「失敗を恐れる」とか「失敗を恐れない」といった感情は如何なるものか。
これはやはり実際に大きな失敗をした者にしか分からない感情ではないだろうか。
大きな失敗をした者にとって「失敗を恐れる」とは、同じ失敗をしないように前向きに行動することだが、失敗のない者は恐れて何もしないことを意味する。これは大きく違うことだ。
まして「失敗を恐れない」ことは失敗をした者がどん底を経験しての強さであり、失敗がない者には真には分からないものだと言えるだろう。
ここでは「失敗を恐れる」事を考えてみたい。
最近の若者はそうであるとよく言われる。それは失敗がないための恐れである。
これは学校教育に大きな問題があるのではないかと思う。
社会全体に責任の追及が求められ、学校もその責任を大いに負う存在となったため、失敗を起こさない事で責任から逃れようとしたためだろう。
これによって学校内では重大な失敗が起きる事がタブーであり、生徒は普通に生活を送る限り、大きな失敗をすることなく学校生活を終えて社会に出る。
こうして「失敗を恐れる」若者は増加するのだが、この事は向上心の欠如という事態に至る。あるいは自分から変わろうという意志の弱体化とも言える。
こうして自らの意志がなくなると、若者は自らの意志よりも所謂「損得感情」によって物事を判断するようになる。(これは社会全体にも言えるが)
損得感情で自分の目標を考えると、どうにも消極的になる。なぜなら常に失敗というリスクがつきまとい、それを上回る自分の意志がないためである。
確かに現代の日本においては、社会全体に「安定」がなくなり(年功序列が崩れ、リストラの危険が常にあることなど)失敗のリスクは大きくなってはいるだろう。
しかし自分の意志での選択がなければ、非常に打たれ弱い。一度失敗すれば社会にいられなくなってしまう。
そこで「失敗を恐れる」人が「恐れなく」なるには、やはり頭の良さが大事になるのではないかと思う。頭が働く事によって最善の選択を自分の意志ですることになるからだ。そしてよく考えた選択には失敗が少ないはずだ。
こんな失敗の怖い社会だからこそ勉強が必要なのではないかと思う。
※一気に書いたので、論点がばらついているかもしれません。申し訳ない。
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