好きなバンドはいくつもあった方が良い理由とは? – アイドルにおける”推し”との微妙な違い

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音楽の聴き方

好きなバンドがいて、そのバンドを追いかけることはとても楽しいことである。

推し”という言葉がアイドルの枠組みを超えて、あらゆるものに広がった。バンドは音楽と言う点において、アイドルと領域的には近く、音楽ファンの中に推しのバンドがいる人も多いだろう。

アイドル文化では、”推し”を一途に追いかけることが美徳とされがちで、”DD(誰でも大好き)”はやや批判的な意味合いを込めて語られることもある。

しかし好きなバンドを追うこととアイドルの推し活には違いがある。それは音楽とバンド・ミュージシャンという人間とは切り分けて考えることができる点においてである。

今回の記事では、好きなバンドはいくつもあった方が良い理由について、アイドルとの微妙な違いも述べつつ、考察してみた。

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好きなバンドを追いかけることとアイドルの推し活の微妙な違い

好きなバンドを追うことと、アイドルを推すことには、微妙な違いがあると思っている。その違いとは、その人自体を推すのか、音楽を通じてその人を推すかと言う違いである。

アイドルは、まずその人自体を推すものだと考えている。アイドルも楽曲をリリースするが、まずはアイドルと言う人があって、その人たちが歌う曲を推す、ということになる。

人が先にあるので、複数人を推していると”浮気”のような見方が起きる。そしてアイドルとファンの関係は、人間関係にかなり近いものとなるので、距離感が問題になったりするのである。

一方で音楽の場合、まず楽曲が先にあり、それを作った人と言う順番だと筆者は考える。

楽曲はリリースされた瞬間から、作り手が生み出したものではあるが、ファンの側にその評価も含めて委ねられるものに変わる。

だからこそ音楽ファンはどんな音楽をどこまで広げて聴いたとしても、”浮気”のニュアンスでは捉えられない。

もちろんバンドとファンの間も人間関係には違いないが、ファンはバンドに作り手としての敬意を払い、バンドはファンの側が自由に聴き、評価することに干渉しないことで距離感が保たれる。

バンドを追いかける場合、まずは音楽や楽曲のファンであることを考えれば、どこまでも趣味を広げて好きになれば良いと筆者は考える。

ちなみにアイドルであっても、1人しか推してはいけないルールなどないので、何人推そうが自由である。

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好きなバンドがいくつもあった方が良い理由

アイドルを推すことと、バンドを追いかけることの微妙な差異について書いたが、特定のグループを追いかける点においては同じことである。

音楽ファンであるならば、追いかけるバンドはいくつもあった方が楽しいし、心の平穏が保てるように思っている。

その究極的な理由は「発表された音楽は永遠、人間は変わってしまうもの」だからだと思っている。

音楽は作られたら二度と変わることのない永遠のものだ。だからこそ自分がその曲を好きであり続ける限り、ずっと好きでいられるものだ。

しかしバンドは人間であり、常に変化し続けるものである。

たとえどんなに自分好みの作品がリリースされたとしても、それと同じ物は作り続けられないし変化するものである。その変化があまりに大きいと、追いかけるのをやめてしまうこともあるだろう。

またそのバンドの音楽活動が永遠に続くわけではない。バンドの解散や活動休止、さらに絶望的なのはメンバーの病気、そして死亡である。

さらに言えば、バンドの側は変わらず活動を続けていても、自分の側の環境や心境の変化によって、ずっと好きだったはずなのに聴きたいと思わなくなってしまう、ということもある。

このように楽曲はずっと不変であるのに、人間の側は変わることばかりなのである。

その中で1つのバンドだけを追い続け、心を寄せていたのに、何かの理由でバンドに魅力を感じない、活動が止まってしまった、となれば、その心に空いた穴は埋めようがないのである。

もちろんぽっかり空いた穴は同じものでしか埋められないが、いくつもバンドを追いかけていることで、その穴の大きさは相対的に小さくなるのである。

そこまで深刻な話題でなくとも、バンドを1つだけ追いかけていると、たとえばツアーが終わってしまうと、言いようのない脱力感に襲われる。

しかしいくつもバンドを追いかけていれば、次々とツアーがやって来て、寂しい気持ちになっている暇さえないほどである。

やはり好きなバンドを心の拠り所とするならば、いくつもに分散しておく方が楽しみも増えるし、何かあった時のダメージも少ないのだ。

こうした”分散させる”感覚は、アイドルの推し活ならばどこか失礼な感じがしてしまうかもしれないが、音楽の場合はあくまで楽曲が先にあるからできることなのではないかと思う。

音楽を介してバンドを追いかけるのであり、ライブまで熱心に行くか、音源だけ聴くのか、など様々な楽しみ方は、音楽ならば自由だと思っている。だからこそバンドの追いかけ方も自由で良いのである。

まとめ

今回は好きなバンドはいくつもあった方が良い理由について書いた。

どちらかと言うと1つの推しを一途に追いかけるアイドルとの違いは、間に音楽を挟んで、バンドを追いかけるところにあるところである。

バンドのメンバーをただ推したいのであればアイドルと同じことになるが、音楽は人間性とは別に語れるところに良さがあると思う。

アイドルの推し活などに比べれば、ドライに見える部分があるが、そうした割り切り方ができるのが音楽の良さであろう。まずは作品の良さが大前提であり、それによってバンドを追うかが決まる。

そういった意味では、バンド側にとってはシビアなものでもあるが、人間性が問われるアイドルも別の意味でシビアな世界だ。どちらがシビアと言う話ではなく、タイプの違いと言うことである。

音楽の楽しみ方は自由であり、ファンの側が勝手に線引きをする必要もないし、ましてやバンドの側がこういう楽しみ方はダメだと言う筋合いのものではない。

楽曲やそれを生み出すミュージシャンへの敬意があれば、どれだけ広くバンドを追いかけても、楽しくやれればそれで良いのだ。

筆者が長く追いかけているバンドのおすすめアルバム

人間椅子 – 色即是空(2023)

怒髪天 – マン・イズ・ヘヴィ(2001)

陰陽座 – 迦陵頻伽(2016)

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