変はり果てた哀れなる姿よ…。

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今日、本屋で愕然とした。

コミックボンボンが休刊になると聞いて、最近はどんな雑誌になってゐるのだろうかと見てみた。しかしコロコロは置いてある数からして人気だ、と思っていたがボンボンが見当たらない。ふとマガジンなどの週刊誌を見やると、そこには安い紙に成り果てた、サイズの大きいボンボンが紛れてゐた。中身を見てさらに愕然とした。

「こんなのはボンボンではない」

これしか浮かばなかつた。紙の質が週刊誌レベルに下がったのと、漫画の質が大いに変貌してゐた。まず何だ。「ネギま」がやつてゐるぢゃないか?昔のボンボンにはお色気や恋愛はほとんどなかつた。それにギャグ漫画が多い。それも「クロちゃん」のやうにシュールな物とは異なり、あまり質の高いものとは思はれなかつた。

細かな事はこれぐらいにして、なんと生き延びるのに苦労してきたのか、と思ふ。昔から「コロコロ派」が多かつたのは事実だが、もはやボンボンの居場所はなくなり、少年誌の真似になつてゐた。かといつて少年誌も苦しい状況であるため、ボンボンは休刊に至つたのであらう。

私はここで幾つかの傾向について考えた。まづは、今の小学生は全く寄らば大樹的な考えを持ってゐるということ。結局「個性」だなんだと言ったところで、話に付いていけなくなるのが怖いから、少数派になるのが怖いからボンボンを買わないのである。これは昔から変はらない。もう一つは、雑誌を大事にしないといふことだ。私は毎月ボンボンが発売さるるのが楽しみで、買つてからは何度も何度も読んでゐた。そうやつて漫画を大事に、掘り下げて読んでゐたのだ。されど今はそのやうな読み方をする読者が少ないのだらう。こればかりは学力低下を持ち出さねばなるまい、と思ふ。もう一つ加えるなら、これまでボンボンを支えてきた子供向けのゲームが減りつつあるといふ理由も考えられる。大人がDSやWiiで遊ぶやうになり、それに合はせてソフトも大人向けになつていつた。子供はゲームをしないやうに育てられ、携帯やパソコンで遊ぶやうになつた。これではボンボンはやつていけぬ。

以上の点からボンボンは廃れたやうな気がする。もはや今のボンボンはボンボンとは呼べぬ。嗚呼此も時代の変はりやうといふものだ。


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