なぜ演歌では1コーラスごとに拍手が起きるのかについての考察 – コンサートからライブへの変化から考える

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エレファントカシマシ
画像出典:東京演歌ライブ

コンサートなど、生演奏や歌唱が終わると観客から拍手が起きる。現在もコンサートに行けばごく当たり前の光景である。

しかし演歌のテレビでの歌唱などを見ると、1コーラスが終わるたびに拍手が起きて歌手はお辞儀をする、という場面を見たことはないだろうか。

この現象は、たとえばロックのライブにおいてはまず見たことがない光景であり、筆者が思い出す限りにおいては演歌ぐらいでしか見かけない光景だ。

なぜ演歌においてのみ1コーラスごとに拍手が起きるのだろうか?今回の記事では、筆者なりに考えたところを自由に書いてみることにした。

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本当に演歌だけの現象なのか?

演歌や歌謡曲のコンサート(あるいはテレビ放送での歌唱)では、だいたい1コーラスが終わるごとに拍手が起き、歌手は深々とお辞儀をする、という場面をよく見かける。

以下の投稿を見ると、実に拍手をする箇所が多いことが分かる。

ではなぜ演歌では1コーラスごとに拍手するのか、既に解明されている記事がないかと探してみた。なかなか明確な言及はなかったが、Yahoo!の知恵袋で尋ねている人がいた。

演歌や歌謡ショーで間奏の時、観客が拍手するのは何故ですか?ポップやロックの若いアーティストのライブでも静かな曲なら本来、間奏... - Yahoo!知恵袋
演歌や歌謡ショーで間奏の時、観客が拍手するのは何故ですか?ポップやロックの若いアーティストのライブでも静かな曲なら本来、...

その回答では「昔はポップスでもそうだった」というもの、「なるほど」と思った。確かに演歌と歌謡曲の境目が今ほど明確ではなかった頃のテレビの歌唱風景を思い返すとそんな気もする。

そう考えると、1970~80年代頃に歌謡曲や演歌を聴いていた世代が、そのまま演歌ファンとなり、昔と変わらないスタイルをやり続けている、と言うだけのことになる。

残念なことでもあるが、あまり若い世代が演歌フィールドに入ってこないために、ガラパゴス的に演歌のコンサートだけが、昔ながらの拍手の仕方が様式化して残ったということだろう。

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コンサートからライブへの変化から考える

ただいくつか疑問が残っている。1つは「なぜ昔は曲の途中に拍手をする文化があったのか」、もう1つは「なぜ若い世代のライブなどにはその様式が受け継がれなかったか」の2点である。

この2点について考えると、生演奏を聴くと言う場所の変化があるのではないか。

”芸”を鑑賞するコンサートから参加型のライブへの移行が要因?

つまり、類稀なる表現を体感する、”芸”を鑑賞するコンサートから、盛り上がる空間を皆で作るライブへの変化、という点があるように思える。

かつて音楽を鑑賞する場は「コンサート」(あるいは公演)という言い方が一般的だったようだが、その時代は音楽や歌は、稀有なる歌の技術や表現力と言った”芸”を披露する場だったように思える。

そこには芸を持つ演者(歌手)と、鑑賞する側(客)にはそれぞれ明確な違いがあり、役割があった。鑑賞する側はじっくり芸を鑑賞し、その感動が溢れて、1コーラスで拍手を”してしまう”のである。

それに対して1980年代頃から言われるようになったと言われる「ライブ」には、上記のような「コンサート」とはやや趣が異なる。

ライブは、よく「演者と観客が一体となって作り上げる」と言われる通り、会場全体に盛り上がりを一緒になって作り上げるという要素が強くなる。

もちろん演者の芸を鑑賞する要素がない訳ではないが、演者と一緒になって会場を盛り立てるという役割が追加されたことで、じっくりと鑑賞するという雰囲気ではないのである。

そうした聴き方の変化、また盛り上げるためのライブと言う曲調の変化も加わって、曲間に拍手をするという文化はなくなったのではないか、と考えた。

コンサート・ライブの様式化

こうした形態の変化によって、演者も客もともに変化する部分があったと思われる。どちらかと言えばネガティブなことで、表現する側・鑑賞する側全体のレベルの低下である。

やはり演者の芸が全てであるかつてのコンサートは、それに見合う芸を磨いた歌手でなければ客は集まらないのであり、そのレベルや気迫は目を見張るものであった。

そしてレベルの高い歌唱、芸と呼べる域の個性や表現力を見抜く客が、あまりの凄さに敬意を表して拍手をするのだ。

しかしライブの時代になれば、盛り上がることが優先され、演奏や歌のレベルよりも、観客がのれる曲やパフォーマンスが重視され、見る側もそれほど芸の凄さが分からない人が増えてしまった。

だからこそ一律に最後だけ拍手する、というのが分かりやすいのである。

それに加え、昨今ではコンサート自体が様式化する傾向が強まり、同調圧力の強い日本人はますます様式に縛られたコンサートの楽しみ方しかできなくなってしまった。

総合的に見れば、一期一会の芸を鑑賞する場から、毎回同じクオリティが楽しめるエンターテインメントに変わったことで、拍手などの楽しみ方も様式化した、ということである。

それはロックのライブも演歌のコンサートも同じことであり、いまや拍手も様式化して、演歌であってもかつてのような芸への敬意というほど重々しいものではない感じがする。

芸への敬意が残る場面も?

現在のコンサート・ライブにおいても、まだ演者の芸への敬意から、類稀なるパフォーマンスに拍手を送りたい場面はある。

たとえば筆者が好きなエレファントカシマシのコンサートなどは、あまり”ライブ”という言い方が馴染まない、バンドの生演奏に居合わせると言う趣である。

2022年に日本武道館にて行われたコンサート『新春ライブ 2022』における「珍奇男」の映像を見ると、異様な緊迫感とバンドの一体感が、まさに芸と呼べる素晴らしいものだ。

実際に曲の途中で拍手を送る人は少ないかもしれないが、思わず歓声や拍手を送りたくなる場面が曲の途中にもたくさんあるように思える。

またジャズ・ファンク・フュージョンなど、テクニック志向のジャンルにおいては、ライブにおける各ソロパートの後には拍手が起きる、というのも残り続けている。

たとえばジャズファンクの重鎮、Incognitoのコンサートなどを見ても、ギターやピアノのソロでは拍手が起きる場面を目撃する。

こうしたプロミュージシャンの類稀なる演奏に対しては、やはり拍手したいと言う思いが、そうした文化を残したのではないかと思う。

まとめ

今回は演歌のコンサートにおいて、なぜ1コーラスで拍手が起きるのかの理由について考察した。

その起源や変遷など具体的なことはあまり分からないままではあるが、どうやら演歌だけにあったものと言うより、時代の流れで変わってきているようである。

その変化は、音楽の生演奏を鑑賞する場が、芸を鑑賞するコンサートから、全体が盛り上がるためのライブへと変化したこととも関係があるのではないか、と考えた。

そしてコンサート・ライブの楽しみ方自体が形式化してしまったことで、拍手のやり方1つとっても、暗黙のルールのような形になってしまったと言う側面もある。

海外に目を向ければ、生演奏中の楽しみ方は日本人よりずっと自由だと聞くことが多々ある。やはりその場にいて、グッとくる演奏や瞬間に出会えば、感情が爆発するはずだ。

もちろん周りへの配慮はしつつ、もっと生演奏を自由に楽しんでも良いのではないか、と思ったりするところだ。

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