「無観客ライブ」という言葉は、平常時のライブが行われている時の配信番組であれば使われない表現だ。
わざわざ「無観客ライブ」と言うからには、それ自体での収益はそこまで期待しておらず、アーティストの宣伝になるためのものとしての配信番組とは異なるニュアンスを持っている。
観客のいるライブができないから、観客のいないライブを配信するという、本来はチケット代を払って見るライブを、配信で流さざるを得ない、という意味を含んでいることになる。
無観客ライブは無料で良いのか?
そうであれば、無料配信でなく、お金を払ってもらう仕組みを導入すべきではという意見は当然出てくるところだ。
投げ銭や電子チケットによる配信等、会場に参集するライブとは異なる形態が模索されていくことは、今後の動きとして注目すべきことだろう。
ただ音楽を作る人・演奏する人は、先にお金を稼ぐことありきの発想ではないと思っている。
良い音楽を作ることそのもの、また良い演奏をすること自体がやりがいなのだと思う。
その素晴らしい楽曲・演奏を世に送り出し、ミュージシャンが生活できるように、お金の回り方を考えるためにミュージシャンを取り巻く音楽関係者・スタッフが存在する。
ここで議論になるお金をいかに発生させるか、ということは、一度この状況によって崩れてしまったビジネスの形をどう立て直すのか、という関係者が考えていく問題だと思った。
ファンの「何とかお金を払わせてほしい!」と言う声はとても大事ではあるものの、本来はやっぱりお金を払っている感覚があまりない状況で、純粋に音楽を楽しめるのが良いことではないか。
無観客ライブの可能性
そんな中「無観客ライブ」は、お金が回る仕組みが崩れた状況の中ではあるからこそ、くしくも音楽を演奏する人、それを見る人たちにとっては純度の高い音楽を楽しむ場、となっているのではないかとも思った。
「帰ってきた人間椅子倶楽部」、ジャパハリネットの「無観客だよ!全員集合!」を見て思ったが、バンドも本業のライブ演奏をすること自体には、本当に生きている実感を感じているように見えた。
そして視聴しているファンも閉塞感のある中でも、音楽の持つ力に触れることで、改めて元気をもらっている。
「無観客ライブ」が救ったのは、音楽を演奏する人たちの心、そして音楽を聴くことを楽しみにしている人たちの心であるように思った。
ある意味で僕たちが音楽を楽しむ心の原点を見せられている状況のようにも思う。
音楽を楽しむ心はとても純粋なものだ。
今こそこの心を見失わないように、それぞれなすべきことをする、ということが大切だと思った。
一方では音楽関係者がどうやって食べていくのかという問題は、切実なことなので、具体的な策が講じられることを願いつつ、そちらも何ができるのか動向をしっかり見ていくことが必要なことだろう。
「無観客ライブ」について感想を書いたものはこちら↓
※別ブログにて「無観客配信ライブ」について書いた記事
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