ブレイク前夜!2000年代初めのクレイジーケンバンドの魅力 – 遊び心と高い音楽性のバランス

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クレイジーケンバンド
画像出典:Amazon

結成から25年活動を続けている東洋一のサウンドマシーン、クレイジーケンバンド。ドラマの主題歌となった「タイガー&ドラゴン」でブレイクしてからも、既に20年近くが経とうとしている。

クレイジーケンバンドの黄金期はいつなのか、と問われたら、世間一般には「タイガー&ドラゴン」でブレイクした2005年の辺りをまずはイメージするかもしれない。

しかし筆者が思うに、クレイジーケンバンドの魅力が最も詰まっているのは、2000年代初めの2001~2002年頃ではないか、と思っている。

この時期はクレイジーケンバンドのブレイク前夜とも言える時期で、数々の代表曲が一気に世に放たれた、かなり勢いのあった時代であった。そして、メディアでも注目され始めた時期である。

筆者がクレイジーケンバンドの存在を知ったのも、だいたいこの時期であり、”知る人ぞ知るバンド”からブレイクしていきそうな、ホットな時代であったと記憶している。

折しも2024年現在、YouTubeの公式チャンネルに2000年代初めのミュージックビデオが続々とアップされているタイミングである。

今回の記事では2000年代初めのクレイジーケンバンドの魅力を掘り下げる。またこの時期のシングル曲+αのおすすめ楽曲を後半では紹介した。

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結成から2000年代初めまでのクレイジーケンバンド

最初にクレイジーケンバンドが結成されてから、今回取り上げる2001~2002年頃までの歴史を簡単に振り返っておきたい。

なお、クレイジーケンバンドのオフィシャルサイト内のプロフィールにて、年ごとにかなり詳細な歴史が書かれているので、そちらも併せてご覧いただきたい。

バンド結成前~初期のクレイジーケンバンド

クレイジーケンバンドが結成されるまで、ボーカルの横山剣氏はいくつものバンドを渡り歩いている。遡ればキリがないが、CKBの原形の1つはZAZOU(1989~1991)であった。

それ以前からともに活動していた廣石惠一(ドラムス)、そして小野瀬雅生(ギター)が集まっている。

ZAZOU解散後は、横山氏は「バンドはこりごり」と作曲家活動を行っていたが、CK’S(1991~1997)に参加。洞口信也(ベース)、スモーキー・テツニ(ボーカル)らも加わっていた。

1997年2月にCK’Sは解散、ほどなくして横山剣、廣石恵一、小野瀬雅生、洞口信也、中西圭一、新宮虎児で「ゲロッパ1600GT」を結成。

後に小野瀬氏の発案で、バンド名が「クレイジーケンバンド」となる。

CKBのプロフィールによれば、CK’Sでは演奏禁止とされていた「踊り子」「右手のあいつ」を披露、新曲「けむり」で一気にドン引きするファンが続出、と書かれている。

これらはいずれも1998年リリースの1stアルバム『Punch! Punch! Punch!』に収録されている楽曲である。

ZAZOUなどの横山氏の作風と言えば、正統派のポップス、ソウル、ロックンロールだったことを思えば、下ネタを交えたCKBの楽曲は当時のファンの間では賛否両論だったと想像できる。

それまでの横山氏の音楽性から、大きく舵を切った(開き直った)のがクレイジーケンバンドだったのだろう。

当時は長者町FRIDAY、原宿クロコダイルなどで定例のライブがあり、箱根芦ノ湯の老舗「きのくにや」での「箱根ヨコワケ・ハンサム・ワールド」が恒例イベントだったそうだ。

1999年には2ndアルバム『Goldfish Bowl』、2000年には3rdアルバム『ショック療法』をリリース、コンスタントに音源制作も行われていた。

知る人ぞ知るバンドから世間的認知度の高まり

当時は”知る人ぞ知る”バンドだったクレイジーケンバンドであるが、3rdアルバム『ショック療法』を小西康陽氏がプロデュースするなど、業界人からの注目を集めるようになっていく。

2001年リリースのマンモス・シングル『肉体関係』は、その印象的なジャケットを含めてインパクトを与え、CKBのターニングポイントの1つとなった。

この年には初のホールコンサート「亀戸大作戦」の開催、第六回箱根ヨコワケハンサムワールドは参加希望者殺到のためついに抽選となるなど、ファン層の拡大も目に見えてきた。

2002年には立て続けにシングルをリリースし、『まっぴらロック』『GT』がチャートにランクインする。

また4thアルバム『グランツーリズモ』はオリコンチャート34位を獲得し、全国ツアーではチケットのソールドアウトが続出するようになった。

さらにトリビュートやカバー盤に積極的に参加し、大瀧詠一氏のトリビュートにはラッツ&スターの「Tシャツに口紅」で、松任谷由実氏のカバー盤では「コバルト・アワー」で参加するなどしている。

そして12月には『タイガー&ドラゴン』『クリスマスなんて大嫌い!! なんちゃって♥』を同時リリース。後者がJ-PHONE写メールワールドCFソングに起用され、認知度を大きく上げた。

翌年2003年以降、テレビ出演などメディア露出も一気に増え、ブレイクへと繋がっていくのだった。

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2000年代初めのクレイジーケンバンドの魅力とは?

ここまで述べた通り、2003年以降にメディアを大きく賑わせることになるクレイジーケンバンドであるが、それはまさしく2001~2002年頃のクレイジーケンバンドの魅力が伝わった結果である。

結成当時からの魅力もあれば、まさにブレイク前夜であるタイミングでの過渡期にある魅力も含まれるのがこの時期だ。

2000年代初めのクレイジーケンバンドの魅力について、以下の4点にまとめた。

”ごった煮”の音楽性と昭和の”いかがわしさ”

まずは広く”初期クレイジーケンバンド”の魅力と言っても良いもので、”ごった煮”の音楽性と昭和の”いかがわしさ”を挙げておきたい。

クレイジーケンバンドがあらゆる音楽のミクスチャーバンドであることはよく知られているが、とりわけ初期は、”昭和の日本”のようなごった煮の音楽性だった。

つまり様々な音楽性が整然と並んでいるのではなく、猥雑に並んでいるところが、まさに昭和の感じである。

昭和の歌謡曲が海外の音楽を独自に解釈したように、クレイジーケンバンドもあまりに独自の目線で国内外の音楽を、バンドに持ち込んでいる。

1stアルバム『Punch ! Punch ! Punch !』で言えば、異国情緒溢れる「プーナ」に、夜の街を思わせるジャズテイストの「長者町ブルース」、おしゃれでエッチな「そこまで云わせといて」など様々だ。

後のクレイジーケンバンドは、もう少しサウンドや曲調においてまとまりが出てくるのだが、初期のクレイジーケンバンドはあらゆる方向に拡散しているのが、昭和っぽさであり、それが魅力でもあった。

また初期は昭和歌謡の影響はかなり色濃く受けており、そんな色眼鏡で見られてしまうほどであった。

そして昭和の日本にあった、”いかがわしさ”もキーワードの1つである。1stアルバムで言えば「踊り子」「イヤッ!」など、とても子どもには聞かせられない卑猥な音楽である。

やはりこうした音楽性は、”知る人ぞ知る”だったからこそできた部分と、当時の日本の規制の緩さによる部分が大きかったのだろう。

そもそも横山氏のいで立ちが、横分けに固めた髪型にサングラスという、後に”ちょい悪”と言われる格好そのもので、とても”いかがわしかった”のを記憶している。

「タイガー&ドラゴン」で売れてからのCKBはお茶の間にも知られ渡るようになり、なかなか初期のような”いかがわしい”音楽はできなくなってしまったように思える。

遊び心と工夫、そしてバンド感

これも初期のクレイジーケンバンドの魅力と言えるかもしれないが、初期のクレイジーケンバンドはいわゆるライブバンドであったと言える。

作詞・作曲を行っている横山氏は、ボーカリストでもあるが、作曲や宅録をこよなく愛する人でもある。そんな横山氏をバンドに引き込んだのは、CKBのバンドメンバーだったようである。

初期のクレイジーケンバンドは、ライブで再現できるようなシンプルな編成やアレンジで作られており、そんな”バンド感”が楽曲の魅力でもあった。

比較してしまえば、ブレイク後のクレイジーケンバンドは、アレンジなどに凝る方向に行った。きっと横山氏のやりたいことでもあったのだろうが、初期と後のバンドでは違いになっているところだ。

また初期はレコーディングにもそれほど予算がかけられない状況だったのだろう。そうした制約の中でも面白い作品を作ろうと、初期のクレイジーケンバンドは遊び心が満載であった。

2001~2002年頃にはシングルを多数リリースしているが、その中で「CRAZY KEN BAND’s Information」という、短いラジオ番組のようなものが収録されていた。

次回作の宣伝を行うものであるが、必ずどこかに笑いどころが用意されており、この時期のクレイジーケンバンドらしいものだ。

もちろんこうした遊び心は後のクレイジーケンバンドも忘れてはいないものの、この当時の”内輪ノリ”的な緩い雰囲気が魅力の1つになっていたとも言える。

歌謡曲的なストレートなメロディの良さ

ごった煮の音楽性といかがわしさの漂うバンド、と言うと”キワモノ”的なイメージになってしまうかもしれない。

しかしこの時期のクレイジーケンバンドは、楽曲のメロディ的にも昭和をイメージするものであり、つまり昭和歌謡のようなストレートで良いメロディの宝庫なのだ

具体的な楽曲についてはこの後の節で詳しく述べるが、ストックの楽曲だけでなく、書きおろしと思われる楽曲も非常にストレートなメロディが胸を打つものばかりだ。

音楽的に凝れば凝るほど、楽曲も玄人的になっていき、取っつきにくさが生まれてしまう。しかしこの時期のクレイジーケンバンドは、マニアックなことをやりつつも、決して難解ではない。

こうした分かりやすいメロディ作りは、横山氏が作曲家的なモードの名残があった時代だったのではないか、と筆者は考える。

90年代中頃までは楽曲提供も多く、いわゆる大衆的なメロディ作りをしていた。クレイジーケンバンドではそれとは異なるアプローチを試みてはいるが、当然作曲家的な目線が残り続ける。

※「SEPTEMBER」「香港的士」を収録した神崎まき氏のアルバム

2000年代以降、徐々にクレイジーケンバンドの横山剣として確立していくと、大衆的な楽曲づくりは影をひそめるようになったが、この時期のシンプルなメロディのファンも多いのではないか。

やはり間口の広い、分かりやすいメロディラインがあったことで、その後のブレイクに繋がったのではないか、と筆者は思う。

B級の魅力と洗練度の絶妙なバランス

最後に、最も重要なポイントであるが、これまで述べた初期クレイジーケンバンドの特徴が絶妙なバランスで保たれていたのが2000年代初めのクレイジーケンバンドだ、ということである。

結成当初に横山氏的には”開き直って”できた、昭和の日本のような猥雑で”ごった煮”の音楽性と、野郎が集まってできたバンド感が、まずは佇まいからにじみ出ている。

その上で、作曲家としても活動していた横山氏の普遍的に良いメロディが楽曲に吹き込まれている。

さらには、ライブだけでなく、音源としてもよりクオリティの高いものを目指そうと努力しつつ、予算的な制約の中であれこれ工夫と遊び心を込めていたのが、2000年代初めのクレイジーケンバンドだ。

どの要素が欠けても成立しないし、そのバランスがちょっとでも崩れると、あの時代の雰囲気は出てこないのである。

言い換えれば、昭和の日本を思わせるB級の魅力と、一方で洗練された音楽への憧れのようなものが同居し、絶妙なバランスで保たれていたとも言えるだろう。

2000年代初めのクレイジーケンバンドを代表するシングル曲+α

ここでは2000年代初めのクレイジーケンバンドを象徴する楽曲たちを集めてみた。中でもアルバムではなく、この時期に多くリリースされたシングルから楽曲を選んでいる。

これまで述べた2000年代初めのクレイジーケンバンドの魅力が詰まった楽曲ばかりである。

ちなみに以下で紹介する楽曲は、全て2011年のベストアルバム『Single Collection / P-VINE YEARS』で聴くことができる。

肉体関係

2001年リリースのマンモス・シングル『肉体関係』の表題曲である。タイトルからしてインパクトの大き過ぎる曲だが、さらに驚くのはほぼインストゥルメンタルの曲なのである。

曲調としてはお得意の高速ボサノバであり、ラテンミュージックの官能的な雰囲気が漂う。そして小野瀬氏のギターソロも炸裂しており、クレイジーケンバンドのバンドらしさが垣間見える。

”肉体関係”に言葉は要らない、と言う潔さなのか、歌詞は「肉体関係」のみである。こうしたセンスの楽曲が飛び出すのが、この時期のクレイジーケンバンドの凄さだろう。

なお後にRHYMESTERがラップを乗せて歌った「肉体関係part2 逆featuring クレイジーケンバンド」が作られており、そちらも素晴らしいコラボなのでぜひ聴いていただきたい。

せぷてんばぁ

マンモス・シングル『肉体関係』を除けば、記念すべきファーストシングル曲である。意外にも第1作に選ばれたのは、渾身の名バラード曲であった。

もともと神崎まき氏の1994年のアルバム『一緒にいたい!』で「SEPTEMBER」として楽曲提供した曲のセルフカバーと言うことになる。

さらにカセットテープの『横山剣自宅録音シリーズ』にも宅録音源が残されており、かなり思い入れの強い楽曲であることが窺える。

各バージョンでアレンジは異なるが、本作ではアコースティックなボサノバアレンジになっている。どんなアレンジにしても、普遍的な美しいメロディが胸を掴んで離さない、CKB屈指の名曲である。

まっぴらロック

シングルが多作であった2002年の最初は、強烈過ぎる「まっぴらロック」だった。

そもそも曲調は高速ボサノバで、メロディが演歌、タイトルはロックとめちゃくちゃなのである。さらにサビではお経を唱えたり、スクラッチ音が入っていたりとカオス過ぎる世界観である。

昭和歌謡や演歌などで語られがちなこの曲だが、もっとカオスでアバンギャルドなものを目指していたように思われる。

MVに登場するメンバーのいでたちも強烈であり、まさに2000年代初めのクレイジーケンバンドを象徴するような楽曲と言って良いのではないか。

お・ん・な

『まっぴらロック』のカップリングで、唯一アルバム『グランツーリズモ』に収録された楽曲である。これもクレイジーケンバンドの音楽性の広さを見せつける曲であり、かなり本格的なジャズの曲だ。

しかし非常にカッコいいアレンジとは裏腹に、歌われているのは”女”であり、「だんな」とか「怨念」とかダジャレを重ねていく独特な歌詞のスタイルである。

そしてとにかくカッコいいのが廣石氏のドラムに、動き回る洞口氏のベース、さらにはジャズスケールの小野瀬氏のギターもかなり冴え渡っている。

そう思っていると、喘ぎ声が入っていたりと、本気の部分とおふざけの部分が入り乱れるのが、この時期のクレイジーケンバンドの魅力でもあろう。

ABCからZまで

『まっぴらロック』からはカップリング曲も全て取り上げてしまうが、3曲目に収録されているのが隠れ名曲「ABCからZまで」である。

他2曲とはまた全然違うテイストの曲であり、いわゆるAOR的な爽やかなサウンドであり、フルートがいい味を出している。

歌詞も甘酸っぱい青春の1ページのようであり、さりげなく下ネタも込めつつ、と言うのがいかにもクレイジーケンバンドらしい楽曲である。

横山氏もお気に入りの楽曲とのことだが、ポップスとソウル、AORの良いとこ取りとでも言おうか、クレイジーケンバンドならではのミクスチャー音楽と言う感じだ。

GT

クレイジーケンバンドを代表する楽曲の1つ、「GT」もこの時代にリリースされている。”夏”や”車”といった、クレイジーケンバンドを象徴するテーマが詰め込まれた楽曲だ。

曲調としてはロックンロール的なノリの良いビートながら、コード使いなどはオシャレなもので、上品なロックンロールと言う印象である。

スモーキー・テツニ氏の「GT」の掛け声や、洞口氏のセリフなど、遊び心も満載で、ドライブにぴったりのゴキゲンなナンバーと言える。

そして右肩上がりのクレイジーケンバンドを思わせるテンションの高さ、楽し気な雰囲気がこの時代らしい楽曲と言える。

香港グランプリ

シングル『GT』のカップリング曲である「香港グランプリ」も、クレイジーケンバンドのライブでは定番の楽曲である。

こちらは「GT」に比べると、より”やんちゃな”雰囲気のロックンロールサウンドに乗せて、メロディは歌謡曲そのものである。

ロックンロールサウンド、昭和歌謡、中国などアジアの雰囲気、と言ったテーマが並ぶ楽曲こそ、この時代のクレイジーケンバンドらしいものである。

いずれのテーマもクレイジーケンバンドでは後にも取り上げられるのだが、ここまで1曲の中に凝縮された楽曲もないだろう。

タイガー&ドラゴン

言わずと知れたクレイジーケンバンドをブレイクに導いた楽曲「タイガー&ドラゴン」も、この時代に生まれている。

圧倒的な”和田アキ子”感であり、おふざけの意味合いも含まれていたはずである。しかし、あまりに楽曲が良いために、おふざけとも取れないほどの評価を受けたとも言えるだろう。

この曲が生まれたのは横山氏が運転中だったと言われており、ほぼ一筆書きのように生まれたそうだ。それだけ普遍的なメロディであり、誰しも口ずさめる歌謡曲の魅力を持った曲だと言える。

この曲がヒットしたことで、クレイジーケンバンドのイメージが付き過ぎてしまったという功罪があるようで、こちらの記事に詳しく書いているので、お読みいただきたい。

クリスマスなんて大嫌い!! なんちゃって♥

強烈なシングル『タイガー&ドラゴン』と同時に発売されたのが本作であり、J-PHONE写メールワールドCFソングに起用されたことでも知られる。

実は「タイガー&ドラゴン」以前に、こちらをテレビで耳にしたと言う人も多いはずで、筆者もその一人である。しかしまさか同じ人が歌っているとは思えないほどの振れ幅の大きさである。

クリスマスソングらしい華やかなサウンドに、横山氏の作るポップで分かりやすいメロディが冴え渡っている。こうしたキャッチーな曲が生まれるのも、作曲家としての経験も活きたのではないか。

ポップなメロディを中心に置きながら、あらゆるジャンルをバンドで消化して曲にする、ということが、この時代のクレイジーケンバンドの魅力だったと言っても良いだろう。

まとめ+「タイガー&ドラゴン」大ヒット後のクレイジーケンバンド

今回の記事では、2000年代初め(2001~2002年頃)のクレイジーケンバンドの魅力について掘り下げて考察した。

簡単にまとめるとすれば、初期の粗削りでごった煮の雰囲気と、より洗練された音楽への憧れとのバランスが絶妙だった、と言うことができるだろう。

また音源制作に凝りたいモードと、ライブバンドとしてのモードのバランスも保たれていた時期だったと思われる。

潤沢に予算がない中での創意工夫で作られていたのが、『タイガー&ドラゴン』によって大きく状況は変化した。

バンドメンバーも増員し、理想の音を作るための楽器編成が組めるようになり、アレンジや音のクオリティについても、それまでよりも格段に向上させることができたのだった。

ただそれによって、”バンド感”のようなものは次第に失われていくことになり、音源が主体のバンドになっていった側面はあった。

もちろんライブが楽しいバンドであり続けていたが、横山氏の近年のインタビューでも「ライブが嫌だった」と言う時期もあったと語られている。

また『タイガー&ドラゴン』の大ヒットは、クレイジーケンバンドのイメージを強烈に方向付けるものとなってしまった。昭和歌謡、そしてちょい悪オヤジのようなイメージが強く残ってしまった。

とりわけ”昭和歌謡リバイバル”の界隈にも身を置いていたこともあり、世間的にはますます昭和歌謡のイメージで語られることになってしまう。

そうした印象づけに忌避感を覚えた横山氏は、あえてそれ以外の音楽性を打ち出すような作品を多く作ることになる。ロックンロール色の強い作品や、もともと志向していたソウル色の強い作品もあった。

昭和歌謡的な分かりやすさや歌の世界観を排したことで、やや音楽的にはマニアックな方向に進み、この時代のごった煮の絶妙なバランスは失われていくことになる。

このように意図的な昭和歌謡からの脱出の時期を経て、近年はそうしたこだわりがなく、様々な音楽性を詰め込んだ作品づくりに戻っている。

ただ2000年代初めのクレイジーケンバンドとは当然異なったものに着地しており、いかにこの時代が絶妙なバランスの上に成り立っていたのか、と言うことを思わされる。

もちろん、バンドにはどの時代にもそれぞれの良さがある。ただ確かに”黄金期”と呼ばれる時代は存在し、クレイジーケンバンドにとっては2000年代初めは、他の時期にはない魅力があったように思う。

【初心者向け】”はじめてのアルバム” – 第2回:クレイジーケンバンド

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