バンド活動35年を迎えようとしているハードロックバンド人間椅子、その楽曲数も相当な数になっている。ライブで披露されにくい曲は、自ら「レア曲」と呼ぶほど、実際にレアな楽曲がある。
ただ本人たちの言う「レア曲」は、実はまだまだ定番に近い方であり、ライブで時々披露される程度の楽曲である。さらにレアな楽曲は、ファンクラブ限定ライブにて披露されることとなる。
しかしファンクラブ限定ライブですらほとんど披露されたことのない、真のレア曲が存在する。今回はそんな近年のライブでは演奏されていない、真のレア曲の中から名曲を掘り起こそうと思う。
もしかすると、最近聴き始めた方にとっては、人間椅子のまだ見ぬ世界が広がるかもしれない。
人間椅子の本当に隠れ過ぎた名曲15曲を選ぶ
今回選出する楽曲たちは、人間椅子の楽曲の中で、レア曲披露の機会と言われる「人間椅子俱楽部の集い」ですら演奏されない、真のレア曲である。
該当する楽曲を集めても多数存在するため、今回は筆者がとりわけ名曲と思われる楽曲を選び出した。できるだけアルバムが偏らないように、新旧の楽曲を織り交ぜて紹介する。
なお選んだ基準としては、できるだけ”明確な理由がないまま選ばれない”楽曲を取り上げた。ただ中には理由のはっきりしている楽曲もあるが、それは良い曲なのにもったいない、という思いで入れた。
また最近の新しい作品は、まだレア曲入りしたかどうか定かではないところもあり、2014年の18th『無頼豊饒』までから選出することとした。
レア曲ならではの良さやなど、魅力を語っていきたいと思う。
※人間椅子のファンクラブ限定ライブ「人間椅子倶楽部の集い」の歴代セットリストはこちら
相撲の唄
- 作詞:鈴木研一、作曲:鈴木研一・和嶋慎治
- 収録作品:2nd『桜の森の満開の下』(1991)
人間椅子初期にあった、ベース鈴木研一氏による「ナンセンスソング」シリーズの楽曲である。
当時は文学作品に影響を受けたシリアスな曲調が中心であったが、鈴木氏がそこから外れるような楽曲をアルバムに1曲は入れていた。
鈴木氏の好きな相撲をテーマに、男女の関係と絡めた歌詞が印象的である。おそらくはこの歌詞が披露しなくなった1つのポイントであろうが、曲はなかなか面白い。
いわゆるB級ハードロック的な要素が強く、そこに初期人間椅子のぶっ飛んだ雰囲気も漂う。さらに中間部ではプログレッシブな展開も見せるなど、聴きどころはたくさんある。
しかしかつて人間椅子のファンサイトで行われたランキング投票で最下位となり、和嶋・鈴木両氏が自ら投票したと言う逸話はいまだに語り継がれている。
古い曲ながら、今なおキングオブレア曲を譲らない立ち位置にあり、もはや風格が漂っていると言えよう。
無言電話
- 作詞:和嶋慎治、作曲:和嶋慎治・鈴木研一
- 収録作品:3rd『黄金の夜明け』(1992)
電話がかかってくることが嫌いだと言う和嶋氏らしい、「無言電話」をホラー仕立ての楽曲に作り上げた楽曲である。
半数近くの楽曲が7分を超えるアルバム『黄金の夜明け』は、大作志向・プログレ寄りと言われたりする。この曲もアルバムラストに「無言電話」「狂気山脈」とプログレッシブに締めてくれる。
ただ「狂気山脈」が準定番くらいの位置なのに、「無言電話」は近年のライブでは一切演奏されていない。
電話のベルを思わせるユニークなイントロから、ヘヴィかつアッパーな前半、そして一気にプログレッシブな中間部と、飽きさせない展開が素晴らしい。
初期の和嶋氏の力作だけに、披露されないのはもったいない感がある。演奏するのはなかなか難しいと言う問題があるのかもしれない。
ナニャドヤラ
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:4th『羅生門』(1993)
トニー・アイオミのプロデュース打診が失敗に終わり、その関係で曲数が少なくなってしまった4th『羅生門』。ただ曲としては粒ぞろいで、今も時折披露される楽曲も多い。
しかし中でも披露の頻度が低いのが、「ナニャドヤラ」である。東北地方の盆踊りに登場する歌詞であるが、その起源には諸説あり、ヘブライ語であると言う説もあるようだ。
そんな異国情緒を感じる歌詞に、スラッシュメタル風のスピーディなリフと、短いながらもよく練られた展開が、アルバムの良い味付けとなっている。
ライブ頻度が低いのも、アルバムの味付け的位置の曲だからだろうか。しかしライブで披露されれば、立派に1曲として成立しそうである。
ライブの本編終盤などに入れ込んでも良さそうな楽曲である。
三十歳
- 作詞:鈴木研一・和嶋慎治・土屋巌、作曲:鈴木研一
- 収録作品:5th『踊る一寸法師』(1995)
メンバーが30歳になった記念に作られたこの楽曲。この曲に関しては、30歳の曲を今歌う理由がない、というはっきりした理由があって外されているのだろう。
2022年に行われた『踊る一寸法師』再発記念のツアーでも、唯一どの会場でも一度も披露されなかった楽曲である。
しかし筆者としては埋もれさせてしまうには、あまりにもったいない名曲だと感じている。冒頭のリフは、人間椅子屈指の名リフではないか、というシンプルかつパワフルなリフである。
そしてサビでの転調や、中間部の「昭和枯れすゝき」のオマージュの展開もユニークである。B級ハードロックの王道を行くような曲だけに、もっと評価されてほしいと思う。
以前、ベッド・インがカバーしたこともあり、ぜひオリジナルもライブで聴きたいところだ。
刀と鞘
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:6th『無限の住人』(1996)
2020年に再発売された『無限の住人』に収録されており、実は当時シングルカットされている楽曲である。それだけ当時は推し曲だったのだが、今では集いですら演奏されない曲である。
理由は歌詞にあるようで、刀と鞘の関係を男女に見立てているが、露骨な表現が一部に不評だったようである。しかしそう取らなければそこまで露骨にも思えないように筆者には感じられる。
そして楽曲としては非常によくできた楽曲で、メインのリフはコードを分解したような秀逸なリフだ。全体にはゴリゴリのロックと言うよりは、歌モノでありつつ、しっかりハードロックらしさもある。
また和嶋氏によるクランチ気味のソロから、しっかりブルースギターのソロまで、白熱のソロも楽しめる。人間椅子の良さが最大限に詰まった曲だけに、こちらもお蔵入りはもったいない。
血塗られたひな祭り
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:7th『頽廃芸術展』(1998)
鈴木氏による季節ものの楽曲で、ひな祭りをテーマにした楽曲。ひな人形のどこか不気味な雰囲気を思い起こさせる、ホラーテイストの歌詞に民謡調のメロディ・歌唱が鈴木氏らしい。
やはり季節限定の楽曲はライブで演奏しにくいのか、ワンマン・集いを入れても、筆者はいまだ聴いたことがない楽曲の1つである。
聴きどころは鈴木氏の笑い声と、和嶋氏による後半の泣きのギターソロであろう。ただ7分を超える大作ながら、やや単調で展開の作り込みが甘かった感もあり、その辺りがお蔵入りの原因かもしれない。
とは言え、そういう曲こそ集いでやってほしいところでもある。
刑務所はいっぱい
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:9th『怪人二十面相』(2000)
江戸川乱歩の小説の世界観を表した、コンセプトアルバムとも言えるアルバム『怪人二十面相』。和嶋氏によるちょっと洒落た楽曲が多いのも特徴の1つと言える。
「刑務所はいっぱい」はコミカルな歌詞に、曲は王道のハードロックとも言える内容である。作り込まれたメインリフ、そしてパワーコードを巧みに使ったリフや中間部など聴きどころ満載だ。
また最初のリフを展開させながらアウトロ部分まで飽きさせない作りになっており、ハードロックの教科書のような楽曲となっている。
しかしリリース当時くらいしか披露されないままになっている。演奏するのは難しそうであるが、ぜひ集いで復活させてほしい曲の1つである。
人喰い戦車
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:10th『見知らぬ世界』(2001)
NWOBHMの流れで語られるバンド、Tankに影響を受けた鈴木氏は、Tankのような楽曲を作りたいと言ってできたのが「人喰い戦車」である。
背後には反戦のテーマも掲げつつ、曲調はメロディアスなハードロックになっている。Tankで言えば4th『Honour And Blood』のような、泣きのメロディが前面に出ている。
あまり人間椅子にはないタイプの楽曲とも言えるが、何と言っても良いメロディなのである。またBメロでさりげなく転調してサビに向かう展開も見事としか言いようがない。
きっと鈴木氏も思い入れのある楽曲に違いないと思っているのだが、リリース当時に演奏されてから、ほとんど披露されていないようである。
王様の耳はロバの耳
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:11th『修羅囃子』(2003)
童話「王様の耳はロバの耳」からタイトルを借りた楽曲。寛容さ・真実を語る勇気などを教訓とした話であり、和嶋氏のメッセージが込められている歌詞にも注目である。
曲調としては、昔のディスコソングをイメージしたものであり、全くヘヴィな要素はない楽曲。それゆえあまりライブで披露する機会はなくなったものと思われる。
こうした牧歌的な曲がライブに組み込まれても良いのではないか、と筆者は感じるところだ。かつての人間椅子のライブでは、アンコール1曲目にこういったユルい曲を持ってきていたものである。
個人的にはその時代を懐かしく思い出しつつ、まったりした楽曲も時にはライブで聴きたいところだ。
のれそれ
- 作詞・作曲:和嶋慎治
- 収録作品:12th『三悪道中膝栗毛』(2004)
10th『見知らぬ世界』頃から明るくポップな作風が続いていた和嶋氏、この時期の楽曲はレア曲入りしたものも多い。ただいくつか集いでは披露されているものもあった。
その中にあって、近年全く聴いた記憶がないのが「のれそれ」である。ハードロックとお祭りのリズムを融合させた、和風のダンスロックとも言える楽曲だ。
ポップなメロディを中心に起きつつ、随所にハードロックらしいリフを散りばめた佳曲だと思う。またブルースと津軽三味線の融合したソロもなかなか秀逸である。
リリース当時のライブでは、割と披露されていたように思う。「愛の言葉を数えよう」などと近い立ち位置で、時々ライブの終盤で披露されても良いのではなかろうか。
不惑の路
- 作詞・作曲:鈴木研一
- 収録作品:13th『瘋痴狂』(2006)
「三十歳」に続く年齢シリーズは40歳を記念して作られた楽曲。30歳の時ほどおめでたいムードではなく、鈴木氏だけによる作詞・作曲で、渋い楽曲になっている。
40歳までの道のりは険しく、さらに険しい道が続いて行くが一緒に行こうと言う、実は前向きな内容になっているようにも思える。
曲調としては”いなたい”感じのハードロックで進んでいくが、後半では急にアッパーな展開になり、ダウンチューニングのヘヴィなリフが登場するところが面白い。
ダウンチューニングと思わせない前半から、最後にダウンだと分かる展開は個人的に気に入っており、久しぶりにライブで聴きたいところ。
牡丹燈籠
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:14th『真夏の夜の夢』(2007)
怪談からタイトルを借りた、人間椅子らしい世界観の楽曲である。近年では少なくなってきている、鈴木氏による大作路線の最後とも言って良い曲であろう。
そして「蛇性の淫」などにも通じる、鈴木氏の少しエロティックな作風としてもこれが最後に思われ、鈴木氏の艶めかしい歌唱が映える1曲で、ファンの評価も高い曲に思われる。
その割にライブで披露されなくなった理由は不明であるが、なかなか演奏は難しそうである。展開もそれなりに多く、テンポ感の微妙なニュアンスで緩急を付けていく辺りも大変そうだ。
とは言え、集い辺りで一度披露してほしい楽曲である。
あゝ東海よ今いずこ
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:16th『此岸礼讃』(2011)
『此岸礼讃』の中で、鈴木氏の最もヘヴィな楽曲と言っても良い曲である。東海とは日本のことを指す言葉であり、美しい日本の姿を歌ったものだ。
サウンド的にはブラックサバス直系であり、急な展開などもサバスそっくりである。鈴木氏としても本作の推し曲として作られたことではないか、と想像する。
ただサビの歌詞が、歌になると「阿藤快よ今いずこ」に聞こえてしまう、という事態が勃発。リリース当時は存命だったが、2015年に故人となり、そのためか楽曲も表に出ることがなくなった。
そろそろ解禁しても良い頃ではないか、と思って選んだところである。
猫じゃ猫じゃ
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:17th『萬燈籠』(2013)
江戸時代から明治時代にかけて流行した小唄「猫じゃ猫じゃ」からタイトルを借りた楽曲。どこか江戸の情緒を感じる曲調が、B級ハードロックの雰囲気と見事にマッチしている。
非常に鈴木氏らしい、ゆったりとしたハードロックになっているが、後半にはしっかり展開も用意されており、全体によくまとまった佳曲と言った印象である。
その割にはアルバムリリース時のツアーくらいでしか披露されておらず、集いでも披露されていないように思われる。
派手な曲ではないものの、ライブの中に入れ込むと、良いアクセントになるような曲である。
生まれ出づる魂
- 作詞:和嶋慎治、作曲:鈴木研一
- 収録作品:18th『無頼豊饒』(2014)
シンプルな曲調が増え始めた鈴木氏、本作でも複雑な楽曲は少なめであり、「生まれ出づる魂」はMotörhead風のスピーディーな曲となっている。
ややメロディアスなところはTankも彷彿させ、中間部では和嶋氏の歌も登場して、賑やかな雰囲気となるのも面白い。
流れるような曲調であるが、流れるように忘れ去られてしまったのか、リリース時以来なかなか聴いたことがない。
ストレートにカッコいい曲なので、ライブ映えしそうな楽曲である。が、集いで復活する曲はもっと難解な曲であることが多く、意外とストレートなレア曲は披露されないのだ。
まとめ
今回は集いでもなかなか披露されない、人間椅子の真のレア曲を集めてみた。
どうしても200曲以上レパートリーがあれば、優先して披露したい楽曲をセットリストに組み入れていけば、漏れてしまう曲が出てくるのは致し方のないことだ。
とは言え、埋もれて忘れ去られてしまった楽曲は、改めてその魅力を語りつつ、掘り起こしておきたいものである。
こうしてレア曲を並べてみると、難解でヘヴィな曲と言うよりも、ストレートなB級ハードロック的な立ち位置の楽曲が多く並んでいることに気付く。
ヘヴィな楽曲は人間椅子の真骨頂であり、定番になっているか、難解過ぎる曲も集いで披露されたりする。しかしストレートな曲は、わざわざ集いで選ばれにくいようにも思われる。
しかもストレートな楽曲は、割と定番が固定化しやすく、一度定番が決まってしまうとなかなか選曲が動かない。そのため、アルバムの中で地味ながらストレートな曲は、埋もれて行ってしまうようだ。
なかなか光の当たらない楽曲も、ライブで披露される機会があることを願っている。
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