↓ 前回の【2002年~2003年】人間椅子日記その2(押絵と旅する男~修羅囃子)
僕が人間椅子のファンになった2000年頃から、思い出すままにその当時のことを振り返ろうという記事の2本目である。
今回は2004年から2005年についてである。
あらかじめ言っておくと、この時期の人間椅子の情報はかなり少ない。
メディア露出などもかなり少なかったという、当時の雰囲気を感じ取ってもらえれば幸いである。
ちなみに、こちらのサイトに2004年~2005年の活動がまとめられているので、参考にさせていただいた。
・2人体制の人間椅子からナカジマノブ氏の加入について
前回の人間椅子日記その2でも書いた通り、前任ドラマーの後藤マスヒロ氏の脱退はかなり痛手に感じた。
あそこまでテクニカルかつヘビーなドラムを叩けるドラマーはなかなかいないと思ったからだ。
そのまま年明けを迎え、2004年となった。
この時の人間椅子倶楽部から届いた年賀状には、和嶋・鈴木両氏のみの挨拶だった。
そして2004年の6月に新ドラマーとして、ナカジマノブ氏の加入が発表された。
今となっては、インタビュー等で加入当時のエピソードはいくつか聞かれている。
たとえば鈴木さんとノブさんはご近所で、ポストにMDを入れて音源を渡していたことや、体がなまるから練習につき合ってくれとノブさんにお願いして、実はオーディション的な場だった等々。
しかし当時はそう言った情報はもちろんなく、確か覚えているのは、「ドミンゴス等、様々なバンドで活動中の」という紹介があるぐらいだったと思う。
僕自身は高1になった年だが、音楽にそんなに詳しい訳でもなく、ドミンゴスというバンドも知らなかったので、どんな人なのだろうと思ったものだった。
ただ1つ言えることは、明らかにマスヒロさんとは異なるタイプなのだろうと思ったことだ。
見た目からしても、かなり派手だった。
後からノブさんがオタクであることは知るのであるが、人間椅子のイメージ=”根暗なオタク”というのが強かったため、意外な雰囲気の人が加入したなと思った。
・『三悪道中膝栗毛』発売
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そして2004年9月29日に新体制の人間椅子初のアルバム『三悪道中膝栗毛』が発売された。
デビュー15周年記念盤ということで告知がなされていた。
新体制の中だったが、15周年に何としてもアルバムを作るということで、気合を入れて制作されたアルバムと言うことだった。
そしてこの中から「洗礼」がMVとなり、アニメーションとの合成を用いた、これまた気合の入った作品となっている。
気になっていたのは新たなドラマーになって、作風が変わっていたのかどうかであった。
僕の印象としては、マスヒロ氏のドラムを意識して違い過ぎないように演奏されているようにも思われた。
実際にはどこまで意識していたかわからないが、やはり加入直後の作品で、前任と比較されることはやむを得ないことであり、どう叩くのか難しいところだったのではないかと感じた。
そして『三悪道中膝栗毛』を聴いて感じたのは、今までの人間椅子に比べると、作り込みが少し弱いように感じたのを覚えている。
今改めて聴くと良いアルバムだなと思っているのだが、何とか間に合わせて作ったアルバムなのかなと思った。
鈴木氏の「洗礼」や「意趣返し」などは今までの人間椅子と変わらない安心感があったが、和嶋氏の「野垂れ死に」や「痴人の愛」、また「悪霊」などは、かっこいい楽曲なのだが、どことなく未完成感を感じたものだった。
一方でノブさんがボーカルの「道程」は今までにないタイプの楽曲で、新しい人間椅子を感じられた。
今思うとということだが、マスヒロ氏はかなり編曲に貢献していたと聞くため、やはりマスヒロ氏の脱退により、かつてのあの作り込まれた展開はなくなってしまったのではないかと思う。
でもノブさんの加入によって、よりシンプルなハードロックという今のスタイルがここから始まったと言える。
とは言え、変化になかなかついていけないのがファンだったりする訳で、しばらくの間、マスヒロ・ロスから抜けられなかった時期があったことは古いファンの方なら共感いただけることと思う。
リリース後には発売記念のツアー『新生人間椅子平成拾六年巡業~三悪道中膝栗毛~』が敢行されている。
しかし記憶では僕はこのツアーに行っていないように思う。
たぶん定期試験の日程と重なったとかで、ライブに行っている時期ではないとやめたのだと思う。
行っていたら名古屋ell FITS ALL公演に行っていただろう。
その時のセトリも載せておく。
2004年10月14日(木)
(青森ロック大臣 練馬調査室さんを参考に)
1 戦慄する木霊
2 人間椅子倶楽部
<MC>
3 新生
4 審判の日
<MC>
5 夜間飛行
6 のれそれ
<MC>
7 道程
<MC>
8 洗礼
9 見知らぬ世界
<MC>
10 痴人の愛
11 踊る一寸法師
12 黒猫
<MC>
13 発射
14 愛の言葉を数えよう
15 針の山
<アンコール1>
16 人面瘡
17 地獄
<アンコール2>
18 ダイナマイト
そして2004年は名古屋では学園祭出演というイベントもあった。
こちらも行っていないのだが、電源が途中で落ちたとか、学園祭ならではのエピソードがあったように思う。
加えてこの頃、鈴木さんは白髪が増えたということで、長髪をばっさりと切って坊主になった。
2004年11月のファンクラブ会報には鈴木さんの個人ページに、「使用前」「使用後」とだけ書かれ、地獄のような画質の写真が添えられている。
が、さすがにこれは掲載は控えておきたい。
・ツアー『平成十七回忌巡業~寒中膝栗毛』と初ノブさん
この頃の人間椅子は、アルバムリリースとツアーがなければ、ほとんど何の情報も入ってこないという状態だった。
現在まだ残っているオフィシャルブログも2007年からであるため、この頃はホームページが更新されなければ情報がなかった。
そのため今以上にファンクラブに入らなければ情報が得られなかったものだ。
ちなみに2015年の年賀状はこんな感じだった。
人間椅子のメンバーは40代に突入する年だった。
さて、人間椅子は『平成十七回忌巡業~寒中膝栗毛』と題して、『三悪道中膝栗毛』のリリースツアーを引き継ぐようなタイトルで、全国ツアーが行われた。
この時は名古屋のライブに行けたのだった。
2005.2.19
1.怪人二十面相
2.みなしごのシャッフル
3.意趣返し
4.与太郎正伝
5.晒し首
6.甘い言葉 悪い仲間
7.羅生門
8.賽の河原
9.野垂れ死に
10.悪霊
(スローなブギにしてくれ ※ノブ叩き語り)
11.心の火事
12.東京ボンデージ
13.どだればち
14.恋は三角木馬の上で
15.青森ロック大臣
16.桜の森の満開の下
-EC1-
17.道程
18.愛の言葉を数えよう
-EC2-
(スズケンサンバ)
19.地獄風景
ちなみにかよ蔵さんのサイトからセトリ情報をいただいて、ライブレポートもあるので、詳しくは見ていただきたい。
この時が初めてノブさんの加入した人間椅子を見たときだった。
とても印象に残っているのは、ノブさんは「どこに行っても合わせることができない」と、今と同じように「イエーイ!!」と言っていたのが、馴染まなくて困惑していたことだ。
人間椅子のライブにはないノリだったので、他のお客さんもついていけていない人がいたように思う。
演奏に関しても、「意趣返し」のところで間違えたのはいまだに覚えている。
まだまだ人間椅子の楽曲を練習中というような感じだった。
他のエピソードとして、当時はファズのエフェクター作りに夢中だった和嶋氏が、「甘い言葉 悪い仲間」で新作エフェクターを使ってみたとのことだった。
しかしギターソロで使用すると、何を弾いているのかわからないぐらい歪んでいて、とんでもない爆音だった。
後のMCで「失敗した」と語っていたのも印象的だ。
逆にすっかり忘れていたが、当時「マツケンサンバ2」が流行っていて、ダブルアンコールで曲を流して、3人で踊りながら出てきたことがあったみたいだ。
何となくだけだが覚えている。
当時は今よりも規模が小さかったので、こういったアットホームなライブがよく行われていたな、と懐かしい気持ちになった。
そしてこの年はこのツアー以外には僕は記憶しているものがない。
目ぼしいところでは、第1回人間椅子倶楽部の集いから長い時間を経て、第2回目が開催されているようだが、これも行っていない。
年の後半にはニューアルバムの発売の告知があった。
これまで毎年アルバムの発売があったので、2005年は何もないので悲しかったことを記憶している。
タイトルを『瘋痴狂』と言い、いったいどんなアルバムになるのか楽しみに年の瀬を迎えた。
この時にレーベルだったトライエムが事業譲渡により、徳間ジャパンコミュニケーションズがレーベルとなった。
確かレコード会社のサイトがきちんと整備されるに至り、新譜の曲目などを、徳間ジャパンのサイトで楽しみに見ていた覚えがある。
2004年~2005年はここまでだ。
次回、まだまだ低迷期真っ只中、人間椅子日記その4【2006年~2007年】に続く。
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