人生の

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人生って道のようなものだ、って捉えることが多いようにみえますね。でも本当にそうやって生きている人って必ずしも大多数ではない気がするのです。

道は始まりがあって終わりがあります。人生に当てはめれば始まりが生、終わりが死です。始まりは誰しも覚えていないでしょう。終わりはどうなるか分かりませんが、終わりがあるということだけは予測できます。どれだけで終わりが来るのかは分からないですが、終わりがあるからそれまでをできるだけ鮮やかに豊かにしようというのが人生だと思うのです。と言うか私はそうやって生きたいと思います。

道に例えるのなら、その道にはさまざまな障害があるでしょう。今回の地震だって何らかの試練になっているでしょう。でもその試練に向き合って自分に偽りなく乗り越えたときには、必ず得るもの違った景色が見えてくるでしょう。その時に大きな喜びや達成感があります。そうやって新しい風景を見ていく喜び(または苦悩)があって、でもふと後ろを振り返れば懐かしい景色があってそれが思い出です。時に振り返って自分の足跡の重みを感じることでまた生きることの意味を感じられるような気もします。

ただそうでなく、あたかもハムスターの運動器具みたいにぐるぐる同じところを回っているだけの人がいるような気がしてならないのです。見えている景色はいつも同じ。同じようなことでずっと苦しんで、でもちゃんと乗り越えていないからまた同じ苦しみがやってきて。淡々と同じことをしていくだけ、だから喜びも何も感じない。それって終わりを意識してないからなのじゃないかと思うのです。自分としてはいつもあくせくと動いているから充実してないとは思ってないでしょうが、でも真に生きていく喜びは絶対に感じていない。むしろ苦しみを探してもがいているだけなのです。

私は苦しみは求めません。でもやってくるのです。1つの試練だと思って乗り越えていこうと思います。試練と戦った後には必ず得るものがあります。考えが豊かになったり、見え方が変わったり。生きていく上で一番大切なことだと思います。何よりの財産。そうやって変わっていく自分が愛おしくなるはずです。大事になるはずです。だからこそ生きていなきゃいけない。いや生きていたい。

ここのところ病気もしたし地震もあったし、生きることや死ぬことを考えました。そんな中から生まれた考え方もまた生きた証だと思っています。先のことを考えているつもりでも、じゃあ人間的にどうなりたいかっていう哲学のない人がいます。それでは一生豊かに暮らせない。目標は結局達成されたら終わりです。でも人間的にどうなりたいっていうのは終わりがないし、一生の目標だと思います。そういう考えなしに、ただただ何かに追われているだけの人生。私は身近にそんな人を見ると残念な気持ちになります。だってそういう人はつまらないから。

だから私は終わりに向かって、悩みながら生きた証を積み上げながら大切に人生を歩んでいきたいと思います。

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