「音楽が好きな人」の幅があまりに広いので3つに分類して整理してみた – 歌・音楽・音楽と言う現象

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音楽の聴き方

当ブログでは音楽やミュージシャンに関する内容について情報発信を行っている。また音楽の聴き方に関しての考察なども時々書いてきた。

音楽はごく一般の人にももちろん愛されるとともに、音楽を演奏する側の人、作る人まであらゆる人が「音楽が好きな人」になり得る。

しかし「音楽が好きな人」と一口に言っても、実に多様な人たちが含まれていることはすぐに想像がつく。

そこで今回の記事では、「音楽好きな人」を大きく3つのタイプに分け、どのような人たちがいるのか、そしてどんな違いがあるのか、について考察してみた。

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「音楽が好きな人」を3タイプから考える

さっそく「音楽が好きな人」を大きく3つのタイプに分けて、その特徴を考えてみたい。その3タイプとは以下の通りである。

  1. 歌が好きな人
  2. 音楽が好きな人
  3. 音楽と言う現象が好きな人

これら3タイプについて、順に特徴を書いていく。1.から3.に行くほど、音楽の聴き方としてはマニアックになっていくように配置している。

なお、ひとまず日本における「音楽が好きな人」に限定することにした。

歌が好きな人:「広く、浅く」

このグループは、”音楽”と言ったら、まずは歌を想像するような最もポピュラーな層のことであると筆者は考えた。「歌が好きな人」と命名している。

無論、音楽は様々な楽器と歌唱が組み合わさり、アンサンブルを作り上げるものだ。しかし音楽についてそれほど詳しくない人は、ひとまず一歩前に出て聞こえる”歌”を聴くことが多い。

音楽的な知識がある訳ではないので、歌を聴いて何か心が掴まれたと感じるものを聴く、というきわめてシンプルな聴き方をする人たちである。

歌は上手い・下手は置いておいて、誰しもが自分の身体1つで表現できる。それゆえ、自分で口ずさんで心地好い歌を好む、と言う最も原初的な楽しみ方とも言えるだろう。

「歌が好きな人」の層は、音楽的なことよりも、歌詞の世界観を大切にすることが多い。音楽と言う掴みにくいものを、現実世界と結び付けてくれるのが言葉=歌詞なのだ。

歌詞とメロデイ、そしてシンガーによる歌唱が組み合わさった”歌”=音楽と言っても良い。

なお歌詞のないものであっても、口ずさんで心地好い感じであれば、この層にとっては”歌”だ。音階の並びとしてのメロディとして評価しているのとは違い、あくまで”歌”なのである。

この層の音楽の聴き方は、「広く・浅く」となることが多い。特にジャンルなども意識しないので、気持ち良い歌ならば、何でも聴く。

ただ後で紹介するようなジャンルを系統的に横断して聴くような広さとは質が異なり、色んな楽曲をかいつまんで聴く、と言う意味での”広さ”である。

「歌が好きな人」は音楽の聴き方としてはライトだが、ヒット曲が生まれるとしたら、この層に突き刺さるかどうかが極めて重要である。

人数が多いと言うことはもちろんだが、歌が心に響くかどうか、という最も原初的な音楽の楽しみ方をする層を巻き込めるかどうか、は実はプロほど忘れてしまいそうな視点ではないだろうか。

以前書いた記事で、スターダスト★レビューの代表曲「木蘭の涙」がなぜ代表曲なのか、というものあある。これも”歌が好きな人”に刺さったからではないか、と書いた。

音楽が好きな人:「狭く、深く」

音楽が好きな人、と今回取り上げるそのものの人たちである。この人たちは、簡単に言えば歌だけでなく、楽曲全体を聴いている人たち、ということである。

1つの楽曲にはいくつもの要素が含まれている。楽器の音、各楽器の演奏や歌唱のスキル、アレンジ、メロディの良さなど、複数の要素が総合されて1つの楽曲が成り立っている。

まずはそうした音楽全体を聴くことを楽しんでいる人たちが、音楽が好きな人たち、と言えるだろう。ただどこまで深く聴いているか、についてはかなりばらつきがある。

さらに言えば、どれだけ音楽の個々の要素に切り分けて聴くことができるか、については音楽的な知識や経験などにより、差が出る部分である。

自分で楽器を演奏する人、楽曲を作ったことがある人などは、音楽がどのように演奏され、制作されるのかと言うことを知っているだけに、個別の要素を切り分けて聴くことができる。

たとえばギターだけ聴くとか、メロディの音階の美しさを楽しむとか、より焦点化した聴き方・楽しみ方をしているのである。

よく好きなバンドの話で、「○○のここのギターのフレーズが…」などという音楽談義は、ギターだけ切り出して聴く耳を持っていないとできないものである。

いわゆる”玄人向け”の音楽の楽しみ方になっていき、プロのミュージシャンはこうした玄人視点で質の良いサウンド・演奏を志向して、楽曲を作り上げているのだ。

またサウンドや表現するものの違いによって、音楽ジャンルも分かれる。ジャンルを意識した聴き方をするのも「音楽が好きな人」の特徴であろう。

どちらかと言えば、好きなジャンルを見つければ、その中で良い曲を探してじっくりと聴く、と言うタイプが多いように思われる。

そのためこのタイプの人たちの聴き方は「狭く、深く」とした。

もちろん複数ジャンルにまたがって聴く人も多いだろうが、ジャンルを広げることが目的ではなく、あくまで良い音やメロディを探した結果である。

なお「狭く、深く」と言う意味で、1人のミュージシャンばかり聴く、という人もいる。しかし音楽的なことは何も分からない、ということも多いので、実は別の層であることを付け加えておく。

こうした人たちも広くとれば「音楽が好きな人」だが、どちらかと言えばそのミュージシャンが好きな人、と言った方が良いように思える。

実際のところファンとして多いのはそういう人たちだったりするのだが、今回の「音楽が好きな人」の中には入れないで考えることにしている。

音楽と言う現象が好き:「広く、深く」

ここに含まれる人たちが最もマニアックに音楽を聴く人たちである。「音楽と言う現象が好きな人」という、やや仰々しい名前を付けた。

この人たちは、楽曲と言う音楽の1つの成果物だけではなく、楽曲が作られるに至った背景や歴史などにまで関心を広げ、音楽と言う文化・現象そのものが好きな人たちである。

「音楽が好きな人」も音楽的な知識やテクニックなどでマニアックになり得るが、この人たちは博物学的なマニアックさとでも言おうか、音楽に関する歴史や文化も好きな人たちだ。

たとえば1つの楽曲、あるいはアルバムに関するライナーノーツ的な背景情報を収集するのが好きで、それを踏まえて楽曲を考察する、など楽曲を単に聴く、ところを超えて楽しむ人たちもいる。

また音楽ジャンルが好きな人は、歴史的にどんな音楽ジャンルが派生してきたのかに関心を寄せ、そうしたジャンル分けを系統的に聴いていく、と言う人もいるかもしれない。

さらには音楽的に優れていることだけが興味の中心ではないので、ユニークな取り組みとしての音楽も範疇に入っている。

つまり、いわゆる”B級”と言われるような、クオリティはいま一つだが、面白い音楽まで全てテリトリーに入るので、無限と言って良いほどの音楽を聴くことになる。

とにかくたくさん聴く、という人も多いため、自然と音源収集が趣味になってしまう。何千、何万と楽曲を集めることは、「音楽が好きな人」にはやや理解できない部分かもしれない。

こうしたオタク的な聴き方をする人たちは、やはり音楽的な知識もある程度持っていることが多く、全体的に「広く、深く」という、音楽漬けの楽しみ方をする人たちである。

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3タイプの「音楽が好きな人」の時代的な変遷と聴き方の形態

ここまで3タイプの「音楽が好きな人」について書いた。3者の音楽の聴き方の時代的変化、そして聴き方の形態について触れてみよう。

時代的に見ても、圧倒的に多いのは「歌が好きな人」であるのが日本の現状であろう。昭和の時代から現代にいたるまで、ライトな音楽のファンがほとんどと言う状況である。

ただし昭和~平成の始めくらいには、「音楽が好きな人」が結構多かったように思える。今よりも音楽が大切に聴かれた時代であり、深く音楽を聴く人が多かった。

その背景の1つには、楽器を弾き、バンドを組むということが”カッコいい”ことであり、学生時代に楽器をやった人の数が今以上に多かった時代だった。

やはり楽器をやり、音楽が好きで聴き続けた人たちは、耳が肥えてくる。そうした人たちを中心に平成の始めくらいまでは、音楽が大切に聴かれていたように思う。

しかし音楽が手軽に聴ける時代になったこともあり、平成の後半ぐらいから、音楽が好きな人の人口は減り始めたように感じる。

音楽は話題の中心ではなくなり、街中で鳴っているのが聞こえる、と言う程度で育った人たちは、当然音楽的に詳しいリスナーにはならなかった。

「音楽が好きな人」が減ったことで、音楽全体のレベルも低くなる傾向にあったと思う。一方で「音楽と言う現象が好きな人」は、常に一定の数で存在し続けていた。

決して多くなると言うこともなさそうだが、今後も一定数で音楽マニア的な人たちは残り続けるのだろう。おそらく筆者もその1人であろうと思う。

なお音楽の聴き方の形態の変化もあり、かつてはレコードを買う、それがCDになった。一方でCDレンタルが登場し、配信、サブスクリプションサービスと変化を遂げている。

どの形態で聴くか、についてもタイプによって異なるように思える。

まず「歌が好きな人」はあまり形態にはこだわりがないだろう。時代の変遷とともに、CDが主流でなくなれば、サブスクリプションサービスへと移行するだけである。

一方で「音楽が好きな人」は音楽をとても大事に考えている人たちである。好きな音楽はしっかり買って聴く、と言う考えの人たちであり、レコードやCDあるいは配信を選ぶだろう。

また「音楽が好きな人」はできるだけ高音質で聴けることなども重要である。そうした意味も含め、レンタルやサブスクはあまり好まない、と言う人もいるかもしれない。

「音楽と言う現象が好きな人」はとにかくたくさん音楽を聴く人たちである。高音質で聴けることも重要ではあるが、金銭的な限界もあるので、使えるものは全て利用する。

そのためCDや配信、レンタルにサブスクとあらゆる形で聴くことになるだろう。しかし収集癖のある人にとっては、サブスクはやや味気ないものに感じられるはずだ。

聴く権利を購入するサブスクは、所有していると言う感覚がない(実際に所有していない)。そうであればデータで取り込んだとしても、レンタルなどを選ぶことになるのだ。

先日、SHIBUYA TSUTAYAのレンタルコーナーが終了になると言うニュースがあり、落胆の声が聞こえてきた。こうした層は音楽マニア的な人たちであると筆者は考える。

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やはり現在の日本では、ますます音楽を聴く人と言えば、「歌が好きな人」に含まれるような人たちが多くなっている。

”多様性”の時代だと言われながら、音楽の聴き方の形態などを見ても、画一的な流れになってきているように思えてならない。

これだけ音楽以外の娯楽が増えた時代にあっては、音楽が話題の中心に返り咲く、ということは考えにくい。ただ音楽の楽しみ方は奥深く、それに合わせて色々な聴き方ができる状況は残して欲しい

そして微力ながら、音楽の楽しみ方はただ歌を聴くだけではないぞ、ということを当ブログからも発信していけたらと思っている。

音楽のジャンル分けは不毛な行為なのか? – 意義あるジャンル分けについて考える

筆者が最近よく聴いている1980年代名盤紹介

・安全地帯 – 安全地帯I Remember to Remember(1983)

安全地帯のファーストアルバム。少しロックっぽさが残り、王道とはやや異なるが、1枚目から圧倒的なクオリティのアルバムだ。

・Incognito – Jazz Funk(1981)

ジャズ・ファンクをけん引したバンドのファースト。よりポップな90年代とは異なり、玄人向けの凝った演奏が楽しめる。

・芳野藤丸 – Yoshino Fujimal(1982)

SHOGUNを経た芳野藤丸のファーストソロアルバム。洗練された楽曲とサウンドはこの当時としてもかなり先進的だったと思われる素晴らしい内容だ。

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