【入門編】70歳の今も活躍中のソングライター浜田省吾を3曲で紹介する – ロックから繊細なバラードまで

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1980年代に音楽を聴いていた世代の人たちが「浜田省吾」の名前を知らない人は少ないだろう。強いメッセージ性のある楽曲を歌う、骨太シンガーと言うイメージの人が多いようである。

メディア露出が極端に少ないせいか、近年は引退していると思っている人もいるようだ。しかし70歳を超えた現在も全国ツアーを行い、新曲リリースも行っている、現役のミュージシャンである。

熱烈なファンは次の世代に引き継がれ、若い世代でも浜田省吾の音楽を聴く人はいる。

しかし名前だけ聞いたことがあるだけで、どんな音楽をやっている人なのか、よく知らないと言う人もいるかもしれない。

今回は浜田省吾を初めて聴く人に、まず聴いてほしい3曲を紹介する

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ざっくりわかる浜田省吾の歴史

まずはざっくりと浜田省吾氏の歴史を振り返っておこう。

1952年広島県出身の浜田氏は、ソロデビューする前には愛奴と言うバンドでドラマーを担当していた。

1976年に1stアルバム『生まれたところを遠く離れて』とシングル『路地裏の少年』でソロデビューした。デビュー時はメッセージ性の強いロックを志向していたが、なかなかヒットに恵まれなかった。

レコード会社はポップなソングライターとして浜田氏を売り出そうとしたものの、それでも売り上げが伸び悩む時代が続く。

1979年に日清カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」が初のヒット。これを機に、着実にコンサートの動員が増え始める。

1980年の6thアルバム『Home Bound』以降、デビュー時に通じるような社会派のロックスタイルに転向。1982年には無謀とも言われた初の日本武道館公演が即完売となり、注目を浴びることとなる。

また1980年代は毎年100本近いコンサートを行い、コンサートを中心に人気を博してきたミュージシャンと言える。

1984年の『DOWN BY THE MAINSTREET』、1986年の『J.BOY』はそれぞれオリコンチャート2位、1位とヒットとなり、その人気は不動のものとなった。

1988年に渚園で行われた野外コンサート『A PLACE IN THE SUN at 渚園』は、55,000人を動員し、当時のソロアーティストの単独イベントとして最大動員数を記録した。

90年代にはやや葛藤を抱えていた時期もあったが、2000年にリリースされたデビュー25周年を記念した『The History of Shogo Hamada “Since1975″』は120万枚を超えるヒットとなる。

00年代以降は、5年おきくらいにコンサートツアーが行われており、近年はファンクラブ向けのライブも多くなっている。

また自身の活動を振り返るような企画性の強いコンサートツアーが近年多くなり、70年代・80年代前半など、時代を区切った選曲によるコンサートが行われている。

※筆者による近年の浜田省吾氏の活動をまとめた記事はこちら

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浜田省吾を3曲で紹介する

浜田省吾の歴史を振り返ると、コンサートツアーで着実に人気を拡大してきた歴史がある。それに加え、楽曲の良さもまた人気の秘密であろう。

浜田省吾と言えば、サングラスをかけ、熱いパフォーマンスで歌うロッカーのようなイメージがあるかもしれない。

しかしそれは彼の一側面であり、楽曲は実に様々なタイプのものがある。今回は彼の膨大な楽曲の中から、初めて浜田省吾氏を聴く人におすすめしたい3曲を選んだ。

名刺代わりになるような3曲として、知名度の高さとライブでの演奏披露の頻度、ファンからの人気を考慮して選曲した。

J.BOY

  • 作詞・作曲:浜田省吾
  • 収録アルバム:『J.BOY』(1986)など

まずは浜田省吾のロックな側面の代表曲が「J.BOY」である。1986年にリリースされた浜田氏を代表するアルバム『J.BOY』の表題曲である。

”J.BOY”とは「Japanese Boy」を略した造語で、後にJリーグなど似た使い方が流行するほど、浜田氏のこの曲の影響力のは大きいものだった。

一般的に”浜田省吾”としてイメージされる音楽は、まさにこの「J.BOY」のような曲だろう。ツインリードギターに導かれ、サビでは「J.BOY」と一緒に歌えるような熱いロックナンバーになっている。

コンサートでは終盤にほぼ必ずと言って良いほど披露される楽曲となっている。

ここで歌われているのは、一人の主人公の物語を通じて描かれる、日本と言う国の成長と行く末、さらには世界全体の中における日本と言う視点である。

高度経済成長を遂げてきた日本が立っているところとは何か、そして日本人とは何か、ということを問うような歌詞になっている。

しかし強い政治的メッセージを歌うのではなく、社会の中で生きる歌の主人公の心情に焦点が当てられ、それぞれの価値観で捉える余白が残されている。

”社会派”とも言われる浜田氏であるが、浜田氏の目から見た世界、また歌に登場する主人公から見た世界をリアルに描いている、というのが浜田氏の歌詞の特徴であろう。

もうひとつの土曜日

  • 作詞・作曲:浜田省吾
  • 収録アルバム:『J.BOY』(1986)など

浜田省吾氏の音楽の重要な要素として、バラード曲がある。切ない恋模様を描いたバラード曲が多数作られており、中でもとりわけ人気が高い楽曲が「もうひとつの土曜日」である。

こちらも1986年『J.BOY』に収録されており、歌詞に描かれている物語をあれこれと想像してみたくなるような曲である。

どうやらこの曲では”彼”と別れた(別れそうな)女性に密かに思いを寄せる男性が主人公のようである。なかなか実らぬ思いが切々と歌われており、最後にその思いを告げる曲のラストが印象的だ。

浜田氏の人気の秘密はこうしたバラード曲にもあるように思う。美しいメロディメイカーであるのはもちろんだが、やはり彼の作詞のセンスには舌を巻く。

浜田氏の歌詞は常に歌の主人公が存在し、短編映画のようなストーリーを歌にしている。だからこそ感情移入できる部分が大きく、多くの人の共感を呼んでいるように思える。

そして浜田氏の優しく寄り添うような低音ボイスも魅力である。「もうひとつの土曜日」は数多くのカバーも存在しているが、やはり浜田氏のボーカルがあって成立する楽曲である。

悲しみは雪のように

  • 作詞・作曲:浜田省吾
  • 収録アルバム:『愛の世代の前に』(1981)、『The History of Shogo Hamada “Since1975″』(2001)など

浜田氏最大のヒット曲と言えば、1992年にテレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌として発売された、この「悲しみは雪のように」である。

初のオリコン・シングルチャート第1位を獲得した楽曲であるが、もともと1981年のアルバム『愛の世代の前に』に収録されたアルバム曲だったが、リメイクされてヒットした。

歌詞は一見するとラブソングのようにも思えるが、実は浜田氏の母親のことを歌ったものである。母が病気になり重体になった時、絶望しながらも、人に優しくなれた、と言うエピソードがもとになった。

熱いロックとも、重厚なバラードとも違う、普遍的なポップスを歌う浜田省吾こそ、実は最も彼の音楽性を表しているようにも思える。

そしてラブソングにとどまらない、人間そのものへの愛とも言えるような深い歌詞が人の胸を打つのである。

とりわけ近年に向かうほど、歌に登場する主人公は多様になり、また幅広い年齢層の主人公たちが登場する。老若男女に愛される浜田氏の楽曲の魅力は、こういった曲の幅にもあるようにも思える。

浜田省吾のアルバムを聴いてみたい人へのおすすめは?

今回の記事では、まず浜田省吾を知る上でおすすめしたい3曲を紹介した。しかしとても3曲では彼の音楽の魅力を伝えきれない。

ぜひアルバムを手に取って聴いてみていただきたい、と思う。筆者によるおすすめアルバム記事を以下に紹介する。

オリジナルアルバムとしては、ヒットした1984年の『DOWN BY THE MAINSTREET』あるいは1986年の『J.BOY』のいずれかをまずはおすすめしたい。

そこから順に遡るか、新しい作品へと聴き進めていくのがおすすめの聴き方である。

ロックナンバーや美しいバラードの印象が強い浜田氏だが、様々なタイプのポップスやロックを歌い、歌詞のテーマも非常に豊かになっている。

聴けば聴くほど味わい深さを感じられるミュージシャンだと思うので、ぜひ何枚かアルバムを手に取って聴いていただきたいと思う。

はじめて浜田省吾氏のアルバムを聴く人におすすめの作品紹介記事

浜田省吾
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