【人間椅子】和嶋慎治の表現の変化から考えるバンドの若い頃の良さ・歳を重ねた良さとは?

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バンド生活三十五周年を迎える人間椅子、近年はライブチケットが早々に売り切れるほど勢いのある彼らである。

彼らの再ブレイクとも言える状況や、その変化の要因については当ブログでも繰り返し取り上げてきた。その要因の1つとして、ギターの和嶋慎治氏の表現や人生観の変化が挙げられる。

その変化とは、よりメッセージ性がの強い歌詞に変化することであり、一部には”説教臭い”という批判を受けることもあるようである。

しかし筆者としてはバンド・音楽活動を長く続ける中で起こり得る変化の1つとして捉えれば良いものであり、避けられない要因にも思える。

そこで今回の記事では、人間椅子の和嶋慎治氏の表現の変化を取り上げつつ、バンドにとって若い頃の魅力・歳を重ねた魅力について広げて考えてみたい。

※当記事はXにおける筆者のつぶやきをもとに、内容を広げて書いたものである。

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人間椅子の和嶋慎治氏の表現の変化について

当ブログで何度か取り上げてきたが、和嶋氏が楽曲を通じて伝えたいものが、時代を追うごとに変化している。

その変化は歌詞に反映されていることはもちろん、バンドの楽曲の雰囲気や世界観などにも、少なからず影響を与えているように思われる。

まずはそうした和嶋氏の表現の変化に伴う、人間椅子の楽曲の変化をおさらいしておこう。

和嶋氏の発言

和嶋氏はインタビュー等で、「昔はただ気味の悪いことを歌っていたが、伝えたいことがやっと見つかった」と語っている。たとえば下記のインタビュー動画でも語っている。(13:05辺りから)

「人によっては変にポジティブで説教臭いと思うかもしれないが、それがやりたいこと」とも語っている。さらには「何か掴んだものがあった」とも語っており、それは何なのか。

下記のコラムに書かれているが、表現する上での軸、あるいは生きるための軸とも言う”何か”を掴んだそうである。それを言葉にすれば「美しく生きたい」というところから始まったそうだ。

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一言では言い表しづらい感覚のようだが、この感覚について語っている先ほどのインタビュー動画は、2013年にOzzfest Japan 22013出演後にリリースされた『萬燈籠』について語ったものだ。

まさしく人間椅子が”再ブレイク”を果たすきっかけになった時期であり、明らかに人間椅子のモードが変わり、動員が著しく増え始めた時期と重なっている。

そうした変化は和嶋氏の作る歌詞の中にも表れ、下記の記事で詳しく書いた通り、生きる上での苦しみからの救いのような感覚を、歌詞に入れ込むことになっていく。

【人間椅子】ギター和嶋慎治の歌詞の変化を6つのキーワードから紐解く – 歌詞の変化がもたらした再ブレイクの要因とは?

実際の作風の変化の時期は?

和嶋氏の表現や人生観の変化により、作風に変化が見られた時期は、大きく分けて2つある。1つは上記の表現の軸を獲得した時期である。

アルバムで言うと、確実に変化が見られたのは2009年の15th『未来浪漫派』である。現在の人間椅子に繋がる、ダークな部分を歌うことで、希望を表現する作風に切り替わっている。

たとえば「深淵」などで、攻撃的なリフやサウンドを持ちつつも、「私が幸せにあるのは苦しみのゆえに」と自らの心境をストレートに歌うことができている。

過渡期にあったのは2007年の14th『真夏の夜の夢』であり、「どっとはらい」は後に繋がるシンプルでヘヴィな作風を持ちつつも、まだ難解で技巧的な歌詞がかつての作風を思わせる。

実はこれよりも前に、和嶋氏の作風に変化が見られた記事があった。それは2001年の10th『見知らぬ世界』の頃である。

アルバム全体を通して、和嶋氏の楽曲は明るくポップなものが多く、歌詞の内容もストレートでメッセージ性の強いものであった。

後にこの時期には離婚を経験していたことが明らかになったが、かなり和嶋氏の人生に影響を与えた出来事だったようである。ただこの時点で伝えたいものが明確化した訳ではないようだ。

それ以前の和嶋氏の作風は、インタビューで語っている通り、「ただ気味の悪いことをやる」という感じで、伝えたいメッセージ性のようなものはなかったようである。

楽曲の世界観やリフ、サウンドなどでいかに不気味さを表現するか、に重きが置かれており、たとえば1996年の6th『無限の住人』収録の「黒猫」などはその頂点の1つであろう。

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人間椅子は”説教臭くなった”? – バンドにとっての若い頃・歳を重ねた魅力とは?

ここまで人間椅子の和嶋慎治氏の表現の変化に伴う、作風の変化について簡単にまとめた。人間椅子の場合、この変化が再ブレイクの要因となっており、良い作用として働いている。

ただ本人が語っている通り、一部には「説教臭くなった」と感じる人もいるようで、確かに従来の人間椅子とは作風が変化していることは事実である。

和嶋氏の変化は、彼に特有のものではあるものの、普遍的に考えてみると、長いキャリアのあるバンドであれば、若い頃・歳を重ねた頃のそれぞれの魅力、と言う話題に置き換えられないだろうか。

人間椅子の若い頃の作風から考えてみよう。人間椅子の場合は、ブリティッシュハードロックに日本語詞を乗せると言う明確な音楽性が初期からあった。

しかし和嶋氏が「ただ気味が悪いことをやろうとしていた」と語っている通り、そうした音楽をやることに対して、何か意味を見出してやっていた訳ではないだろう。

ほとんどのバンドが、バンドを始めた時に何か意味があって始めた訳ではないはずだ。何となく音を合わせた感じが良かった、とか、何か煌めくものがあった、とかそんなものだろう。

人間椅子はまだ音楽性が明確だった分、意味を持たせることもできるが、いわゆるバンドの”初期衝動”はもっと非言語的な、感覚的な何かである。

初期から2000年の9th『怪人二十面相』くらいまで、人間椅子は「ただ気味の悪いことをやる」という1点で、それを愚直なまでに続けてきたということだ。

意味がなくても愚直に探求し続ける力こそが、若さなのではないかと筆者は思う。歳を重ねるごとに、自分のやって来たキャリアによって、自分自身が意味づけられる。

またバンドの場合は年数を重ねるごとに、ファンから見たバンド像・音楽性のようなものが形作られ、それに対して応える、というバンドを続ける”意味”がどうしても生まれてくる。

別のバンドの話題だが、怒髪天はずっとバンドは自分たちが好きで続けてきただけだったが、2014年の日本武道館をやった時に、自分たちだけのバンドではないと自覚したと語っている。

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自分たちのやってきた音楽、そしてファンから求められるもの、ではその中で今の自分が伝えたいことは何なのか、という問いにぶち当たるのも頷けるところである。

和嶋氏の場合は、自らの表現の軸を獲得し、伝えたいメッセージが明確になったことで、自身がバンドを続ける意味についても明確になった、ということだろう。

つまり歳を重ねるごとに、自分の表現やバンドに対して俯瞰できる部分が増えて、よりバンドを続けることに対して自ら意味を感じながら演奏する、というのが歳を重ねたバンドの魅力である。

意味などなくがむしゃらに表現していた若い頃とは全然違うものになって当然なのである。人間椅子の場合は、伝えたいメッセージが歌詞に直接表現されるので、”説教臭い”と言う批判になった。

しかし歳を重ねれば、俯瞰しながらも、その時点のありのままの表現をする、という若い頃とは違う段階に立っているのは当然のことなのだ。

そのため、ファンとしては若い頃・歳を重ねた時代と、それぞれ違うものとして聴いた方が楽しめるように思う。

そして表現者としては、若い頃が好きだという人たちを振り切って、今の表現をした方が、人間椅子の例を見ても輝くことになるのが分かるだろう。

人間椅子を歳を重ねたことで生まれたアルバム

・『萬燈籠』(2013)

自らの原点であるダークなハードロックを俯瞰して作り上げた作品

・『色即是空』(2023)

自分自身だけでなく、それを取り巻く世界・宇宙まで表現が広がった作品

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