↓ 前回の【2004年~2005年】人間椅子日記その3(三悪道中膝栗毛)
そして個人的な事情を言えば、大学受験生~浪人生の時期だった。
ライブもあまり行けず、人間椅子との関わりと言う点でも希薄な時期となった。
それゆえ、今回はこの時期に発売されたアルバム2作の感想が中心になってしまう。
この時期は人間椅子が飛躍を始める直前の、どん底の2年間だ。
その頃のムードが伝わるような書きぶりを心がけたいと思う。
2006年の出来事と感じていたこと
2006年のメインのトピックはアルバム『瘋痴狂』の発売であった。
アルバム発売とツアー、そして当時感じていたモヤモヤを中心に書いた。
アルバム『瘋痴狂』の発売
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no. | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
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1. | 「雷神」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 5:24 |
2. | 「二十一世紀の瘋痴狂」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 6:00 |
3. | 「ロックンロール特急」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 5:27 |
4. | 「品川心中」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 8:06 |
5. | 「青い衝動」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 2:46 |
6. | 「無慈悲なる青春」 | 和嶋慎治 | ナカジマノブ | 4:56 |
7. | 「不惑の路」 | 鈴木研一 | 鈴木研一 | 5:39 |
8. | 「山椒魚」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 7:29 |
9. | 「恐怖!!ふじつぼ人間」 | 鈴木研一 | 鈴木研一 | 3:10 |
10. | 「孤立無援の思想」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 6:47 |
11. | 「暗黒星雲」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 7:07 |
12. | 「幻色の孤島」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 8:40 |
合計時間 | 71:31 |
このアルバムをリアルタイムで聴いた者としては、評価の難しいアルバムだと思っている。
前作『三悪道中膝栗毛』は、ナカジマノブ氏が加入して初めてのアルバムだった。
否が応にも、前任の後藤マスヒロ氏と比べられるため、ノブさんが懸命にこれまでの人間椅子のイメージに必死でついて行こうと努力している作品と言う印象が強い。
その次の今作は、マスヒロ時代から脱却しようという試行錯誤の結果だと思った。
たとえばそれはノブさんのボーカル曲が3曲もあることなどに表れている。
「ロックンロール特急」「無慈悲なる青春」「孤立無援の思想」であるが、歌の上手なノブさんのボーカルをもっと押し出しても良いのではないか、ということになったのだろう。
そして全体的な音がとても明るいのも、今作の特徴だ。
従来の低音が響くような音ではなく、ハイが抜けるようなサウンドは今までになかった。
これらを総合するに、過去の人間椅子のイメージにとらわれず、ノブさんがメンバーとなって初めて等身大で作られたアルバムだと思った。
結果的に、ノブさんの明るいカラーを押し出し、陰鬱とした曲の少ない、ロックンロール色の強いアルバムとなった。
等身大のアルバムを作ると言う試み自体は成功したのだと思う。
一方で、人間椅子史上最もヘビーで陰鬱としたマスヒロ時代から入った者としては、この変化についていくのは容易ではなかった。
当時を思い出すと、気に入っていた曲もたくさんある。
この当時、鈴木さんのローチューニング曲で始まるパターンが3作続いていたが、「雷神」で久しぶりにシンプルなハードロックで始まることが嬉しかった。
この当時迷走していた和嶋氏が新機軸として「品川心中」が作られたことも大きかった。
ノブさんの加入によって、人間椅子にも新しい風が入ってきたことは事実だ。
そんな変化を一方では喜びつつ、もう一方ではなかなか受け入れられない、という相反する気持ちを持っていた頃だと思う。
なお同日に、ビデオで発売されていた『遺言状放送』『見知らぬ世界』がDVDで再発されている。
こちらも同時に入手し、当時数少なかった映像作品として何度も繰り返し視聴した。
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ツアー「二〇〇六年の瘋痴狂」
受験生になる年ながら、このツアーには行った覚えがある。
この時も名古屋公演に参加した。
2006年3月5日ell. FITS ALL
no. | タイトル |
---|---|
1. | 二十一世紀の瘋痴狂 |
2. | 遺言状放送 |
MC | |
3. | 雷神 |
4. | 道程 |
MC | |
5. | 孤立無援の思想 |
6. | 山椒魚 |
MC | |
7. | 品川心中 |
MC | |
8. | 見知らぬ世界 |
9. | 死神の饗宴 |
10. | 野垂れ死に |
MC | |
11. | 幻色の孤島 |
MC | |
12. | 青い衝動 |
13. | ロックンロール特急 |
MC | |
14. | 爆弾行進曲 |
15. | 恐怖!!ふじつぼ人間 |
16. | 幸福のねじ |
17. | 地獄 |
En.1 | |
18. | 太陽黒点 |
19. | 黒猫 |
En.2 | |
20. | 針の山 |
「品川心中」はまさか演奏しながら落語できないし、どうやるのだろうと思っていた。
当時は落語をやるべく座布団が用意されている、みたいなこともあったような気もする。
当時感じていたこと – 「人間椅子に対する気持ちが弱くなっていた」
2006年は新譜が発売されたことが嬉しかったものの、観客の動員は減っていくようだった。
少し個人的なことを書けば、この当時は音楽の幅を少しずつ広げていった時期だった。
当時最も聴いていたのは、ジャパハリネット、怒髪天、陰陽座、エレファントカシマシあたりだと思う。
人間椅子以外にも魅力的なバンドがたくさんあることを知っていった時期だった。
やはりどっぷりハマっていた時期の熱狂が徐々に冷めて、いったん距離ができた時期とでも言おうか。
それと人間椅子の低迷が重なってしまったため、どうしても人間椅子に対する気持ちが弱くなっていた。
とは言え、ファンをやめようと思うほどに気持ちが離れていた訳でもない。
人間椅子はきっと評価される、と信じて疑わない気持ちは、ずっと続いていた。
しかしノブさんが加入してからの人間椅子の再構築には、もう少し時間がかかるのだと思った。
マスヒロさんの時代の人間椅子への懐かしさと、新しい人間椅子のギャップに一番モヤモヤしていた時期だった。
2007年の出来事と感じていたこと
2007年のメインのトピックはアルバム『真夏の夜の夢』の発売だ。
自分としては唯一一本もライブに参加していない年だった。
アルバム『真夏の夜の夢』発売
2007年8月8日に14枚目のアルバム『真夏の夜の夢』が発売された。
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no. | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|
1. | 「夜が哭く」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 7:47 |
2. | 「転落の楽典」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 5:36 |
3. | 「青年は荒野を目指す」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 5:09 |
4. | 「空飛ぶ円盤」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 8:25 |
5. | 「猿の船団」 | 和嶋慎治 | ナカジマノブ | 4:12 |
6. | 「閻魔帳」 | 鈴木研一 | 鈴木研一 | 5:11 |
7. | 「白日夢」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 5:13 |
8. | 「牡丹燈籠」 | 和嶋慎治 | 鈴木研一 | 6:24 |
9. | 「世界に花束を」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 8:44 |
10. | 「膿物語」 | 鈴木研一 | 鈴木研一 | 4:12 |
11. | 「肥満天使(メタボリックエンジェル)」 | 鈴木研一 | 鈴木研一 | 4:56 |
12. | 「どっとはらい」 | 和嶋慎治 | 和嶋慎治 | 7:17 |
合計時間 | 73:06 |
良いアルバムと言うのは、ジャケットが素晴らしかったりする。
この作品は発表になったジャケット、タイトルの雰囲気の良さから、良い作品の予感がしていた。
そして聴いてみた感想としても、前2作よりも充実した作品と言う印象が強い。
『瘋痴狂』の時の明るい作風は影を潜め、ダークな人間椅子が戻ってきた。
「幽霊列車」以来の1曲目が和嶋氏による「夜が哭く」の怪しげなイントロ、ストレートなハードロックの「転落の楽典」の流れで確信した。
そして新しい人間椅子を感じさせてくれたのが、最後の「どっとはらい」だ。
これまでも和嶋氏のヘビーな曲はあったのだが、何かを突き抜けたような爽快さとヘビーさが同居するような、新たな人間椅子の世界観を見た気がする。
また前作のノブさんをフューチャーしたロックンロールの楽曲も数が減り、全体的にヘビーなハードロックに戻っている。
かと言ってマスヒロさん時代とも異なる、シンプルながらヘビーなロック、へと移行しつつあると思った。
かくして2007年はこの『真夏の夜の夢』を聴くことが多く、この時期の人間椅子では最も気に入った作品となった。
ツアー「『猟奇大作戦~赤い夕陽が校舎を染めて、お前の額に釘を打つ』 死ね死ね団VS人間椅子」、アルバム発売記念ツアー「真夏の夜の夢」
アルバムは大変気に入っていたものの、私自身が大学受験に失敗し、浪人生の身分だった。
それだけが理由でもないが(次の節で詳しく書くことにする)、ツアーには一度も参加しない年となった。
ちなみにこの年は、まず7月には、人間椅子が改名前に名乗っていた同名バンド「死ね死ね団」との対バンツアー(東名阪の3公演)が行われた。
もう1つはアルバム発売ツアー「真夏の夜の夢」が全7か所で行われた。
いずれにも参加はできていないが、関東圏では少しライブの本数が増えてきた時期のようだ。
また人間椅子オフィシャルブログが開設された時期で、更新頻度が増したのが嬉しかった。
当時感じていたこと – 「全てのライブに行かなくてもいいかなという」
浪人生となった私は、2007年の特に後半は真剣に勉強に向き合っていた。
とは言え、音楽も聴いていたし、ライブに一度も行かなかった訳でもない。
この頃はエレファントカシマシにどっぷりとハマり、自分の精神的な支えとなっていた。
今でこそ、人間椅子のワンマンライブはよほどの用事がなければ行くことにしている。
つまり行くのをパスしよう、ということは今はまずない。
しかし後にも先にも、この当時だけは「パスしよう」と思っていた時期だった。
全てのライブに行かなくてもいいかなという気持ちがあった。
当時の状況としては、エレカシが「俺たちの明日」を発売し、上り調子だった。
やはり自分も気持ちを高めて受験に向かいたいタイミングで、勢いのあるエレカシにますます魅かれていった。
一方の人間椅子はアルバムそのものは良かったものの、バンドとしてこの先どうなっていくのか見えない状況は続いていた。
どうしても勢いのあるバンドに魅かれるのが人間の心理であり、人間椅子の動向は細々と見ていけば良いかと考えていた時期だった。
まとめと次回に向けて
2006年~2007年は人間椅子としても低迷していた時期で、自分も関心が薄れかけていた時期だ。
それゆえに、この記事にもやや陰鬱としたムードが漂っている。
私個人としては、中学生時代の人間椅子への熱狂は冷めて、少し距離を置いて様子を見ていた時期だった。
ファンを続けていると、どうしても気持ちの波があるのは致し方ないことだ。
次回のタイトルは、【2008年~2009年】人間椅子日記その5(人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤~未来浪漫派)だ。
私も無事に大学に合格し、東京で人間椅子のライブを見ることができるようになった。
↓ 少しずつ希望の光が見え始める次回に続く。
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