俺たちの明日に関して

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まさか出るとは思わなかったが、しかしやはりと言うべきか…

「こんなんはエレカシじゃない」という批判。勿論作品が発表されて様々な意見が出るのは当然だと思う。ただ文学的な要素がないからと言って良くないというのはどうか。

私は宮本さんが「ミュージシャン」であり「詩人」でもあると思う。自分の苦悩を文学的な言葉で表す事も宮本氏の良さで、最近では「扉」や「町を見下ろす丘」などで顕著だ。この部分(詩人的な部分)が我々ファンを引きつけているのではあるが、一方で「今宵の月のように」に見られるように、ミュージシャンとして質の高いメロディーを作る事にかけても宮本氏は優れていると思う。

今はそちらのモードに入った事はジャパンなどのインタビューでも明らかである(今は古本や骨董品よりもCD集めが趣味というように)

両者を同時に行うことは厳しいと思う。

爽やかで綺麗なメロディーが生まれた時に、「男の歴史とは…」とか内面的な詞は似合わない。やはり良いメロディーは素直に人に届くのだから、それに合わせて詞も届きやすいものになってくるはずだ。

だから「ミュージシャン 宮本浩次」が復活した、という事は素直に喜べば良いのじゃないかと思う。どう言ったってミュージシャンはメロディーが命なのだから、その質が上がったならばファンには喜ばしい事ではないのか。もしそれを批判するなら、エレカシをミュージシャンとして見ていないという事になる。

蛇足かもしれないが、ここまで変化を遂げてきたエレカシなのだから、今更何が出ても平気な気もする。


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