曜日」である。空想上の怪奇な世界を歌うことが多かった人間椅子が、日常の暗さを描く楽曲を作ったのだ。
「暗い日曜日」は、”せっかくの日曜日”に起きてほしくないことばかり並べたような歌詞である。あるいは楽しいはずの出来事さえ、どこか虚ろに感じられてしまう感覚を歌っている。
和嶋氏は、あまりに何もやることがない退屈な日曜日に、曲を作るほかないので作ったのが「暗い日曜日」だったと言う。
こうした和嶋氏自身の人間性が表れるような楽曲は、『羅生門』までにはなかった。
筆者は当時の人間椅子はリアルタイムで体感はしていないが、和嶋氏はどこかミステリアスで、浮世離れした青年ミュージシャンという雰囲気だったのだろう。
契約が切れバイトを始めたことで、ごく一般的な庶民の生活をするというのは大きな変化だったのではなかろうか。
生活リズムも、日曜日が休みと言う、一般的な暮らしを当時していたのだろうか。そうした生々しい体験が、こんな曲を作らせたのかもしれない。
恋は三角木馬の上で
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:8th『二十世紀葬送曲』(1999)
拷問器具の写真が多数掲載された8th『二十世紀葬送曲』、そして楽曲のタイトルにも拷問器具の名前が込められている。
そのうちの1曲、が「恋は三角木馬の上で」である。恐ろしいタイトルに軽快な曲調を乗せるのは、当時の和嶋氏の得意技であった。
当時は少し危険な恋愛について歌った楽曲なのかと思っていたが、後に『屈折くん』で和嶋氏が結婚していた時期と重なっていたことが発覚した。
そうするとこの曲の持つ意味合いも少し変わってくるように思える。
ヒストリー本『椅子の中から』で鈴木氏が書いていた通り、結婚したウキウキ感がにじみ出てしまっているということが窺える。
なるほど、新婚生活を和嶋氏らしく屈折した描き方で、こっそり曲に忍ばせたのである。
また和嶋氏はあえて縁もゆかりもない千葉県の鎌ヶ谷と言うところで結婚生活を送っていたそうだ。知り合いもいない、誰にも見つからないひっそりとした夫婦2人だけの世界である。
しかし和嶋氏は鎌ヶ谷に根を下ろすのが嫌で、奥さんに金銭的に頼るような生活をしていたという。2人だけのつましい生活ながら、和嶋氏は後ろめたさもあったのだろう。
ウキウキ感、2人だけの世界、と言うことと同時に後ろめたさも感じるアンビバレントな感情。これがこの曲を作らせたのかと思うとまた味わい深く思われる。
さよならの向こう側
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:10th『見知らぬ世界』(2001)
10th『見知らぬ世界』は、和嶋氏の明るい曲調がこれまでの人間椅子と大きく異なる作風で賛否両論あった。中でもとびきりポップで美しいメロディの曲が「さよならの向こう側」だった。
発売当時はいったいどんな心境の変化なのか、そしてこの曲の意味するところも全く分からなかった。その答え合わせは、やはり和嶋氏の著書『屈折くん』で行うことができた。
「恋は三角木馬の上で」の頃の始まった和嶋氏の結婚生活は、この作品がリリースされる前には終わりを迎えていたのだった。
和嶋氏は奥さんに食べさせてもらっているような状況では、良い音楽が作れないという、奥さんにとっては身勝手な理由で別れたいと願い出たそうだ。
奥さんはその願いを受け入れてくれたそうで、この曲には別れた奥さんへの感謝の思いを言葉にしたものだったと言うことが明らかになった。
答え合わせをしてしまうと、あまりにストレートな歌詞であることが分かる。「何かをなくす」とは2人のつましい生活のことだったのだろう。
こうしたテーマの楽曲を作るのに、どうしても攻撃的なハードロックサウンドにはできなかったということである。
これまでのイメージとあまりに異なるので、レコード会社の人には外してほしいと言われたそうだ。しかし離婚をメンバーは知っていたので入れることに理解を示した。
この曲は、『見知らぬ世界』に収まることが必要な曲だったのだ。
別の見方をすれば、和嶋氏のこの変化によって、今日の人間椅子があったとも言える。我々ファンにとっても、「有り難い」気持ちになるようにも思える。
何事にも偶然はなく、和嶋氏の結婚生活には終わる縁があり、人間椅子は続いていく縁があったのである。そんな不思議な縁に思いを馳せるような楽曲である。
見知らぬ世界
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:10th『見知らぬ世界』(2001)、ベストアルバム『押絵と旅する男〜人間椅子傑作選 第2集〜』(2002)
10th『見知らぬ世界』における和嶋氏の楽曲はほとんどヘビーなものはなかったが、ラストに配置された「見知らぬ世界」だけは人間椅子らしいヘビーなサウンドであった。
ただこれまでの和嶋氏の難解さはなく、今回の作風に沿ったストレートなものであった。ヘビーでありながら凛として、きらめきを放つような新しい人間椅子を感じさせるものである。
「さよならの向こう側」が妻と別れた和嶋氏の心境ならば、「見知らぬ世界」は表現者として新たな1歩を踏み出した和嶋氏の心境の歌なのである。
和嶋氏は千葉から、再び高円寺の街へと戻った。何かが始まりそうな予感の中、多くのスズメがさえずる声が希望の歌のように聞こえたのだそうだ。
自分のいるところが全く別の世界のような感覚、その感覚をそのまま「見知らぬ世界」と名付けて歌ったのがこの曲なのである。
背景を知ると、この曲がいかに重要な楽曲であるかが分かるだろう。和嶋慎治の再出発の歌であり、希望の歌であり、喜びの歌なのである。
そしてこの時の感覚が、さらに年を重ねて深まった結果、今の人間椅子での和嶋氏の作風があるような気がする。
胡蝶蘭
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:16th『此岸礼讃』(2011)
美しいギターの音色と高らかなメロディ、人間椅子の中でも屈指の美しいバラードとも言うべき楽曲である。
和嶋氏は”美しく生きたい”と思うようになり、自然の中にも人の心にも共通する美しさを見出すようになった。そんな万物に共通する美を描こうとしたのが、この曲であった。
さてこの曲を作っていた当時の和嶋氏は、東高円寺に住んでいたそうだ。(当時の筆者も高円寺近辺に住んでおり、道端で出くわしたこともあった)
住んでいたアパートは壁が薄く、ギターが弾けなかったとのことで、東高円寺にある蚕糸の森公園でこの曲を作ったそうである。
筆者も実際に何度も訪れたことがあり、割と広くて水路があり、木々が生い茂っている公園である。そこで和嶋氏は16th『此岸礼讃』の曲を作っていたのだ。
当時の人間椅子は少しずつライブ動員が増えていた。和嶋氏も創作の軸を手に入れて、輝きを放ち始めた頃である。
そんな状況の中、自然あふれる公園で作曲していたというエピソードは、それ自体美しい話である。また40代も後半の頃だが、もう一度青春時代を送っているかのようだ。
こうした時代を経て、その後の人間椅子の再ブレイクがあると思うと感慨深い。
楽曲のモチーフに関する”良い話”
後半は、楽曲の歌詞のモチーフとなったエピソードなどを集めている。感動的な話から、ホラーなエピソードまでさまざまである。
エデンの少女
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:10th『見知らぬ世界』(2001)
10th『見知らぬ世界』は明るい作風が多く、中でも前向きでポップな楽曲として「エデンの少女」がある。「少女よ駆け抜けろ」という歌詞が印象的で、爽やかな歌謡曲だ。
しかしモチーフになった少女について知ると、少し印象が変わる。和嶋氏が見たのは、図書館にいたと言う統合失調症と思われる少女だった。
ぶつぶつ独り言を言っていたかと思うと、ニヤッと笑って外へ駆け出して行ったのだと言う。和嶋氏は少女の背中に、この曲の歌詞を思いついたのだそうだ。
この曲に歌われているのは、社会的には弱者と言える少女の姿であり、しかしそうした存在にこそ真の純粋な心があるのではないか、と言うことに思える。
そして和嶋氏の見た統合失調症の少女にも、きっと純粋な何かが見えていたのだろう。和嶋氏の人の心を見つめる眼差しを感じられる楽曲になっている。
なお2021年に公開された映画『いとみち』の挿入歌に起用されたが、この映画のテーマもまさに社会的に弱い立場に置かれてしまった女性を題材にしていると思った。
※【人間椅子】なぜ挿入歌「エデンの少女」が映画「いとみち」に選ばれたのか? – 「エデンの少女」から考える映画「いとみち」で描かれたもの
終わらない演奏会
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:11th『修羅囃子』(2003)
ツアータイトルにもなった「終わらない演奏会」という印象的なタイトル。「ライブはいつまでも続くぜ」などというポジティブな歌詞ではなく、終わってくれない恐ろしい演奏会を歌っている。
やけに具体的な場面描写のあるこの歌詞だが、鈴木氏の悪夢が元になっていると言う。
体育館にパイプ椅子が並び、演奏会が行われるのだが、演奏者も観客も疲れ果てているのに一向に演奏が終わらない。終わることができない、という夢だったそうだ。
夢とは不思議なものである。現実には起こりえないことを、自らの頭の中でストーリーとして仕立て上げるのだ。
果たして本当に自分自身が考えているのか、あるいは何かに乗り移られて見せられているものなのか。人間の睡眠、そして夢の働きは不思議なことがまだ多い。
そんな悪夢の恐怖が、不安を掻き立てるようなリフと転がっていくようなビートで表現されている。就く垂れた経緯を知るとさらに恐怖が増すのではなかろうか。
相剋の家
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:11th『修羅囃子』(2003)、ベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』(2009)、ベストアルバム『現世は夢 〜25周年記念ベストアルバム〜』(2014)、ベストアルバム『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』(2019)
地を這うようなヘビーなサウンドに、難解で狂気を感じる歌詞。かつての和嶋氏の真骨頂とも言える、心の闇を描いた名曲が「相剋の家」である。
現在も頻繁に演奏されるこの曲には、和嶋氏の故郷と言うものへの思いと、自身の中の2人の自分の”相剋”があるのだ。
「相剋の家」の歌詞を作るにあたり、和嶋氏は頭の中にもう1人の自分がいるのだと言うことを語っていた。それは青森の実家に母親と住み、誰とも関わらず、ただ老いていくだけの廃人なのだと言う。
その幻影が時に頭に浮かび、故郷とは果たして安住の地なのか、ということを考えたようだ。
このような背景を知ると、「相剋の家」の歌詞は自分と、自分の中にいる幻との対話のようである。そして自分の中で”相剋”する両者の混乱と狂気が、難解な言葉に表現されているようだ。
中間部の美しい歌詞の一方で、抽象的で不気味な日本語があえて並列され、曲の中で人格が分裂したような狂気がある。今の和嶋氏にはない、人間の心の闇を描いた歌詞がここにある。
ヤマさん
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:15th『未来浪漫派』(2009)
「ヤマさん」という、明らかに誰かの名前をタイトルにした楽曲であることはすぐに分かる。当然ではあるが、その説明は歌詞の中には出てこない。
「ヤマさん」とは、ナカジマ氏の元バイト先にいた当時60代の男性のことである。少し知的に遅れのあった人だったようだが、その純粋さで周りの人から好かれていた人物だったようだ。
彼は体調を崩して会社を辞めたが、さらに人の好さから他人に持ち物を盗られてしまい、その後何も残さず亡くなっていったという。
和嶋氏は最初は笑い話として聴いていた「ヤマさん」の話を、何度か聴くうちに「ヤマさん」の人生を想うと涙が止まらなくなったという。
何も残さなかった彼だが、ただ純粋に生きたということだけで幸せなことではなかったのか。そんな彼を音楽として残そうと思って作ったのが、「ヤマさん」なのである。
詳しくは和嶋氏のコラムの文章で、ぜひお読みいただきたい。
BEEAST:浪漫派宣言「第二回 曲作りの日々」
和嶋氏の純粋な心へのまなざしは、先ほど紹介した「エデンの少女」にも通じるものである。和嶋氏自身も”美しく生きたい”と感じるようになり、音楽性や歌詞の世界観もこの辺りから変化していく。
十三世紀の花嫁
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:17th『萬燈籠』(2013)
メインリフ部分で大胆に詩の朗読が行われている楽曲。朗読が行われるのは、2007年の14th『真夏の夜の夢』収録の「世界に花束を」に続く2作目である。
和嶋氏の作曲はリフやフレーズの断片を繋ぎ合わせていくようだが、この曲はやや特殊な成り立ちである。それは夢の中で1番くらいまで流れてきた曲だったと言う。
寺山修司の映画『書を捨てよ町へ出よう』で観客に語り掛けるモノローグがあり、その声の主が和嶋氏の夢の中で、カーラジオから「新曲を出した」と言っていたのだと言う。
そしてその曲は、ヘビーなサウンドに詩の朗読が乗っかるものだったという。続きが聞きたくて、この曲を作ったそうだ。
詳しくは以下のインタビューも参考にされたい。
ROCKET NEWS 24:「【インタビュー】デビューから25年で今もっとも研ぎ澄まされたバンド「人間椅子」 ギター・ボーカル和嶋慎治」
鈴木氏の「終わらない演奏会」のところでも書いたが、夢の世界はいったいどこと通じているのだろうか。どうも脳が、どこか異次元の世界と交信しているのではないか、と思ってしまう。
そんな異次元からのメッセージを和嶋氏を通じて伝えに来たのかと思うと興味深い。和嶋氏の曲であれば、他にも1996年の6th『無限の住人』収録の「もっこの子守唄」も夢で聞こえた曲だそうだ。
地獄の球宴
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:19th『怪談 そして死とエロス』(2016)
近年、鈴木氏がシリーズものとして手掛けている「地獄シリーズ」の楽曲。地獄の様子を、人間の動作に例えた歌詞であり、今回は野球を題材にした内容である。
獄卒(死者を責める鬼)たちが残酷かつコミカルに、死者の体の一部で”球宴”を繰り広げる様子は、グロテスクなはずが、どこか楽しげで賑やかな雰囲気になるのが鈴木氏らしい。
ただしそんな楽しげな様子の中に、真に怖ろしい一節が入っているのがお分かりだろうか。「風が吹いたら元通り」という一節である。
何気ない言葉であるが、実は地獄の責め苦を受けても、風が吹くと体が元通りに戻り、最初から同じ責め苦を受け続ける、と言う意味なのだ。
これは八大地獄のうち「等活地獄」と呼ばれ、同じ責め苦が続く時間は、人間界の時間にして1兆6653億1250万年だと言う。
鈴木氏の描く地獄は、漫画家水木しげる氏に強く影響を受けたもので、地獄と言う世界を人間が理解しやすいように実体化・擬人化したものだ。
しかし地獄と言うのは、そうした実体のある世界とは異なり、魂だけが何らかの苦しみの中に閉じ込められ続ける世界と言うのが、実際起きていることに近いのかもしれない。
我々の認識では想像しがたいが、現世での行いと死ぬ間際の心の状態に相応しい世界に魂は行くと言う。実は地獄とは、我々の世界と地続きにあると思うと恐ろしい。
楽しく聞こえる「地獄の球宴」も、深く考えると恐ろしい楽曲なのである。
悩みをつき抜けて歓喜に到れ
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:22nd『苦楽』(2021)
22nd『苦楽』の中でも、和嶋氏の思想が色濃く表れた楽曲が「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」だ。タイトルはベートーヴェンの言葉であり、和嶋氏が紙に書いて自室に貼っていたという。
前向きで力強い曲調だが、中間部はややプログレッシブな展開になっている。この部分の歌詞には、4種類のカードが登場し、「試練の札引け」と繰り返すが、背景を知らないと意味が分からないだろう。
これは『屈折くん』の中に出てくる、和嶋氏が幼少期に家族で行ったというトランプ占いだそうだ。自分の人生の優先順位を「愛情」「試練」「財産」「才能」の4つでつける。
その占いで和嶋氏はいつも「試練」を1番上に持ってきたのだと言う。和嶋氏の姉は信じられないと言う様子だったが、母は偉いと言っていたのだ。
後に回想すると、和嶋氏が子どもの頃に並べた順序は、大人になってその通りだったのだと言う。そして「試練」を選んできたからこそ、真の喜びを知ることができた、と語っている。
これはタイトルの「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」そのものであり、この曲にカード占いのエピソードを取り入れたのは見事であり、楽曲の奥深さが増すのである。
和嶋氏の「苦があるから楽がある」という考え方は、2009年の15th『未来浪漫派』辺りから一貫している。
和嶋氏のコラム『浪漫派宣言』や著書『屈折くん』を読むと楽曲の背景が分かるので、おすすめである。
恍惚の蟷螂
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:22nd『苦楽』(2021)
昆虫好きの鈴木氏だが、中でもカマキリが好きだと言うエピソードはよく語られていた。ついに「恍惚の蟷螂」という楽曲として描かれることになったのである。
ここで描かれるのは、カマキリの雄である。そしてカマキリの交尾の場面で、雄は交尾の最中に雌に食べられてしまうと言うのである。
想像するだけで恐ろしい光景であるが、「喰われても」「有難い」「気持ちいい」というカマキリの雄の性を歌っている。
交尾のメカニズムの話は置いておいて、ある意味で究極のマゾヒズムであり、快楽の絶頂は苦しみの絶頂でもあり、それらは表裏一体のものなのである。
先ほどの「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」は、人間らしい”苦楽”の考え方だった。しかしカマキリの雄もまた”苦楽”であると考えることもできないだろうか。
仏教的に考えると、カマキリは人間より心の世界は低い位置にいる。だからこそ、より厳しい形で、自分の命をもって「苦があるから楽がある」ことを学ばせられているのかもしれない。
でもカマキリも人間も根本は同じことであり、「苦があるから楽がある」とは真理なのだろう。
アルバム『苦楽』の中で、「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」「恍惚の蟷螂」が並んでいることには、こんな裏の意味があるのではないか、と考えた。
そして自身の人生経験から”苦楽”を描く和嶋氏と、もっと根源的な”苦楽”をカマキリで描く鈴木氏。この2人だからこそ人間椅子であることが、この2曲で分かる気がする。
まとめ
※今回取り上げた楽曲から作ったプレイリスト
今回は、人間椅子の楽曲の歌詞や背景にあるエピソードを掘り下げることで、”良い話”を集めてみた。
改めて人間椅子の曲にまつわる話には、良い話がたくさんある。特に和嶋氏の心境の変化を追っていくと、いかに和嶋氏の心が解放されて今があるのか分かる。
また楽曲の歌詞についても、味わい深いものから恐ろしいものまで、実に様々だ。歌詞を読むと、和嶋氏・鈴木氏が、物事をどのように見つめているのか、と言うことが分かって面白かった。
単に楽曲として聴くのももちろん楽しいが、こうした背景知識を知って聴くのは、やや上級者向けの楽しみ方である。
人間椅子の楽曲をより深く楽しみたい方は、ぜひ人間椅子関連の書籍やWebインタビューなどを読み漁り、情報収集していただきたい、と思う。
当ブログでも今後も、人間椅子の楽曲をより楽しめるような記事を作っていきたいと思う。
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