1982年にデビューしたロックバンド、安全地帯は北海道旭川市で結成され、道内でのアマチュア活動を長く継続したことでも知られる。
一般的には、1983年のシングル「ワインレッドの心」がヒットしたことで有名になり、その妖艶で都会的な恋愛を歌った歌詞と、冷ややかさを持った悲し気なメロディが音楽的特徴と認識されている。
しかし「ワインレッドの心」以前の楽曲を遡ると、全く違った安全地帯が見えてくる。どうやらアマチュア時代の安全地帯と、メジャーデビュー後の安全地帯の間には大きな転換があったようだ。
今回はその転換について、楽曲に見られる変化から探ってみようと思う。デビュー曲『萠黄色のスナップ』から『ワインレッドの心』までのシングル曲からその変化と音楽性の正体を探った。
安全地帯の音楽性のターニングポイントと正体とは?
安全地帯について、多くの人は1983年の「ワインレッドの心」以降の活躍を認識していると思われるが、結成は1973年に遡り、70年代後半には北海道でのアマチュアバンドとして活動した。
アマチュア時代の情報は多くはないが、2024年12月に「安全地帯・零 ZERO ~旭川の奇跡~」がNHKで放送され、当時のエピソードや楽曲が多く取り上げられた。

どうやらアマチュア時代の安全地帯と、デビュー後を比べると、音楽性が大きく転換しているようだ。
先に言ってしまえば、アマチュア時代はウェストコーストと言われる、アメリカ西海岸のサウンドに大きく影響を受けた、爽やかなロックサウンドが特徴であった。
一方で「ワインレッドの心」以降で世間の人が知る安全地帯と言えば、ヨーロピアンな湿り気と、その背後に日本の歌謡曲・演歌まで感じさせる暗くも美しい旋律とサウンドが特徴である。
音楽性が大転換したバンド、と思うほどに、アマチュア時代とデビュー後は異なっている。
その変化がどの辺りで起きているのか、リリースされている楽曲から見ていくと、初期のシングル曲を並べて明らかになっていると思った。
とりわけ3rdシングル「ラスベガス・タイフーン」が過渡期になり、4thシングル「ワインレッドの心」で大転換が行われているように思える。
こうした変化が何であったのか、その背景には何があったのか、バンドをめぐる状況も考慮しつつ、楽曲に見られる変化を順に述べていくことにしよう。
萠黄色のスナップ c/w 一度だけ
- オリジナル発売日:1982年2月25日
- 収録アルバム:安全地帯 COMPLETE BEST(2005)
記念すべき安全地帯のデビューシングルが「萠黄色のスナップ」であった。既に述べた通り、彼らはアマチュア時代の活動も長く、オリジナル曲を多数持っていた状態でのデビューだった。
デビューに際しては書き下ろしの新曲ではなく、アマチュア時代のレパートリーの中から厳選して「萠黄色のスナップ」が選ばれている。
作詞は安全地帯、崎南海子と記載されているが、実際には元メンバーの武沢俊也氏が作詞している。しかしオリジナルの歌詞に補作詞が入り、彼は脱退とともにクレジットからも消えてしまっている。
またこの当時のドラマーは、田中裕二氏ではなく、大平市治氏であった。アマチュア時代のメンバーの影響が強く、デビュー作であるとともにアマチュア時代の総決算と見ることもできよう。
シンプルなドラムのビートにギターとキーボードが絡むことでグルーヴが生まれる、非常にバンド然とした凝ったアレンジになっている。サウンドはウェストコーストロックの爽やかな雰囲気である。
歌にフォーカスした後の安全地帯に比べると、よりバンドサウンドが中心にあるのが分かる。玉置氏のボーカルも、バンドの演奏の中に溶け込んでいる感じがする。
そしてこの歌詞からは北海道の雄大な自然が思い浮かぶ。自然の中で育まれた温かな愛が歌われており、シングル盤のジャケットに北海道が描かれているのも印象的である。
都会のスリリングな恋愛模様を描いたメジャーデビュー後の安全地帯とは歌詞のテーマも大きく違っている。
カップリング曲の「一度だけ」はAORテイストの楽曲で、洗練された音楽の指向性も窺える。これもアマチュア時代の楽曲だった。
YouTubeを見るとアマチュア時代の楽曲が他にも多数アップされている。そのどれもやはり初々しさとともに、アメリカンな爽やかさが、デビュー後の神秘的で緊張感ある雰囲気とはずいぶんと違う。
まずは音楽的なジャンルがかなり違っており、それに加えて、よりロック志向・バンド志向なサウンドとなっており、クオリティは高く玄人的な感じがする。
結果的にこの路線では売れなかった。プロデューサーの星勝氏や井上陽水氏は、彼らの魅力を理解しつつも、本作が売れる路線の音楽ではないとも分かっていたはずである。
ただアマチュア時代の安全地帯の決着とでも言おうか、1つの区切りとして本作をリリースする意味はあったのだろう。
安全地帯の音楽性の変化、その後の方向性を決めたのは、作詞を担当していた武沢俊也氏の脱退だったように思える。
「作詞:武沢俊也、作曲:玉置浩二」こそがアマチュア時代の安全地帯であり、この組み合わせこそが安全地帯の世界観を作っており、「萠黄色のスナップ」はその世界観の自信作だったはずだ。
武沢氏が脱退するまでは、北海道を拠点に、土地の人間だけで凄い音楽をやるという野望が彼らにはあったようである。
しかし彼の脱退により、歌詞は外部の人間を入れるほかなくなり、その野望はついに打ち砕かれることとなったのだった。
入れ替わりに井上陽水という人物が現れ、結果的に安全地帯を東京に向かわせ、メジャーデビューに向かって大きく動き出すことになったのである。
不思議な縁の巡り合わせがここにはある気がする。皮肉なことにも武沢氏の脱退という縁が安全地帯を次の舞台へと向かわせたのであろう。
一方で「萠黄色のスナップ」に代表される、アマチュア時代の音楽性にも別れを告げることとなる。もしも武沢氏が安全地帯に残っていたら、この当時の路線のまま音楽活動が続いたのだろうか。
きっと東京での華々しい活動とは違ったものになったのだろうし、知る人ぞ知るバンドとしていずれ活動を終えたのかもしれない。
玉置氏の強力なリーダーシップとともに、バンドとしてのこだわりよりも、前に進むことを選んだ安全地帯は、アマチュア時代から大きく音楽性を変化させていくのだった。
オン・マイ・ウェイ c/w FIRST LOVE TWICE
- オリジナル発売日:1982年10月25日
- 収録アルバム:安全地帯 COMPLETE BEST(2005)
1981年1月にキティレコードより正式なレコーディング依頼を受けた安全地帯は、井上陽水氏のバックバンドとしてツアー同行することとなり、上京することとなる。
バックバンドとしての活動とともに、この時期に「オン・マイ・ウェイ」のレコーディングも行っていたようだ。
「オン・マイ・ウェイ」は、アメリカンなハードロックあるいはロックンロールサウンドの楽曲で、やはり依然としてバンドを主体としたサウンドである点は変わっていない。
全体的にワイルドさを感じる楽曲であり、あまり前後を見渡しても安全地帯には少ないタイプの楽曲で面白い。
作詞は松尾由紀夫、清水宗己、パトリック・ナプクムとなっており、既に武沢氏の歌詞ではなくなっていた。
この曲から浮かんでくるのは、アメリカの広大な大地とどこまでも続く一本道であり、どこか北海道の風景とも重なるところがあるのかもしれない。
ドライブに合いそうな楽曲であり、北海道および東北地方のみではあるが、ブリヂストン「アイスコンパウンド」のコマーシャルソングとして使用された。
安全地帯としては勝負をかけたいところだが、アマチュア時代の音楽性からいかに変化していくか、模索の様子も窺える。そのためか、この曲もヒットには結びついていない。
模索している感じがありつつも、北海道の土着的な雰囲気からは脱しようと言う変化も。
カップリング曲「FIRST LOVE TWICE」は小気味いいカッティングが、やはりアメリカンな雰囲気と、AOR的な洗練されたムードである。
この曲については、ドラマーが大平市治氏だと言う説もある。
作詞は小椋佳氏に依頼していることから見ても、プロデビューして作られた曲だが、雰囲気はアマチュア時代の感じが残っている。
特にそれはギターを軸にグルーヴを組み立てるスタイルに見ることができるように思える。
本作「オン・マイ・ウェイ」は、よりアメリカンな雰囲気になっている点は新しさもありつつ、どのような音楽性で売り出していくのか、模索の跡が垣間見える作品のように思った。
ラスベガス・タイフーン c/w エイジ
- オリジナル発売日:1983年4月1日
- 収録アルバム:安全地帯I Remember to Remember(1983)
1983年1月25日に1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』が発表された。アルバムの中からシングルカットされたのが「ラスベガス・タイフーン」である。
当時の安全地帯は、洋楽志向が強かったと思われ、リリースもアルバムオリエンテッドに見える。非常に完成度の高い1stアルバムになっているが、その作風には変化も見られ始めている。
とりわけ分かりやすい変化はサウンドである。これまでは生音を重視したロックサウンドだったのが、キーボードを多用し、リバーブの強いボーカルメインの音作りに変わっている。
これはニューウェイヴの影響を受けたものだそうで、徐々にサウンドはアメリカンな乾いたものから、ヨーロピアンな湿り気をまとうようになっていく。
さてシングル化された「ラスベガス・タイフーン」は、ハードなギターが導くハードロックナンバーに仕上がっている。
タイトなリズム隊の演奏に、ギターリフが乗り、そして歪んだリードギターのフレーズがまさに王道のハードロックサウンドである。
アレンジの組み立て方はこれまでの安全地帯とあまり変わっていないが、既に述べたように、エフェクトの掛かったサウンドで、やや風合いが変化しているのが分かる。
そしてマイナー調のメロディと、どこか妖艶な世界観の歌詞(作詞:松尾由紀夫)も、後のヒットした楽曲の雰囲気に近づきつつあるようにも思える。
タイトルこそ”ラスベガス”とアメリカを思わせるが、これまでのウェストコーストな乾いた音ではなく、ヨーロピアンな湿り気が、後の安全地帯らしさを形成し始めている。
アルバムに収録された「エイジ」がカップリングに収録されている。ミドルテンポでメロディアスな楽曲であるが、こちらも後の安全地帯の音楽性に近づいている様子が窺える。
それはクリアなギターとエフェクトのかかったサウンドに醸し出される、湿り気や哀愁のようなものである。それまでのアメリカンな乾いたサウンドにはなかった雰囲気である。
アマチュア時代の安全地帯にあったアメリカンな乾いたサウンドから、ヨーロピアンでウェットなサウンドへと移行し始めたのが、この時期である。
ただアマチュア時代から続くバンド主体のサウンドは健在であり、「ラスベガス・タイフーン」の骨太なハードロックサウンドはそれを主張しているように思える。
「ワインレッドの心」以降の作風を少しだけ予感させつつ、過渡期のサウンド・音楽性であると言っても良いだろう。
ワインレッドの心 c/w We’re alive
- オリジナル発売日:1983年11月25日
- 収録アルバム:安全地帯 COMPLETE BEST(2005)
これまでの3枚のシングルの売り上げが伸びず、プロデューサーの星勝氏は作曲を井上陽水氏に依頼することを玉置氏に提案していたと言う。
しかし作曲は玉置氏が行うことを固持し、売れる路線の楽曲を制作することになった。そうして出来上がった楽曲の1つが「ワインレッドの心」であった。
この曲で安全地帯は明確な、音楽性の大転換が行われている。まずは玉置氏の歌う哀愁漂うような、ムーディーなメロディが前面に出ていることである。
これまではバンドサウンドを軸にした楽曲であったが、歌が真ん中にある、というアレンジが歌謡曲的である、ということができる。
もちろん安全地帯メンバーによるバンド演奏は行われているのだが、たとえばギターは印象的なフレーズを弾く部分だけが前面に出て、それ以外は歌のメロディを支える役割に徹している。
それ以前の安全地帯を聴けば、ギターが常に主役級の役割を担う、非常にロック的なアレンジだったのが、ポップスや歌謡曲のアレンジに変化しているのが分かる。
さらには井上陽水氏に歌詞を依頼したことで、どこか妖艶で危険なムードが増している。
安全地帯として意図したことではなかったかもしれないが、こうした大人の恋愛を歌う世界観は安全地帯の1つの様式にさえなったと言える。
そこに玉置氏のマイナー主体のメロディが見事に絡み合っている。どちらかと言えば、メジャーキーの曲の方が多かった安全地帯が、こうしたウェットで暗く美しい雰囲気の曲を作ったのも大きな変化だ。
『安全地帯I Remember to Remember』で見せたどちらかと言うとヨーロピアンな湿り気を感じさせるサウンドも手伝って、非常に耽美的な世界観とサウンドに仕上がっている。
楽曲そのものは洋楽的な影響も感じさせ、一般的な歌謡曲とは異なる部分ももちろんある。しかしこの曲以降の安全地帯には、どこか日本の演歌を感じさせる部分がある。
それは日本人的な心模様を、どちらかと言えば暗部から描くという意味での演歌であり、そうしたスピリットがこれまでのアメリカンな雰囲気の音楽性から、最も変わった部分とも言えるだろう。
一方でカップリング曲の「We’re alive」は、それ以前のアメリカンな乾いたサウンドであり、最初はこの曲から話題になったとも言われている。
カップリング曲にはそれまでの安全地帯の方向性の曲を入れたところに、まだロックバンドとしての意地のようなものも感じさせる。
しかし結果的には「ワインレッドの心」によってじわじわと人気に火が付き、最終的にはオリコンチャート1位を獲得している。
「ワインレッドの心」で急に音楽性が変わったようにも見えるのだが、これまでの流れを見ていくとその布石が打たれていることが分かる。
武沢氏の脱退から上京、井上陽水氏との出会い、1stアルバムでのヨーロピアンなサウンドへの変化など、全てが「ワインレッドの心」へと必然的に結び付いていたようにも思える。
『ワインレッドの心』以降の安全地帯のピークとのその後
「ワインレッドの心」以降の安全地帯は破竹の勢いで、ヒットを連発していく。
ロックなノリは「真夜中すぎの恋」や「熱視線」などには見られつつも、玉置氏の作る悲し気なメロディと、松井五郎氏の妖艶な歌詞、そして色気のある歌唱が曲の主人公になっていく。
”歌”を主人公にした歌謡曲路線は、「悲しみにさよなら」で頂点を迎えたように思える。
「ワインレッドの心」以降のマイナー調で押していく安全地帯ではなく、メジャーキーで泣かせる新境地とも言えるが、売り上げ的にもクオリティ的にも頂点だったように思える。
しかしやはりアマチュア時代からの安全地帯からは遠く離れてしまっていた。「ワインレッドの心」が破滅の始まりだったと玉置氏が述べたように、既に崩壊を予感させていたのだろう。
「悲しみにさよなら」以降は徐々に方向性を見失っていく感じもある。
「じれったい」「I Love Youからはじめよう」など、ロックサウンドに回帰した曲も復活したが、アマチュア時代のウェストコーストなサウンドとは異なっていた。
バンド内でも方向性の相違が生まれ始め、1988年にはいったん活動休止に入ることとなった。その後は活動休止と復活を繰り返していくこととなる。
まとめ
今回の記事は安全地帯の音楽性について、アマチュア時代からデビュー後のシングル曲の変遷を追いながら、その正体を探ると言う内容だった。
振り返れば、『萠黄色のスナップ』に見られる音楽性こそ真の安全地帯の音楽性だったが、徐々に変化を続け、『ワインレッドの心』で決定的な変化を遂げて、誰もが知る安全地帯の音楽性に変化した。
『萠黄色のスナップ』からは、アメリカのウエストコーストロックに影響を受けたサウンド、そして北海道の大地を思わせる雄大なロックを、本当はやりたかったバンドだったことが窺える。
こうした音楽性にバンドとしては自信を持ちつつも、プロ目線からは”売れる”音楽ではないことは見抜かれていたのだろう。実際に3枚のシングルは売り上げ的に伸び悩んでいた。
筆者の私見ではあるが、バンド主体のロックサウンド、それもアメリカンな乾いた音楽は日本でとにかく受けが悪い。
井上陽水氏の進言もあり、歌謡曲に寄せた楽曲を作った中で、『ワインレッドの心』がヒットに結びついた。「ワインレッドの心」は当初の音楽性とは真逆と言っても良いほどの変化であった。
骨太なバンドサウンドはボーカルを支える役割に徹し、アメリカンな雰囲気は消え去り、ヨーロピアンな湿り気と、演歌的とも言える暗さと美しさを持ったメロディ、そして”歌”が中心の音楽である。
『ワインレッドの心』で世に知られた安全地帯は、劇的に変化させた音楽性が本体であると認識されてしまい、その路線を突き進まざるを得なくなったのだった。
こうした背景を知ると、アマチュア時代の安全地帯、そしてデビュー後の安全地帯という2つの顔を持つバンドである、というのが正体だと言えよう。
星勝氏や井上陽水氏の進言通りにヒット作を作った玉置氏の才能にも脱帽であるが、しかしこうした音楽性の分裂は彼を苦しめることにもなったようだ。
それは単に音楽性を転換させた、ということにとどまらない、アマチュア時代からの様々な変化があったことで、音楽性の転換に導かれたからである。
安全地帯の音楽性の転換を語る上では、以下の3つの要素があるように思えた。
- 武沢俊也氏の脱退に伴う北海道から東京への活動拠点の移動とバンドのあり方の変化
- アメリカンな乾いたサウンドからヨーロピアンな湿り気のあるサウンドへの変化
- バンド主体のサウンドから、歌が主体の音楽への変化
まずは1.が安全地帯と言うバンドのアイデンティティに関わる大きな変化である。作詞を担当していた武沢氏の脱退は、楽曲制作と言うバンドの根幹を揺るがす一大事であった。
そして北海道を拠点にしたバンドと言う意味でのアイデンティティもここで崩れることとなったため、バンドは井上陽水氏のバックバンドを行うとともに、上京するに至ったのだった。
2.は1stアルバム『安全地帯I Remember to Remember』周辺に見られた変化であるが、ウェストコーストなサウンドを手放すと言う変化である。
これも売れるための変化として、流行を取り入れようと言うことだったのか、当時流行っていたニューウェイヴサウンドを取り入れるというものだった。
この変化は後の安全地帯のサウンドの下地として重要なものだったと考えられる。そして1.や2.を経て、楽曲そのもののを変化させた3.によって、音楽性の変化が決定的となった。
バンドであれば、バンドサウンドが中心にある楽曲で売れたいと思うものであるが、それが叶わずに、日本人にとって馴染みやすい”歌”を中心に据えたと言う意味で、歌謡曲的なアプローチに変わった。
こうして見ると、やはり1.によってバンドの方向性が決定的に変わり、とにかく東京で成功しなければ、という路線に至って2.や3.の音楽性の変化も受け入れるようになったのだろう。
結果的には玉置氏の中にあった演歌やウェットな音楽性が引き出されて、それが評価されたのだが、改めて北海道でウェストコーストなロックサウンドだった安全地帯も再評価されて欲しいところだ。
もちろんデビュー後の安全地帯もどちらも魅力的ではあるが、ロックバンドとして、そして音楽的にクオリティの高かったアマチュア時代にも、見どころの多いバンドだと感じている。
※【初心者向け】”はじめてのアルバム” – 第18回:安全地帯 – アルバムとしての名作とは?
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