閉鎖社会嗜好症

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我等若者(現代人と言うべきか)がどうしてもぶち当たる壁こそがこの「閉鎖社会嗜好症」とでも言うべき状況である。

簡単に言ってしまえば、特定の趣味や考え方の中に閉じこもる傾向のある人たちの事である。これは仕方の無い事ではある。

地域社会などの所属場所が不明瞭になり、日本全体、世界全体ですらイデオロギー的枠組みが崩れて境界なき世界になっている。

一方では特に40代辺りの人達が、古い日本の自治体の在り方を嫌って地域社会から離れようとしているが、もっと若い、つまり地域社会的な縛りを経験していない世代の人達は、逆に何か繋がりや所属を欲しているのである。

しかしもはや地域社会や学校といった枠組みはあまり作用していない。

そこで登場したのがインターネットである。インターネット上では身の回りには見当たらないような、趣味の同じ人を見つける事が出来る。あるいは考え方や笑いのツボなど、自分と肌の合いそうな人を見つける事も出来る。

たちまちそこには一つの集団が生まれる。何かのファンサイトであったり掲示板であったり様々だ。

こうした付き合い方は一見楽しそうに見える。

しかし、実際に会った事で知り合った場合とは随分違う。例えば、実際にあって知り合う場合には、何かしら世間話をして互いの表面的な部分を知ってから、共通の趣味や似た考え方の持ち主だと知ることになる。しかしネットで出会う場合、予め何が好きであるか、と言う点で集まっている以上、初めに話す内容も互いの表面を知るためのものにはならない。

つまり人間関係において、今一つ深まりがないのである。ある程度話に幅があって、その中で趣味の話もできるというのが自然ではなかろうか。

また、そういった集団は非常に排他的である。周りには理解し得ないマニアックな趣味を語り合うことで自然と閉鎖的→排他的となるもの。

「2ちゃんねる」のように、「ウケ狙い」で書いたとしてもそれ以外の人には脅迫のように取られるという事態から、実際に排他的な言動を起こすもの。

いずれにせよ、集団は内へ内へと向かっていくのである。

このような閉鎖社会の集まりのようになった国では、政治家の言う事などは大して耳にされない。各集団は社会を持ち、世の中とは別の場所に生きている。

やはりネットによって人間関係は随分変わったと思われる。しかし閉鎖的、排他的集団を生んだ事はよかったのだろうか?

私はどうしても良いとは思えない。それは閉鎖的な集団では、一見各々の趣味が語られて楽しそうであるが、人間的なやり取りは希薄であるため、どうしても関係が薄っぺらい。人間同士が会って何かについて語り合い、一つの作業を成す事は、何にも変えられない。それによって得られた満足感は多大であり、ずっと思い出として残るようなものだ。

そして本気で他人を考える事で、思いやりも生まれるだろう。

しかしこのような閉鎖社会では、知った仲間の馴れ合いや他の排除を楽しむ集団である。それには常に虚無感が付きまとい、満たされない思いが渦巻く集団である。


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