Negiccoはなぜ解散することなく活動を続けられたのか?
Negiccoの17年にわたる歴史を振り返ってきた。
結成から約10年間は困難の連続であり、そして活動が軌道に乗ってきた時期にもメンバーそれぞれに苦悩があった。
それでもNegiccoは解散することなく活動を続けてきたのである。活動が続けられた背景には、様々な理由があると思う。
その中でも、Negiccoというアイドルの特徴や魅力、チームやファンとの関係などから考えてみたい。なお、この考察はあくまでファンの目線から感じ取れる内容である。
”擦れていない”こと・アイドルとしてのプロ意識
Negiccoの3人は、いつまでもフレッシュさを感じさせながらも、高いプロ意識をもって活動している点に注目したい。
まずNegiccoメンバーの魅力は、何と言ってもいつまでもフレッシュな佇まいである。
2003年から17年間活動しており、小・中学生時代からアイドル活動を続けている。多感な時期にアイドル活動を経験し、しかも何度も”大人の事情”に振り回されてきたグループである。
人間不信に陥り、”擦れた”人間になってしまってもおかしくないほどだ。
しかし、Negiccoの3人のステージでの佇まいや話し方からは、嫌みな部分を感じない。むしろ、新人のような瑞々しさを常に感じる。
それは決して変に上手に立ち振る舞おうとはしない、嘘のない姿を見せているからではないかと思う。緊張している自分や器用に振る舞えない自分も含めて、中途半端に隠したりはしない。
しかしそれは容易いことではない。人前に立つ仕事をする以上、少しでも良く見せたいものである。
ここにNegiccoのアイドルとしての覚悟を感じるところだ。
Negiccoは自分たち自身で、やりたいことや自分たちのスタイルを守ってきた、という自負があるのではないかと思う。
大人の事情に何度も振り回されてきたからこそ、彼女たちは自分たちのやりたいことを貫こうとしたのではないだろうか。
そのために努力も苦労もしてきただろうが、自分たちのスタイルを曲げないためには大切なことだった。
”偉い人”の言いなりになっていれば、もっと簡単に売れる道はあったのかもしれない。しかし、それは自分たちが本当にやりたいことから、どんどん外れていってしまう。
メンバー3人がありのままでいること、それがNegiccoを瑞々しいままにしている要因ではないかと思う。
ただし、あくまで「アイドルとして」の3人であり、プライベートな自分との間には色々な葛藤があったのだろうと推測される。
そこが、アイドルとしてのプロ意識であり、アイドルとして自分たちのスタイルを守り続けてきたからこそ、Negiccoが今日まで続いているのではないかと思う。
”楽曲派”としての側面
Negiccoの魅力の1つとして、やはり楽曲を取り上げない訳にはいかない。アイドル界隈からファンになった人ももちろんいるが、筆者を含め、楽曲が入り口になっている人もかなり多い。
Negiccoに多くの楽曲を提供しているのは、プロデューサーのconnie氏である。
歴史の中でも触れたように、初めて楽曲提供を行ったのは2004年の「トキメキ★マイドリーム」であり、活動の最初期からNegiccoを支えている。
そして、connieさんは実は最古参のNegiccoファンでもあった。Negiccoの活動初期から楽曲提供を行い、オリコンでグループ史上最高位となった「光のシュプール」も手掛けている。
connieさんの作る楽曲の魅力は、いかにもアイドル然とした楽曲とは少し異なる、普遍的なポップスであることだと思う。
アイドルの楽曲論を語れるほど筆者は詳しくないため、多くは語らないが、アイドルと相性が良い楽曲と言えば、情報量が多くて刺激的な楽曲だと思う。
一方で、connieさんの楽曲は良い意味で力の抜けた普遍的なポップスだった。
connieさんの作る楽曲と、素朴なNegiccoとの相性は抜群だった。多少の変遷はあるものの、活動初期からかわいくて良いメロディの楽曲という点で一貫している。
昨今では音楽クリエイターと組んで個性的な音楽性を売りにするアイドルが増えてきた。そのようなアイドルを”楽曲派”と呼んだりするが、Negiccoも楽曲派の括りに入れられることもある。
しかし、Negiccoは最初から音楽的に特定のターゲットを狙って活動していた訳ではない。
connieさんがNegiccoに出会って何かを感じ、1か月限定のご当地アイドルとの間で「Negiccoの音楽」を作り上げていったのである。
ここにはビジネスとしてのアイドルや音楽というより、もっと素朴に「Negiccoを支えていく」ような関係性があるような印象を受ける。
だからこそ「Negicco×connie」が他では出せない魅力になっているように思う。
そんなNegiccoの音楽性やキャラクターが、名だたるミュージシャンに楽曲提供をさせている。
小西康陽氏、田島貴男氏、KIRINJIなど、これまでアイドルとの関わりがなかったミュージシャンも含めて、Negiccoに喜んで楽曲提供を行ってきた。
これだけのビッグネームによるクオリティの高い楽曲が揃うだけでも、”楽曲派”と呼ぶに相応しい。
それでいて、connieさんの作り出すNegiccoの楽曲へのリスペクトから来る、”愛ある楽曲”が提供されている点を見逃してはならないのである。
運営チームの”アイドルビジネス”との距離感
Negiccoの魅力を支えている運営チームにも触れておきたい。アイドルは運営がいかに外とのつながりを保ちつつ、アイドルを守るかということが重要となる。
Negiccoの運営チームは、良い意味で「下心がない」点がポイントだろうと思う。
Negiccoが所属するのは、EHクリエイターズという新潟の小さな事務所である。そして、その事務所の社長が熊倉維仁氏であり、Negiccoファンの間では有名な人物である。
※新潟のローカルなWebマガジン「Things」で紹介された熊倉維仁氏
「Negiccoの歩み」の部分でも紹介したように、Negiccoの3人が路頭に迷いそうになった時に拾い上げたのが熊倉氏である。
熊倉氏は上記のネット記事でも紹介された通り、デザイン系の仕事を経て音楽業界に転職しており、2005年にNegiccoのマネージャーとなって以来、Negiccoを蔭ながら支えてきた。
筆者も熊倉氏とはお話しさせていただいたことがあるが、人との繋がりを大切にする人物で、一緒に仕事をしてくれる人への感謝をいつも述べている姿が印象的だった。
そしてNegiccoのメンバーを娘のように大切に思う気持ちを強く感じた。きっと怪しげな仕事も数々あり、必死になって守ってきたのではないかと思う。
そんな熊倉氏のスタンスこそ、Negiccoのキャラクターにも大きく影響を与えたのではないだろうか。
一方で、競争の激しいアイドル業界にあっては、熊倉氏の考え方は「戦略的でない」という評価を受けても致し方ないのかもしれない。
アイドルビジネスは、多かれ少なかれ、人より少しでも目立ち、時に人を蹴落としてでも上に立とうとする競争原理の中にある、と思っている。
2014年頃、オリコンチャートの上位を狙い、かなりNegiccoを売り出していこうという機運が高まっていた時期があった。
結果的には「光のシュプール」がオリコン週間トップ10入りを果たしたが、当時はファンの間でも「Negiccoが本気で売れるにはこうした方が良い」とか、様々に議論が交わされていた。
マーケティングに強いファンがいたとすれば、歯がゆく感じる運営方針もあったと想像する。
しかし、アイドルビジネスにどっぷり浸かるやり方をしないところに、多くの人が惹きつけてられていたようにも思う。
ファンも運営も、このNegiccoという大切な3人を温かく見守っていきたい、というムードが常にある。
アイドルビジネスと距離を縮め過ぎなかったからこそ、Negiccoが潰れることなく生き残れたという側面があるように思う。
そして損得の関係ではないからこそ、気概のある著名なミュージシャンが喜んで楽曲提供してくれたのではないだろうか。
楽曲提供してくれたミュージシャンは、皆Negiccoのことが大好きである。
周りが手を差し伸べてくれる関係を築けたのも、Negiccoの人柄と熊倉氏をはじめとする”損得だけで動かない”運営チームがあったからこそだと思う。
ファンとの関係 – ”多幸感”のある現場
最後に、Negiccoとファンとの関係性もまた、Negiccoが長く続く上で重要であったと思う。
Negiccoの現場(ライブやイベントのこと)を体験した人が、よく”多幸感”と言う言葉を口にする。ここで言う”多幸感”とは、まったく純粋な幸せを感じることを指している。
アイドルに限らないが、ファン同士のトラブルは多くのグループの現場には付き物だ。それはメンバーへの愛ゆえのことだが、その愛とは詰まるところ”独占欲”に行きつくことが多いように思う。
人よりも自分の方が、推しへの気持ちが強い、と主張し始めるところに争いの原因がある。しかしこの争い自体、元をたどればアイドルビジネスの構造そのものだから仕方ない。
一方のNegiccoは競争の構造から距離を置いたアイドルであることは既に述べてきた。結果、ファンの間でもそれを無意識に理解している人がとても多いように思う。
そのためNegiccoの現場では、皆が争うことなくNegiccoを大切に見守ろうという気持ちで一致する。そして、その気持ちはとても純粋なものだ。
そんな純粋な気持ちが”多幸感”を感じさせるのだろう。
もちろんそういった雰囲気を押し付けるつもりはない。あくまで自然にできた形として、とても温かい雰囲気の現場がそこにはあるのだ。
まとめ – Negiccoのこれから
Negiccoのこれまでの歩みと、活動が続いてきた理由について考えてきた。今年で17周年を迎え、18年目へと続いていくことになる。
活動を振り返ると、世の中の大きな流れも含め、過渡期にあるようにも思う。Negiccoのこれからについて、楽しみにしたいことを少し述べて、まとめに代えたい。
持続可能なアイドルへ
Negiccoの歩みを振り返る中で見えてきたこととして、Negiccoが現代のアイドルビジネスの中にあって、やや特殊な立ち位置として活動してきたことがある。
それは新潟発のアイドルとして、誰かを蹴落とすのでもなく、地道に活動を積み重ねてきたということだ。
既に指摘したように、アイドルビジネス自体が、誰よりも早く、ファンを獲得できる領域を求め、その地位にのし上がっていく競争原理の中にある。
Negiccoも2014年頃、オリコンチャートを意識し、ファンの獲得に向けて邁進していた時期があった。かなりのイベント・ライブ数をこなし、ファンも一丸となって大きなムーブメントとなっていた。
結果として、『光のシュプール』はオリコンチャート5位を獲得し、日比谷野外音楽堂やNHKホール等、東京の大きな会場でもライブができるまでに成長した。
それ自体はNegiccoの知名度を押し上げ、意味のあるものだった。しかし、2016年頃からそれまでの無理が徐々に影響を及ぼすようになっていた。
そして少しずつではあるが、活動のペースを落とし、無理のない範囲でのグループ活動を行うようになった。加えて、個々のメンバーのソロでやりたい活動を広げていくに至っている。
また2019年、2020年とメンバーの結婚発表が続き、グループ活動に限ってみればやはり影響を与える出来事だったと言えよう。
しかし、この変化を「Negiccoがアイドルグループとしての活動規模が縮小した」と捉えるのが正しいのだろうか?
少し話は大きくなるが、昨今の状況に鑑みると、これ以上新たな領域を拡大していかなければ成立しない社会・経済構造そのものの見直しが進んでいくと考えている。
場所も時間も有限であるこの社会において、拡大を続けても破綻は目に見えている。
多くはなくとも収入を得ながら、自分のやりたいことができるような持続可能な社会へと転換する時が近づいている。
アイドルビジネスも「アイドル戦国時代」と言われ、とにかく拡大路線で進んできたが、持続可能な形を模索しなければ、続けられない時期が来ているのではないか。
折しも、コロナ禍により活動の拡大が困難になり、生き残るためには新たな活動のあり方を模索せざるを得ない状況にもある。
こうした観点で見たとき、Negiccoは「持続可能なアイドル」としてモデルにすべき実例ではないだろうか。
短いスパンで見ると最近のNegiccoのグループ活動は確かに少なくなっているが、長期的な活動維持のためには必要な時間だと思う。
グループの活動を保つためには、プライベートな時間も大切であり、それぞれのメンバーがやりたくてもこれまでできなかったことをする時間は貴重だ。
売り上げだけを考えれば、過酷なミッションを課し、それを達成すべく働き続けなければならない。しかし、そのやり方で潰れてきたアイドルはたくさんいる。
頑張る時は頑張る、疲れたら立ち止まる。それが許されない仕組みの中で動き続ける限り、アイドルビジネス自体の破綻が来てしまうだろう。
EHクリエイターズ社長の熊倉氏は、環境問題への関心が強かった。環境も人も、無理せず続けられることこそ、今後必要なことではないか。
持続可能な社会、そして持続可能なアイドルとして、Negiccoはむしろ先駆的な活動をしているグループとも言えるだろう。
今後の社会の変化の中で、きっとNegiccoの活動が今以上に注目される時がやってくると信じている。
“やりたいことをやる”がキーワード
私は、この社会の変化の先にある、Negiccoの活動がとても楽しみだ。Negiccoの現在の状態は、次なる飛躍に向けた準備期間だと思っている。
Negiccoは10代・20代と必死に駆け抜けてきて、今はその中で零れ落ちてしまったものを、しっかり拾い上げる時期だと思う。
年を取れば、それだけ人の個性ははっきりと出て、人生の向かう先も違ってくるだろう。それぞれが自分の時間を過ごす時も必要なことだ。
その時期を過ぎた先に、もしNegiccoが続いていれば、きっとまたグループとしてやりたいことが出てくるのではないだろうか。
稼ぐことだけを目標にしていたら、ここまで活動が続いては来なかっただろう。メンバー、クリエイター、運営、ファンとが、Negiccoがあり続けることを願ってきた思いの先に今がある。
そして、その願いは「Negiccoがやりたいことをやり続けてほしい」ことだと思う。やりたいことをやる、これが持続可能性においては重要なキーワードだ。
Negiccoとして次にやりたいことが出てきた時、きっとまた新たな出会いがあり、新たな扉を開くことになるだろう。
Negiccoはこれまでの歩みで十分のその土台を築いてきた。NegiccoがNegiccoとしてあり続ける限り、今後はどのような活動で実を結ぶとしてもNegiccoらしいものになるはずだ。
そして、Negiccoのメンバーが、運営が心から楽しんで活動をすることで、多くの人が集まってくるだろう。そんな大きなムーブメントができることを心から願っている。
みんなNegiccoのことが好きなのだ。
そして筆者もNegiccoのことが好きなのである。
※Negiccoの結成18年を記念して”泣ける・切ない名曲”18曲を選んだ記事
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