国内のバンドの活動年数がどんどん長くなる傾向が続いている。結成15年・20年のバンドは数知れず、30年・35年と続きながら一線で活躍しているバンドも多数存在している。
しかし1つのバンドを、しかも同じメンバーで続けていくことは並大抵ではない苦労があることだろう。一度もメンバー変更がなく、何十年と続いているバンドとなると数が少なくなる。
ここ最近になり、活動年数の長期化とともに、何十年と不動のメンバーかと思われたバンドからメンバーが抜ける、”熟年離婚”とも言える現象も増えているように思える。
直近では、怒髪天が結成40周年を記念したライブが行われた直後、ベースの清水泰次氏が解雇されるという衝撃の出来事が起きていた。
今回は筆者がよく聴く3つのバンドの事例を取り上げ、3事例に共通する点はあるのか、そして活動が長くなることで出てくる難しさやメンバー変化のもたらす意味について考察したいと思う。
国内ベテランバンドの”熟年離婚”の3事例 – eastern youth・クレイジーケンバンド・怒髪天
今回紹介するのは、長年同じメンバーで活動してきた国内ベテランバンドの中で、突如としてメンバー脱退・解雇などの事例があった3つのバンドを紹介する。
こうした事例は”熟年離婚”に近いのではないか、として名付けてみた。バンドの中には、何度もメンバーチェンジを繰り返し、中心人物以外は結成時のメンバーが誰もいないというものもある。
一方で結成時からほぼ不動のメンバーで何十年と活動を続けているバンドもある。こうしたバンドから、突如としてメンバーが抜けるという事態は、なかなかの衝撃である。
それはファンにとっては”寝耳に水”であることが多いためであるが、どうやらバンド内部では根深い問題としてあったものが噴出した結果のようである。
3事例とも事情は異なるが、eastern youth・クレイジーケンバンド・怒髪天の3事例について紹介する。抜けたメンバーの加入時の年数や抜けた際の年数なども紹介した。
eastern youth – ベース:二宮友和の脱退
- バンドを離れたメンバー:二宮友和(ベース・コーラス)
- バンド結成:1988年
- 加入時点:1992年
- 離れた時点:2015年
- 理由:「eastern youthでできることは全てやりきったと実感した」
eastern youthは北海道札幌市出身のパンクロックバンドである。
同級生であった吉野寿(エレキギター・ボイス)、田森篤哉(ドラムス)により結成され、上京に際して二宮友和(ベース・コーラス)が加入したのが1992年であった。
初期はOiパンクだったが、1995年のアルバム『口笛、夜更けに響く』から文学的な日本語詞とエモーショナルなサウンドが融合した現在のスタイルとなる。
2005年からは自主レーベル「裸足の音楽社」を立ち上げ、精力的に音源リリース・ライブを続けてきた。
不動とも思われた3ピースバンドだったが、アルバム『ボトムオブザワールド』を作り終えた2015年に、「eastern youthでできることは全てやりきったと実感した」として二宮氏が脱退した。
レーベルの経理も担当するなどバンドの運営面でも重要な人物だった二宮氏の脱退は唐突なものに見えた。これ以上の事情は分からないが、吉野氏は脱退することは少し前から分かっていたそうだ。
早くも、同年9月にはeastern youthのファンでもあったベーシストの村岡ゆか氏が加入し、現在に至っている。
不動のメンバーだった二宮氏の後任は重責であったが、村岡氏は自身のカラーも出しながら、バンドの作風やサウンド面でも、それまでのバンドにはなかった柔らかな要素を持ち込んだように思える。
※筆者による村岡氏加入後のeastern youthの変化をまとめた記事
なお2023年に行われた全国ツアー「eastern youth 35周年記念巡業~EMOの細道2023」では、二宮氏の脱退時にまつわるエピソードが話されていた。
皆さま!今年も一年ありがとうございました!!2023年よい一年でした。特に35周年ツアーは実り多い経験だったと思います。これからも3人で思いっきり演奏して参ります。「涙の磯丸水産」にて忘年会しました。皆さまどうかよいお年をお迎えくださいませ。 pic.twitter.com/e1OGuqEaZo
— eastern youth (@ey_chan) December 26, 2023
吉野氏はバンドが終わるものと思って、田森氏と居酒屋で話をすることにしたが、田森氏はバンドはやめない、と宣言したのだと言う。
吉野氏は二宮氏を”天才”と呼び、彼のテクニックには一目を置いていたようだ。その後任が務まる人がいない、と思ったようだが、村岡氏によって”拾った命”だったという。
2024年現在まで、村岡氏加入後にアルバム2枚をリリースし、ライブ活動も継続中である。
クレイジーケンバンド – ドラム:廣石惠一の脱退
- バンドを離れたメンバー:廣石惠一(ドラムス・パーカッション)
- バンド結成:1997年
- 加入時点:1997年
- 離れた時点:2023年
- 理由:方向性の違い
クレイジーケンバンドは1997年に神奈川県横浜市で結成されたバンドである。ポップスにロックンロール、演歌、ソウル、ジャズ、AORなどあらゆるジャンルを混ぜ込んだ独特の音楽性が特徴だ。
2005年に同名の楽曲から作られたドラマ「タイガー&ドラゴン」が人気を博し、主題歌の「タイガー&ドラゴン」がヒットする。
結成時には横山剣・小野瀬雅生・新宮虎児・中西圭一・洞口信也・廣石恵一の6人であったが、結成当時のメンバーは30代後半であり、それまでも音楽活動を行ってきたメンバーだった。
10名を超える大所帯のバンドだが、結成時の6名を「CKB-Classix」として、不動のメンバーかと思われた。
2022年に廣石惠一氏が、膝関節炎療養のため活動休止をする。体調回復を待って復帰するのかと思っていたら、2023年3月にバンドとの方向性の違いにより脱退していたようだ。
全国ツアー 樹影2022 – 2023 についてのお知らせ
— クレイジーケンバンド公式インフォ (@CKBinformation) September 16, 2022
本年度のクレイジーケンバンド全国ツアー、樹影2022 – 2023につきまして、
ドラムス廣石惠一は膝関節炎療養のため、前公演に引き続き白川玄大氏の出演となりますことをご報告申し上げます。何卒、ご了承願います。https://t.co/YKsA6YbB0j
しかしオフィシャルな告知、あるいはメディア等での報道はなかったようで、筆者も知らない間に脱退していたのを何かで知ったのだった。
(どうやらファンクラブの会報誌では横山剣氏自らが脱退について語っているとのこと)
そのため、脱退の理由の詳細は不明であるが、演奏活動をする上での方向性の違い、ということだけ表に言える脱退理由のようである。
ただ横山氏を始めとするメンバーと廣石氏の関係はクレイジーケンバンド以前からの長い付き合いであり、この脱退はなかなか根深いものがありそうである。
クレイジーケンバンドの公式サイトには、クレイジーケンバンド以前の歴史まで詳細に記されているが、1988年に横山氏がENJOY RELAX DELIGHTを結成した際に廣石氏がメンバーになっている。
さらにそれ以前のダックテイルズ時代からもバンドをやっており旧知の仲であると言う。その後、ZAZOUの活動を経て、バンド活動はこりごりと思った横山氏をバンドに引き入れたのも廣石氏だった。
30年以上の付き合いになるメンバー同士の”方向性の違い”とは、果たしてどんな事情だったのだろうと察してしまうところである。
現在のクレイジーケンバンドは、廣石氏の体調不良時にサポートで入っていた白川玄大氏が正式メンバーとして加入し、活動を継続している。
怒髪天 – ベース:清水泰次の解雇
- バンドを離れたメンバー:清水泰次(ベース・コーラス)
- バンド結成:1984年
- 加入時点:1988年頃
- 離れた時点:2024年
- 理由:過度の飲酒と素行不良
怒髪天は1984年に北海道で結成されたバンドである。結成当初のメンバーはボーカルの増子直純氏のみで、一時解散となったがギターの上原子友康氏とともにメンバーを探していた。
1988年頃に4人のラインナップが揃い、ドラムの坂詰克彦氏、ベースの清水泰次氏とで不動の4人かと思われていた。
怒髪天はJAPANESE R&E(リズム&演歌)という、ロックに日本の演歌の要素を持ち込んだ独特の世界観が人気を博し、結成25周年(2009年)を迎えた頃から遅咲きのブレイクとして注目されていた。
しかし1996年に一度活動休止を経験しているバンドであり、ベースの清水氏の呼びかけで1999年より活動を再開していた。
これまでツアーなどでも食事は4人でとるなど、”仲の良さ”が語られることが多かったバンドであるが、2024年2月9日、唐突に「過度の飲酒と素行不良」が理由でベースの清水氏が解雇された。
増子氏がコメントで寄せている通り、”脱退”ではなく”解雇”であるところが、事の重大さを物語っているようにも思える。
タイミング的には結成40周年を迎え、2月4日・5日で「怒髪天結成40周年特別企画“オールスター男呼唄 真冬の大感謝祭-愛されたくて・・・2/5世紀-”」を終えたばかりであった。
バンドに縁のあるゲストを多数迎え、祝祭ムードが漂う中の急転直下の出来事である。
”詳細は伏せる”としつつも、”変に隠して言葉を濁す”こともしたくない増子氏の悲痛なコメントから窺えるのは、どうやら清水氏が酒との付き合い方、それによる重大な問題があったようである。
コメント欄には”アルコール依存症”の文字も見えるが、そこまでは語られていないので何とも言えないところである。
ただその可能性も含めて、抜本的な解決に向けた行動をとり、バンドに心血を注ぐと言うところに至らず、流されてバンドを続けてきてしまった経過のように文章からは読み取れる。
そして増子氏いわく”軍隊式”だった怒髪天だから、何か約束事のようなものがあったのかもしれない。「次にこれを破ったらクビだぞ」というスレスレのところに来てしまっていた、ということだ。
それが40周年のイベント後、境界線をついに超えてしまう事態が発生し、限界を迎えたのかもしれない。生々しいコメントには、時間をかけて練られたものとはどこか違う緊迫感がある。
あえて小奇麗に話がまとまった段階での告知ではなく、リアルな状況を告知したところが怒髪天らしいが、何とも痛ましい一件に言葉も見つからない。
今後のイベント等は、3人の怒髪天として出演するとのことであり、新メンバー加入やサポートメンバーに関する情報はまだ告知されていない。
バンドの”熟年離婚”に共通する傾向ともたらす意味とは?
ここまで3つのバンドの”熟年離婚”とも言える事例を紹介した。最後に全体を総括しての考察を述べておきたい。
当然のことながら、脱退・解雇の理由はそれぞれであり、3バンドの共通性は見出しにくい。ただ抽象度を上げて考えてみると、いくつか共通する部分も見えてくるように思う。
バンド継続年数の長期化
まずここで紹介したバンドは、いずれも頻繁なメンバーチェンジをすることなく、長年同じメンバーで続けてきたバンドである。
そして近年は、そうしたバンドの継続年数が長期化する傾向にある。かつては”バンドは長く続けるものではない”イメージがあったが、結成30年・35年のバンドも当然のように出てくるようになった。
長くやるほどに、価値観の微妙なズレがボディブローのように効いてくるのではないか、と考える。20代・30代であれば、お互いのずれもまだ小さく、若さで乗り切ることもできただろう。
しかし40代・50代ともなれば、メンバーそれぞれの価値観も確立し、各自が優先するものも違ってくるのが当然である。
長く続ければこそ、当然出てくる問題であり、今回紹介した3バンドもそれを乗り切ってここまで来たのだ。それ以外に要因があるからこそ、メンバー交代があったと考えるべきだ。
緩やかな”安定期”をいかに過ごすかの難しさ
バンドを長く続けていれば、良い時もあれば、あまり良くない時もあり、波があるのが常である。この波をいかに乗り切っていくのか、が重要なポイントである。
中でも、輝かしい時期を経た後の、緩やかな”安定期”をいかに活動するのか、と言うことが難しいようである。
3バンドともに、ある時期に注目を浴びている時代がある。eastern youthは2000年前後の辺りに人気を博しており、クレイジーケンバンドは2005年前後に「タイガー&ドラゴン」で注目された。
そして怒髪天は、2009年前後に遅咲きのバンドとして注目を集め、じわじわと人気を獲得していった。その後は3バンドとも、その当時ほどの大きな話題はなく、緩やかに活動を続けていた。
緩やかな”安定期”とは良く言えばそうであるが、ややもすると停滞感のある時代になってしまう恐れもある。
つまり新規ファンの流入が少なく、音楽性もややマンネリ化してしまい、既存ファンの中だけで続いて行くと、実は安定しているようで緩やかに下り坂になっているのだ。
こうした時期には、何か風通しを良くしようと、変化を起こそうとするのだが、それが上手くいかないとさらに停滞感が増していってしまう。
良いタイミングで変化が起きる外的な要因(何かに抜擢される・注目を浴びる)があれば良いが、それがないとメンバーの中で何か変化を起こしていくしかない。
筆者から見ている限り、3バンドに共通していたのは、輝かしい時代からの安定期への移行があり、それが緩やかな下り坂となっていたのではないか、ということを感じたのだった。
苦渋の”熟年離婚”も前向きな変化となる?
そして3バンドは”熟年離婚”とも言うべき、メンバーの脱退・解雇が起きてしまった。最初に書いた通り、そのトリガーとなる原因はバンドにそれぞれであり、一括りにすることは難しい。
筆者が”熟年離婚”としたのも、熟年離婚と言われる現象は「長年積み重なった配偶者に対する不満が存在すること」とか、「お互いに生活に求めるものが違うこと」が特徴として挙げられる。
バンドも1つの共同体であり、お互いに求めるものの違いや積み重なった不満が、何かのきっかけで爆発してしまうと、同じメンバーで音楽をともに続けていくことができなくなる。
長期化するバンド生活の中で、これは”熟年離婚”と言う現象なのではないか、と思った。
こうした”熟年離婚”は、苦渋の決断であったには違いない。しかしバンドが前に進む上では、”前向きな”決断として行われていることもまた事実ではなかろうか。
既にメンバーの脱退を経て、新メンバーとの関係が長いeastern youthの事例では、バンドに新たな風が確実に吹いたように感じられた。
曲調にも変化が生じ、「ソンゲントジユウ」「時計台の鐘」など、ミドルテンポで心に響くような優しさを感じさせる楽曲は、それまでのeastern youthとは少し肌触りが異なる。
また2019年には日比谷野外音楽堂での公演も成功させており、バンドに活気が生まれたように思えた。
クレイジーケンバンドも、若いドラマーが加わり、さらには編曲にも若手のミュージシャンを起用するなどして、サウンドの若返りが図られている。
横山氏のインタビューでも、バンドのフットワークが軽くなったなど、前向きな発言が多くなっている。
むろん、メンバーの交代という良くも悪くも重大な出来事が起きてしまったのなら、次は前を向くしかない、という側面もある。
怒髪天に関しては、脱退ではなく解雇というより厳しいものであり、傷口はかなり深いことだろう。まだその意味合いを語る段階では到底ないため、今後の動向を見守るしかない。
ただそうまでしても怒髪天を妥協なく続けるという覚悟、そして解雇と言う形でも変化が必要なタイミングであった、ということは言えるような気がする。
解雇された清水氏、そして怒髪天にとっても、今回の出来事が意味のあるものとなることを祈るばかりである。
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