【人間椅子】和嶋慎治・鈴木研一の共作曲一覧 – その魅力となぜ共作をしなくなったのか?

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日本のハードロックバンド人間椅子は、70年代ハードロックに日本語詞を乗せる独特なスタイルだ。その楽曲を作るのは、和嶋慎治(ギター・ボーカル)と鈴木研一(ベース・ボーカル)の2人である。

人間椅子の楽曲は、和嶋・鈴木それぞれ単独で作曲し、作った人がボーカルを取る、というのが人間椅子のルールのようである。

しかし初期の楽曲を見ると、「和嶋慎治・鈴木研一」のように2人の名前が並ぶ楽曲がある。かつては共作が行われていたのが、ある時期から行われなくなっている。

なぜ共作が行われなくなったのだろうか。

そこでこの記事では人間椅子の和嶋・鈴木2人による共作の魅力、そしてなぜ共作が行われなくなったのか、について書いていきたい。

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和嶋慎治・鈴木研一の共作曲について

最初に共作が行われていた時期、そして共作された楽曲の一覧を見ていきたい。

共作の行われていた時期とは?

まずは和嶋・鈴木の2人による共作が行われていた時期について押さえておこう。

デビュー前の0th『人間椅子』(1989)から4th『羅生門』(1992)までは、2人の共作が多くなっている。

この頃は、およそアルバムの半数近くの楽曲が共作であった。

そしてメジャー契約の解消後、5th『踊る一寸法師』(1995)以降は一気に共作が少なくなり、アルバムに1曲だけとなった。

その後、6th『無限の住人』(1996)、7th『頽廃芸術展』(1998)も同じくアルバムに1曲だけ共作曲が収録されている。

そして8th『二十世紀葬送曲』(1999)以降は、和嶋・鈴木の2人による共作が行われることは一切なくなった。

なおナカジマノブ氏加入後、人間椅子メンバー全員による共作曲が一部にあったが、やはり和嶋・鈴木の2人で作られることはなくなったままである。

共作曲が多かったのが、4thアルバムまで(1989年~1992年頃)であり、7thアルバム(1998年)までは、和嶋・鈴木の2人による共作がアルバムに収録されていた、ということになる。

共作曲一覧

作曲が共作となっているものを集めてみた。(ただし人間椅子のメンバーによる楽曲のみ)

和嶋・鈴木の2人の名前が並ぶ、7th『頽廃芸術展』までのアルバムと、それ以降に分けた。さらに和嶋・鈴木の2人の順番で区別しているので、どちらが先になっているかも分けて表にした。

<和嶋慎治・鈴木研一(7thまで)>

No.タイトル収録作品(オリジナル)
1陰獣0th『人間椅子』(1989)
2猟奇が街にやって来る0th『人間椅子』(1989)
3人間失格0th『人間椅子』(1989)
4あやかしの鼓1st『人間失格』(1990)
5賽の河原1st『人間失格』(1990)
6盗人讃歌2nd『桜の森の満開の下』(1991)
7無言電話3rd『黄金の夜明け』(1992)
8狂気山脈3rd『黄金の夜明け』(1992)
9羅生門4th『羅生門』(1993)

<鈴木研一・和嶋慎治(7thまで)>

No.タイトル収録作品(オリジナル)
1桜の森の満開の下0th『人間椅子』
2りんごの泪0th『人間椅子』
3爆弾行進曲2nd『桜の森の満開の下』(1991)
4遺言状放送2nd『桜の森の満開の下』(1991)
5相撲の唄2nd『桜の森の満開の下』(1991)
6太陽黒点2nd『桜の森の満開の下』(1991)
7黄金の夜明け3rd『黄金の夜明け』(1992)
8独裁者最後の夢3rd『黄金の夜明け』(1992)
9わ、ガンでねべが3rd『黄金の夜明け』(1992)
10審判の日3rd『黄金の夜明け』(1992)
11もっと光を!4th『羅生門』(1993)
12埋葬蟲の唄4th『羅生門』(1993)
13走れメロスベスト『ペテン師と空気男』(1994)
14どだればち5th『踊る一寸法師』(1995)
15蛮カラ一代記6th『無限の住人』(1996)
16ダンウィッチの怪7th『頽廃芸術展』(1998)

<8th以降の共作>

No.タイトル収録作品(オリジナル)作曲クレジット
1秋の夜長のミステリー15th『未来浪漫派』(2009)人間椅子
2蜘蛛の糸17th『萬燈籠』(2013)和嶋慎治、鈴木研一、ナカジマノブ

※共作楽曲を集めたプレイリストを作成した。

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和嶋慎治・鈴木研一の共作曲の魅力

和嶋・鈴木の2人による共作の魅力は、やはり2人の個性がお互いを活かし合っているところである。別の言い方をすれば、お互いに持っていないものを補い合っているのである。

ギター和嶋慎治が得意とするのは、テクニカルに楽曲を展開させるプログレ風の作曲である。ハードロックの中でも、アートな部分を前面に押し出した楽曲が得意に見える。

一方のベース鈴木研一は、印象的なリフを軸にストレートなメロディと展開の楽曲が得意である。複雑な展開は少ないが、その分インパクトの強い楽曲になる。

両者が得意とする部分が異なるから、共作を行うと、ちょうどお互いにない部分を補い合えるのである。

結果的に曲自体のパワーがありながら、よく練られた展開のある楽曲が共作には多いように思う。

そして共作のクレジットをよく見ると、「和嶋慎治・鈴木研一」と「鈴木研一・和嶋慎治」の2パターンがあることに気づくだろう。

これは先に名前のある人が、楽曲のメインを作った人、ということのようである。この2パターンに分けて、共作の楽曲の魅力を掘り下げてみたい。

「和嶋慎治・鈴木研一」の共作の魅力

和嶋氏がメインで作曲している共作曲は、鈴木氏のボーカルやメインリフを活かしつつ、技巧的に展開していくような楽曲が多くなっているのが特徴だ。

たとえば初期の代表曲「陰獣」は、和嶋氏がワウペダルを用いたあのメインリフを作り、歌のメロディを鈴木氏に任せた、というエピソードが和嶋氏の著書『屈折くん』にある。

おそらく楽曲の骨子は和嶋氏が作ったのだろうが、あの禍々しい歌があって完成と言う感じがする。

また1st『人間失格』収録の「賽の河原」も共作による傑作の1つである。

明確にどちらが作ったかは分からないが、ボーカルパートからしてメインリフは鈴木氏、Bメロや後半は和嶋氏ではないか、と推察される。

和嶋氏が作った部分は、メロディアスなBメロやプログレッシブな後半など、楽曲を盛り立てるためのパートである。

そこにおどろおどろしいメインリフ、そして鈴木氏の歌う民謡のようなAメロが入って、楽曲のインパクトが一気に増す。

インパクト大のAメロに、流麗なBメロが入ってくることで、哀愁が漂い、さらに品格も高まっているように思える。まさに和嶋・鈴木の2人の魅力がかみ合った楽曲と言えるのではないか。

「鈴木研一・和嶋慎治」の共作の魅力

鈴木氏がメインの楽曲の場合、やはり鈴木氏の特徴であるストレートな作風が目立っている。そこに和嶋氏の作る展開が光る楽曲が多い。

たとえば「りんごの泪」は、鈴木氏が初めて作ったリフ(冒頭のメインリフ)がもとになっている。

メインリフ自体、とてもインパクトがある名リフではあるが、中間部の展開があることで楽曲に広がりができる。

鈴木氏の持つ土着的なリズムとメロディに、和嶋氏が作ったと思われる中間部はブルースやR&B的な要素を持ち込んでいるように感じられる。

日本的でありながら洋楽のようなリズムも持つこの楽曲は、和嶋・鈴木の2人の個性の化学反応と言えるだろう。

さらに和嶋氏の個性が顕著に出ているのは、3rd『黄金の夜明け』収録の「審判の日」だろう。

鈴木氏自身も会心の出来だと称するメインリフ、ひたすらこのリフを展開させていく楽曲である。ただそれだけの楽曲ではない。

中間部のプログレッシブな展開が圧巻であり、おそらく和嶋氏の貢献が大きい部分だろう。複雑なリフに、巧みな転調と、演奏の見どころ満載の中間部となっている。

それでいて、しっかりメインリフに戻ってくる展開が作られ、あくまでメインリフを立てるための中間部となっている。

鈴木氏のインパクトを大切にしながら、和嶋氏が楽曲の構成や展開で良い仕事をしているのが分かる。

なぜ共作が行われなくなったのか?

和嶋・鈴木の2人による共作は8th以降行われていない。その理由は何なのだろうか。

残念ながら、筆者が探す限り、決定的な理由は見つかっていない。ただインタビュー等の情報から推察できることを、2点まとめて書いてみた。

共作は大学時代からの流れだった?

人間椅子のデビュー前のエピソードとして、大学時代によく和嶋・鈴木両氏がお互いの家を行き来し、楽曲を制作したというものがある。

鈴木氏が当時MTRを購入し、それを和嶋氏が使って録音していたことが、和嶋氏の著書『屈折くん』に書かれている。

「陰獣」「りんごの泪」などは、2人のアイデアを持ち寄り、和嶋氏がそれを楽曲として組み立てていったようである。

人間椅子のデビュー前からのレパートリーは、このように本当の意味で共作が行われていたようである。

人間椅子30周年記念完全読本 椅子の中から』では、この当時は2人で力を合わせて、”青春”だったと回想している。

プロデビューしてからもお互いの家を行き来することは多かったようだが、楽曲制作においては、仕事と言うこともあり、大学時代のノリのようにはできなかったのだろう。

また1995年の『踊る一寸法師』はインディーズからのリリースで、メンバーはアルバイトをしながらの音楽活動となった。

思うように時間が取れない中での制作となっただろうから、ますます共作するような時間もなくなったのだろう。

さらに90年代後半~2000年頃は、和嶋氏が青森に住んでいたり、結婚して千葉に住んでいたりと、和嶋氏と鈴木氏が離れて暮らしていた時期もあった。

そうした環境の変化や大人の事情もあり、かつての”青春”のまま共作することはなくなっていったのではなかろうか、と推察する。

鈴木氏が1人で全編の作曲が難しかった

共作楽曲の一覧を見ていただくと、「和嶋慎治・鈴木研一」は1st辺りまでが多いのに比べ、「鈴木研一・和嶋慎治」は割と後のアルバムまで楽曲数が多くなっているのが分かる。

これは、デビュー頃に鈴木氏はまだ1人で1曲をすべて作るのが難しかった、という事情があったためと思われる。

1stアルバム『人間失格』では、「悪魔の手毬歌」を1人で作ったのは、当時としてはチャレンジだったと述べている。

そのため鈴木氏が作ったリフやメロディの断片を、和嶋氏が1曲に作り上げる、と言う意味での共作が多かったためではないか、と考えられる。

和嶋氏はMTRなど機材を使うのが得意で、全パートを自ら作り込んでいるのだという。

一方の鈴木氏は、会議用のレコーダーなどでギターリフを録音するのみだそうで、こうした点でも和嶋氏の方が作曲の技術的な面では長けているように思える。

とは言え、5th『踊る一寸法師』以降はほぼ単独での作曲となっているため、何枚もアルバム制作を経て、鈴木氏も作曲能力が磨かれたのだろう。

和嶋氏のサポートも必要がなくなり、作曲はそれぞれ単独で行われていくことになったのだと考えられる。

人間椅子の歴史についてまとめた記事はこちら

まとめ

今回の記事では、人間椅子の和嶋慎治・鈴木研一の2人による共作を取り上げて紹介した。

共作曲の一覧を見る限り、初期の人間椅子を代表する楽曲ばかりである。そして共作の魅力は、お互いに持っていないものを補い合い、より強力な楽曲を作り上げていた点だった。

現在は共作が行われなくなったが、もし今共作が行われたら、どんな楽曲が生まれるのだろう、とも思う。

ただ人間椅子の楽曲は、ドラムのナカジマノブ氏も含め、3人で作り上げている事実も見逃してはいけない。

3人でアレンジを詰め、細かくテンポを決めている様子が、21stアルバム『新青年』の初回限定盤に付属のDVDに収められている。

”プロデュース:人間椅子”というクレジットに、3人で楽曲を作り上げている点が込められているのだろう。

人間椅子の楽曲が、どのように3人で作られているのか、また過去の共作はどうやって2人で作ったのか、思いをはせながら聴いてみるのも面白いのではないか。

そして今後も、また共作が行われることにも期待したいと思う。

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Budgie – Budgie(1971)

「陰獣」の原型とも思われる名曲「Guts」を収録の1stアルバム

紫 – MURASAKI(1976)

沖縄発の伝説的ハードロックバンドの1stアルバムが再発

Candlemass – Tales of Creation(1989)

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