演歌と言うと、伝統を重んじる保守的なジャンルのイメージがあるかもしれない。しかし演歌の黄金時代とも言える1970~80年代に目を向ければ、非常に革新的な部分があった。
それは演歌を作る作曲家以外のミュージシャンやソングライターによる、演歌の楽曲提供である。
演歌歌手にポップスなどを歌ってもらう、と言うのとは異なり、演歌以外のジャンルの人が演歌へのリスペクトを込めた楽曲を提供しているところが素晴らしい。
かつては演歌とそれ以外のジャンルが交流し、演歌自体も革新性があったのだ。今回は演歌以外のジャンルのソングライターが作った、演歌への愛を感じる楽曲を取り上げる。
演歌以外のジャンルのソングライターが作った演歌への愛を感じる楽曲たち
今回取り上げるのは、演歌以外のジャンルのソングライターが演歌歌手に提供した楽曲である。
当然ながらポップスやフォークなど、他のジャンルのカラーは残っているが、歌手の個性や演歌と言うジャンルに理解を示しながら作られていると感じられる部分がある。
そうしたリスペクトの下で作られた曲は、1970年代の演歌全盛期をリスナーとして聴きながら、80年代に活躍したミュージシャン・ソングライターによるものが多くなっている。
中でもヒットした曲やインパクトの大きかった曲、そして筆者が特に好きな曲を中心に選んだ。並び順は楽曲のリリース順である。
なお作曲家の場合は、多ジャンルを作ることをある程度は前提にしているので、あまり演歌を作らない作曲家が演歌を作った、という事例などは省略している。
(たとえば小林亜星氏が都はるみ氏に「北の宿から」を作った事例などが典型である)
森進一 – 襟裳岬(1974)作曲:吉田拓郎
- 作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、編曲:馬飼野俊一
- オリジナル盤リリース:1974年1月15日
独特のハスキーボイスが特徴の歌手、森進一氏の1974年のシングル曲「襟裳岬」を最初に取り上げる。
いわゆる演歌という枠で見られることのあった森氏であるが、所属していた日本ビクターは創立五十周年という節目で何か新しい方向性を、という動きがあったそうである。
そこでフォークソング全盛期のコンビである、作詞:岡本まさみ、作曲:吉田拓郎という組み合わせで楽曲が作られることとなった。
関係者の間ではイメージに合わないと反対が強かったようだが、森氏自身の強い意向もあって、シングルA面曲としてリリースに至った。
結果的には、1974年の第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞、同年の第25回NHK紅白歌合戦においてこの曲で4回目の白組トリおよび初の大トリを飾る大躍進となった。
楽曲としては吉田拓郎節とも言える、字余りの歌詞などフォークの特徴を色濃く持つのであるが、アレンジと森氏らしい力強い歌唱によって、見事に演歌の楽曲となっている。
また実際に北海道の襟裳岬に訪れた岡本氏が、民家にお邪魔した際に「何もないですが」と温かいお茶を差し出された人情に感動し、「襟裳の春は何もない春です」という名フレーズが生まれたと言う。
そうした演歌的な世界観の歌詞も、この曲の魅力と言って良いだろう。
また演歌の側がフォークソングに歩み寄ったことで、演歌以外のジャンルのソングライターが演歌に提供するという先駆けとなった意味合いも強い曲のようだ。
※TAP the POP:襟裳岬〜“何もない春です”と歌われた名曲にまつわる“色々事情あり”な誕生エピソード

なお吉田拓郎氏によるセルフカバーも行われ、アルバム『今はまだ人生を語らず』(1974)に収録されている。
2002年にもセルフカバーアルバム『Oldies』でも、新録音源が聴けるようだ。
なお吉田拓郎氏によるバージョンは、アレンジ面でもフォーク調であり、アレンジや歌い方でここまで違った曲に聞こえるのか、と驚かされる。
前川清 – 雪列車(1982)作曲:坂本龍一
- 作詞:糸井重里、作曲・編曲:坂本龍一
内山田洋とクールファイブのリードボーカルとして知られる前川清氏の、ソロデビュー曲が「雪列車」である。その作曲・編曲は何と作曲家の坂本龍一氏であった。
坂本氏がなぜ前川氏のソロデビューの楽曲を制作することになったのか、その経緯は定かではない。
もともと演歌ではなくポップス志向であった前川氏であり、クールファイブではムード歌謡とともに、演歌寄りの楽曲も多かったために、ソロでは違った方向性の曲を歌いたかったのかもしれない。
この当時の坂本氏と言えば、スタジオミュージシャン・編曲・プロデュースなどを行いつつ、YMOとしての活動も行い、活動の幅をさらに広げている時代であった。
そうした状況で生まれた「雪列車」は、坂本氏らしくシンセによるアレンジを施した、テクノポップ調のサウンドになっている。
それでいて、メロディラインは内山田洋とクールファイブ時代からの歌謡曲を思わせるものとなっており、見事に歌謡曲とテクノサウンドが融合した新しいタイプの楽曲になっている。
なお前川氏が、坂本氏の死去に際して当時のレコーディングについて語っている。坂本氏は付きっきりで2日間をともにレコーディングを行ったと言う。
※スポニチアネックス:前川清 ソロデビュー曲手がけてくれた坂本龍一さんの壮絶製作現場「僕たちには分からない世界の音」

そこでずっとドラムの音入れにこだわる様子が印象的だったようだ。なおこの曲のドラムは坂本氏自身が叩いていることで知られている。
「なぜそんなに強くドラムを叩くのか?」と前川氏が尋ねると、「和太鼓の音をドラムで表現したい」と坂本氏は答えたと言う。
それに対して「では和太鼓を置けばいいのではないか」と返したら、坂本氏に少しにらまれたと言う。この曲についてよく表した場面ではないか、と筆者は思う。
坂本氏がこだわったのは、演歌や日本的なサウンドを、まさにそうした楽器を使うのではなく、坂本氏のフィールド、ポップスやロック、テクノなどの響きで構築できないか、という挑戦だったのだろう。
吉田拓郎氏がフォークから演歌にアプローチしたように、坂本氏なりに演歌や歌謡曲などの日本的な世界観を、シンセ・テクノサウンドで表現するところに面白さを感じていたのだろう。
森進一 – 冬のリヴィエラ(1982)作曲:大瀧詠一
- 作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲:前田憲男
再び登場した森進一氏は、「襟裳岬」の後にも演歌の作家以外のがっきょくを発表している。それは作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一という80年代の黄金コンビによる「冬のリヴィエラ」である。
松本隆氏、大瀧詠一氏と言えば、ともにロックバンドはっぴいえんどのメンバーであり、バンドの解散後はそれぞれ作詞家、シンガーソングライターとして活動を続けていた。
この2人の作と言えば、松田聖子の「風立ちぬ」、その後に発表された薬師丸ひろ子の「探偵物語」「すこしだけやさしく」などである。アイドルへの提供が多かった中では、異色の楽曲提供とも言える。
「襟裳岬」の前例もあったため、森氏がこうしたポップス調の楽曲を歌うことの珍しさはなかっただろうが、オリコンチャートトップ10入りを果たすヒットとなった。
やはりこの曲の大瀧詠節全開のメロディがまずは素晴らしい。そしてキラキラとしたサウンドとともに、景色が大きく開けるような爽快感がある。
どうやらこの曲は歌詞が先のようで、リヴィエラという地中海沿岸地方を指す言葉とともに、音楽で海外旅行に誘われるような感覚から、そのまま曲になっている感じがする。
演歌は決して日本に閉じたものではない。異国が舞台になった演歌もいくつもあり、そうした異国情緒漂う演歌に、新しい風を吹かせてくれた名曲と言えるだろう。
なお大瀧氏自身が英語詞で歌った「夏のリビエラ-Summer Night in Riviera-」が2016年のアルバム『DEBUT AGAIN』に収録されている。
さらに次のシングルでは、作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、という、はっぴいえんどのメンバーによる組み合わせで「紐育物語」が制作されている。
「冬のリヴィエラ」に比べると地味な立ち位置ではあるが、こうした演歌に新しい風をもたらす試みは大変興味深いものである。
梅沢富美男 – 夢芝居(1982)作曲:小椋佳
- 作詞・作曲:小椋佳、編曲:桜庭伸幸
俳優の梅沢富美男氏が歌手デビューを飾った楽曲が「夢芝居」である。作詞・作曲を担当したのが、シンガーソングライターの小椋佳氏だった。
大衆演劇の女形としてその美しさで知られていた梅沢氏であるが、この楽曲ではそんな女形のイメージと、妖艶な雰囲気の楽曲、そして恋と芝居を掛け合わせた歌詞が見事にマッチしている。
メロディの素晴らしさもさることながら、「恋はいつでも初舞台」という真理をついた歌詞が胸に刺さる1曲である。
そして個人的には、演歌調のメロディでありながら、イントロのフレーズやビート感に、どこかハードロック的な力強さを感じずにはいられない。
あまり演歌の楽曲では、こうしたヘヴィなリズムが用いられることは少ないため、アレンジ面での革新性も光る楽曲であることは述べておきたかったところである。
ちなみに梅沢氏は歌手デビューなど全く考えていなかったようだが、俳優が歌手デビューする当時の風潮で持ち掛けられた話だったようだ。
何とかそれを断るために、実現しないであろう小椋佳氏に楽曲提供を受けるなら、という条件を出したそうだ。
この曲が作られた当時は、小椋氏はまだ銀行員として勤務していた時代であり、ディレクターが小椋氏の銀行時代の後輩だった縁から、楽曲提供に結びついてしまったのだという。
何とも不思議な縁で生まれた楽曲だが、名曲こそ世に出るべくして出るものなのだろう。
小林旭 – 熱き心に(1985)作曲:大瀧詠一
- 作詞:阿久悠、作曲・編曲:大瀧詠一、ストリングスアレンジ:前田憲男
「マイトガイ」の愛称でも知られ、映画スター、そして歌手活動も盛んに行っている小林旭氏の代表曲の1つが「熱き心に」である。
作詞は阿久悠氏、そして作曲は大瀧詠一氏が担当している。大瀧氏は大の小林旭ファンであり、何としても楽曲提供を実現させたい思いがあったようである。
この曲以前にもそのチャンスがあったようだが流れてしまい、ようやく掴んだチャンスだったそうで、その気合の入り方も想像に難くない。
既に多数の楽曲を歌い、「昔の名前で出ています」などの正当派の演歌なども歌っていた中で、大瀧氏は「熱き心に」で新たな小林氏の歌の世界を広げたように思える。
小林氏が「西部開拓史、ジョン・ウェインの世界だ」と述べたように、どこか異国情緒を感じさせる世界観と男らしさ、それでいて大瀧サウンドも同時に並び立つ楽曲である。
大瀧氏が作った「冬のリヴィエラ」と比較すると、こちらは大瀧節・サウンドそのものという感じの名曲だった。一方で「熱き心に」はより小林旭という人物をイメージして描かれているように思われる。
全てを包み込むような懐の深さや大きさを持ちながら、優しくも強いと言ったイメージが楽曲のメロディや歌詞から伝わってくる。
歌詞は松本隆氏ではなく、阿久悠氏に依頼したと言うのも、この曲の場合は合っていたようだ。
そして大瀧氏の個人的な思い入れが強い分、そのエネルギーが楽曲から素直に伝わってくるようでもある。
美空ひばり – 愛燦燦(1986)作曲:小椋佳
- 作詞・作曲:小椋佳、編曲:若草恵
言わずと知れた昭和の歌謡界を代表する歌手、美空ひばり氏の代表曲の1つが「愛燦燦」である。作詞・作曲を担当したのが、小椋佳氏であった。
この曲は味の素のテレビCMの映像に流れる音楽を美空氏に歌ってもらう構想からスタートしたとのこと。「包容力のある曲を」というオーダーによって、「愛燦燦」が生まれたそうだ。
当時はそれほどヒットしなかったが、その後ロングヒットを記録し、美空氏の代表曲の1つとして愛される曲となった。
優しく包容力のあるメロディとサウンド、そしてやはり小椋氏の真骨頂は歌詞に表れると思っている。「愛燦燦」は平たく言ってしまえば、人生賛歌なのだろう。
しかし安直な言葉で人生を表現するのではなく、言葉選びが秀逸である。「人はかよわいものですね」と、人に対して「かよわい」と言う俯瞰の視点は舌を巻く表現だ。
また「過去達は優しく睫毛に憩う」という表現も、決してつらかった過去でさえも、私たちとのちょうど良い距離感で接することができる、という素敵な表現である。
こうした深遠にして広大な世界観を見事に歌い上げる美空氏の歌唱も素晴らしい。小椋氏はレコーディングの際に、美空氏に歌唱の指導をしたのだと言う。
美空氏の歌い方の癖のようなものが出ないように歌って欲しい、と述べると、素直にそれを直して歌ったと言うエピソードを小椋氏が語っており、大御所にしてその謙虚さに恐れ入る。
香西かおり – 無言坂(1993)作曲:玉置浩二
- 作詞:市川睦月、作曲:玉置浩二、編曲:川村栄二
演歌歌手である香西かおりの1993年の楽曲「無言坂」は、安全地帯やソロで活動するシンガーソングライター玉置浩二氏による楽曲である。
作詞は演出家、テレビプロデューサーの久世光彦氏が「市川睦月」というペンネームで書いたものだ。
玉置氏と演歌、というと意外な組み合わせに思えるかもしれないが、祖母が民謡の歌手であった影響で、幼少期から民謡を歌っていたと言うから、こうしたジャンルの歌は馴染み深いものだろう。
楽曲としては演歌調であるものの、安全地帯の音楽性に通じるものもあるように思える。メロディの部分的なところで、いかにも演歌的なラインが挿入されていることで、演歌らしく聞こえるようだ。
自分用の曲、演歌の楽曲提供と、この辺りのメロディの使い分けをしっかりとできる辺り、多作でありながら名曲を作る玉置氏の力量を感じるところである。
なおカップリング曲の「あゝ人恋し」も同じく玉置氏の曲であるが、当初はこちらがA面曲の予定だったと言う。「無言坂」の歌詞はレコーディング直前に届いて、最終的にA面となった。
結果的に「無言坂」は1993年の第35回日本レコード大賞を受賞。これは持論であるが「無言坂」は日本人にとって”歌”の良さを感じさせる楽曲だからこそ、ヒットにつながったのだと思う。
一方、「あゝ人恋し」は非常にメロディの美しい曲である。こうした旋律の美しさの方が前面に出る曲は、隠れた名曲と言う、それはそれで重要な位置に落ち着くことが多いようだ。
城之内早苗 – 酔わせてよ今夜だけ(1993)作曲:森高千里
- 作詞・作曲:森高千里、編曲:斉藤英夫
おニャン子クラブ出身で、1986年に演歌歌手としてソロデビューした城之内早苗の楽曲「酔わせてよ今夜だけ」の作詞・作曲を担当したのは、シンガーソングライターの森高千里である。
城之内早苗氏は、幼少期に民謡と三味線を習っており、中学2年時にCBS・ソニー主催の『全日本演歌選手権』への応募をきっかけとして、スカウトされたと言う経歴を持つ。
さて、「酔わせてよ今夜だけ」は森高千里氏が本格的な作曲を初めて行った楽曲である。なぜ演歌だったのかは謎であるが、突如この曲が森高氏のアルバム『ROCK ALIVE』(1992)に収録されている。
初めての作曲ではあるが、実に本格的な演歌の楽曲であり、非常に良いメロディラインである。作詞の独特なセンスも魅力的であるが、改めて森高氏の才能の幅広さに驚く。
森高氏のオリジナルバージョンは、非常に簡素なアレンジでデモ音源風とも言えるほどであるが、城之内氏の方はかなり演歌らしいアレンジが施されている。
楽曲はスマッシュヒットし、第27回日本有線大賞有線音楽優秀賞を受賞している。他にも高山厳氏が同曲をカバーしていることで知られている。
まとめ
今回は演歌の楽曲の中で、演歌以外のジャンルのソングライターが提供したものを選んで紹介した。
演歌は保守的なジャンルと思われがちであるが、それは演歌と言うジャンルが確立された後のことである。1970~80年代は演歌の黄金期であるとともに、まだジャンル自体を作り上げる時代だった。
そのためか、他ジャンルとの交流も盛んであったし、既に流行していた演歌に対して、新しいジャンルだったフォークやニューミュージックなどの音楽家が演歌に挑戦するという流れがあった。
その結果として、演歌の新しい可能性を切り開くことになり、ユニークな楽曲がいくつも生まれている。
近年は演歌に限らず、こうした他ジャンル同士の交流が少なくなったのは残念であるが、音楽の化学反応が起きるコラボレーションはぜひ今後も続いていって欲しいと思う。
※演歌は古臭い?演歌への偏見にちょっと待った – 演歌の楽しみ方は”聴く”より”歌う”
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