音楽ソフトは変われどやっぱりアルバム通して音楽聴きたい

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皆さんは音楽をどのような聴き方で聴いているだろうか?

聴き方、というのは今回はどんなツールを使って聴くかということもあるが、盤面を所有して聴いているのか、ダウンロードして聴くのか、また好きな曲だけ聴くのか、アルバムを通して聴くのかなどを含んでいる。

今日は音楽ソフトの変化に伴う、音楽への関わり方の変化に対して、僕なりの考えを述べたいと思う。

音楽ソフトの変化

いろいろな聴き方ができるようになったのも、そもそも音楽ソフトの変化・進化があってこそと言える。

レコードの時代には1つの作品を曲順に聴くことしかできなかっただろうし、CDになってからは好きな曲を繰り返し聴く、ランダムに再生することができるようになった。

データにして聴くようになってからは、作品の枠を超えて、自由に曲を混ぜて聴くことが当たり前にできるようになった。

最近はさらに進んでストリーミングが入ってきた。ストリーミングの勢いはかなり凄いようである。

これは既にとても良い記事があるので、こちらを参考にしていただきたい。

アメリカでは去年、ストリーミング利用者数がダウンロード利用者数を初めて超えました。

とあるように、ストリーミングサービスの利用者がかなり増えてきていることがわかる。

それ自体は便利なのだから、増えていくのは当たり前だと思う。

アクセスと所有の問題

ただ僕が注目するのはこの一文だ。

ストリーミングの最大の魅力は、自分が所有していない音楽に簡単にアクセスできるところでしょう。

確かに気軽に幅広い音楽にアクセスできるのは魅力的だ。

しかしここにどういうわけか引っかかってしまう。

ストリーミングとこれまでの音楽の聴き方の決定的な違いは、この所有するかどうか、だと思う。

音楽は所有するものではなく、アクセスするものに変わっていくのだ。

このモヤモヤは何だろうか。

変なことを言い出すが、たとえば「音楽」を「数学の教科書」と置き換えたらどうだろうか。

数学の公式を普段から使わない人からすれば、アクセスすればしっかりまとめてあるページがあれば、それで十分のように思える。では教科書を手元に置きたい人はどんな人だろうか。

普段からそれを使う人は、アクセスして取りに行くステップより、やっぱり手元に本があった方が速いのではないか。

でもそれよりも何よりも、数学を愛してやまない人は、数学の教科書が手元にある喜びが大きいように思う。

それが苦労して手に入れた1冊であれば、その喜びもひとしおなのである。

しかし情報さえ手に入れば良い人からすれば、手元にある喜びとか苦労して手に入れた達成感みたいなものは全くどうでも良いことだ。

完全に一致とはいかないが、音楽についてもこれは当てはまるように思う。やっぱり本当に好きな作品は手元に形として残っているとそれだけで嬉しいのだ。

この「所有」という行為は、音楽を聴くという営みと重なるが厳密には少し違う

僕の趣味を「音源収集」というのも、やっぱり収集するという行為に執着しているからだ。

ストリーミングになると、この収集の楽しみはなくなってしまうので、僕は便利でもあまり活用するに至っていない。

音楽を楽しみたい人は、その音楽にアクセスする過程も含めて楽しみたいのであって、やはりそこには愛と言うかこだわりと言うか、音楽に音の情報以上の何かを求めているのである。

「アルバム」と言う文化を大切に残したい

所有の問題はやっぱり残り続けるとは思うが、時代の波には逆らえない。僕もCDを残し続けてほしいと言いたいのでも実はない。

収集の欲求は確かに現物があると満たされやすいが、何らかの枠があればいいのだ。その枠こそ「アルバムという単位」だと思っている。

今日最も言いたかったことは実は、レコードやCDの時代に作り上げられた、「アルバム」という単位で聴くという聴き方を後にも伝えていきたいということである。

かつては収録できる時間数という制約のために収録時間内でいかに楽しめるか、という工夫をしなければならなかった側面がある。今後は必ずしもそんな制約を考えなくても良い。

しかしだからと言ってアルバムと言う単位を廃止する必要はないのだ。

アルバムで聴く聴き方はこれからも選択できるようにしてほしいし、むしろアルバムで聴くという聴き方は文化として継承したいのである。

アルバムと言う単位の良さについてはあれこれ既に言われている。人間の集中力は15分周期なので、45分くらいと言うの理にかなっているという話がある。

また曲順と言うのも、制作の際にかなり練って作られている。いずれも心理的に心地よい時間を作るべく苦心された結果である。

もちろんこれからは自分でその心地よい曲順を作れば良いのであるが、やっぱりプロの目線で練られたアルバムと言う単位そのものも作品の一部であり、素人には心地よい曲順を作るのは意外と難しい芸当なのだと思っている。

そして何と言ってもアルバムトータルで聴くのが素晴らしいアルバムがたくさんあるのだから、やっぱり後にもその精神は残ってほしいなと思うのである。

これまでに数々のトータル性の高いアルバムや、コンセプトアルバムが様々なジャンルで作られている。いつかコンセプトアルバムについてだけで記事を書きたいぐらいである。

もはや盤面に縛られない以上、アルバムと言う単位も必須の物ではなくなったのだが、1つの文化として残ってほしいのである。

もちろん音楽の発展のためには、その枠を取っ払ったことでできる新たな作り方を模索していく方向性も必要だ。

一方で伝統芸能のように、脈々とアルバムと言う単位が残り続けることを願ってやまない。

私の音楽の聴き方

蛇足ながら、私の音楽の聴き方は、アルバムで聴くか、好きなプレイリストを組むかである。

ここまでアルバムにこだわる記事を書いてプレイリストを作るのか、と言われそうだが、曲順を考えるのが好きなのだから仕方ない。

その際は今は入手した音源をGoogle Play Musicにアップロードして使っている。出先で聴くときはこれで聴いている。

家で聴くときはアルバム単位で聴くことの方が多い。CDの盤を持っているものはCDとして聴く。

借りてきたCDの場合は圧縮してインポートするのと同時に、Exact Audio Copyを使ってFLAC形式でまるごとコピーする。そしてImgDriveでマウントして再生する方法をとっている。

これはやっぱり「アルバムとして所有している」感を味わいたいのと、バックアップとしても良いからという理由である。

1曲ごとにFLACで取り込めば同じなのかもしれないが、どうもアルバムをばらしてしまうので味気ない。そしてどうも音質が変わってしまうように感じてしまった(錯覚だと思うが)。

要するにこだわりの話なのである。

本日の1曲

今日はアルバムと言う単位を大切に考える、と言う話だったので、コンセプトアルバムの中で好きなものを1つ挙げたい。

どれを挙げようか悩んだのだが、2019年最も衝撃だったこのアルバムを紹介しないわけにはいかない。

3776の『歳時記』である。


出典:Amazon

このアルバムこそアルバムと言う枠組みがあるからこそ成立する傑作なのだ。説明するのも難しいが、アルバム1枚の時間を通じて1年と言う時間を疑似体験するとでも言おうか。

アルバムの中では1秒を2時間として考えている。

かつては日本では「子の刻」などと言ったが、この数え方は2時間ずつに分ける数え方であるので、それに則って、曲の後ろでずっと「子、丑、寅…」と数えながら、12の干支を数えると1日が過ぎる。

それを1月であれば31日あるから、1日=12秒なので、1月は12秒×31日=372秒(6分12秒)で過ぎる。

そしてアルバムの曲名はすべてこの月の名前になっており、たとえば1月は1曲先ほどの372秒きっちりで区切られている。

さらにその月の数字の拍数が曲の中で必ず用いられる(7月なら7拍子)とか、月が変わるごとに半音ずつ転調するとか、アルバムの中でがちがちに縛りがある。

それでも聞き流せばまるでBGMに使えるような作品だから驚きだ。一通りこの説明は必要だが、何よりも手に取って聴いてみてもらうほかない。

絶対におすすめの1枚だ。

※3776の『歳時記』についてレビューした記事はこちら

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