再ブレイクした今、人間椅子が向かう先とは? – ”2度目の新人バンド”から”時をかけるバンド”へ

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第2部:”ロックバンド人生”から考える人間椅子にとって振り返るべき過去とは?

ここまで人間椅子の再ブレイクまでの道のり、そして”2度目の新人バンド”である時期の終わりを感じさせる『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアーについて書いてきた。

そして新たなファンにとっても、過去を振り返るタイミングとして良いのではないか、という提案をしている。

一言で「過去を振り返る」と言っても、人間椅子の歴史において、振り返る過去とはどのようなものなのか?

人間椅子の歴史を振り返ると、人間椅子だからこそできる、過去と現代を行き来しながら、同時に体験することができそうなのだ。

”ロックバンド”としての人間椅子の歴史

ここでは、人間椅子にとって振り返る過去とはどのようなものか、考えてみたい。

その際に、”ロックバンド”としての歴史に注目する。

人間椅子も”ロックバンド”が辿る道のりを歩んできた側面があり、一方で一般的なロックバンドの歴史とは異なる部分もある。

デビューの時代から振り返ってみたい。

”ロックバンド”の初期衝動 – デビュー~1990年代前半

ロックバンドは、結成当初はいわゆる”初期衝動”とも言われる粗削りながらパワフルな楽曲で人気に火がつく。

「こういう音楽をやりたい」とか「こんな表現をしてみたい」など、バンドを始めた時の原点の気持ちが、活動初期の作品には表れる。

人間椅子の場合、1st『人間失格』が”初期衝動”を感じさせるものだった。海外で生まれたハードロックに、いかに日本らしい怖さを乗せるか、というユニークな試みへの好奇心に溢れた作品である。

ロックバンドは、活動を続けながらいかに”初期衝動”を失わないか、が鮮度である。人間椅子にとっての初期衝動とは、いかに日本語ハードロックで戦慄させられるか、と言うことだったように思う。

2nd『桜の森の満開の下』~4th『羅生門』まではメジャーレーベルからのリリースだった。”初期衝動”は忘れなかったものの、レコード会社の思惑の中、徐々にバンドは縛られていく感覚もあった。

そうして人間椅子はメジャーとの契約が切られることとなった。

”ロックバンド”としての旬の時代 – 1990年代中頃~2000年代前半

ロックバンドの良さは、やはり若さゆえの特徴が多いと思っている。

葛藤や悩みを歌うこと、そしてどん底から理想を見ること、なども若さゆえに描き出せるものである。

また、若さゆえに、音楽的な実験を様々に行い、楽曲が複雑で作り込んだ作品になる傾向もある。結果として、音楽的に高度になっていくのが活動中期といったところか。

こうした時期に、バンドの”最高傑作”と言われる作品が生まれたりする。筆者としては、こう言った時期がロックバンドとしての旬の時期ではないか、と思う。

人間椅子の場合、1992年の3rd『黄金の夜明け』辺りから、既に洗練化が進み始めている。そして1995年の5th『踊る一寸法師』以降、どんどん音楽的実験を積み上げる時期となっていった。

しかもインディーズに行ったことで、本当のデビューの気持ちでもあったと言う。それは真に自分たちのしたい表現の探求をする、という覚悟を決めて踏み出した道だからだ。

だからこそ渾身の楽曲が並んでいると思う。

和嶋氏の楽曲で言えば、1996年の6th『無限の住人』収録の「黒猫」などは、今の人間椅子とは明らかに異なる肌触りがある。

作り込み過ぎともいえる展開と、地を這うような暗さ、そして難解に綴られた歌詞など、やはり若さゆえの滾りを感じさせるものである。

一方の鈴木氏は、「ダイナマイト」など、好きなパチンコの台をタイトルに、2分半のスラッシュメタルなどというシンプル過ぎる故の名曲ができたのも、若さが成せる芸当だった。

特に90年代後半~2000年代前半にかけての人間椅子は、不健康な暗さもあった。これも若さゆえの、社会に対する違和感や居心地の悪さを、ありのままに表した結果とも言えよう。

ロックバンドとしての旬、と言うことを考えると、筆者は90年代中盤~2000年代前半頃だったのではないか、と思っている。

音楽的に最も高度だったし、そしてロックの持つ不健全さやダークな部分が、作品に表れていた。

そして筆者が思うに、最も振り返るべき時期があるとすれば、やはりこのロックバンドとして旬の時代ではないか、と考えている。

バンドのバランスの変化 – 後藤マスヒロ期の人間椅子への喪失感とは何だったか

若さゆえに結束していたバンドも、徐々に年齢が上がると、バンドメンバーの関係性や、各々の音楽性の変化から、バンドのバランスは変化していく。

ここでメンバーチェンジや解散してしまうバンドも多いように思う。人間椅子の場合、後藤マスヒロ氏の脱退は1つの事件だった。

2003年の11thアルバム『修羅囃子』をもって、ドラマーの後藤マスヒロ氏が脱退する。演奏はもちろん、編曲への多大な貢献をしていた後藤氏の脱退の衝撃は大きかった。

2004年よりナカジマノブ氏が加入し、新生人間椅子となった。

この時期にも喪失感はあったが、メンバー交代による混沌の方が大きく、バンドとして、楽曲の方向性としてどうなっていくのだろう、という不安感の方が強かった。

しかし忘れかけていた喪失感が大きく戻ってきたのは、和嶋氏が覚醒した2007~2009年頃だったように思う。

ちょうどこの時期にはナカジマ氏とのバンドの雰囲気が固まり、そして人間椅子としても和嶋氏の表現の軸をもとに、再ブレイクの道を進み始めた頃だった。

なぜこの時期に、後藤氏の喪失感を思い出したのか、当時はよく分からなかった。

しかし今になると、それは人間椅子が若かった頃の楽曲の雰囲気を完全に脱した時期だったからなのだ、と思える。

あの暗くて不健康で、地底でうごめくような人間椅子はもういないのだ、という喪失感である。

後藤氏の脱退は、ドラマーの交代という喪失感もあったが、同時に人間椅子がロックバンドとしての旬の時期が終わる喪失感と重なってしまったのではないかと思う。

同じような感覚に襲われた昔からのファンもいるような気がする。それは後の人間椅子と、これまでの間に明らかな境目があるからなのだと思っている。

”危機”を乗り越えたバンドはシンプルになる – 健康的な暗い曲を作る人間椅子へ

既に述べたように、ドラマーがナカジマ氏に交代したことで、とにかく新しい人間椅子が始まった。ちょうど40代に突入し、和嶋氏はバンド活動というより人生に悩んでいた時代だと言う。

人間椅子は解散の危機についてはあまり聞かれないが、和嶋氏個人の人生においては”危機”と言っても良いような時期だったようである。

そして「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」というベートーベンの言葉を気に入っていた和嶋氏は、表現の軸を獲得したことで、表現がシンプルになっていった

歴史が長いバンドの多くも、一時期混沌とした時代があっても、それを乗り越えると表現がシンプルになっていく。

音楽的にも、難解な要素はそぎ落とされる。そんな変化にも良さはあるが、昔の音楽性とは変わったと感じるファンも多くなる。

その後の人間椅子は、ヘビーではあるが、かつてのような地を這うような不健康な暗さからはどんどん離れていった。

いうなれば、健康的ながら暗い曲を作る人間椅子へと変貌していったのである。

そして人間椅子はじわじわファンを獲得し、ついに2013年のOZZ FEST JAPANへの出演で大きく飛躍することとなった。

この頃の筆者と言うと、とにかく長年応援してきた人間椅子が日の目を見ることに喜びつつ、まだかつての人間椅子がいなくなった喪失感を引きずっていたような気がする。

その一方で、人間椅子はさらに輝きを増し、さらに人気が加速していった。

筆者も次第にいつまでも過去にとらわれるのは止めようと思うようになった。なぜなら和嶋氏自身が、そして人間椅子が過去のあり方と決別して、新たな道を歩み始めたのである。

もし今の人間椅子のファンでありたければ、自分自身の考え方を改めるほかないのだ。筆者は、昔の人間椅子と、この頃の人間椅子とは、全く別の感覚で聴くことにした。

新しい人間椅子は、どちらかと言えば、そのポジティブなパワーを感じるような聴き方である。例えれば、パワースポットに行って浄化されるような感覚である。

昔の人間椅子は、どこまでも深く掘り下げるような聴き方だ。それは音楽的に分析したり、歌詞の世界観を深めたり、オタクの楽しみ方と言える。

今の楽曲にオタクの楽しみ方はどうもなじまないし、その逆もしかりである。

どちらが良いかという話ではなく、昔には昔の良さ、今には今の良さがあると思えるようになった。

ようやく後藤マスヒロ期の人間椅子への喪失感から脱したような気がした。

このような心の整理が必要なくらい、人間椅子のモードチェンジは実は大きなものだった。だからこそ”2度目の新人バンド”と呼べる状況から、再ブレイクに繋がったのだと思う。

”ロックバンド人生”から考える人間椅子の現在地

人間椅子のロックバンドとしての歩みを通じて、歴史を紐解いてきた。

改めて振り返れば、人間椅子の歴史の大きな境目の1つとして、和嶋氏の覚醒を発端とする”再デビュー”の時期がある。

それ以前の人間椅子は、ロックバンドとしての旬の時代であったと思う。それが人間椅子にとっては、楽曲が最も高度でハイクオリティだった時代であり、若さゆえの苦悩がにじみ出る楽曲が並ぶ。

一方で”再デビュー”の時期には、そうした若さを脱し、健康になった人間椅子が登場する。バンドとしての魅力や売り上げを考えれば、人間椅子にとっては今の方が旬なのかもしれない。

ただ既に書いた通り、どちらが良いというより、別物として、どちらも良いと考えるところに落ち着いた。

少なくとも人間椅子の側は、過去の時代とはお別れをして、全く新しい道を歩んでいるのだと思う。

そしてファンの側も、過去を思い出すよりも、今の人間椅子の魅力に惹かれてファンを続けているのだ。

こうして考えると、『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアーは、1つの事件でもあった。ついに人間椅子の側が過去を振り返るライブを、ツアーとして大々的に行ったのである。

お別れした過去に、ついにもう一度目を向けたのだ。それは既に書いた通り、もう十分今の”再ブレイク”の流れに自信を持てたからなのではないか、と思う。

だとすれば、その方向にぜひ舵を切って欲しい。筆者のように古いファンは、どこかで昔の人間椅子を追い求めることに別れを告げて今がある。

しかし過去の時代のような楽曲は、もう今生み出されることはない。過去を振り返ることでしか、楽しむ方法はないのである。

だからこそ、今の流れは緩やかに残しつつ、新たに過去を振り返る流れを、人間椅子の活動に組み込む、という方向性が最も良いように思う。

人間椅子のメンバーは現在50代半ばであり、もう決して若いとは言えない年齢である。

今のスタイルで活動できる年数はどれだけか、と数えなければいけなくなってきた。健康が維持できたとして、あと10年ちょっとと言うところだろうか。

だからこそ、そろそろ新作の頻度は落としても良いのではないか、と筆者は考える。

限られた時間の中、そして今のバンドとして再ブレイクできた今だからこそ、昔の曲・今の曲をどちらも楽しめる状況を作るなら今しかないのではないか、と思うのである。

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総括:人間椅子の今後の行く先 – 人間椅子の強みと”時をかけるバンド”への転身

ここまで、人間椅子の現在地と今後の行き先について論じてきた。

第1部では、再ブレイクの後の行き先として、『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアーがその導入になるのではないか、と書いた。

それは新たなファンにとって、なかなかライブで聴く機会のない過去の楽曲を楽しめる機会が増えれば良いのではないか、と思ったからである。

続く第2部では、人間椅子の歴史を紐解き、”再デビュー”以前と、その後では表現するものに大きな変化があったことを指摘した。

それは後藤マスヒロ氏の脱退、ナカジマノブ氏の加入、そして和嶋氏の覚醒に伴うもので、若き時代の人間椅子との決別でもあった。

その過去への別れを経験した昔からのファンには、やはり過去の人間椅子も今のバンドと同じくらい愛おしいものなのである。

人間椅子が先に進むなら、過去に縛られずに今を楽しもうと思っていたが、『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアーにより、過去への扉が開いたような感覚になった

ならば、今こそ過去を振り返るタイミングなのではないか、と思った次第である。

よくベテランバンドが過去の楽曲ばかり披露するのはダサい、という見方がある。

それは過去だけが良くて、今がイマイチだから、良かった時代だけを懐かしむ、というスタンスだからである。

しかし人間椅子の場合は違うのだ。人間椅子は、表現しようとする音は基本的には何も変わっていない

どの時代を切り取っても、同じように並べて聴くことができるのである。なかなかこんなバンドは存在しない。別の言い方をすれば、初期衝動をずっと保ったロックバンドなのである。

しかも活動20年を超えて、”再デビュー”の感覚になる機会を得て、新鮮に活動を続けることができた。

だからこそ『踊る一寸法師』再発記念ワンマンツアーで、過去の楽曲と最新の楽曲を並べても何の違和感もなく、むしろ並べることでそれぞれに新鮮な感覚で聴くことができた。

人間椅子の場合は、もっと過去をアピールしても良いバンドなのである。

筆者としては、”2度目の新人バンド”の後には、”時をかけるバンド“として活動してほしいと思っている。

和製英語に、タイムリープ(time leap)という言葉がある。体は1点にありつつ、意識だけ時空を飛び越えるというものだ。

人間椅子は1つのライブの中でも、そして年間の活動の中でも自在にタイムリープしたら面白いのではないかと思う。

ほぼ同年代のバンドで人間椅子と対バン経験もある、怒髪天というバンドの活動が参考になりそうである。

怒髪天は上京して30周年の昨年に、廃盤になっていた過去のアルバムのリメイク盤をリリースした。

下手にアレンジすることなく、当時のアレンジのまま、しかし熟練した今の怒髪天が演奏する味わいがあった。

また昨年から続くツアーには「タイムリープ」という言葉をタイトルに冠し、新旧の楽曲を行き交うセットリストが組まれた。

さらにそれ以前から、ある時期の楽曲だけでセットリストを組む企画性の高いライブも行われていた。

新曲も同時にリリースしながら、かつての楽曲を掘り起こして、現代に甦らせる試みは懐古趣味とは異なる趣がある。

人間椅子の場合は、リメイクしなくても、演奏スタイルや楽曲の佇まいは変わらないので、すぐに過去に飛ぶことができるだろう。

それは新たなファンにとっても、昔からのファンにとっても心躍る体験となりそうだ。

今回のツアーでは久しぶりに「時間を止めた男」が披露され、和嶋氏は人間椅子を「時間を止めた男たち」と呼んだ。

これからは「時間を駆け巡る男たち」になる時期に来たのではないかと思うところである。

人間椅子は今年で活動33年、そして35年も見えてきたところだ。新たな作品にも期待しつつ、過去の名曲が披露される機会が増えることも願っている。

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