【人間椅子】安定感抜群のベース鈴木研一の楽曲に変化がみられるタイミングと意味を探る

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バンド生活三十五年を迎えたハードロックバンド人間椅子、その唯一無二の世界観はデビュー以来一貫したものである。

とりわけデビュー時から一貫して楽曲の雰囲気や世界観がブレないのがベースの鈴木研一である。

作風を変化させ、人間椅子の進化を担ってきたギターの和嶋慎治とは対照的であり、そのバランスが人間椅子を構成している。

人間椅子における鈴木研一の役割は、人間椅子の屋台骨と言うか、芯の部分を守る役割をしている。そのためほとんど変化しない鈴木研一だが、微妙な変化は時代とともにやはりある。

今回の記事では、あまり語られることのない鈴木研一の作風の変化とはいつに起きたのか、なぜ起きたのかについて探っていきたい。

※鈴木研一氏の作風やプレイスタイルなどをまとめた記事はこちら

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ベース鈴木研一の作風の変化の4つのタイミング

ベース・ボーカル鈴木研一氏は、人間椅子の怪奇的な音楽性の中でも、より分かりやすくおどろおどろしさを表現した音楽性が特徴である。

精神的なダークさ・ヘヴィさを表現するのが和嶋氏ならば、鈴木氏は見た目の恐ろしさや不気味さを表現する。あまり説明的な楽曲ではなく、ストレートな表現である。

そしてハードロック・ヘヴィメタルを愛好する鈴木氏は、70~80年代の中でもややB級の魅力がある洋楽ロックに影響を受けた楽曲を作る。

鈴木氏の作風を述べれば、およそこのような説明になる。ただ細かく見ていくと、人間椅子の歴史の中でいくつか変化のタイミングがあった。

大きく分けると、変化のタイミングは以下の4つあると考える。

  1. 音楽性・曲のテーマの広がり(5th『踊る一寸法師』~)
  2. 大作の増加(7th『頽廃芸術展』~)
  3. シンプルな楽曲の増加(15th『未来浪漫派』~)
  4. ヘヴィ路線への回帰(19th『怪談 そして死とエロス』~)

それぞれのタイミングで何が変化したのか、そして変化の要因について考察する。また変化を象徴する楽曲も取り上げている。

音楽性・曲のテーマの広がり(5th『踊る一寸法師』~)

1つ目の変化は、音楽性や曲のテーマが広がったことである。変化の時期は、4th『羅生門』(1993年)~5th『踊る一寸法師』(1995)頃にかけてのことである。

デビューから4th『羅生門』まで、メジャーでの活動を行っていた人間椅子は、デビュー盤『人間失格』で提示された文学性の高い、湿り気のあるハードロックと言う方向性を守ってきた。

音楽性に多少の広がりはあったものの、あまりにハードロックのジャンルをはみ出たり、文学的ではないテーマを取り上げたり、ということは『羅生門』まではほとんどなかった。

メルダックとの契約が切れた後、人間椅子はインディーズから『踊る一寸法師』をリリースした。本作ではメジャーでの音楽性やテーマの縛りを取っ払って楽曲を制作した。

鈴木氏の楽曲については、自身の趣味がより色濃く表れた楽曲が登場するようになった。たとえばパチンコがテーマになっている「羽根物人生」「ダイナマイト」などがそうである。

それまでも相撲をテーマにした「相撲の唄」などがあったが、パチンコはおそらく却下されていたことだろう。

また音楽的にも、これまでの人間椅子で取り上げなかった演歌やフォークなど、自身の好きな音楽性を取り入れている。

『踊る一寸法師』では当時好んでいたスラッシュメタル調の「ダイナマイト」、1996年の6th『無限の住人』では、フォーク・歌謡曲的な「晒し首」に演歌・軍歌調の「蛮カラ一代記」などを作った。

こうした自身の趣味を色濃く反映させる作風は、だいたい14th『真夏の夜の夢』(2007年)辺りまで続くこととなる。

大作の増加(7th『頽廃芸術展』~)

鈴木氏はデビュー当時、まだ1人で展開の多い楽曲を作ることが難しかったようで、「悪魔の手毬唄」(1st『人間失格』収録)を苦心して作り上げた、と語られる。

5th『踊る一寸法師』以降は、単独での作曲がほとんどとなっていた。ただ展開が入り組んだ複雑な曲は、それほど多くなかった。

それが変化したのが、ドラマーの後藤マスヒロ氏が加入後である。後藤氏がかなりテクニカルなドラマーであったこと、そしてアレンジに長けていたことが鈴木氏の作風にも変化をもたらす。

7th『頽廃芸術展』以降では、鈴木氏の楽曲の中にも展開が多く、プログレ風味の楽曲が多くなっていく。和嶋氏が得意とする複雑な展開を、今度は鈴木氏がやり始めたのである。

たとえば8th『二十世紀葬送曲』(1999)では「蟲」など中間部のギターソロがあり、後半でさらに展開するなど、メインリフはシンプルながらやや複雑さを増している。

さらに9th『怪人二十面相』の時期に頂点をきわめ、表題曲「怪人二十面相」は変幻自在の展開、さらに人気曲「芋虫」も古き良きブリティッシュハードロックやプログレの影響を感じさせる大作だ。

鈴木氏は作曲をする際には、ギターリフをレコーダーに吹き込んで、リズムなどはバンドで合わせながら作っていたようである。

そのため後藤氏がかなりアレンジに加わり、プログレッシブな方向性に導いていたという外側の要因も大きい。

ただアイデアが豊富だった時期なのは間違いなく、鈴木氏の名曲の多くがこの時代に生まれている

こうした大作路線は、やはり後藤氏の脱退とともに減り始め、1点目の変化と同様に14th『真夏の夜の夢』(2007年)辺りまでは緩やかに続くこととなった。

シンプルな楽曲の増加(15th『未来浪漫派』~)

もっとも鈴木氏の作風に変化があったと言っても良いのが、この時期ではなかろうか。

これまで書いてきた鈴木氏の作風の変わり目が、全て14th『真夏の夜の夢』だった。何が起きたのかと言えば、アルバムの中での楽曲数について鈴木氏の方が多かったのが、逆転し始めたのである。

つまり15th『未来浪漫派』の辺りから、和嶋氏の楽曲の方が多くなり、どちらかと言えば前面に出るようになった。

これは当ブログでも何度も取り上げた、和嶋氏が表現(あるいは人生)の軸となる感覚を掴んだ”覚醒”により、曲の雰囲気が大きく変わったことによる。

結果的に和嶋氏の曲数が増えたのと、大作やアルバムの核となる曲を作るようになった。それに応じる形で、鈴木氏は大作が減り、シンプル・ストレートな楽曲が増えるようになった

時期的には15th『未来浪漫派』(2009年)~18th『無頼豊饒』(2014年)の辺りまでと言える。

『未来浪漫派』では鈴木氏の楽曲は13曲中5曲まで減り、目立つ曲も「冥土喫茶」というヘヴィながらスラッシュメタル調のシンプルな楽曲である。

この時代の鈴木氏の定番曲と言えば、「ねぷたのもんどりこ」「地獄の料理人」など、ストレートなハードロックが多くなっている。

またNWOBHM調の「泣げば山がらもっこ来る」「人生万歳」「ミス・アンドロイド」など、あまりヘヴィな方向ではない楽曲が多くなっている。

なおこの時期は、鈴木氏の体調が芳しくなかったという話もある。また聴いていた音楽も、ハードロックよりもう少し軽めなオールドロックだったことも影響していたかもしれない。

ヘヴィ路線への回帰(19th『怪談 そして死とエロス』~)

和嶋氏のカラーが強かった15th『未来浪漫派』~18th『無頼豊饒』の時代を経て、徐々に鈴木氏の存在感が増していくのが、現在の人間椅子に至る道のりである。

19th『怪談 そして死とエロス』(2016年)頃から鈴木氏の体調も回復傾向にあり、また人間椅子を取り巻く状況もかなり良くなったこともあって、鈴木氏の楽曲にも活気がみなぎっている。

とりわけ19th『怪談 そして死とエロス』収録の「芳一受難」は、鈴木氏らしいおどろおどろしさと、攻撃的なビートにヘヴィさが加わり、鈴木氏の良さがふんだんに発揮された名曲である。

その後も「月夜の鬼踊り」「瀆神」などヘヴィな路線の楽曲で目立つことが増え、従来の鈴木氏の作風が戻ってきたとも言えるだろう。

かつて90年代後半~00年代中盤くらいまでは鈴木氏が引っ張り、10年代前後は和嶋氏が引っ張っていた状況だが、10年代後半に入って二人のバランスが拮抗するような状況になってきた。

それに伴って人間椅子もますます活気が溢れており、ファンが増え続ける状況にも繋がったのだろう。

さらには22nd『苦楽』(2021年)以降は、アルバムの曲数で和嶋氏・鈴木氏が同じくらいになり、23rd『色即是空』(2023年)でも「蛞蝓体操」「悪魔一族」など個性的な楽曲を作っている。

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まとめ

今回は人間椅子のベース・ボーカル鈴木研一氏の楽曲の変化について取り上げた。あまり変化とは無縁に思える鈴木氏であるが、長い歴史を見れば、若干の変化があることが分かるだろう。

しかし和嶋氏のような、自らの精神性の変化によるものと言う感じではなく、外的な要因に合わせて適応する結果として変化した部分が大きい。

あくまで自分のスタンスは変わらず、バンドを巡る状況や和嶋氏との相性、それに加えて、その時々の調子が影響を与えているだけである。

ここにも和嶋氏・鈴木氏の表現者としてのタイプの違いを感じるところである。

デビューから一貫した個性を持つ鈴木氏は天才肌(既にある個性を深めていくタイプ)で、努力家(努力によって個性を広げていくタイプ)の和嶋氏と対照的に思える。

コツコツ続ける鈴木氏が努力家で、作風が変わる和嶋氏の方が天才肌と思うかもしれない。しかし作風を模索し続ける人こそ努力家で、生まれ持った才能に確信を持っている人が天才なのではないか。

以下の記事に2人の表現者としての違いを書いたことがある。

鈴木氏の変化を追っていく、と言うのはかなりマニアックな楽しみ方であり、どちらかと言えば、変わらないことを楽しむ方が一般的であろう。

鈴木氏のブレなさこそ、人間椅子を長年支えてきた要因の1つである。これからも鈴木研一ワールドを展開しながら、バンドを続けていって欲しいと思う。

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