良い音楽というのはいろいろあると思いますが、1つにはメロディの良さがあるでしょう。
人は見た目が9割なんて言ったりしますが、まさにメロディが9割ともある意味では言えるのかもしれません。
ただ良いメロディは良い音楽だと言えるものの、良い音楽が必ずしも良いメロディであるだけで良いのかと考えるとそうでもないと思います。もう少し良い音楽というのは広いような気がしまして。
良い音楽について考えるときに、いつも画家のクロード・モネのことが浮かんできます。
私はモネの絵が好きなのですが、それはモネの風景へのまなざしが好きなのだと思う時があります。
つまり主観的にどのように見ているのか、その時にどれだけ洗練された見方をしているのかということが大事なように思います。
モネの絵が好きなのは、その風景に対する見方が自分と肌が合うからですが、優れた見方をしている人の作品というのは肌があうかどうか別として、どれも素晴らしいものでしょう。
そして主観的に見えたものを、いかにありのまま吐き出すのかということが表現だと思います。
表現するためには技術が必要になってきますし、多くの人の共感を得るためには先行する作品を踏まえたものになっていなければなりません。
まさに良い音楽も、これまで書いたように世界に対する優れた目とそれを表現する技術と音楽的バックグラウンドがいるように思います。
ただ音楽はメロディという偉大な武器があります。
メロディは感性でもあり、でも美しいラインはある程度限られるために技術でもあるような気がします。
そう考えるとメロディをこえたところにも良い音楽はあるような気がしていて、それが絵画的なアプローチでの音楽だと思うのです。
つまり世界に対するまなざしや感じたことが音となり歌詞となり体現されているということでしょう。
しかしやはり表現としてあるのは、メロディであり楽器の音であり。
それを超えたところにあるもの、というのは言葉では説明できません。
それは絵画も同じであるといえるでしょう。
結局芸術というのは言葉や論理で説明できない部分というのを大事にしているように思います。
宗教もそういった部分を担っていると思いますが、私自身は宗教は言葉で伝えられてしまうものであるところが、究極的には限界があるような気がしていて。
だから芸術が優れているのかどうか分かりませんが、少なくともフラットな状態として芸術は存在しやすいものであるというところで好きなのだと感じる訳です。
少し話はそれましたが、言外にあるものや主観的に感じるもの、というのは自分の中で捨てきれるものではなく、学問の世界にいればなおさら、心の拠り所のようにして大事にしているのでしょう。
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