ジャパハリネット解散②

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今日は本当にこれしか書く気がしません。「全く知らん」という人にはごめんなさい。

解散への経緯はまだあまり知ることができないが、いろいろ考えてみた。失礼な言い方になるかもしれないが、メンバー・ファンによる共倒れだった気がする。

まずメンバーは地元松山にこだわり過ぎたのではないか、と思う。どうしても東京から離れた場所で視野が狭くなってしまったのだろう。「東京に行くとジャパハリは変わってしまうのではないか?」という不安から東京で活動しつつ、拠点は松山のままという中途半端な状態だった。しかしジャパハリが広く様々な観点からジャパハリを理解してくれる人を得るためには東京という良い意味でも悪い意味でも人が多い場所に行く必要があったのではないか。勿論東京に行けば、様々な業界人に会って音楽の幅を広げることもできるだろう。ただジャパハリは2枚目のアルバム「東京ウォール」でかなり実験的な事をしているのである。今までの「青春パンク」として括られるスタイルから抜けだし、落ち着いた完成度の高い音作りに挑戦していたのである。しかしファンの中では受け入れられなかった部分がある(事実中古のコーナーを見ると恐ろしく安い値段で売っている)

そうなると今度はファンの問題で、「ジャパハリ大好き!」と口では言いつつも、どこかで初期の分かりやすいパンクを演るジャパハリだけが好きだったのではないか。本当にファンなら、リーダーの作るメロディーの良さと、彼等4人で出す音が好きならば、何をやっても受け入れられるはずだ。しかし「東京ウォール」が発売された時にはメジャーになって変わってしまった、という意見を見掛けた。どこかファンもバンドの変化に付いていけなかった感がある。

これは勝手な想像に過ぎないので真相は違っているかもしれない。でも人が何人か集まって何か事を成し、続けていくことがとても難しいことなのだと感じた。誰が悪かったなどとは言えない難しい問題である。だからこそ、彼等にとって解散が自然な流れだったのだろう(しかし”活動休止”ではなく”解散”と言うのは残念だ)

バンドが長続きするための人間関係は次の2パターンだと思われる。

1.いつ何時一緒にいても平気なほど親密で、絶対に決裂の危機があり得ない関係(例えば小、中学生以来の友達)

2.仕事以外では一切会わず、仕事つまり音楽をやるときだけ会う関係

エレカシは前者に近いだろうし、ローリングストーンズの場合バンド内で両者が存在する。これは難しい関係であり、だからこそ長続きするバンドの方が少ないのだろう。ジャパハリもどこか決裂があったのかもしれない。

もう一つ。ジャパハリは幸か不幸か出世が早過ぎた。勿論苦労があってのことと思うが、東京を中心とする音楽業界のテンポはあまりにも速く、松山を拠点とするジャパハリとは合わなかったのだろう。

長々と述べたが、今は解散が残念でならない。私自身は「帰り道」のリリース直前ごろに「遥かなる日々」から聞き始めた、割りと遅い人だ。その時私は世の中に対して漠然とした怒りを感じていた。そこにジャパハリの爽快な曲、社会や人間についての鋭い視点を持った詞に大いに共感した。特に「蒼が濁ったナイフ」や「崩れた未来の隙間から」などは印象に残っている。これは私にとって一つの「青春」であったことは間違いない。今その「青春」が「思い出」に変わりつつある。ジャパハリは解散し、それぞれ新たな道を歩んで行くのと同時に、私も新たな気持ちでこれからを過ごしていかなければならない。

最後にライブに行けることを望む。今まで一回も行かなかったことが悔やまれる。どうかメンバー各々がよそよそしい感じではなく、最高の笑顔で我々の前に姿を現してくれることを願いたい。

未だに「解散」という言葉は馴染まないが、受け入れていくしか仕方ない。またいつか耳にする機会があることを願って。


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