音楽的好奇心が薄れる”音楽的老化”が起きる人・起きない人の違いとは? – ”音楽好き”の違いから考える

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音楽の聴き方

音楽はどこまでも掘り下げようと思えば無限に深く、そして広大に広がっている。しかし多くの人にとっては、10代の頃に聴いた音楽が最も好きな音楽になり、徐々に音楽的関心は薄れていくようである。

音楽的嗜好を調べた研究においては、このような”音楽的老化”が起きると言う。

音楽好きとしては(音楽業界的にも)非常に寂しい話である。しかしもう一歩進んで、音楽的老化が起きる多くの層と、起きない一部の層に分かれるのはなぜか、もう少し丁寧に見てみる必要がある。

今回の記事では、音楽的老化とも言える現象について、なぜそれが起きるのか、そして音楽を聴き続ける層と”老化”の起きる層との違いについて考えたい。

その際に、筆者が以前こちらの記事で書いた、そもそも「音楽が好き」には3つの種類があることが参考になりそうだ。

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音楽的嗜好が10代で確立され、30代以降に関心が薄れるのはなぜか?

本記事を書くにあたり、目に留まったのが「音楽的嗜好、10代には確立 30歳から関心薄れ」と言うタイトルの記事であった。

音楽的嗜好、10代には確立 30歳から関心薄れ | Musicman
ニューヨーク・タイムズ紙がSpotifyのデータを調査したところ、音楽の好みは一般的に13〜16歳の間に決まることが分か...

かいつまんで説明すれば、ニューヨーク・タイムズ紙がSpotifyのデータを調査したところ、音楽の好みは一般的に13〜16歳の間に決まることが分かったと言う。

また別の研究では、30代になると音楽への好奇心が薄れてしまうとも言われ、33歳までに一生聞き続ける音楽が決まってしまうそうだ。

さらにその人が考える”音楽界で最も良い年代”は、その人が育った時代に大きく左右されることが判明している。

結果から考えるに、多くの人は10代当時に流行っていた音楽を熱心に聴き、年齢を重ねるにつれて、流行の音楽を追いかけなくなり、自分が10代の頃聴いた音楽が美化されていくようである。

10代の頃に音楽を熱心に聴く理由は?

この現象について、統計的な裏付けがあるものではないが、感覚的には理解できるところがある。まず10代の頃になぜ音楽を聴くのか、というところから考えてみたい。

10代の頃に音楽を聴く理由として、大きく分けて以下の2つの意味合いがあると考える。

  1. 生き方やアイデンティティの確立を助けるもの
  2. 同世代との娯楽・価値観の共有

これらは多様な娯楽がある現代においても、音楽に一定の意味があるとすればこの辺りと言えるのではないか。

まず1.について、思春期・青年期の若者は、自分の人生や人間関係(家族・友だち・恋人など)に対して、ひときわセンシティブに悩む時期である。

そうした悩みに対して、同時代の感覚を切り取った歌は、自分の心の叫びを代弁してくれているように感じられ、自分の生き方やアイデンティティ形成に大きく影響を及ぼす

たとえそこまで影響力がなかったとしても、思い出のアルバムのように、当時の自分が楽曲の中に切り取られて記録され、楽曲を聴けば当時を思い出す、と言うのはよくある現象である。

多感な時期だからこそ、音楽の歌詞やメロディに影響を受け、その時代が音楽に記録されるのである。

また2.は、思春期・青年期は仲間関係が非常に重要な時代でもある。その中で音楽は仲間と娯楽を共有し、さらには価値観を分かち合うために重要なツールとなっていた。

現代においてどこまでそれが機能しているのか筆者も分からないが、TikTokで音楽が流行るところを見るに、いまだ若者の間では音楽が価値観を共有するためのツールになり得ているように思う。

このように10代に支持される音楽は、自分の感覚に近い音楽で、かつ仲間と共有できる音楽であれば、リアルタイムに流行しているものであることに意味があるのが分かるだろう。

ちなみに若いうちから昔の音楽の方が価値観に合う層もいるが、そもそも仲間と価値観の合わない層であり、少数派になりやすく、大多数とは違う道筋をたどることになる。(筆者もそうであった)

20代以降に音楽的老化が起きるのはなぜか?

調査によれば、20代で音楽的好奇心はピークとなり、30代で停滞していくことになるそうだ。

先ほど挙げた2つの要素と音楽が結び付いていると、年齢が上がるにつれて、2つの要素は満たされていくので、音楽への関心も同時に下がるのではないか、と考える。

まず1.について、20代~30代になれば、職業に就き、結婚や出産を経験する中で、徐々にアイデンティティを確立していくのが一般的な人々の傾向である。

不安定な年代だからこそ、心のすき間に入り込んだ音楽が、大人になるにつれて不要になっていってしまうのだ。

また年齢が高くなるにつれ、同年代の仲間コミュニティでいる時間は減っていく。職場という仕事の関係で、上下様々な年代の中で過ごすことが増え、同年代と価値観を共有する意味でも音楽は不要だ。

さらには結婚や出産など、職場と家族関係に閉じていくと、時間的余裕もなくなって音楽からさらに離れることになる。

調査でも関心が低下する理由の上位に、「責任の大きい仕事」「子育て」がある。音楽を聴く余裕がないのと同時に、10代で音楽を聴く理由が年齢とともになくなっていくからではないかと考えた。

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音楽的老化が進む層・起きない層は何が違うのか?

ここまでは、”ごく一般的な層”と思われる人たちが音楽を聴く行為について、10代~30代頃までの変化を追いかけた。

「なるほど」と感じた人もいると思う一方、「そんな音楽の聴き方をしていない」と反論したくなる人もいることだろう。

自分の心を代弁してくれる・仲間と共有するため、などとは全く関係なく、純粋に音楽として好きだという層はいるはずである。

実は今回調査で見られた音楽的老化の起きる層・起きない層を分けた時、そもそも「音楽が好き」の質が全く異なるのではないか、と筆者は考える。

筆者は以前こちらの記事で、「音楽が好き」の種類を3つの分けて説明した。これに当てはめて考えると、音楽的老化が起きる層・起きない層の違いが見えてくる。

音楽的老化が起きる層=歌が好きな人たち

今回取り上げた30代にかけて音楽的老化が見られる層は、多数派であるが、音楽好きとしては最もライトな層ではないか、と考える。

彼らが音楽を好きになるポイントは、あくまで自分自身の生き方の価値観や仲間との繋がりを重視してのことであり、音楽的な要素はあまり見当たらない。

音楽的な要素とは、サウンドや演奏面などテクニカルなことなど制作サイドの視点、あるいは音楽的ジャンルなど音楽と言う現象そのものへの関心などである。

彼らの「音楽が好き」とは、筆者が考えた3つの分類の中では、「歌が好きな人」に該当することが多いのではなかろうか。

「歌が好き」とは、音楽の中でも歌に着目しており、歌詞とメロディ、加えて歌うと言う行為が好きであると言う人たちである。

歌が好きな人たちにとっては、音楽とは歌の世界であり、歌の主人公に感情移入したり、自分を投影させたりして、自らの心のすき間を埋めてくれるものとして音楽がある。

またカラオケに行く、音楽に合わせて踊るなども含め、ともに歌うことで仲間意識を強める・つながりを確認する、と言う行為もまた重要な要素だ。

こうした歌の世界観に入ること・歌を通じて仲間と繋がることが、彼らにとっての音楽であり、それが10代~20代に最も必要となるからこそ、音楽的な関心もその時期にピークを迎えるのだ。

残念ながら彼らにとっては、音楽が10~20代に顕著な歌への関心を飛び越えてまで魅力的なものとは映らないようである。

歌の物語に浸れるような楽曲がたまたま見つかれば(ヒットしていれば)、耳にすることはあるだろう。

しかし彼らにとって音楽を聴くモチベーションが10~20代に特有のものであるから、音楽そのものをそれ以上探求しようと言うことにはならないのだ。

音楽的老化が起きない層=音楽が好き・音楽と言う現象が好きな人たち

一方で音楽的老化が起きない層は、少数派であるようだが、老化の起きる層とは根本的に「音楽が好き」の質が違っている

確かに音楽を聴く入り口として、10代の頃の心の問題や仲間との繋がりはあったにしても、そこから音楽的な要素への関心が強まる層が、一定数いるのである。

それは筆者が述べるところの「音楽が好きな人」「音楽と言う現象が好きな人」である。

「音楽が好きな人」とは、音楽を楽曲全体として、サウンドやアレンジなど作り手的な視点から俯瞰して聴いている人たちである。

個別に楽器ごとのサウンドを聴いたり、メロディの美しさやコード進行を捉えたり、音楽的な素養が必要な楽しみ方である。

こうした人は特定のジャンルが好きになり、時代を遡ったりして、音楽を探求しようと言うモチベーションが湧いてくるはずである。

とりわけそのきっかけとなるのが洋楽を聴くかどうかであろう。言語的に歌詞の分からない洋楽は、必然的に音楽的要素に関心を向けさせ、「音楽が好きな人」に移行する絶好の機会となる。

また「音楽と言う現象が好きな人」は、もう少しマニアックに、音楽のジャンルをまたいで、どのように音楽が広がっているのか、現象そのものに関心がある人である。

往々にして音源の収集家になりやすく、ジャンルの変遷などに関心を持ち、どのように音楽ジャンルが発展していったかに興味を持てば、無限の音楽を漁ることになるのだ。

こうした「音楽が好きな人」「音楽と言う現象が好きな人」は、特定の年代においてのみ音楽に興味を持つなどと言うことはなく、音楽的探求をやめない限りは、好奇心が続いて行く。

そして音楽的老化の起きる人たちは、同時代的に流行った音楽を中心に聴くが、流行り音楽と自分の感覚とが合わなくなれば、当然追いかけるのをやめてしまう。

一方で老化の起きない人たちは、同時代的な音楽だけに関心がある訳ではなく、ジャンルを掘り下げ、時代を掘り下げることで縦横にどんどん広がっていく。

そもそも「音楽」として見ているものの違いが、音楽的老化をもたらすか否かを決めているのではないか、と思う。

まとめ

今回は30代以降に音楽的な好奇心が薄れてしまう、音楽的老化が起きる層・起きない層の違いについて、そもそも「音楽が好き」の質の違いから考察してみた。

筆者が言う「歌が好きな人」が世間的には圧倒的な多数派であり、彼らが音楽を聴く理由が10代頃の心理的な課題や特徴に由来する部分が大きい故、それが達成される30代以降は関心が薄れると見ている。

一方で少数派の「音楽が好きな人」「音楽と言う現象が好きな人」が音楽的要素に本来は関心を持つ人たちであり、自身の境遇とは関係なく音楽が好きなので、探求をやめないことが多いだろう。

かつて1970~80年代は、日本人の間で洋楽を聴くことがカッコいい時代であったと思われる。その時代には「歌が好きな人」から「音楽が好きな人」に移行する人が多く、音楽的関心は高まった。

しかし次第に音楽も多様化し、娯楽自体も多様化したことで、結局現代の日本はまた「歌が好きな人」が圧倒的多数を占める状況になっているように思う。

さらに音楽的にライトな層に届くような、歌の物語に感情移入できて、口ずさめるような歌謡曲と呼ばれるジャンルが衰退したことが、さらに音楽離れを加速させているようにも思える。

今や音楽は、音楽的に理解のある人、また音楽と言う現象が好きなマニアックな層だけのものになってしまった感がある。

音楽が活気を取り戻すには、やはりライトな層に響く楽曲が生まれ、そこから音楽的関心を広げていくことが必要であろう。

音楽的土台がしっかりあることは前提に、やはり歌謡曲と呼ばれるジャンルの再興がカギを握るように筆者には思える。

筆者がおすすめする歌の世界を大切にしている近年の邦楽アルバム

・浜田省吾 – Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター(2015)

・コアラモード. – COALAMODE.3〜Blue Moment〜(2023)

・奥村愛子 – ストライプ(2018)

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