デビューから35周年を迎えたエレファントカシマシ。過去の映像がYouTube等に公開され、これまでの35年の歩みを振り返るモードになっている。
一方で35周年を記念した初のアリーナツアー「エレファントカシマシ 35th ANNIVERSARY TOUR 2023 YES. I. DO」が敢行され、エレファントカシマシの現在とこれからを感じることができた。
そのツアーのセットリストには、ユニバーサルミュージックに移籍してから数年間の楽曲が多く組み込まれた。いわば、エレカシの何度目かの黄金期の楽曲たちである。
筆者がエレファントカシマシを本格的に聴き始めたのが2006年、そして翌年にユニバーサルミュージックに移籍し、怒涛の快進撃を目の当たりにしてきた。
筆者自身の大学受験とも重なって、エレカシの快進撃は我が事のように嬉しかったし、本当に勇気づけられた。ここで改めて2007年~2008年頃のエレカシの快進撃を振り返ってみたいと思った。
その歩みを網羅的に振り返ることは到底難しいが、その当時にリリースされた楽曲たちと、どのように出会い、どんな形で表に出てきたのか、と言う点を中心に書いてみようと思う。
と言うのも、楽曲情報やメンバーインタビューなどはある程度記録が残っているが、どのような形で告知され、ファンに届けられ、それをファンはどう受け止めたのか、と言う記録は残っていないのだ。
そこで筆者の思い出とともに、2007年~2008年頃のエレカシの楽曲たちが、どのように表に出てきたのか、エピソードとともに振り返ろう、と言う記事である。
書き始めたら思いのほか長くなったので、前後編に分けた。前編は2007年(以前を含む)~2008年の最初までとして、主に「俺たちの明日」「笑顔の未来へ」の2曲を振り返る。
2006年:『町を見下ろす丘』~東芝EMIからユニバーサルミュージックへの移籍
話はユニバーサルミュージックへの移籍前の2006年から始めたい。
先に書いた通り、エレファントカシマシと筆者が出会ったのが2006年。実際には、小学生の頃に親が聴いていた「今宵の月のように」で既に楽曲には触れていた。
1997年当時は、良い曲だなと思っていたのと、ちょっとやさぐれた感じの若いバンド(超若者と言う感じではなかったが)、くらいで、それ以上の興味はないままだった。
真の出会いとなったのは、エレカシより先にファンになった怒髪天がきっかけだった。
怒髪天がエレカシのトリビュート盤『エレファントカシマシ カヴァーアルバム 花男』に参加するというので、どんな曲なのだろうと興味を持った。
怒髪天がカバーしたのが「男餓鬼道空っ風」だった。タイトルからして、興味をそそられる曲で、カバーも非常に良かったのだが、オリジナルはその何倍も魅力的に思われた。
そこから初期のエピックソニー時代のエレカシにハマっていくのだが、現在のエレカシはどんな感じなんだろうと、近くのレンタルCD店で手に取ったのが『町を見下ろす丘』だった。
カラスのイラストのジャケット、そして「地元のダンナ」「すまねぇ魂」「シグナル」…当時の印象は、「あぁ、もうすっかり中年のバンドになっているんだな」というものだった。
エピックの頃の尖った感じとも違い、ポニーキャニオンのキラキラした感じでもなく、年齢相応のおじさんのロックをやっているバンドなんだ、と思ったのをよく覚えている。
アルバム発売前には、ドラムの冨永氏が慢性硬膜下血腫を発症したという話も小耳にはさみ、健康に気を付けて長くバンドを続けてほしい、と思ったものである。
ひとまず当時は過去の音源を漁るので忙しかったので、それほどリアルタイムの動きは追っていなかった。地方にいたのと、受験を控えていたのもあって、ライブには行けそうになかったのもある。
2007年に入り、受験には失敗し、暗い気持ちのままエレカシの音楽を聴いていた。受験が終わってすぐに買ったのが、1stアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』だった。
2007年前半:ユニバーサルミュージックへの移籍、待望のシングル『俺たちの明日』
2007年のいつ頃だったのか思い出せないが、前半だったのは間違いない。エレファントカシマシが、東芝EMIからユニバーサルミュージックへの移籍をすると言う告知があった。
2006年の段階にはEMIと契約が切れており、早い段階で次のレーベルが見つかったのだと言う。
他のミュージシャンであれば、レーベルの移籍にそこまでのインパクトはないかもしれない。
しかし多少なりともエレカシを知っている人であれば、エレカシがレーベル移籍ごとにガラッと音楽性が変わってきた歴史を知っているだろう。
もちろんこの時点では、何が起きるのか全く知らない訳だが、何か変化が起こることは間違いない、と思ったように記憶している。
その変化は思ったよりも早く感じられることとなった。5月に「俺たちの明日」という楽曲が着うたで配信が決定された。
告知の正確な時期は失念したが、調べると「俺たちの明日」が初披露されたのが、2006年12月31日の「COUNTDOWN JAPAN06/07 大阪」だったようだ。
その後もライブでは披露されていたが、まだライブ映像などが今ほど簡単に見られなかった時代で、着うた配信まで聴ける機会はなかった。
しかし「俺たちの明日」というタイトルの響きが、もはや何かこれまでと全然違う感じがしていた。「シグナル」「すまねぇ魂」と言うモードとは確実に違う、前向きな雰囲気が漂っている。
”着うた”というものが既に懐かしく、風化してしまった形態であるが、音楽配信のさきがけのようなものだった。当時、早くこの曲が聴きたくて、着うたを購入したのだった。
「さぁ頑張ろうぜ」、まさかこんなストレートな言葉が最初から放たれるとは思わなかった。そしてエレカシらしいメロディ、「今宵の月のように」の頃を思わせるものだった。
”中年のロック”と言う意味では、『町を見下ろす丘』の延長線上にあるものではあったが、もっと明るいところに出てきた、と言うか、宮本氏いわく”ドーンと”行っている感じがしたのだった。
しかしなかなかシングル化されるという話が流れて来ないので、どういうことなのだろうと思った。後から聴けば、時期を見計らっていたようで、それだけ勝負曲だったと言うことだろう。
ようやく11月になってシングルリリースされた。それまでの間に、5月の日比谷野外音楽堂の映像だったか、「俺たちの明日」のサビ以外の箇所を初めて聴くことができたように記憶している。
その当時の印象では、サビのキャッチーなメロディと対照的に、AメロやBメロは語りかけるような、フォークのような曲の印象があった。
エレカシとしては”新境地”といった雰囲気がファンの中にはあったように思われ、今のように”エレカシの代名詞”のような曲になるとは思われていなかったような気がする。
そしてシングル盤を初めて聴いた時、その時のイメージともまた違う「俺たちの明日」がそこにはあった。AメロやBメロがしっかりメロディになり、全体的にポップな感じに仕上げられていた。
これも後にインタビューで分かったことだが、初期の「俺たちの明日」は、宮本氏がその場のテンションで歌うようなアドリブ的な要素の強い楽曲だったようだ。
それをプロデューサーのYANAGIMAN氏がしっかりポップスとして形にしようと、方向づけたものだったようである。こうして「俺たちの明日」は後に残る名曲として完成したのだった。
そしてビルの屋上で撮影されたMVも忘れられない映像になっている。クレーンのカメラにオーバーアクションの宮本氏、ガニ股スタイルの石森氏など、突っ込みどころ満載である。
しかしそれを上回るような解放感も感じさせる映像である。このMVを見た時にも、エレカシの新しい時代の幕開けを感じたものだった。
そんな「俺たちの明日」が完成していく道のりを追っていくような2007年だったと記憶している。
2007年後半~2008年:快進撃の始まり「笑顔の未来へ」
少し筆者の話をすると、「俺たちの明日」が発売になった2007年11月頃は浪人時代であり、少しずつだが勉強の調子が上向き始めた時期と重なる。
自分自身が上昇していく感覚と、エレカシが快進撃を始める時期がちょうど重なっていたから、非常に印象深い時期でもあるのだ。
さて、2008年に入る前、どうやらエレカシはさらなる新曲を用意しているらしいことが明らかになる。筆者が最初にその曲を知ったのは、どこかのフェスで新曲が披露される映像だった。
タイトルは「涙のテロリスト」というらしい。どことなく物騒なタイトルがエレカシらしいと思ったが、聴いてみると「俺たちの明日」以上にポップな楽曲で驚いた。
確かにサビでは「涙のテロリスト」と言っており、「笑顔の未来へ」とも歌っていた。これはまた強烈な楽曲を隠し持っているな、と楽しみになったのを記憶している。
そしてほどなくして、新曲リリースの告知となり、タイトルは「笑顔の未来へ」という楽曲だった。すぐに「涙のテロリストだ!」と分かったのだった。
ちなみにリリースの告知は、2007年11月1日に行われていたようで、『俺たちの明日』がかなり引っ張ったのと対照的に、立て続けにシングル、そしてアルバムリリースも発表されていた。
さらに「笑顔の未来へ」は、2007年4月29日の「ARABAKI ROCK FEST.07」で初披露され、その後の夏フェスなどでも演奏されていたようである。
バンドサウンドによるライブ映像を見るだけでもポップなメロディが印象的だったが、2008年1月1日元旦リリースの「笑顔の未来へ」スタジオ音源はさらにポップなものに仕上がっていた。
それはアレンジである。当時のエレカシとしては、あれほどストリングスが大胆に組み込まれたのは異例のことだったのだ。
かつても「シャララ」「昔の侍」など一部の楽曲にストリングスが用いられたが、あまり前面に出てくるものではなかった。
これほどまでにキラキラしたサウンドで、しかもMVには可愛らしい女の子が登場するのもまた超異例のことであった。
筆者の印象としては、「俺たちの明日」に続いて「笑顔の未来へ」がリリースされたことで、エレカシが確実に前向きなモードに入り、覚醒したことを確信したのだった。
「どんな悲しみからもすぐに立ち上がるのさ」と歌う宮本氏は、完全に立ち上がったのだ、と感じたのだ。
でも全く新しい地点に急に立った訳でもないと感じた。たとえば「笑顔の未来へ」の間奏のコード進行は、「甘き絶望」のサビの進行をモチーフにしていたり、しっかりこれまでとの連続性も感じられた。
しっかりと地に足がついた状態で、上昇していこうというモードだったように思う。
そして筆者も当時はセンター試験を目前に控えつつ、非常に調子が上がってきた最中だった。「行くしかない」という強烈な後押しをもらったような「笑顔の未来へ」だったと記憶している。
※次回「2007~2008年のエレファントカシマシ – 楽曲リリース時の思い出あれこれ(後編)」に続く
<「俺たちの明日」「笑顔の未来へ」が聴けるアルバム>
・アルバム『STARTING OVER』(2008)
ユニバーサルミュージック移籍第1弾アルバム、新たなエレカシを感じさせる名盤
・ベストアルバム『THE BEST 2007-2012 俺たちの明日』(2012)
ユニバーサルミュージック時代の2012年までのシングル曲を発売順に収録したベストアルバム
・ベストアルバム『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』(2017)
30周年を記念した2枚組のオールタイムベストアルバム
※エレファントカシマシを初めて聴く人におすすめのアルバムを紹介した記事
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